第五話
何年振りなのだろうか、ここまで心地よく、そして気持ちのいい目覚めは。まるで、母に抱かれているように柔らかく、暖かいものに包まれているよう。とはいえ、自分にとっての母は、引き取ってくれた母のような存在の彼女のことであるが。
いや、考えてみれば森でロウ達が身体を寄せ合って温めてくれた時も同じ事を感じていた。
だが、前回と今回では少しだけ違っていた。床が、フカフカするのだ。
前は、下が土だったためにとても硬く、起き上がった時に背中が少し痛みを感じていた程だった。
しかし、今回は全く逆で、まるで地面が身体に合わせて動いてくれているかのようにやんわりと包んでくれている。この感覚、確か前世でも味わったような気がする。
まさか、自分が寝ている場所は。そんなことを考えながら、彼女の意識は完全に覚醒し、その瞼が開かれた。そして、その先にあったのは見たこともない天井だった。
どうやら、そこは室内のようだ。よく考えてみると、自分は前まで洞窟で寝食をし、旅に出てからはずっと野宿だった。だからこうしてちゃんとした天井があって、窓があって、そしてベッドがある眠りは、前世以来の事である。
そう、先ほどのあの心地よさは、そうした恵まれた環境によって与えられたものだったのだ。
それにしても、とふと思った。どうして自分がこのような場所にいるのだろう。
確か、騎士団への入団のために模擬戦をしていて、しかし攻めあぐねて方法が無くなって、一か八か【龍才開花】を試みて―――。それからの記憶がない。一体何自分にがあったというのか。
「聞きたいかい?」
「え?」
何故、自分がベッドの上に寝かされているのか。そんな素朴な疑問が口からでた瞬間であった。ベッドの隣にあるイスに腰かけている女性、カナリアに声をかけられたのだ。
「いつからそこに?」
「ずっと、アンタが気絶してから五時間」
「え、す、すみません……」
カナリアによると、どうやら自分は五時間という長時間にわたって眠っていたようだ。昼寝にはあまりにも長すぎる。今日一日、今までの旅の中でも異常ともいえるほどの色々なことがあって疲れていたのだろう。というか、確実にあの騎士団入団試験の走り込みが原因だ。
いや、それ以上に気になるのは、カナリアがずっとすぐそばにいたということだ。なんだか申し訳ないことをしてしまったという思いと一緒に、どうしてそんなに長い間自分のすぐそばにいてくれたのかという疑問がふと湧いてきた。
「何を謝ることがあんの? それとも、何かやましいことでもあったりすんの?」
「いえ、それはないですけど。でも、どうしてずっとそこにいてくれたんですか?」
「……さぁ、ただの気まぐれ」
「はぁ……」
ふと、リュカは辺りを見回した。すると、自分の両脇にあるベッドにケセラ・セラとクラクが寝させられていた。
あの時自分よりも先に気絶させられていた二人だが、どうやらまだ起きては来ない様子だ。
「だったらいい。ほら、行くよ」
「え? 行くってどこに?」
「団長室。アンタが起きたら連れてきてくれって頼まれたの」
「は、はぁ……」
リュカは、気の抜けたような返事を返した。一体団長はなんのために自分を呼んだというのだろうか。入団試験の合否についてでも教えてくれるのだろうか。もしそうだったとするならば、自分とケセラ・セラ両方の結果を教えてくれるのだろうか。
それと、流石に四六時中鎧を着ているのは重いだろうと判断されたのか、カナリアからは白いワンピースをプレゼントされた。これは、エリスからの贈り物であるらしい。
まだリュカとケセラ・セラに渡す服はデザインしかできていなかったため、カナリアに二人が起きたらとりあえずこれを渡してくれとワンピースを残して本人は自分の店に戻ったそうだ。徹夜で自分に依頼されていた服や、例の物に関しての制作に取り掛かるつもりらしい。
まだ十歳の子供、それも今日死刑にされかけた子供に夜更かしをさせてしまうことに罪悪感と申し訳なさが心の中に生まれるが、彼女にとってはむしろ大歓迎だったというのはのちに聞いた話である。
それはさておき、リュカとカナリアは、いくつもの角を曲がってその部屋へとたどり着いた。カナリアは、ドアを数回叩く。
「団長、リュカが目覚めたよ」
『入って』
カナリアは、それに返答せずにドアを開ける。
その部屋は机や椅子以外の家具類はあまり置かれておらず、かなり簡素というか殺風景であるなという印象を受けた。今日遠出から戻ってきたばかりなので、それもしょうがないとは思うのだが。
「おはようリュカ。ぐっすり眠れた?」
「はい、久しぶりに気持ちよく」
「そう、それはよかった」
うっすらと笑みで返す彼女。何故だろうか、セイナ団長の笑顔の向こうには、なにかとてつもなく深い意味があるような気がしてくるのは。ともかく、彼女は言った。
「じゃ、さっそく本題に入るわね」
「入団試験の合否判定ですか?」
「それもある。でも、もっと大きな問題があるわ」
「問題?」
その言葉の後、セイナは十秒ほど黙る。
大きく、そして重い深呼吸をしていて、リュカの心を押し付けてしまうかのような圧力を持っていた。どれだけの空気が彼女に吸われていっただろうか。あるタイミングを持って、彼女の呼気は言葉へと変わった。
「貴方、≪ヴァルキリー≫でしょ」
「ヴァル……キリー?」
リュカは困惑を持ってその言葉を受け入れる。いや、違う。これはもしかすると驚きの方が勝っていたのかもしれない。
ヴァルキリー、それは前世での神話に出てくる戦いの神、の事だったはずだ。確か、ゲームやアニメに同じ単語がいくつも出てくるから、聞き覚えがある。しかし、何故いきなり彼女から前の世界の言葉が出てきたのか、それに自分がヴァルキリーだというのは一体どういうことなのだろうか。リュカにはよくわからなかった。
「分からないのなら、もっと世界に浸透している言葉で言ってあげる……貴方は≪厄子≫でしょ」
「ッ!」
息をするのを忘れそうになってしまった。何故ばれた。一番わかりやすい髪の毛は黒にしているというのに。それ以外に厄子と断定する方法なんてあるわけがない、と思っていたのに。
「その反応、図星ね」
「どうして……」
「理由なんてどうだっていいわ。でもね、貴方分かっている? あの模擬戦で……皆が見ている目の前で貴方は自分の正体をばらそうとしていたのよ」
「え……?」
あの模擬戦でばらそうとしていた。どういう意味だろうか。自分はそんな行動した覚えはない。彼女はばらそうとしていたと言っていたが、途中でそれを止められたともとれる言葉でもある。なら、あの【龍才開花】か。あれの途中で自分は意識を失った。もしも、セイナが自分がばらしそうになったから、意識を刈り取ったのだとすれば辻褄はあうのだろうか。
「あなたが最後に使った魔法……あんな呪文に魔力の使い方は聞いたことがなかったわ」
「それが、理由ですか?」
「……それで、どうなの?」
この反応、違うな。きっと彼女はその【龍才開花】の言魂を唱えている時点で何か別なことが起こり、それで自分が厄子であるという事に気が付いたのだ。
けど、自分の質問に対してあまりも素っ気のない反応。きっと答えは返ってくることは無いだろう。
きっと、【龍才開花】には何か他人に正体を明かすような≪何か≫が仕組まれているのだ。きっと、自分でも全く気が付いていない何かが。
何にせよ。この女性を相手に、隠し通すなんて早々できないだろな。そう思ったリュカは覚悟を決めて白状する。
「はい、確かに私はお父さん曰く厄子……だそうです」
後に聞いたところによると、ヴァルキリーというのはこの国で使用されている、厄子を表すための固有名詞らしい。前世で言うところの方言、のようなものなのだろうか。しかし、それが何故前世の言葉であるのかは永遠の謎であるが。
「そう……それで、貴方はその意味を知ってるわけ?」
「髪の色が普通でなく、その子供が産まれた国では不幸なことが起こる……ということは」
「……そうね、災厄の象徴。最も忌避される所以は、異常なまでの才能と異常なまでに周りを不幸に巻き込むその運命……私たちは≪運命力≫と呼称しているわ」
「運命……力」
運命力とは言いえて妙な物だ。運命は、悪さをするもの。変えられる運命もあれば、従うしかない運命もある。色々な分岐点があるように見えて、つまるところは同じ。そこに人間は歩くしかない。それが、運命。
自分一人がいるだけで回りにいる者たち全員を不幸という名前の地獄に導く運命をもたらしてしまう。それが、厄子が忌避される所以。
「もしも……それがあの試合の時にばれてたら、どうなっていましたか?」
「そうね……まず驚き、困惑、そして蔑みが待っていたかもね」
「……あなたが指揮する騎士団なのにですか?」
「いくら団長と言っても、人の最も深い部分までどうにかできるわけないわ……絶対にね」
「……」
人間関係というのは難しいのである。ここまで他人を虜にできる力を持っている女性であったとしても、末端の末端まで自分の考えを定着させるのは不可能なのだ。だが、それが普通なのであろう。
上から下まで全員が同じ考えを持っている組織なんて、逆に自主性という物が失われて不気味である。人間一人一人に考えがあるというのに、それを根元から奪うなんて事、彼女もしたくなかったのだろうと思う。
ともかく、下の事をどうこう言ういわれは自分にはない。今は、自分たちを彼女がどうするのかが問題だろう。
「それで団長は私達をどうするつもりですか?」
「あら、他にもいたの……あのケセラ・セラって子も?」
「……」
失言だった。ケセラ・セラがそれだとばれていないということを頭に入れていなかった。リュカは、今あの部屋で休んでいるケセラ・セラに心の中で謝罪する。そして、セイナは言う。
「それじゃ、逆に聞くわ。貴方は私にどうしてもらいたいの?」
「……何も、このまま見逃してもらえれば、明日にでも私たちはこの国から出ていきます」
「……そう、でもそれは無理ね。このままあなた達を追い出したとしても、いずれ野垂れ死にするわ」
「それってつまり……」
「えぇ、私は追い出すつもりはない。というか……実は、もうその必要は無くなったのだけれどね」
「え?」
必要はなくなったとはどういうことだろうか。その真意を聞こうとするも、ドアを叩く音にさえぎられた。セイナはそれに対して先ほどリュカにかけたように外に向けて『どうぞ』と言った。そして、外から現れたのはリィナ副団長とカイン副団長であった。
「リィナ並びにカイン入ります」
「来てくれてありがとう、二人とも。……リュカ、貴方に来てもらったのは、明日団員皆に発表することを先に聞いてもらうためよ」
「え? ヴァルキリーの話は?」
「また後にしましょう。まず、今日の会議ででた話ね」
そう言いながらセイナは立ち上がり、一枚の大きな地図を広げ、そこにペンで印を付けて行く。
「リュカちゃん以外の人は知っていると思うけど、トナガは隣国とはいえかなり離れた位置にある。そして、現在予想されている進軍速度と行路から言って現在この位置に陣取ってると思われる。この場所からこの国に来るには、一週間はかかるわ」
「なるほど……」
「敵の戦力は6千~7千、対してこのマハリで戦うことのできる人間は、全部で≪3,177≫人」
「少ない……」
「そう、しかもこの国の人たちは、大臣の策略で栄養失調を起こしている人までいる始末。一週間で体調を整える事なんて当然できはしないわ」
「おまけに、トナガは攻城戦が得意と来たもんでね」
「……圧倒的に不利じゃないですか」
ここにきて、法務大臣の残した置き土産が重くのしかかる。ということは法務大臣は、いやトナガという国はこのマハリという国を二年も前の大戦の時から滅ぼそうと画策していたということになるが、なぜそこまで手間と時間を駆けなければならなかったのだろうか。もともと人数的な意味でマハリ側が分が悪いと分かり切っているというのに、なぜそこまで追い打ちをかける必要があったのだろう。そんなリュカの疑問に、セイナは答える。
「例えどれだけ戦力で上回っても、戦略一つでどうとでも変えてしまえるのよ。さっきトナガは攻城戦が得意って言ったけど、それはトナガの王様である≪クプルム≫って人が攻めるのが好きだからなの。対してこの国のロプロス王は、戦略を立てて、相手を迎え撃つことが得意。前の大戦の時だって、王様の数々の作戦がなかったら、もっと犠牲者が増えていたと言われているわ」
「へぇ……」
つまり、その戦略を立てるのが得意な王様がいるからこそ、相手も策略を立てて確実にこの国を潰すための布石を打ってきた。というわけか。
「それじゃ、話を戻すわね」
と言って、セイナは地図に向き直った。
「さっきも言った通り、一週間で戦力を整えるのも無理、籠城して他国からの救援を待つのも、食料の貯蓄の問題で無理。だから、私たちに残されたのは三つ」
「降伏、玉砕、逃亡……か」
「そうよ」
「え? 和睦とかはないんですか?」
リュウガに聞いたことがある。戦国時代当時、どうしても不利になった時又は敗戦濃厚となった時には、和睦によっていったん仕切り直しにしていたもしくは、相手を取り込んでいたというようなことを。―――諸説あり。
「だめね。和睦は相手の同意を持って初めて意味を成すものよ。好戦的なトナガの王様がソレに同意するとは思えないわ。例え和睦の使者を殺してでも、彼らは必ずここに来る」
「つまり、和睦はほとんど降伏に近い物。無論そんな事絶対しちゃダメ。次に玉砕、これは完全に論外ね、何の意味もないし王様もこれには反対したわ」
「と、言うことは……」
「逃亡……何だけれど……」
「けど?」
と言いながらセイナは頭を掻いて言った。
「逃げるにしても、逃げる先が問題になる。この近くで1万人はいる民をかくまってくれるようなところ限られているわ。あるとしたら、王妃様の妹の国ぐらいしか……」
「王妃様って王様の隣にいたあの人ですよね」
「えぇ、あの人の妹はここから少し離れた場所にある国の女王様なの……ちょっと事情があって喧嘩中らしいのだけれど、今はそこしかない。でも、その国に行こうとすると、トナガから来ている軍隊にぶち当たることになる」
「なるほど……」
「遠回りしてもたかが知れているしそれに、この国の人間全員が逃げるのは目立つ、だからと言ってバラバラに逃げても危険な獣に襲われた時に守り切ることは難しい」
「まさに八方ふさがりね……」
副団長のリィナはそう言ったが、しかしセイナは自信満々な表情で言った。
「そう思うでしょ? 実は、逃げる方法があるの」
「え?」
「私も知らなかったんだけれど、この城には王様しか知らない隠し通路があって、そこからならトナガの軍隊にばれないで逃げることができるの」
「そうなの? だったら今すぐにでもそこから脱出を……」
「私もそう思ったんだけれどね……」
「え?」
まさか、この期に及んでまだ何かあるというのだろうか。セイナは、苦笑いしながらリュカの方を見て言う。
「王様が、その前にあなたと話をしたいんだって」
「え?」
王様が、自分と話がしたい。そんな言葉を受けたリュカは困惑し、理由さえも聞けないまま団長室の扉をくぐってしまったのである。結局、諸々の疑問が解決できないままに、少女は王様との二度目の謁見に至るのであった。




