第十三話 自然の掟
戦と呼ぶにはあまりにも無茶苦茶。そもそも、それぞれの代表が戦うという時点でそれは戦ではなくただの代表戦であると思う。しかし、失われた命は多い物だった。それが、最終的には二人の一騎打ちによって終わるのだから、これもまた戦の終わり方としては良い物であると考えよう。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
技をかけていた腕を解いたリュカは、その場に背中から地面に倒れ込んだ。というより力を使った反動で身体が勝手に脱力したと言ってもいいのかもしれない。自然の魔力という物は、使っているうちはとても協力的だが、使い終わるとその暴力的な面が牙を向く。龍才開花はそう言った反動を軽減させてくれる効果も持っていたのだ。
だが、自然はいつでもそういう物だ。勝手に使って何の支障もないわけがない。前世の地球でもそうだった。自然を勝手につくりかえたりして、その度に人間は痛い目を見てきた。だというのに、共存するというとても大きな課題を解決できずに今に至っている。まぁ、今の自分が前世の世界のことを考えるのは無駄なことであるのだが。
とにかく、この反動も使っているうちに慣れることだろう。だが、もし慣れたとしても龍才開花によって得られる効果の方が大きいため、これはいわば日常生活において危機に瀕したときに使用する緊急手段としてとどめておくのが無難か。
「う、うぅ……」
と、その時背後に、というより自分の頭の上にいた少女がうめき声を発した。あの場合に出せる技の種類が少なかったとはいえ、脳天から地面に、女の子を叩きつけたのは少々やりすぎただろうか。
「大丈夫?」
反動からようやく解放されたリュカは、横に倒れた少女の顔の前に膝をついて座って声をかけた。どうやら、頭から血は流れていないようだが、見えない部分で血管が切れている場合もある。それにしても、今までマジマジと見れる時間がなかったために初めて彼女の顔をじっくりと見るのだが、何だろう。とても可愛い。妹を思い出す端麗な顔立ちをしていた。
もしも、この子が厄子ではなく、そのまま大人になっていたら、とても美人で男たちの視線を集めていたことだろう。こんなかわいい子ですらも捨ててしまう厄子という風習、やはり根絶すべき。
いや、異世界の人間である自分の考えをそのままこの世界に当てはめて無理やり変えようとするなんて、悪しき人間のすること。世界じゃない、自分たちが変わらないと。少なくとも、それがこの世界の常識であるとするのならば。
「あ、そっか……分かんないん、だよね……」
と、ここでリュカは人間の言葉が彼女には分からないという事実に気が付いた。というよりそもそもこの世界の言葉はリュウガに教えられてからは他人と話す機会がなかったために本当にそれで話すことが出来るのかも分かったものではないから、例え話すことが出来ていたとしても。
『い、痛い……』
「え?」
イタイ、今痛いと聞こえた。この女の子が話した。いや、絶対にそうだ。リュカは、恐る恐る聞いた。
『痛い、の?』
『うん……でも、大丈夫』
少女は首をゆっくりと縦に振る。不思議だ。本当に彼女の言葉の意味が分かる。
いや、それどころか、自分もまた彼女が理解できるように言葉を話しているではないか。とてもたどたどしくて、言葉を覚えたての赤ちゃんがしゃべっているようにゆっくりと、一単語ずつだがしかしちゃんと彼女は理解してくれている。
「そういえばお父さんも森の中の獣から話を聞いたって……龍神族の特性みたいなものがあるのかな?」
考えてみれば、リュウガは森の獣たちから彼女の情報を仕入れてくれていた。それは、彼もまた獣の言葉を理解し、話すことが出来るからに他ならない。
この自然の中何年も獣たちの中で暮らしていた彼女。意思疎通のために獣の言葉を使用できるようになっているとするのならば、そして自分もまたリュウガから獣と会話を取れる能力を受け継いでいるとするのならば彼女と話すことが出来るのかもしれない。
「よし、もうすこしコツをつかめれば……」
『貴方、名前、何?』
リュカは、一語一語ずつ丁寧に、間違えることのないように彼女に伝える。別に意識的に言葉を変えようとしているわけではない。彼女に言葉を伝えようと考えたら自動的に言葉がソレに代わっている感じなのだ。
『名前、ない……』
『ない?』
『うん、私、長の子……』
『そっか、そう呼ばれてきたんだ……』
名前のない子供。そもそも彼女は赤ちゃんの時に親に捨てられてこの森に来た。名前なんてあるはずがない。あっても覚えているはずがない。
この森の中で暮らす中で名前なんて物必要ない。あるのは、人間だけなのかもしれない。個人を認識、識別する手段の一つとして必要な物だったソレだが、野生の中ではそんな物必要ない。
そんな物なくても分かるから。誰が誰なのかを、よく知っているから。人間のように服や髪型を次々と変えたり、また多種多様な存在と暮らす中で変容していく性格をいちいち識別しなくてもいいから。
『私、リュカ、よろしく』
『……』
だから、この自己紹介も意味をなさない。そんなことしても彼女には返す名前も存在しない。でも、それでも彼女には覚えておいてほしかった。
『私、貴方の、両親、仲間、殺した……』
己が、彼女の仲間たちを殺した犯人であるということを。
きっとこの少女は恨んでいる。自分の事を、殺したいほどに憎んでいる。そう考えていたから。自分だってそうなのだから、けど、帰ってきた言葉は彼女にとってとても意外な物だった。
『リュカ、悪くない』
『え?』
悪くない。自分が。何故そう思うのか。彼女は続ける。
『強いのが生きて、弱いのが死ぬ。自然の掟』
それは、彼女もまた父から教えられた言葉だった。まさしく、弱肉強食の理。そうか、彼女はそれを知っていたのか。彼女も知っていたのか。だが、知っていたからと言ってそれを実践できるその精神力はおそらくたぐいまれなる物であろう。
もちろん、復讐すること全てが良いことではないし、悪いことでもない。親しい人間を殺された恨みというのは決して生半可なことでは解決することのできない大きな問題である。
きっと彼女も考えたはずだ。それが掟だからと言って守る価値があるのかと。第一、自分だってその掟のせいで、風習のせいでこの森に置き去りにされた。それなのになお掟という物に縛られる彼女。
対して自分はどうだ。厄子という風習に対して憎しみを抱いて、その風習をなんとかしてぶち壊そうと考えてしまった。本当はそんなことをしても無駄なのに。そんなことをする権利なんてないのに。
『そっか……強いね、貴方』
だから、その点だけ見ると彼女は強くもあり、そしてかわいそうでもあったと言える。そうリュカが確信したのはその次の言葉を受けてからだった。
『だから、私も、死ぬ』
『……私に負けたから?』
『うん……』
弱肉強食。自分は目の前にいる女性に負けたから弱い生き物。だから、自分は殺されても仕方のない生き物だ。掟に縛られた彼女は、自分の命をただ負けたからという理由だけでリュカに差し出そうとしていた。なんと愚かなことであろうか。
『覚悟は、してる。早く、殺して』
『……』
覚悟、か。この戦いで負けたら自分は死ぬ。死んでもいい。そんな覚悟を持ってこの戦いに臨んでいただろうか。臨めていたであろうか。
否。答えは、否。
自分は勝つことしか考えていなかったのではないか。この戦いで死ぬなんてこと微塵も考えたこともなかったのではないか。
戦いに勝った今となっては、戦いに臨むときに考えていたことなんてとうの昔に失くしてしまっている。だから、実際にあの時自分が何を考えていたかなんてわからない。だからこそ言える。
彼女は、とても愚かな生命体であると。
自分の死を望む生き物がどこにいる。切り裂いてもらうために敵に首を差し出す生き物がどこにいる。人間にしろ獣にしろ植物にしろ虫にしろ、生きているのならば最期の最期まで生にしがみつくのが生き物ではないか。なのに、何故死を望む。
許せない。許せない。許せない。
『分かった……』
『……』
もういい。そんなことを望むのなら、そんなに死を切望するのなら。
私が、貴方の、命を、奪おう。
その宣告にも、彼女は動じなかった。本気だ。本気で覚悟しているのだ。死を。
そんなどうしようもない者を生かしておく価値なんてない。
この時の彼女の心は、正真正銘怒りに震えていた。怒りの赴くままに行動していた。冷静な自分だったら、優しく説得するところだろう。前世の、人殺しが犯罪だと知っていた彼女だったらこんなことはしないだろう。
でも、今は違う。ここは異世界で、法律の所在が曖昧の森の中。きっと、彼女を殺したとしても自分を裁ける者なんていない、かもしれない。今の自分には人を殺す力は十分にある。刀はあいにくどこかに置いてきてしまってないが、その首を両手で絞めれば、子供の首の骨なんてへし折るのは簡単だ。
どうせいつかは人殺しになるんだ。だったら、最初は自分が助けたいと願っていたこの子でもいいかもしれない。そんな子供を殺せば、自分は戦場で殺し合いをすることが出来るかもしれない。
だから、この子を、殺す。
殺して、救う。この、世界の、自然の、掟から、理から、救えるのは、自分だ、け。
『……』
そう決意したリュカの手が、少女の首にあてがわれた。
これでいいんだ。そう、少女は心の中で思っていた。
負けた自分は、ただ死を受け入れるしかない存在。自分は負け、相手が勝った。ただ、それだけの話。どうせ負けた自分にはもう帰る場所も、仲間もいないのだから。
仲間たちの元に帰っても、きっとこういわれるだろう。
≪何故、負けたお前がのこのこと帰ってきたのか≫
と。負け、すなわち死。だから、負けた自分が生きているのはおかしいのだ。
だから、どうせここで見逃されても、自分は仲間たちの所には帰れない。
仲間たちの所に帰れないのなら、自分に居場所はない。
父や母を失い、帰る場所や仲間を失った自分が、どう生きる。こんな異物である自分を受け入れてくれる場所、他のどこにある。
あるはずがない。決して。なら、もういい。もう、潔い死を選ぼう。それがきっと、昨晩死んだ両親や仲間たちへの良い土産になるだろうから。
自分はまだ運が良い。獰猛な獣に殺されるならまだしも、かつての自分と同じヒトに殺されるのだから。もし獣に殺されていたら、その身体はズタボロに引きちぎられ、たくさんの獣の餌にでもなっていたであろうから。
自分が差し出した首に手を置いた少女。冷たくて、でも力強い手。それで自分の首を絞めれば、一瞬で死へと導いてくれることは間違いない。
少女は心の底から彼女に感謝をしていた。自分の命を奪ってくれてありがとう、と。
自分より強い者と真っ向から戦って、死ぬのなら悪くはないと。
ロウとしての一生に、悔いはないと言えば嘘になる。自分のこれからの生涯に、生きたかったという願いがないとするのならば嘘になる。
でも、仕方がないのだ。負けたのだから。もう、居場所がないのだから、自分に、生きる、意思が、ないのだから。
だから、だから、だから。
『私、貴方、殺さない』
『え?』
リュカは、少女の首から手を離した。
何故、どうして。そんな少女の質問に、リュカは言う。
『涙、流してる。本当は、願ってる、死にたくない』
『え……』
涙。とはどういう意味か。少女は自分の顔を触った。するとどうだろう。確かに自分は涙を流していた。それも一滴や二滴、ごく少量じゃない。大粒の、滝のように流れてくる涙。なんで、自分はそんな物を流している。何故、それを見て自分が死にたくないと願っていると思っていると感じたのだ。
死にたくない。本当に、自分は、死にたくないと願っているのか。もしそうだとしたら。もしも、掟に反して生きたいと願っているとするのならば自分は。自分は、自分は。
何なのだ。自分は。
掟に反し、負けても、それでも生を渇望する自分はいったい何なのだ。負けたことが悔しくて泣く自分は、一体何者であるのだ。本当に生きたいのか。彼女は自分に問いかける。
生きたい。
生きたい。
生きたい。
心の中にいる自分は皆応える。
生きたい。
生きたい。
生きたい。
死ぬべきだと答える者は誰一人としていない。そう、生きたいのだ。自分は。いつだってそうしてきた。生きることを諦めた事なんてただの一度もなかったのに、何故ただ負けただけで死を望んでしまったのか。
自分は、生きたい。生きて後悔をしない一生を終えたい。自分の未来を、やりたいことを見つけたい。
やりたいこと、それは何だろう。
ロウの一族から離れて、それで自分がやりたいこととは、一体何なのだろう。
分からない。この森で暮らすことだけが自分の運命であると信じていたから。それ以外を考えた事なんて何もなかったから。
分からない。分からない。分からない。
『私、貴方、仲間にする』
『仲間?』
リュカは、そんな彼女の心を知ってか知らずか、彼女に道を示した。
『そう、私、野望、ある。天下統一』
『テンカ、トウイツ?』
『そう、貴方も、ついていく』
自分の、天下取りという欲望への誘い。こんな幼い少女を誘って何をしようとしているのかと、思うがしかし、この子は放っては置けない。こんな、小さな小競り合いで負けただけでも死を望んでしまうような女の子をこの場所に置いていくことなんてできない。
それが、彼女の仲間や両親、そして彼女の望んだこともしてやることができなかった自分の罪への償いと信じて。
『どう?』
天下統一。よくわからない言葉だ。だが、何か心が引かれる物があった。このヒトが望んでやろうとしていることなら、きっと自分なんかが想像することもできないすごいことをやろうとしているのだ。
でも。
『……私、いけない。私、新しい長……あの子たちを放って、いけない』
例え、仲間から追放されるかもしれないと分かっていても、それでもずっと一緒に暮らしてきた仲間たちを放っておくことなんて彼女にはできなかった。
長じゃなくても、なんでもいい。仲間たちと一緒にいたい。だって、あのロウたちは皆家族だから。家族と、また別れるのは辛いから。
随分と早く心変わりする物だと思う。でも、生きたいという願いを自覚したら、何だかそんな侘しい考えが浮かんできてしまうのだ。そんな小さな欲望も思い浮かんでしまうのだ。
『そっか……分かった。また、いつか、戦おう。バイバイ』
「……」
リュカは、立ち上がると少女に向けて手を振りながらその場から立ち去る。少女もまた、リュカの真似をして手を振った。その意味はよく分からない。でも、その行為を続けていると、なんだか心が温かくなるような。そんな気がしてならなかった。
『バイバイ……』
少女は、リュカの背中に向けていつまでも振っていた手を、彼女がいなくなるまで振っていた。名残惜しそうに。そして、その手を見るとつぶやいた。
もし自分が仲間たちから追放されたのなら、きっと。貴方と一緒に。
月はまた雲に隠れて、二度とその姿を見せることは無かった。




