第十四話 愚歩
今この時に思う。多分、刀を無くしていなかったら、あの子を殺していたであろうと。
もっと自分が力を付けていれば、心臓を素手で貫いたり、魔力があれば彼女に過剰に魔力を流し込むという手で彼女を殺すことが出来ていたであろう。けど、まだまだ未熟な自分にはそんな殺し方できなかった。だから、あの場で首絞めを選択した。
きっと刀があった場合、何のためらいもなく一瞬のうちに彼女の首を切り落としていた。いや今の自分の実力じゃ致命傷を与えるくらいでしかできないかもしれない。
そして、その後にあの涙を見たら、自分は二度と立ち上がれなかったかもしれない。
あの子供は本当は生きたかった。でも、自然の掟がそれを邪魔していた。負けたのだから、死を選ばなければならないという、なんとも捻くれた物にすり替えられていた。
けど、最後の最後。死を目前として彼女の本心がようやく目を覚ましたのだ。自分は本当は生きたいのだと。本当は、自然の掟なんかに従いたくないと。心の訴えを身体が受け止めたのだ。
結果、彼女は生き残った。自然の掟に反して。
果たして、本当はどうした方がよかったのか。自分の勝手な異世界の常識を押し付け、彼女を生かしてしまったことをいけないことのように思えてしまう。そんな自分に余計腹が立つ。
命とは大事な物。それはどの世界でも、どの国でも同じ事。そこに違いはあるはずがない。でも、もしかしてそれはただたんに固定概念を押し付けられていただけなのか。自分は間違っているのか。この選択でよかったのか。だんだん、自分にとっての正しさが何なのか分からなくなってきた。
「よかったのか?」
「うん、お父さんも、私の意見尊重してくれたんだし、私だって……あの子の意見を尊重しないと」
「そうか……」
途中で合流した父。どうやら彼は自分たちが戦っていた場所のすぐ近くであの戦いを見ていたらしい。やれあの時はこうしたほうが良いとか、あの場面はまずかったとか、随分とダメ出しがされた物の、しかし夜戦の方法を見出したことに関しては褒めてくれた。これが本当の飴と鞭というのだろう。
けど、父に怒られた中で一つ心にぐさりと来たことがあった。
それが前述した彼女を殺さなかったという事。というより、殺せなかったという事。
あんな無防備をさらして、自分から殺してくださいと言っている相手を殺さずに見逃すなんてこと、本来はあってはならない。そもそも、彼女の意見を尊重したという自分の意見でさえも完全に矛盾している。
自分は非情になれなかった。何も知らない女の子を、何も知らないままで殺すことにためらってしまった。それが真実。
なんとも、曖昧な人間であろうか自分という者は。こんな生半可な気持ちで天下統一を目指すと言うなんて。
「ねぇ、お父さん……」
「なんだ?」
この時、リュカは言うつもりだった。もしかしたら、自分は天下統一という欲望を持って旅をするのは早かったのではないかと。人を殺すという事にためらいを持っている。そんな人間が、そんな大それた欲望を持ってもいいのかと。
でも、言えなかった。言う直前で止めた。そんなこと言ってしまえば、全てがなかったことになる。そんな気がして。
リュカは、首を一度振ると、ごまかすかのように言った。
「あの子、これからもっと強くなる。何年かしたら、この森を牛耳っているのかも」
「そんな逸材を放っておくか」
「人間は自然のまま、あるがままの姿で生きたほうが良い。今の私みたいにね」
「フン」
といって両手を広げて回転するリュカの姿を見て鼻で笑ったリュウガは背中を見せながら言った。
「鎧と刀を探してくる。お前は、頭でも冷やしておけ」
そして父は去っていった。父には分かっているのだろう。こんな愚かな自分の考えなんて、手に取るように。
でも、彼女の成長を願っていることは本当だ。いまの彼女は経験が足りていないだけで、いつの日にかはきっと、下手をすれば自分以上の大物になっている可能性がある。だって彼女は持っているのだから。覚悟を。いざとなれば何のためらいもなく殺すという覚悟を。自分の命を賭けることのできる覚悟を。
対して、自分は持っていない。誰かを殺す覚悟も。殺される覚悟も。そんな自分が、彼女を仲間にしようなんて考えたこと自体大それたものだったのかも。彼女の事を見守っていこうと一瞬でも考えるなんて、おこがましいことだったのかも。
「……あ」
その時だ。体中に当たる水の粒。父が朝方に予想していた通り雨が降ってきたのだ。
「雨宿り……しないと」
きっとこの雨はこのまま本降りになっていくだろう。その前にどこか雨宿りできる場所を探さなければならない。リュカは、ゆっくりと雨が降る中を歩いていく。
だが、雨は次第に強く身体を打ち付け、地面もぬかるんで上手く歩けなくなってくる。
横殴りの雨だから、木の下にいても濡れてしまう。昨日のような洞穴か洞窟を見つけなければならない。
だが、どこにもない。歩いても、歩いても、歩いても木ばかりで獣の気配すらない。
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ……」
どれくらい歩いたであろう。十分。二十分。それ以上か。時間の感覚も、手や足の感覚も無くなってきた。もう手先足先は冷え始めているのだ。これ以上歩いてはならないと警告しているのだ。
でも、歩かなければ自分は死んでしまう。体全体に当たる雨は、さらに強く、そして冷たくなってくる。でも、そんな水の感覚がまだあるだけ自分は運が良いのかもしれない。感覚があるだけでも、自分は生きているのだと実感できるのかもしれない。そう、彼女は願ってひたすら歩く。
道のない道をひたすら歩く。次第に目の前が真っ暗になってきた。木や草の魔力も感知することが出来なくなるほど体力が削られてしまった。
でも、歩く。身体を止めるとそのとたんに自分は死んでしまうだろうから。ほとんど感覚のない手で身体をこすり、両太腿をこすりながら。
太腿を流れる暖かい水。けど、それもほんの一瞬で冷たくなってしまった。そのせいで、さらに身体は冷えてしまった。
一度、こけそうになって膝をついてしまう。その時は何とか持ちこたえて立ち上がり、また歩くことが出来た。でも、二度目はないだろう。次に膝を突けば、倒れればもう自分は歩くことが出来なくなる。
歩く。果てしなく、そして終着点のない地獄のような道を。
歯と歯がカタカタとぶつかり合うが聞こえる。グシュグシュとぬかるんだ土を踏み抜く音が聞こえる。心臓の鼓動が徐々に小さくなっていく。鼻水をすする音。なんと汚い音であろうか。醜い人間であろうか。でも、それでも彼女は。
歩。
歩。
歩。
歩。
歩。
どうしてこんなみじめな思いをしてでも生きたいのだ。
誰かが彼女に問うたような気がした。
それは、生きたいからだ。
彼女は答える。
それは答えになっていない。誰かが言った。
彼女は、答えられなかった。
そう。自分には一体何がある。欲望以外の何がある。天下統一というもの以外に何がある。自分が生きることを願って何をする。他人の不幸を喜べない人間が他人を不幸にしかしないことをして、他人の人生を壊して、何を目指そうというのだ。
何を、自分は。
「ッ!」
その時だった。彼女は落ちた。
何も感じ取れない彼女は自分の行く先、足を置いた先に地面がなかったという事に気が付かなかったのだ。だが運の良いことに、落下地点はかなり近かったようだ。それに崖などの急斜面から直下的に落ちたわけじゃない。彼女は躓くように転倒すると、そのままなすすべもなく丸太のように転がっていき、すぐに平らな場所にたどり着いた。
もう、先ほどのように立ち上がる気力も、力もない。しかし彼女がたどり着いた場所が雨は入ってこず、雨風をしのぐのにちょうどいい場所だったのは運が良かった。
だが、例え今雨に当たらずとも体中に付いた雨粒により奪われた体温は戻ってこない。
「寒い、寒い……」
倒れながらも、リュカは自身の身体を丸め、これ以上体温が逃げて行かないように、また温まるように動き続ける。だが、体温は上がらない。いや、それどころか動き続けるのもしんどくなってきた。身体をこする手は徐々に徐々に遅くなっていき、止まるのも時間の問題だろう。
早く何とかしなければ。早く、火をともさなければ。
いや、やめておこう。自分は火を使っちゃいけない人間なのだ。それは、昨夜の事故を鑑みれば分かること。元より火なんて嫌いだったんだ。二度と使わまい。
と、その時彼女は空気を取り入れた時に鼻に抜ける焦げた匂いを感じた。肉が焼けた時のような臭い。それも一体二体の騒ぎではない。もっとたくさん。もっと多くの、焼けた何か。
「この臭い、もしかしてここって……」
そうか。自分は知らず知らずのうちに戻ってきていたのか。昨晩の自分が惨劇を起こしてしまった洞窟の中に。
「ッ、ゴメン。ゴメンね。私のせいで……命を奪う覚悟がない私が、殺して……」
罪悪感が彼女の心の中を埋め尽くす。あの時自分はただ視界を確保するために大蛇の肉に火をつけようとした。でも、自分が想像していた以上に火が大きくなりすぎて、結果ここにいた多くのロウが焼け死んでしまった。
だがあの状況では、本当ならば最初から敵を殺すことを厭わない行動をしなければならなかった。そうしなければ、自分が生き残る手段はなかった。それなのに、自分ときたら相手を殺さずに逃げれれば上出来なんて考えて、それでロウ達を殺してしまった。
彼女の親を、仲間を殺してしまった。
こんな、相手を殺す覚悟もなかったような優柔不断なヒトの手によって殺してしまった。こんな人間に殺されてしまったロウ達がとても不憫だ。
「ゴメンなさい……ゴメン、なさい……」
リュカの目はゆっくりと閉じられていく。疲れによるものなのか。寝不足によるものなのか。それとも、体温が低下したことによって再び死へと向かおうとしているのか。どれかは分からない。
けど、この時彼女は思っていた。
この先、こんな覚悟を持っていない、弱い自分が誰かを殺そうとするのなら。
殺すという意味をはき違えたまま生きるとするのならば。
誰かを不幸にし続けるのならば。
ここで、死んでいたほうが良いのかもしれないな、と。
「もう、なるように……なっちゃえ……」
彼女の目が閉じられる瞬間。彼女は、洞窟の入り口に視た。
たくさんの獣の姿を。
それは、自分が殺したロウの亡霊だったのか。それとも、ただの幻覚だったのか。
それとも―――。
そう、考えながら。
彼女の意識は闇に消えていった。




