第四話
それから数分後、彼女たちはそれぞれの戦いの場所についた。
リュカが手に持つのは母の刀である天狩刀ではなく、借りた模造剣。ケセラ・セラは、剣を使わないため素手である。無論、鋭い爪を使わないように言っている。
「それじゃ、よろしく」
「よ、よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします」
「お願いします!」
「クラク、手加減はしないからね」
「よ、よろしくお願いします!!」
「うん、よろしく」
戦闘前の礼というのは世界が変わっても変わらないようでリュカは安心した。
試験は見た通り戦闘方式。模造剣を使って、どの部位を斬ったとかそう言うのは関係なしに、技量と対処方法などを見ていく。どちらかが戦闘不能になるか、試験管側、この場合セリンとカナリアが終わりであると判断するまでということになっている。
「では、はじめ!!」
リィナのその声と同時にまず動いたのは、クラクと対峙するリィナであった。
「消えた!?」
クラクの目からは、確かにリィナが消えたように見えた。気づけば彼女は後ろにおり、気配を感じたクラクが振り向こうとした瞬間だった。
「遅い!」
「きゃッ!!」
その遅鈍な行動を許すことなど彼女がするわけもなく、即座にクラクの頭に模造刀が振り下ろされた。その一撃で、クラクの意識は刈り取られた。
「うぅ……」
「クラク、もうちょっと成長している物と……って聞いていないか」
気絶しているクラクに対してそう言ったリィナは、少し疑問に思った。
二年前クラクと自分が最後に出会った時から、あまり強さが変わっていないように見えるのだ。食生活に制限がかかったことによる弱体化とも考えたが、だがだからと言ってここまで変わらないものだろうか。
彼女の年齢から考えるに今が絶好の成長期であるはずなのに、これはさ流石に成長が遅すぎるような気がする。
「これは、要検査案件ね」
もしかしたら、なにか原因があるのかもしれない。彼女の事は後々調べることにして、ケセラ・セラとリュカの二人はどうなっているだろうか。
と言っても、リィナがクラクを瞬殺した関係上、それほど状況は変わっていないのは一目瞭然だ。
「「……」」
全く変化がない。二組とも動かずのまま。しかし、この時点でリュカとケセラ・セラの二人は押されている状況にあった。
((この人……強いッ!))
戦闘経験の浅い二人ではあるが、野生の勘という物でもう分かってしまう。彼女たちは、今の自分達で勝てるような人達ではないのだと。
恐ろしいほどの圧力を感じる。前の世界でも、気迫だけで勝負が決まるなんて言葉を聞いたことがあったが、あれの原理はこういうことなのかと今わかった。
魔力だ。今自分達の身体に彼女たちの魔力が纏わりついて息苦しくなってるのだ。それは、モルノア法務大臣の時のそれとよく似ていた。
彼女たちの前に壁を作っているように魔力が渦巻いていて、足を出すことすらも憚れてしまうほど。強い人間というのは、無意識に魔力を操ることができるとリュウガから聞いたことがあったが、まさかこれがソレであるというのか。
「どうしたの?」
「かかってきな、遠慮はいらないよ」
それぞれに言った二人だが、もちろん自分たちが動けない理由を分かっているはずだった。だが、このままの状態が続いても何も変わらないのは事実。
ケセラ・セラは、この硬直状態を破断するため、大きく深呼吸をして心を落ち着かせる。
思い出せ。自分がかつて森で出会った多くの獣たちを相手にどう戦っていたか。
思い出せ。自分の戦い方を。強敵と対峙して、自分がどう動いていたのかを。
「グルァ!!」
猪突猛進。ケセラ・セラはセリンに向かって矢のような特攻を仕掛けた。セリンはそれに対して、ただ少し横に避けただけだった。無論、彼女の腕の長さも考慮し、ギリギリ届かない距離に離れる。
「速さと瞬発力は申し分ないわね。でも……」
ケセラセラは空中で反転すると、セリンの後ろにある壁に両足をつく。そして勢いよくバネのようなクッションで力を蓄えると、今度はセレンのほぼ真上の天井に向かって斜めに跳び、そして天井を足場にして垂直にセリンに向かって跳びこんだ。
「ガァ!!」
しかし、それもまた避けられたケセラセラは、回転して地面に降りようとする。
「ハァッ!!」
「ッ!!」
だが、その足が地面に付くことはなかった。無防備になった腹部に横蹴りが入ると、勢いよくケセラセラは吹き飛んで壁に激突した。その衝撃は、壁のレンガが少し崩れるほどの大きなものだった。
「動きが一直線すぎるのよ。真正面から向かうなんて、愚策もいいところよ」
「だ、大丈夫ケセラ・セラちゃん!?」
見ると、ケセラ・セラは頭からゆっくりと落ち、気絶したようだった。
大急ぎでエリスがケセラ・セラの下に向かう。どうやら、身体に怪我などはないようでエリスは安心した。しかしなんと丈夫な女の子であろうか。普通の人間であればあれほどの攻撃を受ければ傷の一つ普通についているであろうに。
この時の彼女は当然知らないことだったが、彼女は以前も森の中でリュカに投げ技を脳天から喰らっても傷一つつかなかった。この耐久能力は彼女の利点であるのかもしれない。
戦いを終えたセリンの下に、リィナが近づいて聞く。
「どう? あの子は」
「そうね、瞬発力と勇敢さは及第点。まぁ、無謀だとでも言えるけど……」
結果的には、ケセラ・セラもクラクと同じく秒殺されてしまったが、その中にも光る物があったというところを彼女は見たのだ。彼女もまた、磨けば輝く原石。二人は、そんなケセラ・セラのことを育ててみたくなった。
一方、もう一人の原石はと言うと。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
いまだに身動き一つ取ることができないでいた。しかし、まるで長時間走り切った後のように体中から滝のように汗が流れていく。
ただそこ突っ立っているだけで彼女の体力を奪っていく。このまま、無駄に時間を消費していくだけなのだろうかとも、彼女は思った。
何故、彼女は動けないのか。それは、先ほど言った圧力も一つの要因にあるが、また別にもう一つの原因があった。自分が勝つ、という映像が浮かばないのだ。
真正面から斬りかかっても、大きく回って右から、左から斬りかかっても、横目で見ていたがケセラセラのように天井から攻撃という奇襲に近い技も考えたが、どれもこれも成功するという可能性が湧くことがないのだ。どう攻撃しようとも、彼女に止められ、そしてすぐさま反撃を喰らってしまう。
そんな恐怖を前にして彼女は動くことが出来なかった。
「苦戦しているみたいね」
「えぇ……って、貴方また」
そこに現れたのは団長のセイナである。
彼女は入団試験の途中で王様に呼ばれて会議に出ていたはずなのだが、また会議を抜け出してきたのか。
「大丈夫。一度休憩に入ったから」
「それで? 王様の話って何だったの?」
「後でってことで、それでどう?」
「そうね……」
リィナは、リュカとカナリアの双方の距離感を見ながら言う。
「攻めあぐねているって感じね。どう近づいても、どんな攻撃でも、カナに止められてしまう。そういう可能性が浮かんで勇み足になってるのかも」
「そうみたいね」
リィナは、まるでリュカの心を読んだかのように彼女の考えを的中させた。セイナも同じく、ただ一瞥しただけにもかかわらずリィナと同じ考えを持つ。
「カナは、剣技ではあなたに一歩劣らないけど、威圧感だけで言ったら騎士団の中で勝てるの私だけだしね」
「大きな差を空けてね……。私はもう慣れたけど」
リュカはこの直前にトイレに行ったから漏らすなんてことは無い。いや、今問題なのはそちらでは無いか。
それはそれとして今最も問題なのは、攻める方法がないということだ。どれを選択しても反撃をくらいそうではある。しかし、だからと言って安全策ばかり考えていても仕方がない。千日手になってしまえば不利になるのは圧力だけで体力を奪われ続けている自分の方。
危険を冒さなければ勝てない相手であるのなら、そうするまでだ。リュカは、大きく息を吸い込むと、意を決した。
「ハァッ!!!」
勢いよく声を吐いた。その時の声量、勢いに自分も含めて周りの騎士団員の半分も時が止まったかのように動きを止めた。
どうともしなかったのはセイナやカナリアを含めた達人級の者ばかり。リュカは、気合いを込めたその掛け声を合図に地面を大きく蹴った。まるで自分を鼓舞したかのように。
そして、数歩でカナリアの懐へと潜り込み、剣を振るう。だが、カナリアはそれを顔色一つ変えずに自分の剣で簡単に受け止めると、リュカから見て左から拳が飛ぶ。
その0コンマ一秒の間にリュカは考える。その攻撃を受け止めようとしたらそれはできる。しかし、もしも攻撃を受け止めきれなかった場合、勢いを殺し切れなかった場合そのまま自分の手で自分の顔を殴る、いわゆる自爆ということになりうる。対格差から言ってその可能性は捨てきれない。ならば。
「ッ!」
リュカは上半身を大きく反らし、間一髪でカナリアの拳は空を切った。そのまま両手をついて二度、三度とバク転して距離をとった。そして最後に一度バク宙をして三点着地。リュカはその後立ち上がって体制を立て直そうとしたがしかし、カナリアはそんな時間を与えないと言わんばかりの速さで距離を詰め、上から下に剣を振り下ろす。
だが、バク宙をしている途中、そして着地する途中にもカナリアの行動から目を背けなかったリュカは、寸での所で横に回転して避け、その勢いのまま立ち上がり、さらに攻撃を続けるカナリアの攻撃を防ぐ。
なんとも無駄のない動きだ。適確に自分を倒すべく動き、そしてどのような攻撃を入れるのかを移動中に考え、防がれた場合どうするのか、避けられた場合どうするのか、そしてどう避けるのかをその場その場で一秒に満たない間に考えて動いている。
しかも、明らかに手加減されている感がある。果たして、本気になれば彼女は何度自分を倒すことができていたのだろうか。何度、自分の身体を斬る可能性が生まれたのだろう。それこそ、何十、何百とであろう。
「てぁ!!」
リュカは、カナリアの剣を防ぎながらも、両足で跳びあがり、両足で蹴り技を入れるドロップキックと呼ばれる技を放つ。それ自体はカナリアが腕で防いで直撃はしなかったが、好都合だった。リュカは、その腕を踏み台にして後ろへと大きく跳び、一端距離を大きくとることにしたのだ。
着地したリュカ。どうやらカナリアは追ってくる様子はない。大きな隙ができているというのに不可解ではあった物の、しかしそれはそれで幸運であった。
このままの状態がいつまで続いてもきりがないどころか、九割九分負けが確定している。剣技、瞬発力、経験、様々なもので負けてしまっている。
だが、負けたまま終わるというのも嫌だ。何か、一矢を報いなければ。
「あれしかない……」
「ん?」
リュカは、剣を天に一直線に掲げてその言葉をつぶやいた。この技を使うのは三回目であるし、それをつぶやいている時間の大きな隙の中で倒される危険性はあるが、しかし彼女の矜持がその技の使用を心で許可した。
「あの子、何をするつもり?」
「リュカさん?」
リュカは、周りの声など一切聞こえていないほど集中していた。周りの人間など認識できないほどに、今の対戦相手の顔しか見えていなかった。彼女は何故か動く気配はない。だが、それは好意的に見ればチャンスだ。リュカは、それを唱える。
【我は龍の名を継ぎし者】
「言魂?」
「でも、聞いたことのない言葉……」
セイナ団長を含めた副団長、そしてカナリアはこの世界のほとんどの魔法、そして言魂を知っていた。しかし、リュカの綴った言魂は全く聞き覚えのない物だ。
【今その本当の姿を外に出せ】
それに、これは一体どこの言葉だ。この世界で、人間の使う言葉なんてほとんど一つだけしかない。言魂もまた同じく。所々聞いたことのあるような言葉は聞こえてくるのだが、しかし文法的に考えても聞き覚えがない。一体、彼女は何をしようとしているのだろうか。それが、周りにいる人間たちの感想だった。
【我の内にある龍の心よ 魂よ 我の敵を切り裂き道を開け】
その内、力がリュカに集まっているように魔力が収縮し始める。いや、どちらかと言うと力を抑え込もうとしている言魂のようだ。だが、何故このような状況そのようなことをしなければならないのだろうか。
今自分が不利であることは彼女が一番分かっているはず。それなのに、自分の力を抑え込むなんて、余計に自分を窮地に陥らせるようなことを何故。それに、言魂がかなり長い。
もしかしたら、≪個別魔法≫か。
この世界の多くの魔法は、その練度の違いや修行の必要はある物の大体の人間が使用することが出来る。
しかし、≪個別魔法≫はそんな魔法の中でも数限られた物しか使用することのできないその魔法使いが独自に作り出した魔法。だが、熟練した魔法使いであってもそのような魔法を作り出すのは困難で、カナリア自身も今まで数名しかであったことがない貴重な能力。
なのかもしれないが、それにしてもこれは実践向きの物ではない。こんな長い言魂、戦場で悠長に詠唱するのを待っているような馬鹿はいない。
しかし、セイナは何やら不安感がぬぐえないでいた。このまま、彼女にその言魂を唱えさせてはいけない。そんな風に、感じていた。
それは、カナリアも同じことだった。先ほどまでのワクワクした気持ちと同じように、不安感がどんどんと増してくる。一体何なのだろうかこの感覚は、この言葉を、これ以上聞いてはいけない、彼女に口ずさみさせてはならない。そんな不安。果たして、その不安感が表出するときがやってきた。
【我は竜 我は刃 我は人の心を捨てて竜を宿す者なり】
それ以上は、ダメだ。その瞬間の彼女の髪の毛を見た瞬間に感じた。いや、確信した。黒髪だったソレは、次第に破片へと変わっていく。
【冥府に戻った魂よ 今一時だけ力を貸せ】
早く止めなければならない。しかし、あの魔力の収縮と放出を繰り返している彼女を止めることができるだろうか。だが、やらなければならない。例えこの身が切り刻まれたとしても。そして―――。
「はッ!!」
「ゲボッ!?」
「!!」
瞬間、リュカの身体は崩れ落ち、渦巻いていた魔力は拡散した。本来、人間はちょっとやそっとで気絶するわけではない。顔をグーで殴って気絶というのもあるらしいのだが、原理を考えてみると単純に脳震盪を起こしたことによるもので、この場合かなり危険であり重症、下手をすれば後遺症が残る場合もあり、最悪死に至ることがあるのだとか。
彼女の場合、その腹部に拳を当てて、魔力を注入することによって気絶させたらしい。そして、それを成した人間は、カナリアの方を見て言った。
「貴方の代わりに、倒しておいたから」
「セイナ……」
そう、セイナである。
誰も彼女が走る瞬間を見ることが出来なかった。彼女がリュカに近づく瞬間を見逃していた。
彼女は、多くの人間がリュカに注目しているという状況の中で、誰にも気がつかれることなくその懐に忍び込んだのだ。
崩れ落ちたリュカをその腕に抱いたセイナは言う。
「カナ、怠慢よ。今の隙の間にこの子を倒せたでしょう?」
「……」
カナリアは恐らく、リュカがどんな技を出してくるのかワクワクしていたのだろうと彼女は推測した。
まぁ、図星であるが。全くどうかしている。自分が今の身の上だからか知らないが、子供を見るとどこか期待してしまって手加減をしてしまうのだ。一昔前の自分だったら決してありえないことなのは確か。
これは、反省するべき点であろう。
「それに、この子にも……」
「セイナ、どうしたの?」
カナリアと話していたセイナの元に、リィンが走り寄る。突然の事だった。リュカが言魂らしきものを詠唱している最中、隣にいたはずのセイナが気がつけばリュカの目の前にいた。
何故そのようなことをしなければならなかったのだろうか。しかし、セイナは何でもないというように、まるで一連の流れを無視したように言った。
「リィンはクラクを、セリンはケセラ・セラを医務室に運んで。私は、リュカを運ぶから」
「……了解」
「分かったわ」
リィンは少しだけムスッとした顔をしながら、クラクを、そしてセリンはつい先ほどまで戦っていたケセラ・セラを、それぞれおぶる。そしてセイナがリュカをお姫様抱っこの形で持ち上げると、カナリアの隣を通ってその部屋を出ようとする。その時、セイナがカナリアに耳打ちをした。
「話があるわ。後で団長室に来て」
「分かったよ……」
「あれ?」
エリスは部屋から出ようとするセイナが抱くリュカの顔を見て違和感を感じた。気のせいだったかもしれない、しかし後から考えるとそれは間違いではなかったのだと彼女は確信する。リュカの髪の色がところどころ、黒ではないように見えたのだ。
こうして、最後は団長自ら団員候補を倒すという不慮の出来事はあったが、何とか一連の騎士団入団試験は終わりを迎えた。
一抹の不安、そして嵐が来る予感を残して。




