第二話 国を変えた法律
リュカとリュウガは崖の下の国へとすんなり入ることができた。てっきり国に入る際には関所のようなものを通らなければならないと思っていた。が、どこにもそのようなものはなかった。
随分と不用心なものだ。そんな事をすればこれ幸いに外から良からぬ者が入ってくるというのに。自分のように。
とにもかくにも、国の中に入れば、上にいたときには分からないようなことがたくさん出てくる。
例えば滝。上から見ると、滝の水が直接国になだれ込んでいるように見えた。しかし、実際には途中にある建造物によってその水が集められているようだ。
建造物は国の周りを囲っている壁と接続し、壁の上を水路にして水を運んでいる。上から見た12の道。自分にはそう見えたが、それらは滝からくる水で作られた用水路のようなものであると分かった。確かに両端には人が歩けるスペースがあるものの、実際にはほとんどが中央にある川に占拠されている状態だ。
「なんか、倉敷みたい…」
「ん?」
「あ、いやこっちの話…」
リュカは、以前旅行でいったある町、いやこの世界に当てはめると国と言うのだろうか、ともかくとある町を思い出していた。その場所もこの場所と同じ、川を中央にして、両側に人が歩く道路があった。この場所は、それに似ているのだ。
「壁伝いに水が流れているってことは、これって人工の川?」
「うむ、どうやらこの一番大きな川を除いてすべてそうらしいな」
まだ全部の川を見ていないが、上から見た感じであれば、この水路が一番大きかった。川底もあまり舗装がされてないようにみえるので、まずこの川は元々あった自然なもので、少しばかり手を加えたぐらいなのだろう。
「でもさ、そんなに川を作って何か意味があるのかな?」
「意味か……」
自然な川が一本、人工の川が十一本。それらをすべて完成させるために、いったいどれだけの財と労力が必要になったのだろう。そこまでしてどうしてこんな川を作ろうと思ったのだろうか。
「やはり移動手段だろうな」
「移動手段?」
「そうだ。見てみろ」
「?」
リュウガに促された方向を見ると、川下から一隻の小さな屋根のついた船がやってきた。どうやら手漕ぎボートのようだ。その上には野菜や果物が大量に置かれている。果物の何種類かは船の横にある網に入れられ、おそらく冷やすためなのだろう、水の中に入れられている。
「あれは……移動販売?」
「じっと店で買い物客が来ることを待つよりもよっぽど効率がいいのだろうな」
「へぇ……」
「救急船が通りま~す!」
「ん?」
その声の方を見ると川上、つまり自分達が歩いてきた方向から一隻の船がやってきた。移動販売の船は、すぐに船を川の端に寄せ、川に入れていた果実を回収する。
その時、救急船と名乗った船がその船をかすめて川下へと向かっていった。
その名前からして、おそらく前世にあった救急車の車の部分がまるっきり船に変わっただけなのだろう。
「あれ?」
リュカは救急船から人が下り、一つの建物に入るのを見ながら、ふと疑問が沸く。
「確かに川を下るときは速いかもしれないけど、人をあの船に乗せて、その後は川を上らなきゃならないんじゃないの?」
下るときは川の流れがあるからそれにのっていけば早く着く。しかし、逆に川を上るときになると人力で漕がなければならなくなる。それこそ、先ほどの店主のように。と言っている間に建物から人が出て、急患とその付き添いも含めて乗り込んだ。
これで、最初に船から降りた人間も含めるのだから相当重くなっているはず。こんな状態で人の力で船を漕ぐなんでできるのか。
そう、リュカが心配していたその時、船は帆を広げる。それで風を受けて上流に帰ろうと言うのだろうか。しかし、今のところそれほどの風は吹いておらず、どう考えてもこれだけでは力不足だ。
「ふっ、何をいう。そのための……」
その時、救急隊員の一人が右手を帆に向かってつきだす。そこまで来て、リュカはは察した。
そうか、自分は前世の常識に囚われすぎていた。あるではないか。自ら風を作り出す方法が。
【風】
その言葉を口にした途端、隊員の腕からは竜巻のような風が起こり、それが帆にぶち当たった。瞬間、船は水流に逆らい、リュカの横を通り抜けて、川を昇っていった。
「魔法って、ああいうのにも使えるんだ……」
「そう……いや、むしろこういうときのために魔法が必要なのだ」
人を殺す魔法より、人を救う魔法。リュカは、自分が使っているものの恐ろしさと、とんでもないことに使おうとしているのだと、改めて身に染みたように感じた。
「あの奥さま、栄養失調ですって……」
「またですか……」
その時、リュカの耳に野次馬の会話が飛び込んできた。リュカはちょっとだけその会話に耳を傾けてみる。
「今月でもう10人目だ」
「やっぱり野菜と果物だけじゃ栄養が偏ってしまいますわね……」
「クソ、あの法律ができてからというもの、うちなんて商売すらできねぇ!」
「精肉店は、難儀だねぇ。まっ、その点俺の移動販売は今日も盛況だがな」
話の内容が理解できなかった。10人目というのは、恐らくこれで倒れたのが、ということであろう。しかし、精肉店が商売できない、移動販売のお店が繁盛しているのはどういう意味なのか。というか、先程川の方にいた移動販売のお兄さんが地上に上がってきているようだが、商売の方はいいのだろうかとどうでもいいことを考えてしまうリュカ。
聞き耳を立ててるだけでは分からないことが多い。とりあえず、一番話しやすそうな20代くらいの女の人に声をかけてみた。
「あの……」
「あら? 貴女どこの子? この辺じゃ見ない顔だけれど……」
「私今日この国にきたんですけれど、今の話ってどう言うことなんですか?」
「そう……悪いことは言わないわ。早くこの国から出た方がいいわよ」
「え?」
二年ほど前のことらしい。この国の王、『ロプロス・キーラ・パラスケス』がある法律を発表した。要約すると
≪一つ、命あるものを殺すことを禁ずる。
一つ、命あるものを捨てることを禁ずる。
一つ、捨て子や憐れな子供を見つけたら養うこと≫
であったそうな。この法律のせいでまず大きな打撃を受けたのは精肉店であった。殺すことを禁止する等と言われてしまえば生き物を殺して肉にして販売する商売ができないのだ。
結果、国中の精肉店は開店閉業状態、他の商売に手を出すしか無くなった。そして、肉を入手することができなくなったために家庭からは肉料理がきえ、野菜や果物だけとなってしまった。結果、栄養に偏りが出て、倒れる人が出てきたのだとか。
最初は、ヘルシーな献立になったおかげもありかなり喜ばれたそうであるが、しかしそれが長く続くと物足りなさも感じてしまうのだとか。
流石に抗議するものも少なくなかったが、実際に猟師が森で獣を殺したということで牢屋に入れられる事例が続々と出たことによって、法律に反対する人間、いや反対できる人間は少なくなっていったそうだ。
「殺すのは禁止…か」
リュカは、女性と別れ、最初の目的である服屋さんを探していた。それにしても、殺すことを禁止するというのはこの世界では珍しいことなのではないだろうか。
リュウガが言うには、この世界は前世での戦国時代と同じ、多くの国王が国とり合戦を行い、殺し殺されということが日常茶飯事となっている。そんな世界で殺すことを禁止する法律をだすというのは異端以外の―――。
「あれ?」
「どうした」
「いや、大したことじゃないんだけれど……」
その時、リュカの頭の中を何かが通り過ぎていった。というか現在の状況がなにか聞き覚えががある気がした。生き物を殺すことを禁止する、理不尽な逮捕、そして王様の出した法律。昔これと同じような出来事を聞いた気がする。
あれは、小学生の時、いや中学生の時も。それに、親友と一緒にいる時にも聞いたような。
後もう少しで出てくるのに、肝心なところが思い出せない。とはいえ、もう何年も前の話になるから当たり前なのかもしれないが。
その時だ。リュカの頬に虫が止まった。プーンという羽の音がしたため恐らく前世でいうところの蚊の一種なのだろう。血を吸われるのは嫌なのでとりあえず叩いて殺した。
次の瞬間、周囲の空気が一変した。
道行く人たちはそれまで井戸端会議を繰り広げていた奥様方に至るまでが、ピタッと止まりリュカの方を見たのだ。
「え……まさか……」
「そのまさかのようだな……」
背筋をなにか気味の悪いものが通ったかのような嫌な予感がする。
まさか、こんな蚊一匹を≪殺した≫だけでそんな大袈裟なことになるわけがない。
「おい…」
と思っていたのは自分が楽観的だったからのようだ。後ろから声をかけられた。どう考えても友好的な雰囲気ではない声色だ。リュカはこの時、ようやく現在自分が陥っている状況が理解できた。
「えっと……こういうときはッ!」
恐らく、自分はとても面倒な事に巻き込まれたのだろう。リュカは振り返るとこもせずに、走り出した。
「あっ、逃げたぞ追え!!」
後ろで先程の男が誰かに命令している声が聞こえる。次に彼女の耳に飛び込んできたのは、何かが発射される音、まるで打ち上げ花火のような音だった。
「なに!?」
「合図を放ったようだな……直に応援が山のように来るぞ」
「虫一匹に厳しすぎない!?」
やはり、例の法律に引っかかったようだ。虫一匹を殺したに過ぎないのに、あまりに極端すぎる。こんな具合で圧政を敷いていたのだとすると、この国の人達はとても窮屈な思いをしていたのは間違いない。
全速力で風のように国の中を駆け抜けるリュカ、目の前に兵隊が3人立ち塞がる様子が見えた。どうやら先回りされたようだ。
「ヤバッ!」
リュカは一度小さくジャンプをして、体を右に90度ひねらせ着地する。地面と靴底が擦れて土煙をあげながら速度を下げ、即座に停止する。
「それならっ!」
前も後ろも塞がれているなら横から行けばいいだけである。リュカは魔力を足に集中させ、跳躍力を上げて跳びあがる。ここまでは慣れた物だ。ちょっと前にはこの程度のこともできていなかったなんて嘘みたいである。
とはいえ、これで今日使える魔法は一つだけとなってしまった。やっぱり自分の体は燃費がとても悪い事を感じる。
横にあったのはニ階建ての家なのだが、そんなものも軽く乗り越えて、兵士達の視界から消え失せることに成功した。
「にっ、逃がすな! 追え! 追え!!」
という隊長の声に兵士達は『どうやってだよ』と思いながらとりあえずしばらくは追っておこうと走り出す。結果、案の定見失ってしまった。
一方こちらは屋根の上のリュカ。前世に友達の影響である競技をしていたことが功を奏し、次々と屋根から屋根へ飛び移る。これだけ動いていれば撒くことは時間の問題だ。などと考えているが、ほとんど撒いているも同然なのである。しかし、無知な者は損をするということで、ずっと家と家の間を飛び越えるしかない。
「あっ! 思い出した!」
「ん? なにをだ?」
「これ、あの法律と全く同じだよ!!」
体を動かしたことによって脳に行く血液量が多くなったことが原因か、リュカはついに思いだした。前世での歴史の授業で習い、彼女に教えてもらった日本の歴史。
故意か偶然か、天下の悪法と現在は呼ばれているあの法律とまるっきりそっくりなのだ。江戸時代、5代将軍綱吉が出したあの法律。
≪生類殺生禁止令≫。
またの名を。
「生類憐れみの令だよこれ!!」
犬将軍と呼ばれた徳川綱吉が出した法律。何故それと似たり寄ったりな法律が施行されているのだろうか。詳しいことはよくわからないが、少くともかなりややこしい国に来てしまったことは身に染みてわかった少女であった。




