第十三話
カシャ、カシャ、カシャ。規則正しく統率よく、そして規律のいい軽快な足音が響き渡る。
ニカムリバの国に夜はない。今もこうして見回っている中でも、主に仕事帰りの男たちがいろんな肉を肴として酒をあおっている。いつも通りの風景だ。まさか、昼間にあんな事件があったなんて誰一人として知りえることはないだろう。
ニカムリバ特別料理騎士隊副隊長のリーゼは、そう考えながら見回りを続けていた。その背後には、彼女の側近たる人間数人を連れて、酒に酔って暴漢となってしまった人間たちを、はたまた酔った勢いで危ないものを振ったり投げたりしている人間たちを取り締まっている。それが、彼女たちの夜の仕事。
それにしても、今日は妙に物ものしい雰囲気だ。まるで、昨日までのニカムリバとは違う、どこか空虚な面持ちを国に感じてしまう。いや、それもそうだろう。
知られてしまったから、この国の秘密を。暴いてしまったから、この国の本性を。知られてしまったから、この国に来た客人に。きっと、彼女たちは二度とこの国に来ることはないだろう。あんな惨状を知ってしまったら、こんな国立ち寄ることも憚れるだろう。残念なことだ。
彼女たちは、聞くところによるとこの国の料理をとても賞賛していたそうだ。特に、この国きっての料理人であるクランの料理に舌鼓を打つ様子は、これからも常連としてこの国に来てくれること間違いなしとクランの娘から太鼓判を押されていたらしい。
だからこそ、惜しいことをしてしまった。彼女たちほどの逸材を逃してしまうなんて、彼女は、そう考えながらある一軒のお店の方へと足を向けていた。
「副隊長、どちらへ?」
「クラン上級料理長のところに行く。色々と話を聞いておきたいからな」
「ハッ!」
リーゼは、ただそれだけを言うと共周りの人間たちをお店の前に残して、クランのお店、リュカたちが昼間に立ち寄ったあのお店に足を踏み入れた。
「誰かしら? 残念だけど営業時間は……」
「私よ、クラン上級料理長」
「……」
その言葉を発した瞬間、こちらに背中を向けて何かの作業をしていたクランは一瞬だけ止まった後に、笑顔で振り向いて言った。
「あらあら! リーゼ副隊長様、こんな夜更けにどうしたの?」
「いや、ちょっと見回りの途中で疲れて……水をもらえませんか?」
「はいはい、ちょっとお待ちを」
そう言って、クランは持っていた包丁をその場に置くと、店の奥の方、厨房の方向へと向かった。そして、一杯分の水の入った[コップ]を彼女の前に差し出した。
「ありがとう」
と言いながら、リーゼはグイ、と一気に飲み干した。そして、ふぅ、とため息をつくように吐くと、途端に話始める。
「やはり上級料理長のお店だ。ただの水もおいしく思える」
「そう言ってくれるとありがたいことです」
と、謙遜をしているクランだが、しかしこの言葉は冷静になってから考えると、あまりにも彼女の事を褒めすぎた言葉だと思う。たかが水一杯、お店ごとに変わるわけがないと言うのに、どうして自分はそんな言葉を発してしまったのだろうと、悔いのような物すらも感じてしまう。
因みに、先ほどから言っている上級料理長と言うのは、その言葉の通り、この国の中での[ランク]付けで、一番位の高い料理長の意味であり、その区別の仕方は、主に食材を扱う技量や、作る料理の出来によって決められている。
故に、上級料理長と言うのは、この国でも[トップクラス]の料理人。指で数えるくらいしか存在しない希少な人種なのだ。
それが、上級料理長。彼女のこれまでの経歴を踏まえると、何も過ぎたる位ではない。そう考えて、この国の首相を含めた全大臣が決めたのだ。自分だって、それに何の反論もなかった。
「時にクラン。知っているか? ≪ロウ≫を売っていた闇市場が摘発されたことは?」
「……」
クランは、何も反応はしなかった。リーゼは、続けて言う。
「≪ロウ≫だけではない。数々の違法な食材を取り扱っていた店が摘発された。恐らく、この国の中でも一番の大きさの闇市のはずだ」
彼女の言っている闇市と言うのは、当然、リュカたちが発見したあの裏路地の向こうにあった店の事。当然の事なのかもしれないが、この国にだって規則と言う物がある。どんなものを売っていいのか、はたまた売ってはいけないのか、そんな徹底的な規則にのっとって商売をしているのだ。だからこそ、ニカムリバの国は食材の国、商売の国としての面子を保っていられる。
しかし、例えどれほど純白を装うそぶりを見せたとて、そこに一点の黒いシミがあれば、白は一気に黒へと変わってしまう。今回リュカたちが見つけた闇市場がその一つだ。
「問題は、その≪ロウ≫が、全員……≪野生≫の≪ロウ≫だという事、だ」
「≪野生≫の、ねぇ……」
本来この国の規則では、≪ロウ≫を≪そうだと分かるカタチ≫で販売するという事は違法である。特に、全身そのまま一つを、店に並べて販売するなんて恥知らずなことをして販売するのは、この国の中でも重罪の一つに数えられている。
それだけじゃない。そのお店以外にも、数多くの店が違法な食材、通称麻薬と呼ばれるような、人間の心をおかしくしてしまうような食材をも売っていた。
そんな闇市をこの国の騎士隊が見逃すはずもなく、一斉摘発に踏み切ったのは英断だったと言えよう。しかし、だ。
「残念だ……」
リーゼは、そんな言葉をこぼしていた。この言葉は、騎士隊の人間、特に副隊長の立場である彼女が言うにはあまりにもお粗末と言っても過言ではない言葉。失言であると言える。何故彼女がそんな言葉をこぼさなければならなかったのか。
いや、そもそもの話、どうして彼女はあの闇市にいた。どうして、あの闇市で、リュカたちを返り討ちにして追い出す必要があった。どうして。どうして。
「副隊長」
「どうした?」
「実は……」
と、その時だった。店の外で待機していた一人の騎士隊員が急かした様子でリーゼの元に来ると耳打ちをする。
彼から伝えられた伝言は二つ。
一つは、自分が頼んでいたとある食材の調達に失敗したという事。
そして、もう一つは―――。
「全滅、か……」
「はい。恐らく、例の集団の仕業かと……」
「……」
顎に手を置き、考えるそぶりを見せたリーゼは、スクッ、と立ち上がるとクランに言った。
「少し急用ができました。クラン上級料理長。また今度……≪ロウ≫を使った料理を食べに来ます」
「えぇ、心を尽くして、おもてなしさせていただきますよ」
「楽しみにしてます。では」
そう言うと、リーゼはクランのお店から足早に立ち去ると、外にいた隊員に合流して騎士隊の詰め所となっている場所へと向かった。
クランは、その姿を見送った直後、再び店の中に入って包丁を取った。
「さぁて、仕込みを再開しないと、ね」
その顔には、先ほどまで見せていた気のいいおばさんのような姿はなかった。一人の料理人として真摯に一つの食材に向かっている一流の料理人の姿、ただそれだけがあった。
「どうします、副隊長」
「どうもこうも、まずは他の隊員と合流してから出ないと話は進まないだろう」
と、走りながらしゃべるリーゼ。現状、彼女が持っている有益な情報は数少ない。それだけで一体何の作戦を立てることができようか。とりあえず、他の隊員。せめて、騎士隊の隊長に会ってからでなければ対策の打ちようがない。
「これ以上この国の名声を落とすようなことはしない、もしそんなものがあれば……」
と言いながら、彼女は懐に忍ばせている包丁を隊員にちらつかせて言う。
「私が料理してやる」
気のせいだろうか。その時のリーゼの顔つきが、やけににやついたものであると、危ないものであると、そう感じ取れたのは。いや、料理してやる、の言い方からして、彼女にとって今回の騒動は好都合だったのだろう。
合法的に、≪ロウ≫を捌くことができる。その肉に包丁を入れることができる。そんな機会めったにないのだから。




