第七話 例え、それが愚かだと分かっても……
翌朝、リュカはリュウガ、そしてケセラ・セラと共に街へと降りていく。ロウ達は、ケセラ・セラによってその場で待機するように申し付けられた、ようは留守番である。
街に降りると、ケセラ・セラが目をキラキラと輝かせて周りを見渡していた。彼女からしてみると、木ばかりしかない森の中にずっといたのだから、建物という物を見るのも初めてであるし、石畳の舗装された道の上を歩くのも初である。ただ歩いているだけでも楽しそうであった。
リュカも、ただそれを見ているだけでも楽しかった。
「ケセラ・セラ、楽しい?」
「うん、おねぇちゃん!」
「ははは……おねぇちゃん……ね」
あんなこと、言わなかったらよかったかな。そう、リュカは苦笑いをする。
それは、昨晩の事だった。彼女が自分の事をリュカ、リュカと呼び捨てにしているため。
『年上に呼び捨ては失礼だよ』
と言ったら。
『じゃぁ、なんていえばいいの?』
と聞かれたので冗談のつもりで
『お姉ちゃんでいいよ』
と言ったらそれを鵜呑みにして本当にお姉ちゃんと呼ぶようになってしまったのだ。まぁリュカとしては前世でも妹におねぇちゃんと呼ばれていたので、違和感はなかったので別にいいのだが。ある意味洗脳教育のような気がして申訳がないような気がする。
「さてと、確かこの道を……なんか騒がしくない?」
「むっ、確かに……」
リュカはその喧騒を横に聞きながら裏道へと入っていく。確かに、昨日から比べればかなりうるさくなっている。街の人々がそれぞれ井戸端会議をしているのは昨日と同じではある物の、それぞれがかなりざわついているようである。ケセラ・セラの特徴的な衣装が目につかないほど世間話に熱中しているようだが、何かあったのだろうか。後で調べてみることにしよう。
「ついた、ここだよ」
「ここ?」
そして、エリスの店へとたどり着いた。そういえばこのお店看板などは出していないが、看板を出さないのは店としてどうなのだろうかと思う。それに、電気がついていないのも気にかかる。
この店は、少々薄暗い場所にあり、その上昨日見た限りでは店の中の服によって光がさえぎられて、昼間でも電気を付けないと行けなかったはずだ。現に昨日は電気が付いていた。なぜ今日に限って点けてないのか。
リュカはドアを開ける。ドアには鍵がかかっておらず簡単に開いてしまった。やはり、店は開いているのということなのか。
「エリス? いるの?」
「うわぁ……」
ケセラ・セラにとって服はそんなに興味のない代物である。しかし、そこにかかっている服はどれもこれもきれいな色使いであるため、先ほどと同じく、目を輝かしてそれらを見ていた。それはともかく、どうにもエリスの姿が見えない。
出かけているだとすると電気がついていないことにも説明はつく。だとしても、ドアに鍵もかけずに出かけるなんて不用心にもほどがある。リュカは、しばらく店の中を探ってみたが、やはりどこにもエリスの姿は見られない。一体、何処に行ってしまったのか。
その時、扉が開いた。
「エリス? ごめんなさい勝手に入って……クラク?」
エリスと思って振り向いたリュカであるが、しかしそこにいたのはクラクであった。けど、何だろう。昨日見たときよりもなんだか憔悴しているようである。それこそ、名前の通りに顔が暗い。一体、何があったのか。
「クラク?」
「うん、エリスの同居人の人。ねぇクラク、エリスがいないみたいなんだけれど」
「……」
クラクはうつむいたままなにも言わない。それに、泣いているようだ。自分たちに気が付かれないように声を押し殺してはいるようだが、しかしそれでも抑えきれない悲しみが表出してしまっている。
なにかがあったのか。それも、彼女じゃない。エリスに、だ。
「ねぇ、何かあったの?」
「……エリスちゃんが、逮捕されました」
「え……」
それは、今朝早くの事、クラクが仕事場に着いた直後に動物の虐待事件が発生したとの連絡を受けたクラクはすぐに現場に向かった。
余談だが、この世界では国の中で買うことが出来る人に害を及ぼさないような者を動物。人を襲う可能性のある物を獣と分けているらしい。
到着した時、すでに犯人は捕らえられていたのだが、クラクはそこにいた人物に驚愕した。エリスだったのである。
「一体何があったというのだ?」
「どうやら、服の材料の仕入れに向かったそうで、その途中にドクウに襲われている子供を助けようとして……」
「ドクウ?」
「わしらの言う犬のことじゃ……なるほど、つまり子供を助けようとしてドクウを傷つけてしまったと……」
「……はい」
そして、今まではこのような罪状で捕まった人は、大体が牢屋に一月ほど入れられてしまうそうだ。だが、それが今までであるだけ。今回、全く違う物となってしまった。
「まったく違う? どういう、こと……」
リュカは、前の世界での生類憐みの令について思い出しながら聞いた。確か、あの法律は年を重ねるごとに罪が重くなっていったはず。と、いうことはまさか。
当たってくれないで。そう考えながらしかし、その嫌な予感は当たってしまう。
「……死罪」
「!」
「そ、れも……」
「それも?」
「執行人を……私に、って」
「なっ!」
何と残酷な話であるか。同居人が、彼女と一緒に暮らしていたクラクが彼女を殺す執行人の役に選ばれたなんて、むごすぎる。一体、誰がそんなことを決定したというのか。
「どうしていきなり……」
「王様が……そういう御触れを出したんです」
そしてクラクが出したのは、この世界における『死刑執行命令書』のような物。前の世界では法務大臣や官房長など複数人の判やサイン等が必要となるが、そこにあったのはただ二つのハンコと、何行にも渡る文字。そこに書かれていた内容を要約するとこうなる。
『本日正午、刑場にて罪人エリスの斬首を執行する。執行人はクラクとする。また、執行を拒否した場合にも正午に執行し、執行人も斬首する』
そして、押されていた二つのハンコは、クラクが言うには王様のハンコと法務大臣のハンコらしい。なんとも残忍な書類であろう。エリスを斬首、首をはねるなんて。それも、もしソレを拒否した場合にはエリスだけじゃない。クラクの命までも奪うなんて。
その時、リュカは気が付いた。
「まさか、外があんなにざわついていたのって……」
「はい……エリスちゃんの事と、そして新しい法律の制定がみんなに伝わって……私は、エリスちゃんに言われて……服を取りに来たんです……」
「法律?」
「恐らく、今後動物を虐待した者は死罪にする……と言った物だろうな」
「ッ!」
「その、通りです……」
そう言うと、クラクはエリスの服をかいくぐって一つのタンスの下から三つ目を開ける。リュカは、あまりにも衝撃を受けて、何も言えないでいた。その代わりにリュウガが質問し、クラクはそれを服を探しながら聞く。
「エリスはその刑について納得しているのか?」
「……最初は、ひどく落ち込んでいました。店を開いたとはいえ、まだ十歳ですから……でも、もう受け入れて……死に装束だけは、選びたいって私に持ってきてくれるよう頼んだんです」
「なんとも、たくましい娘だな」
「あの子の両親が騎士で勇敢だったから……もしかしたら性格が似たのかもしれません」
「そうか……そんな人間が若くして逝くのはなんとも惜しいな……」
頭の中がぐちゃぐちゃになって交わって、色々な文字が飛び交って混ざり合って、もう、何が何だか分からない。色々言いたいことがある。あんな女の子が、あんな優しい笑顔を浮かべていた少女が、殺される。それも、とても泣き虫な一人の同居人の手で。その内、リュカの頭は真っ白になって考えることを止めてしまった。
「あった」
考えがまとまらなかったリュカは、クラクのその言葉を聞いて、現実へと戻ってきた。クラクが持っていたのは、真赤なドレスである。見ていると目が痛くなるほどだ。
「これが……エリスの選んだ……」
「……もう行かなくちゃ、早く城に行って、準備しないと……」
「待って!」
クラクが、店を出るその時に、ようやくリュカの口から声が出た。そして、次の言葉は。
「本当にそれでいいの! あなたにとって、エリスは本当に見殺しになっていい人間なの!?」
「……」
「一緒に暮らして、一緒にご飯食べて、一緒に笑って、泣いて……あなたにとってエリスってなんなの!?」
「友達ですよ」
「だったら、抗いなさいよ! エリスを助けなさいよ!!」
「私に何ができるって言うんですか!!」
「ッ!」
「私に……何ができるって言うんですか……」
クラクが声を荒らげて言ったその言葉に、思わずリュカは後ずさる。その目には涙が溜まって、今にも決壊しそうなダムのよう。先ほどのあの言葉。
「魔法も上手く使えない。剣の腕だって全然で、人を殺したことも救ったこともなくて……泣き虫で……ただただ命令されたことしかできない。そんな私が……今更勇気を出して、エリスちゃんの命がどうとなるとでも言うんですか……」
「それは……」
「エリスちゃんは、騎士の娘として立派に死ぬことを望んでいます……今の私にできるのは、後見人としての執行人じゃなくて、友達として、エリスちゃんが望んでいることをしてあげる事だけです……」
「そんなの……」
「間違ってますよね……私にも分かります。でも、私もちゃんと友達殺しとしての咎を受けるつもりです……」
「クラク、まさか……」
「さようなら、リュカさん」
何も言えなかった。クラクのその覚悟を聞いて、何にも言うことが出来なかった。そして気が付いた。彼女は、本当は強い人間なのだ。何をするにも半人前で、優しすぎるのは、一兵士としては未熟者と言っても過言ではない。
でも、ソレは今だけの話。もしも、彼女が正しく成長することが出来たのなら。もしもその強さと弱さを二つ一緒に合わせ持って成長することが出来のなら、彼女もまたこの国を救う立派な騎士になることであろう。
そう予感させる彼女の強さに、リュカは何も言うことが出来ない。ただ、頷いてやることしか。できなかった。
クラクは、そんな彼女に一瞬だけ笑顔を見せると、店の外に出て行ってしまった。
悔しい。何も言えなかった自分が、綺麗ごとを最後まで言えなかった自分が、とても、悔しかった。
「おねぇちゃん……大丈夫?」
「……うん、大丈夫だよ。大丈夫」
どう見ても大丈夫じゃない。昨日会ったばかりの人間であったとしても、それでも、大切な自分の友達である。クラクもまた、一度戦った戦友だ。いや敵味方ではあったのだがそんな些細なこと関係はない。そんな二人に待ち受ける残酷な運命に、リュカは憤りを感じてならなかった。
「リュカ」
「……なに?」
「お前はどうしたい?」
どうしたい。決まっている。二人を助けたい。けど、助けようにも自分たちの力ではどうにもならないだろう。城の中には何百人と兵士がいる。乗り込んでいって、二人を助けて脱出するなんて、あまりに無謀である。
確かに、このまま手をこまねいているなんて嫌である、だが自分の実力でどうとなるとは思えない。
「助けたいけど……私には無理だよね……」
「……お前はクラクと同じだな」
「え?」
リュウガは、その場にある台の上に降り立つと、リュカの事を見上げながら言った。
「全ての手を尽くしてもいないのに、ごくごくわずかな可能性すらも不意にしてしまうのか?」
「……現実と理想は違うよ!」
「ではお前は考えたか。手中にあるすべての戦略戦法をどのように使い、いかにして二人を助け出すかを、熟考したというのか」
確かにしていない。だが、そうはいっても……。
「……戦略っていっても、私一人にできる事なんて……」
リュカ一人でできることなどほとんどない。あるとすれば、それは忍者のように潜り込むだけ。だが、それにして城の中に入るだけでかなりの時間をかけてしまう。そこから処刑場を探すにしても、無理がある。処刑は正午に行うと言っていた。時計を見ると今は十一時、今から城に潜り込んだとしても時間が足りない。どうしようもない。一人なら。
「では、お前の隣にいるのは何だ」
「隣って……」
そう言われてリュカは横を見る。そこにいたのは、ただただ純粋な瞳で店の中を見るケセラ・セラだった。
「ケセラ・セラ……」
「お前の初めての家臣のはずだ。共に戦いたいと思ったからこそ森から連れ出したのだろうが」
「……」
リュカは改めて考える。だが、一人が二人になったところでどうも変わらないような気がする。
いや待て、そういえば崖の上に―――。
そういえばここには―――。
それに兵士は法律によって―――。
一つ一つの景色が混ざり、溶け合っていく。それは、あたかも前世の遊び道具の一つであったパズルというピースと呼ばれる物を当てはめて絵を完成させていく遊びのようだ。
そのパズルのピースがどんどんと埋まっていく心地のいい感触、そして最後の一ピースがハマった瞬間。なにかが、彼女の頭の中ではじけ飛んだ。
「閃いた……この状況を打破するたった一つの戦傷の一手」
これしかない。これしか考えつかなかった。だが、そこに少しでも可能性があるのならば、やってみる価値はある。そこでリュカはケセラ・セラに一つ頼みごとをする。
エリスの処刑執行まで、あと一時間。




