第六話 歴史を学ぶ必要があったみたいですね
「お……おか……えり……」
開口一番、その言葉が聞こえた。彼女と別れた場所に戻ってきたリュカは、たどたどしい言葉使いで出迎えるケセラ・セラの姿を見た。ロウたちは見当たらないようだ。狩りにでも出ているのかもしれない。どうやら彼女は一人で言葉を練習しながら待っていたようだ。
そもそもケセラ・セラは自分と同じヒト、言葉を使えない通りはなかった。森から出発してからというもの、リュカは彼女にヒトの使っている言葉を休憩の合間に教えていたのだ。もちろん簡単な物から始めたのだが、それ以上に、彼女の勉強するという意欲はすさまじいものがあるように思える。
それまで使てこなかったような難しい言語を、果たして彼女が覚えることが出来るのかと不安だったのだが、ケセラ・セラはそんな彼女の不安も知らないと言わんばかりに見る見るうちに言葉を吸収していったのだ。
やはり、彼女が生まれてからというもの、ヒトの係わった物を経験してこなかったために何もかもが新鮮に感じるのだろう。言葉を覚えようとしている彼女はとても楽しそうに見える。
「ただいま。ケセラ・セラ」
「あ……ロウ……みん、な」
とはいえ、実用的な面で見てみればまだまだ程遠い出来だ。ケセラ・セラが言葉をちゃんと話せるようになるまでにはかなりの時間が必要となるであろう。リュカは、ケセラ・セラが使い慣れている言葉で言った。
『慌てなくていいよ、ゆっくりとね』
『うん……ロウ達はご飯を取りに森に入っていったよ』
『そう、分かった。それじゃ、帰ってくるまで私と言葉の勉強しとこうか』
『うん!』
そして勉強会は、一時間後ロウ達が獲物を狩って戻ってくるまで続いた。一応ここで焚き木をしても国はかなり下にあるのだから見つかることはないだろうが、そもそもリュカは火が嫌い、ケセラ・セラとロウたちは生肉を食べるのが普通であるため今日も今日とて肉は焼かずに食べることになった。
むしろ焼いて食べるよりも野性味があふれておいしいようにも感じる。それにしてもこの量、少し狩りすぎじゃないのだろうか。
ざっとてみも二日三日分くらいは優にある肉の山。ロウたちによると普通に狩りをしていたらこれくらいとれたというらしい。この二年間、肉を食べる事すら禁止されたこの国の住人たちが全く狩りをしてこなかったのだから、国の周囲に獣が増えることは容易に想像できることだった。
とりあえず、保存食として後は残すとして、今日の所は他にすることもないので、もう寝ることにしよう。
『ふぅ、とりあえずもう寝ちゃおうか』
『うん、お願い』
ケセラ・セラはそう言うと、周囲のロウを見渡して頷く。それに呼応するかのようにロウの何匹かもまたケセラ・セラに頷き返す。これは、彼女から周囲の、これから見張りの番をしてもらうロウ達への合図。こんな人里に近い場所で襲ってくるような獣や怪しい人物がいる可能性は低いが、それでも用心に越したことは無い。
今晩は、六匹のロウが見張りをしてくれる。これで、今日も安心して熟睡することが出来る。特に昨晩は自分が見張りの番であったため、ゆっくりと朝まで眠ることが出来るというのは嬉しい物だ。
「時にリュカ」
「ん?」
「貴様、街に行った時妙なことを口走っていなかったか?」
「妙なこと?」
そんなにリュウガが気になるようなことを何か言っただろうか。思い出してみてもそんなに変なことは行ってない気がするのだが。
「生類憐みがどうと……」
「あっそれね」
そういえば、あれは信長が死んだ後にできた法律なのだから、知っているはずもなかったか。
「話を聞くと、法律のようだが……お前の生きた時代の法律か?」
「ううん、江戸時代の法律」
「江戸……というと東の方にある田舎の休憩地か?」
「田舎? 休憩地?」
江戸、それはかつて徳川家康が天下人となって江戸幕府が置かれてから今に至るまで事実上の日本の首都となっている。リュカは知らないのだが、織田信長の生きた時代、安土桃山時代当時には、この江戸という町はかなりの田舎町であるというのが全国の常識であった。
そもそも、戦国時代は京都で将軍が政権を握っていた時代である。そして、貿易の要所は堺の港。つまり現在の大阪。政治の中枢は関西にあったため、それよりも東北関東が田舎扱いされるのは当然と言えてしまうだろうか。かつてあった資料には、東北から西に来るまでの交通の要とされていたという物もあるが、徳川家康が天下人となるまではそれほど注目されていなかったというのは確実であろう。―――諸説あり。
「まて、家康が天下人だと? それは聞いてないぞ?」
「……あれ? 言ってなかったけ?」
そういえば、今まで織田信長が死んだ後の家臣たちの動向については話したことなかったなと今更ながらに思い出した。そもそも前世の事に彼が一切興味を示さなかったため当然ではあるが。
「一応聞いておく? といっても歴史に詳しくないからTVの知識とかそういうのぐらいしかないけれど」
「てれび?」
「あぁ、こっちの話」
「……まぁいいだろう」
まず、豊臣秀吉、と言った瞬間に『秀吉、ということはサルのことか』と言われた。そういえば秀吉は豊臣と名乗る前に木下、羽柴という苗字があったはず、だから彼女が見ていたテレビ番組でも時代ごとに彼の名前は変わっていたはずだ。そして、彼が豊臣姓を名乗るのは、確か信長の死んだあとだったと覚えがある。それはともかく。秀吉は信長が本能寺で自害した後明智光秀を殺し、一気に天下人となった。
「明智……か」
「……やっぱり恨んでるよね」
「……いや、わしはあいつの本心を読み切れなかった……ただ、それだけだ」
「? そう」
リュウガの顔が少し歪んだ気がする。ともかく、天下人となる過程で、秀吉は信長の家臣の一人で信長の妹、お市を奥さんに迎えた柴田勝家と戦をし、その中でお市の娘の茶々、初そして江は助かったが、お市は柴田勝家と籠城の末に最期を共にしてしまった。秀吉は、お市の命を助けようと何度も交渉をしていたのだが、結局それが実ることはなかったらしい。
「そうか……浅井の所から帰ってきたとき、それを悔やんでいたのかもしれんな……」
「……私にはわからないな……お市さんの気持ち」
「……お前も恋をすれば分かる……そういえば、帰蝶はどうしたのだ?」
「確か、信長の正室……だったっけ? さぁ、濃姫さんは生涯がどんなのだったのか謎が多くて……いつ亡くなったのかも正確には分かってないの」
「……そうか」
一説には、信長存命の時にすでに亡くなっていたという資料もあったり、離婚していたという資料もあったりと、その生涯が分かっていない、まさに歴史の謎の一つと言える人物である。それから秀吉が亡くなった後は―――。
「ちょっと待て」
「え、なに?」
「なぜ、天下人となったサルの次がサルが死んだ話なのだ?」
「……歴史そんなに得意じゃないっていったじゃん」
「……もう少し詳しい奴が来ればよかったものを」
「なんか言った?」
「なにも」
ともかく、秀吉の次に天下人となったのは徳川家康である。家康は江戸幕府を開いて、戦国時代を終わらせた人物である。そして、家康の時代から数十年後―――。
「……突然時代が飛んだのは何も突っ込まんぞ」
「そうしてもらった方がいいや……あっ」
「ん?」
「いや、あのお市さんの娘さんの一人の話なんだけれど……」
彼女がお市の娘で唯一その後を知っているのが茶々、つまり淀殿の事であった。淀殿は、豊臣秀吉の側室となって、秀吉の子供(名前は忘れたが)と共に大阪夏の陣という物で徳川家康に負けて自害してしまい、そこで大阪城という城は焼失してしまったのだ。だが、この大阪夏の陣を最後に戦国時代が終わったといわれている。
「そうか……あの狂った時代を終わらせたのは……」
「?」
リュカはあっけらかんとしているが、リュカの話からすると、信長の妹の子供、信長の家臣だった豊臣秀吉の子供、そして信長の同盟相手徳川家康、信長に関係する者たち三人が、戦国時代という狂った時代を終わらせたのである。リュウガが感慨深くなるのも分かる気がする。
「それで、江戸幕府の5代目将軍の徳川綱吉って人が生類憐みの令を出したの」
「その生類憐みの令と言う物について教えろ」
「うん」
生類憐みの令は犬将軍豊臣綱吉が制定した簡単に言うと、動物の命を脅かしてはならないというものだ。犬を殺した者には切腹、蚊を殺した者には流罪など、動物を大切にしなさいというのは今に言う動物愛護法に似ているが、この処分は今となっては考えられないほど厳しい処罰で言えるといえよう。
「……確かに、わしらの時代からすると想像できんものだな」
「うん、だから天下の悪法って言われてて……」
「天下の悪法……か」
「ん? どうしたの?」
「いや……それにしても貴様、サルやタヌキの事はあまり覚えていないというのに、何故にこの法律についてはそんなに詳しいのだ」
「あぁ、それは前世の時の友達が……」
その時、リュカの頭にその少女が生類憐みの令について話している姿が思い出された。
『ねぇね、リュウちゃん! 聞いてる!?』
『あぁ、うん聞いてるよ』
教室の窓際の席、いつもいつも変わらない景色をただ見ていただけの平凡な日々。
歴史好きの親友から教えられた数多くの日本史、世界史の事。そして、生類憐みの令の話は彼女が死に至る直前の修学旅行の前日に教えられたことだった。だから、とても強く記憶に残っているのだ。
とはいえ、彼女の話は長く難しい物がおおくてとてもじゃないが全部は覚えていないのだが。
「寝るぞ、明日も早いからな」
「う、うん」
そう会話を交わすと、リュカは来ていた鎧と衣服を脱ぎ捨て、森で製作した葉っぱで作った布団をかぶる。
いくら裸でいる事に慣れたと言ってもそのまま寝るのはやはり寒くて風邪を引いてしまうから。
因みにこれに関してロウ達と一緒に旅を始めた時にリュウガが聞いた。
『貴様、服を着んと寝るのか?』
『え? うん。どうして?』
『……いや』
リュウガは何かが言いたそうであったが不服そうに口を紡いだ。
今考えるとあの日以来だったか。人が見ていないところでは服を脱ぎ捨てるという事が癖になってしまったのは。そう考えながら、すでに毛皮のコートを脱いで布団代わりにし、眠っているケセラ・セラの横に寝転がるリュカ。いくらなんでも無防備が過ぎる二人の夜はこうして始まるのであった。
ケセラ・セラはまだしも、リュカも裸で生活する方が普通であると勘違いしてしまっているのではないだろうか。まぁ、本人たちが良いと思っているのならいいのだが。




