第十六話
「ん……ここ、は?」
気絶から回復したヴァーティーが身体を起こすと、すぐそばにいた一人の女の子が声をかけてくる。
「気が付いたみたいね……」
誰だろう。見知らぬ少女だ。いや、彼女だけじゃない。自分の周りには、他にも数多くの女の子の姿。灯は、たった一つの吊り下げられている蝋燭にともった火だけだが、しかし感覚で分かる。三十、いや四十人程いるだろうか。
それだけの人数が部屋の中にいると言うのに、全く狭く感じないし壁が暗闇の中に隠れてしまっているのは、ソレだけその部屋の空間が広いことを暗示している。
「……」
ヴァーティーは、声をかけて来た少女に返事をすることなく、その部屋の中を歩き回って自分が置かれている状況の把握に努めることにした。
そもそも、どうして自分がこんな殺風景な部屋の中にいるのか。いや、全ては自分の責任か。
自分が守れる強さを求めて自らも守れなくしてしまったが故に起こった、必然の敗北。一瞬の隙を突かれ、身体に魔力を流し込められて昏睡状態にされた。なんていうくだらない理由なのだろうか。まるで三下のような捕まりかたをしてしまって、自分で自分を貶したくなってくる。
いや、今はそんなことを考えている暇はない。今自分がすべきことは状況把握。ヴァーティーは、自分自身にそう言いかけながら、その部屋の中を歩き回った。結果、分かったことは以下の通りだ。
その部屋の天井までおよそ五メートルと言ったところ。四方を正方形の煉瓦造りの壁で囲まれていて、一か所だけ穴のようなものがあった。その穴の向こうは、いわゆる滑り台状になっていて、人一人が通れるくらいの大きさがある。この穴を使えば上に出られるのではないだろうか。そう、考えたヴァーティーはしかし、思考が言葉に出ていたのだろう。最初に彼女に声をかけて来た少女に言われる。
「無駄だよ。その坂は魔法で絶対に上に昇れないようにできているから、そこから脱出しようなんて考えない方がいい……自分の死期を早めるだけだよ……」
そう言った少女の瞳は、光が消えていた。まるで、この世のすべてに絶望しきったような顔をして、体育座りの格好の黒髪の少女に、ヴァーティーは目線を合わせて言った。
「私の名前はヴァーティー、貴方は?」
「こんな状況で自己紹介? 随分と余裕だね……」
「えぇ、本当馬鹿みたい……」
自分が、決して外に出ることができない。そう分かったからなのか、それとも、絶対にリュカたちが助けに来てくれるという、上っ面だけの自信があったのかは、今となっては分かるはずもないが、しかし彼女の自嘲するような言葉に、少女は答える。
「私はリブロ。短い付き合いだけど、よろしく」
と。
「短い付き合い? それってどういう事?」
「……売られるのよ。私たちはこの裏競売で」
「え?」
聞くに、彼女たちは元々この国の住人と言うわけではなく、この国からかなり遠く離れた別の国で生まれ、過ごしてきたらしい。
天涯孤独が故に他の多くの子供たちと一緒に教会でお世話になっていて、それこそ、姉妹のように仲良く育ったという。
なんだかどこかで聞いた話のような気もして親近感すらも覚えてしまう。が、この世界が世界であるためにそう言った似たような事情を持った人間が自分たち以外にも山ほどいてもおかしくはない。そう、その国から受けた境遇もまた、同じく。
「私たち姉妹は、皆……教会に、国に売られたの。財政破綻って言ううんだっけ? 他の国に借金をしててそれで首が回らなくなって、私たちみたいな天涯孤独で死んでも誰も文句を言わないような女の子たちを国は売ってッ」
その瞬間、リブロの目が潤んだような気がした。いや、それも当然だろう。なぜなら彼女は国に裏切られたのだから。その献身ぶりにはいくらか差異があるだろうが、自分にも経験がある。国によって捨て駒のようにされ、人間としての普通の生活も送れなくなってしまった。そんな経験が。
だから、彼女も悲しかったのだろう。悔しかったのだろう。やるせなかったのだろう。怒りで、我も忘れていたのだろう。その唇からは、噛みしめすぎて流れ出した血の痕跡が見える。
「という事は、ここはいわゆる……裏競売の控室みたいなもの……ってこと?」
「えぇ、そうよ。もうすぐしたら私たちの番。昨日別の部屋にいた女の子たちが連れていかれる声がした。『嫌だ』『助けて』って叫ぶ声が聞こえて来た。私たちは何もできなかった。ただ次は私たちの番なんだって思って、恐怖して、ただただ足を竦めるだけだった。怖くて、何もできなかった。震えるだけだった。いやだいやだいやだって壊れた人形のように何度も何度も何度も」
「もういいわッ」
「ッ!」
「もう、いい……」
と言うと、ヴァーティーは、リブロの身体を抱きしめた。彼女が感じた絶望。死が近くに寄ってくる絶望は、言葉に出すだけじゃ決して拭いきることができない程の恐怖。それをこれ以上言葉として表すだけじゃ、なにも解決しない。ただただ彼女の恐怖心が増大していくだけ。
それを、これ以上見ることが、ヴァーティーにとってはつらかった。
「貴方の姉妹は、もう、連れていかれたの?」
「いいえ……運よく全員この部屋の中……だから、連れていかれる時も一緒……売られる場所は、違うだろうけど……」
「そう、それは……」
良かったわね。そんな言葉、口が裂けても言えなかった。そんな物、幸運じゃない、ただの不幸の積み重ね。目の前で裏競売に連れていかれる姿を見せられて、目の前で競りにかけられていく姉妹たちを見ていく。そして、最期には―――。そんな不幸以上の絶対的な不幸が、一体どこにあるだろうか。
この部屋に希望はない。あるのは、明日には自分の命が無くなるのではないかと言う不安と、これから行われることになる狂乱への恐怖。そんな悲しみが詰まった部屋の中で、ヴァーティーは言う。
「私には、仲間がいるの」
「え?」
「……突然何? って思うかもしれないけどね……その仲間たちが来てくれるって、私、信じているわ」
こんな言葉、希望にも何にもなりはしない。そう、ヴァーティーも知っていた。現に、リブロはやはり、目に闇をともしながら言った。
「無駄よ。ここはニカムリバの地下深く。誰も見つけることができないような場所にあるこの部屋を、競売場を見つけ出すことなんて……」
「それでも、私の仲間たちだったらできる。それしか……今の私にできる事はないから……」
と言いながら、ヴァーティーは右腕にはめているリストバンドを見つめた。そう、自分と違ってリストバンドの力を自由に扱うことができるリュカたちなら、きっと何とかしてくれる。
妄信だと言われてしまえば、その通りなのかもしれないが、しかし魔法も使えない、その辺を歩いている女の子と同じ力しか出すことができないような今のヴァーティーにできる事は、本当にただそれだけの事なのだろう。
皮肉なものだ。自らの魔力を強化するための力で、自分自身の行動を制限してしまうなんて。そして、それを自由に扱える人間であるリュカたちに助けを乞うなんて、何たる自業自得で自分勝手な行いであろうか。
もしかしたら、この部屋の中で一番絶望していたのは、ヴァーティーだったのかもしれない。自分自身で助け出す手段を何も考えず、仲間が助けに来てくれることをただ待ち望むことを選んだ敗北者。だったのかもしれない。
その、瞬間である。
「え?」
「どうやら、追加の商品が来たみたいね……」
一人の女の子が、先ほど自分が言った滑り台状になっている穴の向こうから現れたのである。どうやら、その穴は商品、つまり競売にかけられる人間の事であるが、ソレをこの部屋の中に入れるための穴であったようだ。貴方もあの穴から落ちて来たのよ。そんなことを言うリブロをよそに、少女に近づいたヴァーティー。
「ッ!」
刹那、彼女は心臓発作にも似た驚きと共に、眩暈を感じた。
「あ、さ、か……?」
それは、自分が知っている、見知らぬ人間だったから。




