第十八話 遅参、怒りの刃を振るう一般人
死んだ。私はたぶん死んだ。あぁ、死とは何て刹那的な事なのだろうか。とクラクは考えていた。痛みもなく、実感なんて微塵もないのだから。だがそれでも死んだということが分かる。だって、こんなにも暖かいのだから。
いや違う。この暖かさは、血じゃない。もし血だったとしても首筋を斬られたのならば体全体に生暖かい血の感触がするはず。なのに、暖かいのは下半身だけ。
自分に何が起こっているのか。何もわからない。わかるはずもない。考えることをやめたのだから。死の恐怖に脳が対応しきれずに、糸が切れたかのように真っ白になってしまったのだから。
そう、彼女はまだ考えることができるのだ。それをただ、放棄してしまっていただけで。
彼女はまだ生きているのだ。自分がまだ目覚めていないだけで。
彼女は生かされたのだ。ある、一人の女性の行動のおかげで。
女性は、クラクの背後にいたモルノアを攻撃する。モルノアはその攻撃をよけると一度距離を取った。この瞬間、ようやく女性はクラクに声をかける時間ができた。
「クラク、大丈夫?」
「あ……」
ようやく覚醒したクラクの意識。開かれたドアの光をその身に纏い、自分にたくましい笑顔を向ける女性。間違いない、今の声、そしてこの笑顔、この女性は―――。
「セイナ団長!!」
自分の憧れ。この国の騎士団の団長。たった三人で騎士団の立て直しのために動いていた団長のセイナだ。
「セイナ貴様! いつ帰ってきた!!」
「ついさっき。私のいない間に好き勝手やってくれたそうじゃない。モルノア」
「クッ!」
クラクの目からは、彼の表情を見ることはできない。しかし、その声は確実に焦っているような声だった。セイナの身体に隠れてよく見えないが、しかしクラクは見た。モルノアの左腕がゆっくりとセイナのもとに向かうのを。まずい、あれはさっきと同じ技だ。
「団長! 危ない!」
クラクは咄嗟に叫んだ。しかし、それが届くよりも早く、彼のナイフは彼女に突き刺さるためにその速度を速めた。だが、その腕は暗闇から伸びる腕によって止められてしまう。
「悪いけど、これは複数人相手じゃ効果ないよね」
「!」
「リィナさん!」
クラクは、暗闇から現れたその女性に向かってそう言った。
何者だろうか。あのクラクを助けてくれた二人の女性は。少なくとも、敵ではないようだしそのまとっている魔力から見ても強者であることを感じるが、一体誰だ。そう考えていたリュカの口の周りに纏わりつく水が引っぺがされるような感覚が襲った。
誰かが、水に魔力を流し込んでくれたのだ。そのおかげで水は消散し、ようやく口を開くことができた。正直あと何分もすれば鼻から水が入って窒息するところだったので助かった。と、彼女は胸をホッとなでおろす。
「大丈夫?」
「あっ、はい。あなたは?」
「私はカイン。この国の騎士団の副団長よ。それで、あのナイフを止めたのが、リィナ。私と同じく副団長」
その立ち振る舞い、気配を殺してモルノア、そして自分に近づいてきたことからも分かるその隠密性。この二人、できる。多分、今の自分が立ち向かったとしても赤子の手を捻るように負けてしまうはず。そう彼女は思った。
「さて、モルノア……あなたが何故このようなことをしたのか、それを聞く義務があるのだけどッ!」
「グフォッ!!」
「はぁ!!」
「グアッ!」
セイナは、モルノアのみぞうちに思いっきりの正拳突きを放つ。モルノアはその痛みと衝撃で手に持ったナイフを落とす。
セイナはモルノアの隣にいたリィナに目で指示を出すと、リィナはモルノアを扉の外目掛けて投げ飛ばした。廊下の壁に勢いよく叩きつけられたモルノアの体中に痛みが走り、モルノアは膝をつく。
リュカは、その一連の素早い動きを見て震えあがった。モルノアが、自分たちが歯が立たなかったあの男が、まさかここまであっさり窮地を迎えるなんて、彼女たちが強いだろうとは思っていたが、まさかここまでとは。
セイナはモルノアの目の前まで歩を進めると言う。
「今回の騒動の目的も、あなたたちのたくらみも、全部わかっているの。だからあなたはここで一思いに殺してあげる」
「クッ!」
モルノアは、その言葉を聞くと地面を大きく蹴って等間隔に並んだ窓5,6個分くらい距離を取った。そして、まだ激痛の残る身体を押して立ち上がり言う
「ククク、一思いですか。あなたの娘さんも一思いに殺してあげればよかったものを……」
「ッ……」
「娘?」
クラクは、その時だけ一瞬、ほんの一瞬だが彼女が悲しみのこもった表情をした、そんな気がした。だが、セイナは剣を握り直して言う。
「だからどうしたのよ。例え何があっても、産まれた経緯がどうであれ、あの子は私の娘よ」
「ヒャッハハハ!! それが、娘を捨てた母親の言葉とは、到底思えませんがね!」
「……」
あの男は、正気なのだろうか。はたまた気づいていないのだろうか。セイナから立ち上る熱気を、気力を、床や壁が震えるほどの魔力の渦を。
一瞬だ。それだけで、自分はモルノアを消すことができる。だが、それはしない。そこまでしてしまうと、この城に甚大な被害を与えてしまうから。だから、彼女は立ち上る魔力を押さえつつ、そして―――。
「どれだけの綺麗事を並べようとも! あなたもまた私たちとおなッ」
大口を開けて笑っているモルノア、しかしその口から笑い声が起こることはもうなかった。
「預けるしかなかった親の気持ちが、わかるわけないでしょ……」
マダンフィフ歴3170年 5月25日 13時24分
マハリ法務大臣並びにトナガ軍調略部隊長 モルノア 脳幹死 47歳
モルノアは、ゆっくりと後ろに倒れる。しかしその背中が完全に床に着くことは無かった。
投擲されたセイナの剣が頭を貫通し、串刺しとなっていることでその剣先が地面に付き、支えとなってその体を完全に倒すことを阻止していたのだ。
だが、それもわずかな時間だけ。ゆっくりとしかし確実に地面に向かっている身体。セイナはその身体へと近付くと、足をモルノアの胸に乗せ、力いっぱいに剣を引き抜いた。そして、モルノアの骸は完全に地面に付いて、もう動かなくなった。
「す、すごい……」
リュカは、背筋がゾッとなり、鳥肌も立った。気がついたら、セイナは剣を投げ終わった後、モルノアはあっけなく死んだ。多分、彼自身死んだということに気がついてないのではないだろうか。そう思ってしまうほど速い一撃。
もしも、自分が彼女の敵だったらあの攻撃を避けれてただろうか。無理だ。今の自分では、きっとモルノアと同じ、一瞬のうちに刺し貫かれて絶命することは間違いないだろう。そう考えると、彼女の笑顔は、恐ろしいものに見えてしまう。
「大丈夫?」
「え? は、はい。大丈夫です」
リュカは、カインに声をかけられて、恐怖から立ち直った。
セイナは、剣に付着したモルノアの血を拭うと、自分を一瞥して、笑顔を見せてから隣を通って一人部屋へと入って穴の下を見ている。
そう、ウェスカーがいるであろう大穴である。
「あのっ!」
リュカは、彼女に声をかけようとした。しかし、リィナによってそれは阻まれた。そして、彼女は言う。
「そっとしておいて……今は、別れの挨拶をさせてあげよう」
「え? は、はい」
そう言われたリュカは、クラクと共にその部屋から退室する。
あの下に落ちた男性はどうなっただろう。地面は先ほどエリスの処刑を止めた時に砂状にしたためそれが緩衝材となっていれば、落ちた時には大丈夫だろう。しかし、その後落下したあの照明、前世ではシャンデリアと呼ばれていた物は巨大で、かなり重そうにも見えた。だから、たとえ落ちた時に生きていたとしても大穴の中の彼はすでに事切れているはずだ。
ところで、自分は今どこに連れていかれようとしているのだろうか。途中で自分たちが降りてきた階段でカインが二階に上がろうとしていた。自分もまたそれに続いていこうと思ったのだが、リィナに止められてクラクと一緒についてきてと言われてしばらく一階を歩いている。
改めて城の中を歩くと、かなり広いことが分かるが、よくもまぁこんな広い城の中で処刑場を見つけることが出来たものだと、改めて自分をほめたくなってしまう。これが世に言う、自画自賛という物である。
「着いたわよ」
「ここって……」
彼女に連れてこられた場所。そこは、大きなドアが一つあるだけ。横には、この世界の言葉で浴場と書かれている。それをそのまま受け取ると、お風呂場なのだろうがしかし、どうして彼女は自分たちをここに連れてきたというのだろうか。
「あの、どうしてここに?」
と、クラクが聞いた。
「フフッ、あなた気がついていないでしょ」
「え?」
「下」
「下って……」
リィナに言われて、クラクは下を見る。と言ってもあるのはもちろん国から支給された鎧のみ、いやその下の足が少し濡れている。そう言えばさっき自分が死んだと思い込んだ時に下半身が急に暖かくなったのだが、あれはいったい。
「ッ!!?」
クラクは気がついた。それは、自分の尿であるということを。死の恐怖で身体全体から力が抜けたあの時、思わず漏らしてしまい、全部が垂れ流しになってしまって下に落ちたのだ。と、いうことは自分は漏らしている体で城中を歩いていたのだろうか。そう考えると、恥ずかしくて顔を赤らめてしまう。
「大丈夫よ。貴方が漏らしたのはあの部屋の所だから、私たち以外には見られてないわ」
「で、でも私……」
こんな十六歳にもなって漏らすなんて、そう赤面したクラクは言うが、そんな彼女に対してリュカはフッと笑って言う。
「なにも恥ずかしいことじゃないよ。私も、何度漏らしたことか……ていうか、私も漏らしたし」
「え?」
そう、実はリュカもまた漏らしていた。原因はモルノアの魔力。
あの大穴からどす黒い魔力をまとって登場したモルノアを見た瞬間に、クラクやウェウカーが気が付いていない間に盛大に漏らしていたのだ。
だが、彼女にとってお漏らしという物は頻繁にやらかしていること。リュウガに初めて会った時や、森での自主特訓の折、もうなんども漏らしていたからもはや慣れっこになってしまっていた。だから、そんなに恥ずかしくはない。むしろ、相手の脅威度を測るための道具の一つなんじゃないかと思ってきているくらいだ。
やっぱり自分は乙女としてはなにか間違っているような気がしてならない。
「そうそう、まぁ、私も新人の頃何度も漏らしたっけな……」
「え? リィナさんもですか?」
「えぇ、あまりにも実力差がある人と対峙するとね、本能的に漏らしちゃうのよ。今ですらセイナとの手合わせすると何十回漏らして、数えるのもあきらめたわ」
「へぇ……」
こんなに見た目が強そうな人でもそうなってしまうのか。
実力差というのは、おそらく魔力の量のことをそう表しているのだろうが、しかし手合わせするたびに相手を漏らすことのできるセイナ団長とは、一体どれほどの強さを持っているのだろうか。
「さて、カインが会議から帰ってくる前に、さっさとお風呂入っちゃおう」
「会議、ですか?」
クラクが言った。それの返答に、彼女は保っていた笑顔を消して真剣な表情で言う。それは、もうすでに空っぽのはずの膀胱からまた出てしまうのではないかというほどの殺気を放っていた。
「国王の弟、クプルム・エディア・パラスケスが統治する小国トナガがこの街に迫ってきている」
「え、それって……」
「そう、戦争よ。それも、国民が弱体化しきっている今、最悪のタイミングで……」
戦争。それはリュカにとっては心に来る言葉。それがもうすぐこの国を襲う。彼女には実感はわかなかったし、それにこの後この国はどうなるのかも想像もできなかった。
一つの事件が解決した。だが、それはただの始まりに過ぎなかった。国中を襲う動乱。二年前とは比べ物にならない程の危機がこの国を襲おうとしていた。
およそ五年ぶりに入る湯舟を前に、リュカの心は大きく騒めき、揺れていた。それは、久しぶりのお風呂でワクワクしているからか。それとも、戦争を目の当たりにすることができて喜んでいるのか。
今の彼女には理解できなかった。
リュカが初めて訪れた国。そこは、戦争がすぐそばにまで近づいていた、滅びを待つしかない国。
そこで提示された居場所。けど、その居場所は彼女の人生を大きく左右する選択を強いられた場所。
井の中の蛙であった彼女に、世界の広さを教えてくれた女性達との出会い。
でも、彼女はまだ知らなかった。その出会いが、自分を二度と引き返せない道へと導くという事を。
今、マハリの国最後の一週間が始まる。
そして、ソレを経験した時、彼女のココロは耐えることが出来るのか。
第4章 【赤い衝撃、燃ゆる国】
その歴史、未来に残しますか?




