第十話
リュカは、動くことができなかった。いや、正確に言えば動くことを許されなかった。
「暇をつぶしに調査に来てみれば、飛んだ食わせ物がいたものだ」
{ッ!}
「エイミー……」
今、エイミーの首を掴んでいる女性。もし、自分がエイミーの事を助けに行こうとすれば、その瞬間に彼女の首の骨が折られることは間違いない。
もしもここにキンがいれば、わずかな望みにかけて彼女を救助するために動くこともできるかもしれない。しかし、だとしても大切な仲間の命をないがしろにして動けるほど、リュカは強い人間ではなかった。
「ふ、副隊長様、ありがとうございます!」
「……貴様ら、旅人か?」
「……」
女性は、エイミーが飛び掛かろうとした店の店主の言葉を無視してリュカたちに話しかけてくる。
リュカは、一度深く深呼吸をすると、いつでも飛び掛かれるように力を込めながら言った。
「えぇ、そうよ。私の仲間がとんだご迷惑をおかけしました。……こんな光景、私たちの故郷じゃ見慣れない物だったので……」
「フン……」
恐らく、その表情に見合わない丁寧な言葉遣いに興ざめでもしたのか、あるいはイラついたのかは分からないが、女性は冷淡な顔をしてエイミーを解放した。
{ケホッ! ケホッ!}
「エイミー!」
リュカは、すぐにエイミーをその女性から引き離すと、レラやヴァーティーの背後にまで引きずって言った。
{大丈夫?}
{うん、なんとか……}
と言いながら何度も呼吸を繰り返すエイミー。とても苦しそうだ。無理もない。あの押さえつけ方、恐らく気道を塞がれていたのだろう。つまり、彼女があともう少し離すのを遅らしていたら、エイミーの命はなかったはず。
やはり、この裏の世界を知っている住人だ。人間の身体構造を良く知っている。
「仲間が迷惑をおかけしました。失礼ですが、先ほどの話から察するにあなたはこの国の騎士団の副隊長様ですね?」
「騎士≪団≫ではなく、騎士≪隊≫だがな」
騎士団と騎士隊、果たしてそこにどんな違いがあるのだろうか、リュカには全く分からなかった。
ともかく、女性は、包丁を懐にしまい込むと言う。
「私はリーゼ。知っての通りこの国の特別料理騎士隊の副隊長だ」
「特別料理騎士隊……」
「旅客である者たちは知っているだろう。この国が食の国と呼ばれていることを。その食の健全な配給と売買を取り扱う本部とも言っていい部隊が、特別料理騎士隊だ」
健全な配給と売買。この言葉を聞いたとき、リュカは唇を噛みしめた。この言葉のとおりであるのなら、今自分たちが見ているこの光景は、やはり、この国では、いやこの世界では普遍的によく見られる光景なのだろう。リーゼは、露骨に湿りきった表情を浮かべるとリュカたちに言った。
「この光景が見慣れない場所から来たという事は、元マハリの国民か、あるいはミウコ……イェンエンという可能性はないか……」
「フフ……」
その言葉に、不敵な笑みを浮かべたのはレラであった。
「ほとんどあたりです。こちらのカインさんは、元マハリの騎士団団員、こちらのヴァーティーは、ミウコの元住民……そして、私は、イェンエンから追い出されたはぐれ者です」
「ッ!? ……ほほう……」
その瞬間、ほとんど無表情に等しかった女性の顔が一瞬だけこわばった。どうやら、レラの出身国であるイェンエンと言う物に驚いているようだが、一体なぜなのか。
「レラ、なに? イェンエンって」
「その話は後にするわ。ここで話している場合じゃないでしょ?」
「確かにそうだけど……」
「……」
あのイェンエンから追い出されるとは、まさかこの少女。リーゼは、懐から再び包丁を取り出し、レラにその先を向けると言った。
「貴様、厄子か?」
「!?」
何故ばれた。いや、この場合の貴様、と言うのはレラに向けられた言葉だから自分とエイミーが厄子であるという事は知られていないんハズ。むしろ、その疑いをかけられたのはレラの方。
「ちが」
「黙って、リュカ」
と言ってリュカの言葉を制したレラ、それから数秒後、空から舞い落ちた黒い糸のような物を見たリーゼは言った。
「……いや、違うか」
と。まさか、あれは髪の毛か。もしかして、先ほど包丁を取り出したその時にレラの髪の毛を一部切ったと、そう言うのだろうか。確かに、対象が厄子であるかどうかを知る最も簡単な方法と言えば、その髪の毛の色を見ることである。しかし、自分が全く見えない速さで髪の毛だけを切断するなんて、なんと恐ろしい精度であろうか。
ともかく、リーゼはその手に持った髪の毛一本を風に放り投げると言う。
「何故貴様はイェンエンから追い出された。あの国は、厄子以外は何者であったとしても受け入れる神聖な国。例え犯罪者であったとしても、はぐれ者であったとしても」
「神聖な国……ね、フフ。あの国の事を何も知らないから……」
「なに?」
と、ほくそえんだレラは言う。
「とにかく、ここでの騒ぎについては謝罪します。ただの観光客である私たちがこの市場に足を運んでしまったことも」
「……分かればいい」
と言いながら、リーゼはやはり再び包丁を自らの懐に忍び込ませるという。
「さっさとこの闇市から出て行くことだ。……取り返しのつかないことになる前に……」
取り返しのつかないこと? もしかして、それって、アレ、の事か。
「なんで、リーゼさん……」
「ん?」
「どうして、あんなことをしているんですか?」
「リュカ、やめなさい」
「どうして、あんなひどいことができるんですか! おかしいですよこんなのって!!」
「おかしい……か」
そう言うと、リーゼは三度包丁を取り出した。その刃に、魔力を宿らせて。
「私からしてみれば、おかしいのはあなた方の方だ」
「ッ!?」
「この世界では、多くの者が日々飢餓に喘いでいる。食べ物を満足に食べることもできず、また自らも獣に食われる危険がある。その中で、最も効率的かつ繁殖力のある食べ物が見つかった。それが、『ロウ』だ。貴様たちも知っているであろう。『ロウ』の繁殖力、そしてその体積量は人間を生かすには十分すぎる物だった。だから、我々の先祖はためらうことなく彼らを食材として、この世界に根付かせた。全ては、自分たちが生き残るために」
分かるけど、貴方の言っていることも分かるけど。リュカは、涙を流しながら言う。
「わ、私には分かりません。私には、貴方が何を言っているのか、何もわかりません! 私は、私にとってこの世界の常識は常識じゃないんです!」
「だから、自分の中の常識をこの国に、この世界に根付かせたいと? 馬鹿げたことだ、それではまるで侵略者じゃないか」
「ッ!」
侵略者。そう、自分は、侵略者なのだ。自分も、エイミーも、日本と言う別の世界からやってきた、転生者と言う名前の侵略者。自分たちの身勝手で前の世界の常識がこの世界にも通用すると考えて根付かせようとする、どうしようもないほどの愚か者。
分かっている。分かりきっている。自分たちが言っていることの身勝手さも。でも。
「とにかく、今は去れ。この包丁の錆にされたくなければな」
まぁ、毎日手入れはしているから錆はつかないがな、そうリーゼが続けるなか、失意の中にあるリュカとエイミーは、レラたちに連れられるようにその市場から去っていた。
そして、大通りに出た時だった。
「失礼、お嬢さん方」
「え?」
そこにいたのは、金髪で細身、鎧を着た男性を先頭とした数十人の集団だった。その先頭の人物が聞く。
「この先に、『ロウ』を売っている店があるのを、知っているかい?」
「……はい、私たちはそこから帰ってきました」
「そうか、ありがとう」
と言うと、男性はリュカの肩を叩いて言う。
「僕は、特別料理騎士隊の隊長のフォン。ご協力に感謝する」
「ご協力?」
その謎の言葉を残して、男性とそれに付き従っている集団はその路地裏に入っていった。
自分たちが、地獄のような光景だと感じ取った、あの闇市場の方向へと。




