第二話 転生者、私の名前は……
戦いが始まって、どれくらい時が経ったのか、感覚が全く掴めない。
いや、少し語弊がある。あれは戦いなんて生易しい物じゃなかった、虐殺だ。それも、一方的なまでに圧倒的な、敵を一切寄せ付けることのない無慈悲で、そして残虐な行為。
音から想像するだけでも震えて仕方ない。けど、どこか心がほんわりと浮かび上がる。
頭を揺らしてしかたがなかった喧騒はいつしか消散し、残ったのはむせかえるほどのヒドイ血の匂いのみ。
一体誰の、何の、そんな疑問の答えなんて既に出ているハズなのに、まるで事実に争うかのように、現実逃避する様に彼女は頭の中をその戯言とドキドキで埋め尽くした。
「終わったぞ」
傘を閉じる様な音の後に聞こえてきたのは竜の声。
想像もしたくなかったし、見たくもなかった。
だが、好奇心が勝ってしまったのだろう。
ゆっくりと小さな穴から出てきた少女は、竜の前に出てその惨状を目の当たりにしてしまう。
その瞬間、息が死んだかのように、彼女の肺は呼吸することを止めてしまった。その衝撃を、体全身で受け止めるために硬くなってしまったようだ。
「……」
ソレは、地獄絵図と評してもいいほどにおぞましい光景だったことは、よく記憶している。
千切れた手足に、ぶちまけられた血の跡。ズタズタに切り裂かれた服の下から覗く、長いソーセージのようなものは内臓なのだろうか。まるでスプラッター映画のラストシーンを見ているかのような惨状が目の前に広がっている。というのに、どういうわけか彼女の心は落ち着いていた。
血を見ても、むせかえるような臭いにも、つぶれた人体を見ても、ただじっとその戦慄するような光景を目に焼き付けるように見まわしていた。
最初は見るのも悍ましいと思うほどの殺戮の現場だった。でも、まるでそんな光景を待ちわびていたかのように、少女は半笑いになりながら言う。
「みんな……死んだの?」
「当然だ」
言われるまでもなくそうだろうと思う。どれだけ音を聞いたとしても、人の呼吸する音も、声も、微かに動くような音すらも聞こえてこないのだから。
一体、どれくらいの人間がいたのだろう。どれだけの命が、この一瞬の間に消えたのだろう。
そして、どれだけの命をこの竜は奪ったというのだろう。
それに、何か変だ。
「ねぇ……」
「なんだ?」
「私、おかしくなったのかな?」
「……」
「こんな光景見て、本当は泣いたり、叫んだり、しないといけないのに……それなのに、私……全然、何とも思わない……」
「……」
ふと、少女は死体の一つに近づき、その身体から流れ出る血に触れる。
ソレが生暖かいのは、先ほどまでその人物がまだ生きていたという何よりもの証拠だ。
少女は、自分が触れた血を竜に見せながら言う。
「ホラ……こんなこと、前までの私なら絶対にできなかった。気絶してたかも。なのに、それなのにこんなに簡単に触れた」
手が震えている。それは、血が怖かったのか、それともこんなことを簡単にできてしまった自分が怖かったのか。どっちなのだろう。
分からない。何も、分からない。
「それに……それにね」
何だろう、この気持ちは。
胸の奥から響き渡る心臓のリズムが、心の底からの衝動が抑えられない。
少女は、血の付いた掌を見つめ、そして顔を覆った。血が顔のいたるところにつくなんてことお構いなしだ。いや、むしろそうすることでより興奮してしまうような、そんな気持ちになった。
高揚感、というのだろう。こういうものを。少女の口は、次第にただの笑みから、三日月を模したかのような笑みを形作り、手で顔を覆い混みながらいった。
「笑ってる。私、笑ってるよ……こんな光景を見て、私! 笑ってるの……」
少女は、自分のことが信じられなかった。
もしも、本当に自分が生まれ変わり、転生した人間であるというのなら、この光景を見ても何も思わないどころか、胸のトキメキを抑えられないような人間に生まれ変わったというのだろうか。
怖い。自分のことが、そんな自分が怖い。
きっと、自分は、この世界の自分は狂ってしまっている。じゃなければ、こんな倫理的におかしな行動をとるわけがない。こんな人が死んでいる中で笑うことなんてできない。
そう信じるしか、唯一残っている自分の良心というものが守る方法がなかった。自分が本当に死んでしまう。竜崎綾乃が本当に死んでしまう。いやだ。そんなことは、嫌だ。
高校2年生で、友達は少なかったけど、親友といえる人間が一人いて、家族は一緒に暮らしている妹がいて、ごく普通に生きて、ごく普通に成長しきてた。それが私。
私、なのに感じる。そんな自分が徐々に昔の思い出のようになってしまっているということを。いや、それも当然だろう。
きっと、自分は忘れていただけなのだ。前世の記憶を。だから、それが今蘇ってきただけで、それまでの間自分じゃない自分が生きてきた歴史があるし、薄れていった記憶もあることだろう。
それを考えれば、今まだ前世の記憶が、前世の自分の心が残っている分まだましな方なのだろう。
けど、きっとそれもすぐにきえてしまう。
この世界の記憶に混ざって、ぐちゃぐちゃに潰されて、忘却の彼方へと行ってしまう。
そうなれば、自分はこの世界に生きるたった一人の女の子として生きていかなければならない。
こんな、狂った人格を持ってして、生きねばならない。
「嫌……嫌、嫌ァ!」
嫌だ。こんな人格で、人の死を見ても何も思わない自分のままこれから何年も何十年も生きることになるなんて、そんなこと嫌だ。
前世で、もし死んで生まれ変わったら、その時自分じゃない自分になるのが怖くないか。そう、友達と笑って話していたことがある。そんな時、自分は決まってこう言った。
『怖い訳ないじゃん。だって、前世の私の記憶なんてないんだし』
と。そりゃそうだ。だって、そう信じていたんだもの。
死んで、天国に行って、生まれ変われば自分は自分じゃなくなる。また別の人の子供に生まれて、その人生を生きていく。その間に、前の自分とは違う人格となることは当然といえば当然だろう。
それこそ、前はごく普通の女子高生だった自分が、不良になったり、ギャルになったり、いけないことにことにアルバイト感覚で手を出したりして身を滅ぼすという可能性もある。
でも、それでもいい。それが、来世の自分なのだから。
過去の自分なんて関係ないのだから。
前の自分が何か文句をいう謂れはないのだから。
だから、自分は何も感じない。
そう信じていたのに。
なんで、こんなことになってしまったのだろう。なんで、生まれ変わってしまったのだろう。なんで、前世の記憶を持ってしまったのだろう。なんで、なんで、なんで。
親友や、友達じゃなく、自分が生まれ変わってしまったのだろう。
「ワシは、お前のことを同郷の者であると、そう思っていた。だが、どうやら違う様だ」
「え?」
背後にいる竜は、あたりに散らばる屍のことなど路上の虫のように構いなくその上を歩いた。
ただ幸いなことに人間が潰されるような音は、彼の歩く音に消されてよく聞こえなかった。もし、聞こえていたらその後の竜の言葉なんて聞く気もなかったであろう。
「いや、歴史が違うと言ってもいいかもしれんな。ワシの父と同じく」
「貴方の……父?」
「ワシが日の本にいた頃、尾張で使用していた言葉とは違う、日本語と呼ばれる物は、ワシの父から教わった物だ」
「尾張? 日の本?」
なんだろう、その言葉は彼女の脳裏をくすぐった。けど、その理由はわからない。
そんな少女の微小な変化に構わず竜は続ける。
「その頃の日の本では、こんな様子がどこかしこでも見られた」
「こんな様子って……」
「戦場では、刀で斬られ、槍で刺され叩かれ、火縄銃で撃たれ。川で戦うと、死んで行った者たちの血で汚れ、真っ赤に染まるほどだった」
戦場、つまり彼は戦時中からこの世界に生まれ変わった存在であるというのか。いや、火縄銃という言葉からかんがえると、もしかしてもっと昔。まさか、日本中のそこかしこで戦争をしていた時代からきたのか。
「戦に出ない者たちであっても安心できる要素などこれっぽっちもない。一度、飢餓が襲えば飢えに苦しみ、多くの人間が餓死していった。伝染病が伝わるとたちまち広がり、そこら中に死体が散乱した」
「つまり、自分は慣れている。だから私にも慣れろって、そう言いたいの? できる訳ないじゃない! だって、私普通の女子高生だったんだよ! 友達と学校に行って、勉強して、遊んで、妹と暮らして……そんな普通な生活を送ってきた私にこんな異常な光景に慣れろなんて無理難題を軽々しく言わないでください!」
「……」
「こんなことなら死にたかった! 琴葉や香澄達と一緒に死にたかった!! 皆と一緒に死んでそのまま消えたかった!! こんな私になるくらいなら、記憶なんてない方が良かったァ!!」
親友と友達と、一緒に死にたかった。心の底からの叫びが、洞窟中に響き渡る。
だが、竜はただただため息を吐くと言った。
「……やはり、貴様は平成から来たのか」
「え?」
平成、なんだか懐かしく感じる。自分は平成よりも後の元号から来たのだが、ここでそのような論争を繰り広げても無駄の事なのであろう。
竜は続ける。
「ワシの父もまた生まれ変わった直後はお前のように取り乱していたそうだ」
「え、それって……貴方のお父さんも転生していた……ってこと?」
「そうだ。父といいお前といい、この光景を見て心を痛めることができるということは、相当に平成の世は平和な世界である様だ。羨ましい」
「……」
「戦に明け暮れ、多くの人間に指示を出し、何十何百何千何万もの人間の命をワシは奪ってきた。そうだ、だからワシはこの光景に慣れることができた。いや、慣れるしかなかった。お前は、そうしなくても生きていける世に生まれることができたのだな」
「……」
そう。自分が生きてきた日本は、比較的に平和と言ってもいい。毎日どこかで殺人事件が起こっていたり、小さい物だと窃盗が起こっていたりする。自分が死んだ理由である自動車事故だってしょっちゅうだ。しかし、それでもみんな平和に生きている。もしかしたら明日死ぬかもしれない、今日死ぬかもしれない。そんな世界で生きている訳じゃない。
きっと、彼は戦国時代から来たのだ。火縄銃という言葉と、戦という言葉からそう推測した少女。多くの人間に指示を出していたという言葉から、おそらく彼は足軽とかの兵士ではなく、人の上に立つ武将。それに、尾張。
「え……」
その時気がついた。戦国時代、尾張で人の上に立っていた一人の武将を。
いや、違うだろう。だって、彼は気性の荒い性格であり、それが災いして寿命を短くしたという説もあるくらいだ。こんな穏やかな人間である訳がない。
それに、尾張には彼以外にもっとたくさんの武将がいたはずだ。きっと、その中の一人が彼なのだろう。きっとそうだ。
その、はずだ。
「リュカ」
「え?」
初めて聞く名前だ。しかし、まるで幾度も呼ばれているかのような名前。もしかして、そう考えた少女は聞いた。
「それって、私の名前?」
「そうだ。お前の名前はリュカだ。そして、ワシはリュウガ」
「リュウガ……」
「リュカ、今のお前は前世と今世が違いすぎて心が追いついていない。この世界に慣れるまでは時間がかかるだろう」
竜、改めリュウガはそういいながら巨大なつばさを広げた。
尊重してくれている。自分の気持ちを。
突然違う自分になって、前世では見られないような凄惨な光景を目の当たりにした自分に対し、慣れろとか、この世界の常識だとかと言って押さえつけるのではなく、平和な世界で暮らしていた自分がすぐにこの世界に慣れる訳ないということを理解してくれている。
嬉しかった。頼もしい、そんなリュウガのことが。いや違う。この世界の父のことが。
「乗れ、リュカ」
「え?」
リュウガは、突然自分に向けて首を垂れる。乗れ、とはつまり彼の頭の上に乗れという意味なのだろうか。だが、なんで。
「お前に、この世界を見せてやろう」
そう言われたリュカは、言葉の意味も理解しないままにリュウガの頭に乗る。
そしてーーー。
「しっかり捕まっていろ」
「う、うん!!」
まず彼女を襲ったのは、全身が硬直するかのような緊張感。
これから、何が起こるのか、リュウガが何をするのかわからないという不安。先程、頼もしいとは言ったが、しかしこれから何が起こるのか分からないのはやっぱり怖い。
続いて、剥き出しの高速エレベーター-この世界の人間には分からないだろうが、とにかくとても早く高いところへ行くための乗り物と考えてもらっていい-に乗った時のそれと同じような速さと重力。
自分が先程までいた地面が少し下を見ていない間に遠ざかってしまった。突然のことに息をすることも忘れ、リュウガのツノを持つ手が汗ばむ。まるで、自分が彼を操っているかの様だ。
そして、リュウガは言った。
「飛ぶぞ」
と。
飛ぶ、とは一体どこに。そんな疑問を発声する前に、リュウガは大きな両翼を持ち上げてから、勢いよく下ろす。
その瞬間洞窟中を襲う竜巻かとも勘違いするほどの突風。地面に横たわっていた人間の死体や、人がいたという痕跡は綺麗さっぱりとなくなってしまうほどの風圧が襲い、リュウガの身体は空へと浮かび上がった。
刹那、彼女の意識はその場に置いていかれる。
「うわぁ!」
リュウガは、目の前にある巨大な空洞に向かい何のためらいもなく入っていった。
巨大と言っても、その内部はリュウガの巨体もあいまって彼一人がギリギリ通れるというほどに狭い。少しでもバランスを崩して飛べば、壁に激突してしまうのではないかというほどに繊細な距離の中を、ためらうこともなくリュウガは飛行する。
きっと信じているのだ。自分は壁に当たることは無いと。そんなヘマをするわけがないと信じているからこそそんな危険な行動をとることが出来るのだ。
一方頭の上にいるリュカは、不思議に思う。普通に考えてこれだけ早さで飛んでいる自分に当たる風は、台風並みの突風のはず。なのに、自分に当たる風は微風のような物。
この時、リュウガは魔力による結界を張っていたのだ。それもまた緻密な調整が必要であり、狭い洞窟を飛びながらそんな事をするのは常人では不可能な事。
リュウガという規格外の化け物だからこそできた事なのだと、リュカは後で悟った。
リュウガの上にいるリュカは不思議な感覚に陥る。
ドキドキする。それも、先程までとは全く違うドキドキだ。
心臓を中心として身体中に根が張っていく様な昂揚感。
四肢の全てを括っていた鎖を引きちぎったかの様な眩暈にも似たワクワク。
そして頭から爪先まで流れるこれまでの自分とは違う血の協奏曲。
あぁ、そうか。これが、竜崎綾乃の心が、また別の人間に生まれ変わっていく感覚なのだ。
死んで、また新しい自分になったその感覚こそが、今自分の中で暴れ回っているこの感覚なのだ。
楽しみだこれからどんな世界を見る事ができるのか。
楽しみだ、これからどんな世界が自分を待っているのか。
楽しみだ。これから自分がどうなっていくのか。
この世界でもう一度生まれて、そしてもう一度新しい命を謳歌する。その過程でどんな自分を構成していくのか、考えただけでも昇天しそう。
「出るぞ」
「!」
洞窟の終着点にある、空を映し出した穴。
まだ光の先にしか見えないが、分かる。その先に、新たな世界があるという事が。新たな未来が待っているという事が、そして。
「ようこそ新しい自分!」
穴を抜けた瞬間。
彼女の物語の歯車がついに動き始めた。
≪よくがんばったね。偉いよ≫
≪さよなら≫
これは、そんな二つの言葉から始まる物語。