第十二話 野生の勘
まさか、本当に避けることが出来るなんて思ってもみなかった。こういうのを、青天の霹靂というのだろうか。今は夜空だが。
蒼髪の少女の攻撃は、自分の顔のわずか数センチ先を通り過ぎて行った。驚きによって生じる一瞬の脱力。瞬間、リュカは自分でも考えていなかった行動に出ることになった。
「ッ!」
「うッ!!」
蹴った。自分が、彼女の事を。ずいぶんとヒドイ体制だったが、しかし攻撃は攻撃。この戦いの中で彼女が明確に蒼髪の少女に与えた初めての一撃だ。
蒼髪の少女もまた、敵が攻撃を避けた事に驚きを感じていたのだろう。何の抵抗もすることなく無防備な左わき腹に攻撃を受け、小さく息を吐きだしてから吹き飛ばされた。
「今のって……」
なんだ、今のは。自分が避け切れたことだけじゃない。その後のあの攻撃。あんな行動、自分でもするつもりなかったのに、気が付いたら足が出ていた。それにその攻撃自体も妙だ。
威力がありすぎる。ただ普通に蹴っただけだったのに、少女は五メートルくらい吹き飛んでいった。
そんなに強く蹴った覚えもないのに。というより、蹴っただけでそれだけ吹き飛ぶことになるなんて、前世の格闘家よりも強いのではないだろうか。
この威力、まるで≪龍才開花≫の時に魔力を足に集めた時のソレとよく似ている。しいて言うなら、ソレのやや威力が弱いというのがあるのだが、しかしそれでも十分の力がある。
当然、自分はその≪龍才開花≫を使ってはない。それなのに、この威力。一体自分に何が起こっているのか。
「何、今の身体に抜けた暖かいのは……」
おかしなことはそれだけではない。彼女の攻撃が来る直前。何かが自分の中に入ってきたような感覚がしたのだ。下半身がゾワゾワとした尿意に似た物。そういえば、と彼女はかつてリュウガから聞いたことを思い出した。
この世界のヒトには魔力を貯蔵する器官があるのだとか。その器官はとても小さくて目には見えない、空にうかぶ小さな星のようなものだと。
その器官は、どうやら人間の膀胱の近くにあるらしく、また内部だけでなく外部からの魔力にも敏感に反応する。そのため、もしも相手の魔力量が自分の何倍もあったならば、魔力を貯蔵する器官が刺激され、その刺激は膀胱にも伝わり、無意識のうちに漏らしてしまうことになるのだとか。
つまり、自分が初めてこの世界にやってきたときに漏らしてしまったのはリュウガの魔力が圧倒的だからだったというわけだ。ソレを聞いた時、彼女は前世でとても怖い目に逢った人間が漏らすという光景を思い出していた。アレも同じ原理なのかもしれない。
こと今回に関しては、それほど大きな魔力量じゃなかった上ため漏らすということはなかったし、それに昼間の奇行の際十分に―以下略、何も言うまい―。
あの魔力は一体何だったのか。彼女の魔力か。いや、あの感覚はどちらかと言えば―――。
「月が……」
その時だ。ついに月が隠れてしまった。もう、これで自分は彼女の姿が見えない。
見えない、はずなのに。何故だろう。後ろにいる。彼女は、今まさに自分の事を狙おうとしている。
「ッ!」
リュカはその攻撃を、バク宙をすることによって避けることに成功した。もうこれはまぐれとか偶然じゃない。自分は分かるのだ。彼女の位置を。彼女の攻撃を。そしてどのようにして避けるのかを。
「分かる。何かが乱れている……そこにいる!」
リュカは地面に着地するのと同時に地面を蹴る。そして、暗闇に向けて拳を突き立てた。
「はぁぁぁぁ!!!」
皮膚を伝わる嫌な軟らかい感覚。木や石と言った硬い物じゃない。これは、まぎれもなくヒトの皮膚を殴った時の感覚だ。けど、これで終わりじゃない。直撃したわけじゃない。
蒼髪の少女は、リュカの攻撃に合わせて身体を回転させることによってその衝撃を和らげていたのだ。彼女は自分の姿を認識できるとは言え、背後から近づいてくる自分の姿を見た瞬間にそのような芸当を思いつくとは、ここまで来ると彼女の戦闘技術は自分の想像よりも高いのかもしれない。
確かに直撃には至らなかった攻撃だ。けど、ことここに至り、戦いの流れは大きく変わろうとしていた。
なんだ。この景色は。まるで昼間であるかのように蒼髪の少女の位置が分かる。いや、少女だけじゃない。木や、地面に生えた草。小さな石に至るまで、淡い光を自分から放っているかのように目に映っている。
あの一瞬で何が変わったというのだ。あの一瞬。自分の中に魔力が入り込んできたあの一瞬。何か、なんだ。何かとは。
知っている。自分はあの感覚をあの温もりを知っている。
どこだ、どこで感じた。どこで味わった。そう、あれは、あの力はいつも自分が感じている物。
「魔力!」
その時、リュカは思い付いた。もしかしてこれは、空気中に漂っている魔力が原因なのではないかと。
以前話したように、この世のすべての物質には魔力がこもっている。木にも、土にも、石にも、空気にも、そして風にも。龍才開花はそう言った自然に存在している魔力を少しずつ分けてもらう魔法である。
もしかして、今自分は疑似的な龍才開花の状態に入っているのではないだろうか。
いや違う。正確に言えば魔力を吸収し利用するのではなく、自然の魔力と共存している状態なのではないだろうか。
例えば、自分が最初に彼女の攻撃をよけた時。あの時自分はいつも以上に身体をそらしていた。あれは、彼女が下から上へと攻撃するときに巻き上がった風の中に入った魔力が自分を押してくれたからではないか。
その後の攻撃もまた、その風の魔力が後押ししてくれて威力が上がったのかも。
だがなぜだ。なぜいきなり自分はそのような芸当をできるようになったのだ。
まさか、これがご都合主義というもなのか。前世の世界でよく目にした、あの主人公補正というものなのか。
いや違う。これは必然の奇跡だ。自分にはわかる。なぜそのような能力が目覚めたのか。
おそらく、無防備な体で自然の魔力を大量に浴びたから。
昼間、裸で森中を走り回ったり、体全体で心地のいい風を感じたりした。自分はあの時間違いなく野生だった。
野生の、ヒトという動物として森の中を生きていた。わずか半日の間の出来事、でもそれだけの時間自分は自然に帰ることができた。そのおかげで身体全体で魔力の流れ、魔力の波を感じる勘のような物が覚醒したのではないか。
そして、その最後の一押しになったのが彼女の下から上へと至る攻撃。あれを、魔力の貯蔵器官のすぐ近くから受けようとして自然の魔力が巻き上がったこと。それにより、自分の身体の中を自然の魔力が刺激し、同期したのではないか。すべては、あの奇行は自分の新しい能力を覚醒させるための布石だったのだ。
もちろん、あんな奇行もう二度としたくはない。だが、もし本当にソレのおかげでこの能力が目覚めたのだとするのならば、昼間のおかしくなった自分に感謝しなければ。
(注意)なお、これはリュカさんの仮説であり、全てのヒトが裸で森中を半日間走り回っただけで同じ能力が手に入るとは限らないためご了承ください。魔力の貯蔵器官と自然の魔力が同期したというのも裏付けのない妄想のようなものなので、実際に試してみて成功した人がいれば著者にご一報ください。
「ッ!」
「ハァッ!!」
蒼髪の少女は、飛びあがると周囲にある木を足場にして縦横無尽に動く。リュカが自分の姿、自分の居場所をわかるようになったことを直感で感じてかく乱するために動き出したのだ。
今の自分にはわかる。彼女もまた魔力の波に乗っているのだ。彼女もまた自分と同じく。否、自分よりも長い間野生に帰ったヒト。死という危険と隣合わせに生き、明日も生きれるかどうか分からない。その中で生きてきたその熟練度は自分をはるかに凌駕するものだ。そこに、彼女のもともとの身体能力が加われば自分よりも強い理由としては合理的だろう。
「確かにあなたは強い。確かにあなたは私とは違う。生きてきた過酷さや、お父さんが強くて安心感しかなかった私とは違う。でも……」
でも、だからと言って負けることは認められない。勝つことを諦めない。それは、この戦いが始まって。いや、旅が始まってずっとずっと彼女の心の底にあった強い願い。
そして、その願いは。
「私だって、貴方と同じくらい生きたいっていう欲望は、持ってるよ……』
「!」
リュカは、右から飛び掛かってきた少女の手を軽々と掴むとそう言った。
生きたいという欲望。持っている。今、そう聞こえた。蒼髪の少女はどういうわけか、リュカの言葉を理解することが出来たのだ。
けど、なんだ生きたいという欲望とは。そんな物、あって当たり前じゃないか。ない者が生きているわけないじゃないか。そう、当たり前の事だったのだ。ごく普通の、≪自然≫の願いだったのだ。
でも、リュカは忘れていた。それは彼女は、この世界にとって異物であったからだ。この世界の日常は、彼女にとっての非日常だったから。
だから、自然も自然じゃない。巨大な獣や、石でできた怪物に襲われる経験は、彼女にとって人生で初めて味わう非日常空間の中にあった。
だから、彼女は何か違和感のようなものを感じていた。自然という物がなんであるのかを忘れていた。けど、彼女は思い出した。自然の中に自分を、かつては自然の中にいたヒトと同じ姿になることによって。
『私も、自然の一部だから。私も、貴方も……皆、この世界に生まれた自然物質の一つだから』
「ッ!」
蒼髪の少女は、昨晩腕を掴まれた時に投げられたことを思い出した。このままでは昨晩の二の舞になる。
そうはさせるかと、少女は身体を捻らせて腕から逃れ、すぐに背後に飛びのいた。だが、これも全て想定されていたことに過ぎない。
先ほどまでであったのならば、捉えることのできなかった彼女の動き。しかし、リュカは、すぐさま魔力の波に乗って蒼髪の少女の背後に回り込んでその身体に両手を回して掴んだのだ。それは、あたかもリュカが少女に抱き着いているようにも、そして彼女を優しく包み込むようにも見えた。
『暖かいね……』
『え?』
その突然の言葉に少女は困惑した。生死を賭けて戦っているというのに、なんてのんきなことを言うのかと。
だが、事実だった。暖かい、温もりを感じる。彼女の来ている毛皮だけじゃない。彼女自身の体温もまた、生身の身体で抱き着いているリュカにとっては、羽毛布団に包まれているかのように繊細で、心が満たされる。
体中を伝う、毛のちくちくとした痛みも関係ない。とても愛おしい彼女の暖かさに、前世で抱いた妹の暖かさを感じるリュカ。これが、母性という物なのか。これが、愛くるしいという物なのか。とても懐かしくて、そしてとても心に訴える感情だ。
この少女を守りたい。この少女と一緒に生きたい。この少女を見守っていきたい。そんな保護者のような欲求を感じ取るリュカ。
「どうりゃぁぁぁぁ!!!」
「グェァッ!」
が、それとこれとは話が別である。
リュカは、彼女の腹部に回した腕をさらに下にして腰を掴むとそのまま持ち上げる。自身は、身体を海老ぞりにしてブリッジの体制を整え、少女を勢いよく頭から背後に叩きつけた。
瞬間、少女の口から今まで聞いたことのないような、自分自身も出したことのないような声を発してしまった。
これは、ジャーマンスープレックスという、彼女の前世の世界のとある競技の中の技の一つであり、技を決めた直後、その形が綺麗な曲線を描くことからとある別命も付け加えられている程見栄えのいい、そして相手を倒すのにとても有効な必殺技である。
その技を決めた直後、まるで図ったかのように彼女のいる場所にだけ月明かりが差した。全く切れる様子のなかった雲が、その一瞬だけ、その技を自然の世界にいる獣たちに見せるかの如く彼女の雄姿を照らし出したのだ。
美しい。その技をかけた二人の姿は、まるで絵画のようにさまになっており、その絶美な姿は見る者の目を奪わせた。
この戦いを暗闇からリュウガと共に見ていた一匹のロウは言う。
この時、自分たちの長が致命傷たる一撃を受け、本当はうろたえなければならないはずだった。だが、彼女のその姿があまりにも壮麗であったことで、そんなことを考えている余裕なんてなかった。と。
彼女の身体が作り出した曲線も美しいが、何より彼女の身体全体が美しかった。フクという身体の形をおかしくするような雑多な物は全て取り払われた彼女自身の、どこを取っても身震いできる程に整った肉体。まるで、彼女自身が光を放ち続けているかのように煌びやかとしており、時が止まって理うのではないか錯覚できるほど、ロウはその目を奪われてしまっていた。
この戦いの中で、明確に攻撃が当たったと言えるのは、この一撃のみであった。だが、全てはその一撃でケリはついてしまった。
何度も危険な場面があり、羞恥心が大きく削られることもあった。だが、リュカはついに初めてのヒトとの戦いに勝利することが出来たのだ。
因みにリュカは、見よう見まねでよくやれたものだと後に回想しており、自分にも見せてとこの話をした人間たちに乞われたが、その度に断っている。理由は。
≪またやってあんなにきれいにできるか分からないし、人前でやるのは、やっぱり裸であんな姿さらすのはね……あんなの、徹夜明けじゃなかったらしなかったかな……≫
だそうである。何故服を脱いでやる前提であるのかは不明である。




