第四話 終生の友、その名はクラク
「なんとか逃げ切れたかな……?」
兵士たちに追われていたリュカは、屋根から降り、裏通りに入るとしばらく周囲の様子を伺っていた。だが、どうやらもう追手は来ないようである。
考えてみれば、森の中では色々な獣に追われて、そこらかしらにある木をすべて避けながら逃げていたのだ。毎日のようにそんな事を続けていたものだから、人間相手に逃げるだなんて造作もないことであった。
「それにしても生類憐みの令だなんて……時代錯誤もいいところだよ」
いや、時代どころか世界が違うだろ、という突っ込みは一切なかった。突っ込む人間もいなければ、自分で突っ込む気分でもない。因みに、生類憐みの令と言えば綱吉の前世が犬だったとかなんとかで、一番贔屓されていたのは犬だったらしいが、この国だとどうだろうか。やっぱり犬が優先的なのか、いやそれとも他の動物なのだろうか。―――諸説あり。というか、そんなしょうもない事を考えている時間が有れば、場所を移動しておくべきだった。
「あ、あの……」
「ん?」
路地裏に一人の少女が現れた。年齢は、自分と同じくらいだろうか。
長い黒髪の少女。前世の世界でも見たことがないほどきれいな髪を持つ少女だ。その顔は、うつむいているために見ることができないが、多分美しい女性なのだろうと思う。
因みに、その恰好は先ほどの兵士と同じである。と、言うことは。
「……」
「……」
それから数秒、謎の沈黙が流れた。
なんなのだろうこの無駄な時間は、何か言いたいことがあるというのならば言えば良いのに。その空気に耐えきれなくなったリュカが声をかける。
「えっと、なんでしょうか?」
「えっと……その……」
少女は、すこしモジモジし始める。この人本当に兵士なのだろうか。
兵士、ということは軍人という事らしいのだが、とてもそうは見えない。こんな、子犬のように怯えている少女が本当に国の治安維持を請け負う兵士でいいのだろうかと、若干失礼なような事も考えてしまう。
「お、お願いがあるんですけれど……」
「お願い?」
「はい……その……」
その言葉と同時に、少女は右手を大きく広げてリュカに向ける。その時、ようやく彼女の顔を見ることができた。やはり自分の思った通り可愛い顔立ちをした女の子だ。しかし気にかかる。その目の奥を見ると、涙が見えるのだ。泣いているのだろうか。けど、なぜ。
【水牢・捕縛陣】
「!」
色々と頭の中で考えていたなか、少女の右手から水が噴き出す。水はリュカの目の前で右上、左上、右下、左下の四方に分かれる。それらは、リュカの周囲を包み込み、水の球体を作り出しリュカを閉じ込めた。水の魔法の応用、捉えた相手を窒息させ気絶、最悪溺死させるものだ。基礎的な魔法しかかろうじて使うことが出来ない自分には到底使えない魔法。
いや、もし普通に魔法が使えたとしても難しいだろう。水の中でリュカは驚いていた。
(この魔法を、無詠唱で使う人がいるなんて……)
魔法を使うには、言魂を詠唱しなければならない。しかし、簡単な魔法ではその詠唱を省いて魔法を使うことができる。だが、詠唱をしなければ魔力を込めることができず、難しい魔法を使うことができない。だから、その魔法の名称だけでも発動できるくらいの簡単な魔法であれば無詠唱でいいの。
しかし、ソレを応用するような魔法に至っては、何十年の修行と膨大な魔力を必要とする。自分と同年代であろう少女が使うのは不可能と言ってもいい所業だ。
(でも!)
「やった……え?」
と、少女が自身の魔法が成功したことに喜ぶがその刹那、水中にいるリュカは目を瞑り何かをつぶやく。瞬間、リュカの目の前に気泡が現れる。それは一つ、二つと増えていき、その内無数の気泡が、上に向かっていく。
「な、なに?」
なんだ。自分の作った水の牢獄が徐々にその形を変えていく。まるで粘土をこねくり回しているかのようにぐちゃぐちゃに動き回る。自分が操作しているわけじゃない。困惑し、状況を静観しているしかない少女。
しかし次の瞬間、目をつぶっていた少女の目が見開き、水牢は急な風と煙、を吐きながら爆散した。少女は、反射的に腕を目の前にやりその爆風から目を守った。
「なんなの……?」
「無詠唱で魔法を使えるのはすごいことだけど……」
「!」
その言葉に、あげていた腕を下した少女。
しかし、すでに彼女は自分が捕らえていた場所にはいなかった。
「練度が全然足りないよ」
首筋に走る冷たい感覚。恐る恐る横を見ると、そこには自分の知らない形の剣を、自分の首に立てている少女の姿。
「あなた、元々魔法を使うのそんな上手じゃないでしょ……だから、どれだけ強力な魔法を使ったとしても基礎的な魔法。ううん、ただ魔力を流し込むだけで壊すことが出来るの」
ある意味一種の賭けのようなものであった。
自分を捕らえていた水牢は、触れてみれば分かったがあまり水同士が密接になっていたとは言い難い物。恐らく、水同士をつなぐ魔力が薄いためにはがれやすい脆弱な物となっていたのだろう。
そもそも、何故人体から水のような自然物質がどこからともなく出現するのか。リュウガが言うには、魔法を使う者―この場合魔法使いと呼称したほうが良いのだろうか―が食した物に関係しているのだとか。
魔法使いが食した水分や食料から産生された水、熱等は以前解説した魔力の貯蔵器官を通ることによって人体に影響のないいわば透明な血球として超圧縮されて血管の体内を巡っている。魔法を使用する際にはその透明な血球、通称≪魔血球≫が言魂と一緒に外に出ることによって火や水を使用した魔法を使用することが出来るのだ。
普通これほどの魔法を使用できる魔血球があるのならば、その魔力の結びつきも強固になるはずなのだが、一体何故こんなにも弱いのか。不思議で不思議でたまらなかった。
「うぅ……」
「へ?」
その時、何か嫌な感じがした。それは、先ほど兵士たちに追われたときとは別の嫌な予感。そう、それは昔学校の行事で幼稚園に訪問していたときに感じたものとほぼ同じもの。それは―――。
「うええぇ~~~~ん!!」
「えぇ!?」
座り込んだ彼女の瞼から涙が勢いよく飛び出し、頬を伝って下に下にと文字通り滝のように溢れ出ていく。前世の漫画やアニメを思い起こさせる豪快さだ。
よく視ると、その涙にも魔力が宿っているようだ。まさかこの水も先ほどと同じく魔法で出しているのだろうか。それも何の意図もなく無意識に。脱水になったりしないのか少し心配になってくる程だ。
見ていると哀れになってくるが、リュカ自身にはなぜ彼女が泣いているのか全く分からなかった。
「グスン……せっかく魔法が成功したと思ったのに」
「えっと……」
それから彼女が泣き止むまで時間がかからなかった。まだ、詳しい話はしていないが、どうやら今まで誰かと一緒では無ければ、こういった事件、事件と言っていいのかは不明だが。まぁとにかく、犯人を逮捕したことがなかったそうだ。
だから、今回は魔法も決まって犯人を逮捕することができると思ったのだが、やすやすとリュカにそれを破られてしまって泣いてしまったらしい。
リュカは彼女がかわいそうになって脅しのために抜いていた刀を仕舞いこむ。
どうやら、この国での兵士は警察の役割もかねているらしい。という事は、先ほど自分を追って来ていた兵士もソレなのだろうか。
「やっぱり、私この仕事向いていないんでしょうか……」
「いや向き不向きっていうのは分からないなぁ」
実際、少女の事を何も知らないのだから、言えることはそれぐらいである。ただ、今のところの少女の仕事っぷりを見ていると、誰かを捕まえられるような性格をしていないような気がする。
泣き虫がいけないというわけではないのだが、なんだか優しすぎるような気がする。それもそれで悪いというわけではないのだが、やっぱりこういう仕事において優しいという性格は抑え込まないといけないのではないのだろうか。と、リュカは分析した。
その場を離れるべきか迷っていたとき、後ろに気配を感じた。今度は、殺気でも、敵対するような、そんなまがまがしいものじゃない。純粋な気配である。
「ん?」
「あっ……」
とても可愛らしい服を着ている金髪の小学生ぐらいの少女だった。先ほどの戦闘音等が気になって見に来たというところであろうか。
「あの……」
「あれ、エリスちゃん?」
ようやく泣き止んだ少女が、その金髪の女の子の方を見てつぶやいた。知り合いなのだろうか。
「クラクさん……また泣いていたんですか?」
「うぅ……」
やっぱり知り合いのようだ。あと、ようやく少女の名前が判明した瞬間であった。それと、やっぱり彼女は泣き虫であり、頻繁に泣いているようだ。
「とりあえず、家の店お店に来てください、すぐそこですから」
「は、はぁ……」
なんだか、この街に来てから急展開が過ぎるような気がする。まるで、なにか見えざる意志にでも導かれているかのようだ。リュカと高みの見物を決め込んでいたリュウガはエリス、そしてクラクの後をついていった。




