第十五話 未熟者の旅
夢を見ていた。前世の、なんでもない日常の話。
顔に付いた火傷でいじめられて、親友たちに相談した時の事。
そういう時はやり返せばいいと一人は言った。
そういう時は私たちも協力すると一人は言った。
でも、怖かった。
彼女たちも同じ目にあうのが怖かった。
こんな化け物のような見た目の自分を庇うことで、二人もいじめられないか。それが、本能的に怖かったのだ。
だから、自分は二人に言った。分かった。何かあったら、二人に相談すると、嘘をついた。
二人も巻き込みたくない。二人も、自分と同じ目にあってもらいたくない。だから、彼女は一人で戦うことにした。
次の日、自分はいじめっ子の男子連中に立ち向かった。一人で。
でも、敵うわけがない。だって、自分はか弱い女の子。それが五、六人いる男の子たちに力で勝てるわけがなかった。
悔しかった。私は、地面に倒れて泣きそうになった。たった一人じゃ何も出来ない自分が嫌いだった。
化け物化け物と罵られるのが嫌だった。でも、弱い自分が何を言っても無駄。力には力、暴力には暴力で対抗しないといけないのに。自分は、彼らよりはるかに弱かった。
弱者が何かしても無駄なのだ。弱い人間が誰かを守ろうとしても無駄なのだ。そう、自分は悟ろうとしていた。
その時だった。
二人が、やってきて自分に言った。
こんなことだろうと思った、と。
曰く、貴方は優しいから一人で背負い込もうとする。
曰く、でもあなたの心が助けを求めていたから、私たちはあなたを助けることが出来た。
弱くてもいい。弱かったら皆で立ち向かえばいい。みんなで戦えば怖くない。そう言って、二人は一緒に戦ってくれた。
結局、あの時は武術をたしなんでいる友達が一人で六人撃退したことによっていじめっ子たちは逃げて行って、二度と自分に悪さをしなくなった。
その時、自分は聞いた。
これでいいの。もしかしたら、明日から虐められるのは二人なのかもしれないのに、と。
彼女は言った―――。
その時、夢が終わった。
暖かい。身体がとても暖かくなる。まるで身体中を羽毛の布団で包まれているかのようにふわふわとした感触。でも、時折ちくちくとした感触も襲う。でも、陽だまりの中にいるかのように心地よかった。
ずっとこのまま寝ていたい。ずっとこのまま暮らしていたい。そんな気持ちが襲う中、ふと疑問に思う。
「あれ、私……」
そもそもこの暖かさってなんだ、と。
彼女の頭も覚醒していくと同時に、色々と疑問に思うようなことが増えてきた。
確か自分は昨晩凍えるような寒さの中にあって、そのまま眠りに入ったはず。それなのに、なんでこんなに暖かいのだ。もしかして、ここが天国か。一度目の死の際にはいくことが出来なかった、天国なのだろうか。
いや違う。この皮膚にちくちくと刺さる痛みにはどこかで感じたことがある。あれは、確か≪彼女≫に技を決めた時の。
「え?」
ふと、目を朧気に開けた彼女は見た。目と鼻の先にいる蒼髪の少女の顔を。あまりにも突然すぎて驚くのも忘れていたリュカを尻目に、少女は自分が目を覚まして喜んでいるのか、その顔に笑顔を見せると言った。
『みんな、離れてもいいよ』
これは、獣の言葉だ。なら、彼女の言うみんな、そしてこの身体中を包み込む暖かさはまさか。
そうリュカが考えた瞬間。周囲を包み込んでいた熱は次々と離れていき、再びの肌寒さが彼女を襲った。と言っても、昨晩に比べたら大したことは無い、むしろ涼やかな方の寒さだ。
周囲を見渡したリュカは、自分の身体を包んでいたモノたちを見て自分を助けてくれた存在の正体を知った。
「貴方達……どうして」
そう、そこにいたのは獣、ロウの一族であった。つまり、蒼髪の少女の仲間たちだ。
なるほど、昨晩凍えるような寒さの中にいた自分を救ってくれたのは彼らだったのか。先ほどの散り様から言って、恐らくたくさんのロウ達が身体を団子状に密着させて自分が凍え死なないように熱を発生させていてくれたのだろう。
ロウ自体の体温に加えて、その毛皮によって発生する熱は、ヒト一人の体温を回復させるのに十分だったはずだ。
だが、ここでふと疑問符が生じる。何故、彼らが自分の事を助けてくれたのだろうかと。仲間を殺された自分を助ける義理はない。むしろ仇のはずだという考えに関しては、自然の掟があるから恨んだりしていないで話はつく。
しかしそれを無しにしても、彼らには自分を助ける動機なんてないはず。なんで。
リュカがこの状況に困惑している中、後ろの方にいたロウの何体かがどこか見覚えのある物を口にくわえて彼女に近づき、ゆっくりと地面に置いた。
「これって、私の……」
『これ、見つけてきた』
服と鎧だった。それに刀や、二晩前に紛失していた籠手までもある。ますます意味が分からない。だって、鎧等を探しに言ったのは父だったはずなのに、なんで彼らがこれを。見つけてきたという言い回しからして、偶然拾ったというわけではないだろうし。
「どうやら、貴様の匂いをたどったらしいな。雨でほとんど匂いが消えているはずなのに、嗅覚は本物のロウよりもあるらしい」
「お父さん……」
洞窟の入り口から飛んできたリュウガ。どうやら彼も一晩彼らの世話になっていたらしい。話を聞くに、鎧と刀を最初に見つけたのはリュウガ。そのすぐあとに蒼髪の少女がやってきて、自分の匂いをたどってこの場所にまでたどり着いたらしい。
それから、自分の体温がこれ以上逃げないように身体に付いた水滴を取り―方法については想像に任せる―集まって一晩そのまま過ごしていたのだとか。
とにかく、理由は分からないが自分が助かったのは彼女らのおかげだ。リュカは、感謝しながら再び服を着、鎧を装着した。やっぱり裸で過ごすのも悪くないが、しかし公衆道徳上服を着なければどこか落ち着かないのだろう。
肌着としての服は、元々ボロボロであった物がさらにボロボロとなったために着ることはできなくなったが、鎧のお陰で肌はほとんど見れない。
これで次の国に堂々と行くことが出来る。そう考えていた時、蒼髪の少女が言った。
『条件』
『え?』
『この子たち、一緒に連れてく、それが条件』
一緒に連れて行く。その言葉の意味を単純に受け取るとすれば、ロウたちもまた自分と一緒に来てくれるという事なのだろう。確かに、仲間は一人よりもたくさんいたほうが良い。例えそれがヒトであるかそうでないか関わらず。というより、あの晩に見たロウたちの団結力と素早さを見れば、仲間として申し分なさすぎると思う。
でも、リュカには一つ気がかりなことがあった。
『本当に、いいの? 私……まだ未熟、覚悟もないのに。』
こんな、人を殺す覚悟なんて持ち合わせていない自分を信用して、自分についてきて。覚悟も何もない自分が、いざという時に彼女たちを守ることが出来るのか。無理だ。だったら、こんな自分についてこずに、この森で仲間たちといたほうがまだ安全なのではないだろか。
そう考えていたリュカだが、しかし。蒼髪の少女は首を振って言う。
『……私も、まだ長として未熟だから』
『え?』
彼女は、その後色々と教えてくれた。
昨晩、自分と別れ、仲間たちの元に戻った彼女は、自分が負けた事、そして負けたにも関わらず生きて帰ってしまったことを伝えた。また、そんな自分じゃ仲間たちを率いることなんてできないと分かった。だから、この森から去り、翠髪の少女―つまりリュカの事―についていくという事を話したのだ。
しかし、それを聞いたロウの一族の反応は彼女の想像とは違っていたモノだったらしい。
彼女の言葉を聞いたロウたちは、皆彼女と共に森を出ることを決めた。何故、どうして。聞いた少女に対してロウたちは言った。
今は弱くて当たり前だ。自分たちはまだ子供なのだから。大事なのは、生きて帰ってきたことだ。例え負けたとしても、見逃されたとしても、無事に帰って来れた。それは、敗北以上の価値を持つ、と。
だから、今は未熟でも構わない。
そう、自分たちはまだ子供だ。でも、それを理由にしてはならない。長がちゃんとしていなかったら群れは瞬く間に全滅してしまう。そこに、大人も子どもも関係ない。だから―――。
そう言うと、ロウの一匹が言った。
自分たちがそう決めたのだ。自分たちがお前についていくと決めたのだ。例え、それで死んだとしても後悔はない。決めたのは、自分たちなのだからと。
そうまで言われて断る気にはなれなかった。だから、彼女は仲間たちと共にここに来た。彼女と共に、同じ道を歩くために。
『私も未熟。私も、この子たちと一緒にいる覚悟がなかった。だから、私も貴方と一緒に成長したい。この達を従えられる、立派な長になりたい』
『……』
今は未熟でも構わない、か。何だろう、とても自分の胸に刺さる言葉だ。
だが、考えてみるとそうなのかもしれない。最初から完璧な人間なんていやしない。最初から覚悟が整っている人間なんていやしない。もしいたとしたら、それこそ自然の摂理に反している。
自分は確かにまだ覚悟も持っていない未熟者で、半端者だ。でも、今は。である。無論、今はという言葉を言い訳に使うわけじゃない。自分がまだまだ弱い人間であるというのが事実なだけなのだ。
これから自分はどんどんと成長していく。その中で、前世の世界の倫理観とも別れる時がきっとくる。その時が来た時こそ、自分が本当の意味でこの世界に順応したという証拠になるのではないか。
歩こう。覚悟を探しに。共に行こう。この天下取りの道を。最初の仲間である、この子たちと一緒に。
こうして、ロウの一族とその長である蒼髪の少女が仲間に入ったわけだが、冷静に考えてみると蒼髪の少女が自分に従うという事は、ロウの一族の長は自分になってしまうのではないだろうか。と思い、リュウガにそのことを聞くと。
「別に代わることは無い。一族全員を配下に置いたとしても、その当主が変わることは無いのと一緒だ」
とのことである。
確かにそうなのかもしれない。リュウガの前世の織田信長も、配下に多くの武将を従えていた。もちろんその多くが一族まるごと部下として信長に尽くしていたわけだが、だからと言って全部の当主が信長に集中したわけじゃない。それぞれの一族にそれぞれの当主がいたわけだ。
つまり、今回の場合もソレに合致する状況なのではないか。
ということで、長の問題は解決したところで、ここで一つやらなければならないことがある。
「全く、捨て置けばいい物を」
「戦国時代とかはともかく、私の時代だと死者は丁重に扱わないと」
「フン」
リュカがロウの一族とともに最初に行ったこと。それは、その場にあった大人のロウたちの墓を創ることであった。その場所は、洞窟の近くにあった大きな花畑の一角。そこに、皆で一緒にお墓を立てた。
彼の前世であった戦国時代、死体の処理の方法は多岐に渡ったという。聞いた話によるとある時は農民が片付け、ある時は集めて埋められ、またある時は鳥などの動物に死体を喰われて自然に帰ったとかなんとか。その時々によって処理の方法は違うらしい。―――諸説あり。
そして、ついにお墓が完成。黒焦げになったロウ達の亡骸も全てがお墓の下に入った。後は、前世で行っていた死者を弔う儀式をるだけだ。
『よし、ほら。こうやって手と手を合わせて』
『こう?』
リュカは、少女の手を持ってやり方を教えていく。この世界ではどうするのか分からないので、前世でのやり方を押し付ける形になってしまっているが、今は弔うことが大切だ。自分もまた、この世界でのやり方を知ればソレに変えていくつもり。それまではこのやり方で行こうと思う。
『そう、それで目をつむって拝むの』
『何これ?』
『合掌……死んだ者を送る儀式だよ』
『ガッショウ……』
合掌。そして黙祷。前世での様式美だ。その後ろではロウ達がそれぞれに遠吠えを上げて死者の霊に敬意を表している。
リュカは、手を合わせながら心の中で死んだロウたちに語る。
この子たちのお父さん、お母さん。このロウたちは私が面倒を見ます。いえ、一緒に育っていきます。だから、安心して眠ってください。
と。
果たして、それが本当に彼女たちの親に届いたのかは分からない。しかし、形だけでも彼らの魂を見送る儀式をしなければ先に進めない。リュカは例えそれが意味のないことであったとしても彼らの魂を見送りたかった。自分自身で、誓いを、この子たちを守っていくという誓いを立てるためにも。
『さて、行きましょう』
『うん』
リュカは、目を開けると隣にいる少女にそう言った。これでもうこの森でやるべきことは全て終わった。これからまた、次の国へと行く長い旅の始まりだ。
ロウたちのおかげで十分睡眠もとれて今はすこぶる調子がいい。もしかしたら一日両日中には次の国にたどり着くかもしれない。
『あ、でもその前にもう一つ……』
『え?』
一瞬だけ背を向けたリュカは、思い出したという顔で少女に振り向いた。
そう。まだもう一つあったではないか。大事なことが。それは、これから先共に歩む中で必要な物。この森では不必要だったかもしれないが、ここからは彼女のためにも必要な物。
それは―――。
『貴方の名前、どうしようか?』
『名前……』
そう、名前だ。今までは《長の子》であったり《蒼髪の少女》などで識別が可能だったかもしれないが、今後大勢のヒトの中に入っていくこともあるだろう。そんな時に彼女を呼ぶ名前がなかったら不便になる。だから、名前を決めとかなければならないのだ。
リュカは、何か希望はないかと少女に聞くが、少女は少しだけ考えたのちに言った。
『リュカが決めて』
『え? 私?』
『うん』
そういえば 今ここにいる面々の中でヒトにも通じる言葉を使うことが出来るのは自分とリュウガだけ。人が使う名前を付けるとするのならば自分たちが考えたほうが適切なのは当たり前か。
『そっか……う~ん……』
とはいえ、名前付けなんて動物でもしたことがないから困る。ありきたりな名前を付けるのも彼女に悪い。だからと言ってあまり難しい発音の言葉であったとしてもヒトの言葉をしゃべれない彼女には。
何かないだろうか。何か。
「あ……」
その時、彼女の脳裏に浮かんできた。今朝見た夢を、その時に親友から出た言葉を。その言葉を意味するある国の言葉を。
そう、その言葉とは。
「セラ……」
『え?』
「≪ケセラ・セラ≫」
『どう? 意味は、なるようになる。いい名前でしょ?』
ケセラセラ。本来は彼女の世界で作られたとある曲を指し示す物であり、そのような単語はない。いわゆる造語であるそうだ。ソレを彼女が知っているかは不明だが、しかし彼女にとっては幼い頃から親しみのあった言葉であるコレを彼女に与えようというのだ。
「くぇ、せ、ら……」
『言いにくかったら、セラでもいいよ』
蒼髪の少女改め、ケセラ・セラはリュカからもらった名前をヒトの言葉で再現しようとしている。まるで言葉を覚えたての赤ん坊。昨晩の自分のようにも見える。
そして、何度か反復して言った。
『いい名前。ありがとう、リュカ』
『どういたしまして』
二人の少女はそう言うと互いに笑いあう。
こうして、互いにまだ未熟な長同士であるリュカとケセラ・セラ。そして二十数匹のロウという想定もしていなかった面子も加わって、一層面白くなる気配がしてくる天下取りの旅。
だが、この時彼女は思ってもみなかった。というより色々とありすぎてすっかりと気にすることを忘れてしまっていた些細な出来事。
それが、彼女の血筋に、そして出生の秘密に関係する大きなものであるという事を。彼女は知らずに森を去るのであった。
その時、一陣の風が吹いた。新たな旅立ちを祝うような花の匂いがする風が。
リュカが初めて訪れることになる国。
そこは、どことなく見覚えのある法律に民たちが苦しめられる生きるのに窮屈な世界だった。
そこで出会う、二人の女の子。
そして、国の野望に飲み込まれる時、彼女の前に現れたのは。
走れ、リュカ。時間がない。その日、命を繋ぐための試練の幕が開ける。
第3章 【黒い憐れみ、姑息な罠】
その歴史、未来に残しますか?




