第九話
とても暗い暗い裏路地。まるで、来るものを拒もうとしているかのように狭く、息苦しくなるほどに狭い路地。
もしかしたら、それが最後の慈悲だったのかもしれない。この国の、この世界の常識を他の世界の出身者である自分たちが知らないようにするための、最後の、砦だったのかもしれない。
後にそう、彼女は回想している。
あまりにも身勝手な話になるかもしれないが、正直、あんな光景を見せられたくなかった。自分たちがそう望んだ上で、レラから念を押されていたにもかかわらずかかわった自分たちの方が悪いのだと、それは分かっている。
でも、自分勝手だったとしても、あんな光景見せられたくなかった。
あんな、最悪な光景を、見せられて、人は果たして理性を保っていられるのか。
いや、無理だ。少なくとも、前世の世界の知識を持った人間にとって、その光景はあまりにも残酷すぎる物。
故に、リュカは私に頼んだのだ。
この場面は、嘘でもなんでもいい。だから、いつもより多めに脚色してくれと。
この事実を隠蔽することによって、いかにそれが前世の世界からしてみれば異常であったのかが、分かるのだから。
「こ、これって……」
{嘘……}
「惨い……わね」
リュカたちが見た物。それは、『ロウ』、という事にしておこう。
彼女たちが路地裏から抜けた先にあったのは、数軒の店であった。いわゆる、[アンダーグラウンド]とでもいうべき、先ほどまで見たことがないような食材が並んでいる様は、さしずめ闇市とでも言ってもいいのかもしれない。
レラの話によると、そこにある食材は、ある一種類を除いてほとんど市場に出ることがない、というより出してはならないような食材ばかりで、食べた物の精神をおかしくしてしまうような食材、前世で言うところの麻薬と言ったところか。そんな食材が並んでいるのだとか。
しかし、その中でもひときわ目立つ位置に、それは存在した。そう、『ロウ』が、まるで釣り竿の先の針を大きくしたような物で頭を貫かれて吊るされている姿。
その中の赤い血管までよく見えるくらいに皮膚がはがされ、四足はそれぞれ切り落とされているためにそこから流れ落ちている血が、地面にしみこんで何とも生々しい。それが、ついさっきまでその子たちが生きていたという何よりの証拠だ。
「う、おぇ……」
リュカは、胃の奥底から湧き上がってくる吐き気を抑えることができなかった。
道の隅っこでうずくまったリュカは、嘔吐し、この国で食した全ての料理が、その場に散らばる。それは、何もリュカだけじゃない。
{う……}
「これは、流石に……ウッ……」
エイミー、そしてヴァーティーもまたリュカと同じように吐き気を抑えることができずに嘔吐してしまう。
強烈に酸っぱい胃酸の匂い。胸やけを起こしそうになるほどの痛みを感じながら、彼女たちは胃の中にある物すべてを吐き出す。それ以外に、この状況に耐える方法なんてなかった。
「だから言ったのに、ここには来ない方がいいって」
「うッ……レラ、知ってたの? コレ……」
リュカは、嘔吐する合い間にレラに聞いた。その言葉に、どこか怒りを含みながら。
レラは、ため息をつくと言う。
「当たり前よ。というか……この世界ではよく食べられる食材よ、アレは」
「食材、食材ですって……」
と言ったのは、ヴァーティーである。ヴァーティーは、口元を服の袖で拭い去るとレラに詰め寄って言った。
「貴方、本当にそう思ってるの? 本当に、アソコに並んでいるのが食材だって! そう言っているの!?」
と、『ロウ』が立ち並ぶ姿を指さしながらそう言ったヴァーティー。
しかし、レラは努めて冷静に彼女に対して言う。
「貴方の国じゃ食材として使ってなかったのかもしれない。でもね、この世界じゃアレに勝る食材何てないのよ」
「そんな、そんなのって……」
確かに、レラのいう事も少しは分かる。アレの体積から考えると、恐らく、一『匹』で三日か四日、いやそれ以上もの間人間の空腹を紛らわせるのにちょうどいいのかもしれない。
理屈だけでは分かっている。しかし、だ。
「でも、倫理的な問題があるでしょ!」
「言ったでしょ? この世界じゃ普通なんだって、マハリやミウコは違っていたかもしれない。でも、他の多くの国では、アレを使った料理はいくらでもある、さっき、貴方たちが食べた料理だって」
「「!?」」
{リュウちゃん、レラは何て?}
リュカは、エイミーに日本語の翻訳ができなくなるくらいの衝撃を受けた。まさか、さっき食べたあの料理の肉。あれは、あれは、まさか、そんな、それじゃ、自分たちはもう、すでに、アレの、肉、を。
「いや……」
あの、肉を。
「いや……いや……」
今は、地面に散らばっている。その肉を。
食べてしまった。
「イヤァァァァァァ!!!!!」
リュカは、咄嗟的にリストバンドの魔力を解放した。その魔力の暴風は、裏通りの先にあった何軒かの店の店主たちをも震えあがる物で、もしここに天狩刀があったらなんて、想像するのも嫌になるほど。
「まったく、魔力を抑えて、リュカ」
といってカインがリュカを制止するように言った。きっと、このままだとリュカが、あの『ロウ』をつるし上げている店に突撃すると、そう考えていたのだろう。
いや、絶対そうする。カインは絶対的な自信があった。
「でも! でも!!」
「命がいかに大切であるのか、それを、カナリアに教えてもらったでしょ?」
「ッ!」
リュカの泣き叫ぶかのような声に、カインはそう答えた。
そう、自分の人間として一番最初の師匠であり、そして初めてその命を奪った相手であるカナリア。
自分は、彼女に教えてもらった命がいかに尊いものであるのか。そして、その尊い命を奪う事がどれほど愚かであることか。
確かに命は大切なものだ。しかし自分は今の今までその命をたくさん奪って来た。奪う手伝いをしてきた。アソコに飾っている肉のような状態よりもひどい形になった存在をたくさん見て来た。
それなのに、何を今さら泣き叫ぶことがあろうか。何を今さら命の大事さを叫んでいるのであろうか。
全く持って愚かで、自分勝手すぎる人間であることだ。
だが、それとこれとは話が別。
と言うよりも、彼女には話が通じなかった。
{許せない……}
{エイミー?}
そう、エイミーにはカインの言葉も、レラの言葉も届かない。唯一届かせることができるリュカですらも言葉を失ったこの時間、この時、彼女の事を止められる人間は誰一人としていなかった。
{リュウちゃんを悲しませるなんて、絶対に、許せない!!}
{エイミー!}
エイミーは、魔力を右手に宿らせると猪突猛進という勢いでその肉が飾ってある店に向け跳んでいった。
許せなかったのだろう。命を冒涜するかのようなその店先に。
許せなかったのだろう。命を愚弄するかのようなその態度に。
心の中にとどめておくことができなかったのだろう、自分のかつての、そして今世でも親友となった彼女が叫ぶ、その姿を。
その身に宿った、はるかなる闘争心を。
{ウアァァァァァァァ!!!!}
「ヒィッ!?」
エイミーが向かって行った店の店主は、両手を体の前に出して防御姿勢を取る。
だが、そんなことしても無意味だ。もしも彼女が本気を出そうものなら、普通の人間なんて木っ端みじん。一瞬にして肉片へと変貌してしまう事だろうから。
{エイミー! だめ!!}
リュカが制止させようと言葉を紡いだがしかしもはや手遅れだった。
エイミーの拳は店主へと接しようとしていた。もう、その手を止めることはできない。でも、どこかその様子に心の中でスカッとした自分がいたことにリュカは気が付いていた。
そう、これでよかったと思っているかのよう。
これで、自分は手を汚さずに憎き物をせん滅できる。そんな、仲間に期待するにはあまりにも的外れで自分勝手な妄想。
もう、リュカの心は壊れていたのかもしれない。エイミーも、そしてヴァーティーも。
そして、その拳が店主に当たろうとした、その時だった。
「闇市とはいえ、店の者に手を出すことは許さん」
{「!?」}
エイミーが叩いたもの。それは、店先に陳列された肉でも、店主でもなければ、ましてや店本体ではなかった。
包丁、である。その包丁を操る茶色の長髪を持った女性は、エイミーの攻撃をいなし、その首根っこを掴むと言った。
「私は、特別料理騎士隊副隊長のリーゼ。このまま首の骨を折られたくなければ去れ」




