第五話
食の国、ニカムリバに入るための門。そこで、リュカ一行は国境の管理をしている門番から色々な説明を受けていた。前世で言うところの出入国管理のような物だろう。
門番の男性は、やや太り気味であり、この仕事がいかにあまり立たないような仕事であるか、そしていかにこの国が豊かであるのかを暗に示していた。
国民の体型と言うのは、その国に住む国民の生活状況の困窮度を測るためには重要な情報である。例えば、自分が最初に辿り着いた街マハリは、トナガの策略によって肉類を食べることを禁じられたために偏った栄養を摂取せざるを得なくなっていて、栄養失調気味になっていた。
そう言った情報は、国を攻め立てるのに重要であり、なおかつ、他の国と交渉をする際にも武器となりうる。故に、父からはそう言った情報はつぶさに観察するべし、何かおかしいところがあったら何故それがおかしいのかを考えるべしと、そう教わっていた。
「はい、ではこれで入国の手続きは終わりです」
「ありがとうございます」
と、一通りの説明と、数枚の紙に署名をした一行。すると、男性は木製の古い机の引き出しを開けると、判子のようなものを取り出し言う。
「腕を出してください」
「え? こうですか?」
と言われて腕を差し出したリュカ。男性は、リュカの手の甲に向けて判子を押し付けた。
すると、[インク]も付けていないはずの判子なのに、彼女の手の上にはその国の名前を示す円形の文字が浮かび上がる。恐らく、魔力によって押し付けられた物なのだろう。
「はい、これで安全にニカムリバの町を歩くことができますよ」
「あ、ありがとうございます」
これも、前世で言うところの[パスポート]に押す判子のようなものなのだろうか。けど、こういった物マハリやミウコにはなかったような気がするのだが、と考えていたリュカに、カインは言う。
「マハリは、王様の命令で……いや、法務大臣の策略で門番のようなものなかったから。ミウコはミウコで、お姫様が帰ってきて、その対応に追われて押せる時がなかったんじゃない?」
「なるほど……」
確かにマハリはトナガから来た法務大臣の策略で国が困窮するように仕向けられていた。そのために、他国の人間でも自由に出入りができるようになっていたし、自分が簡単にマハリの中に入れたのもそれが理由。
ミウコの時は、現女王であるフランソワーズと一緒に行って、そのまま身体検査やらなんやらと面倒なことになったから、その機会がなかったと言われれば、納得してしまう。
今回、転生して初めて他国へと正式な手続きをして入ることになった、という事か。そう考えると、少し感慨深いものがある。
「それで、旅の方」
「なんでしょうか?」
と、レラが対応する。今回、自分たちの目的は食料の確保、なのだが、その前に一度カムニリバという国がどんな国であるのかを調査、と言うより探索して自分たちの食糧問題が解決できる糸口がないかを探るための様子見をすることにした。
だから、今回はただの旅行、という形でニカムリバに入るわけである。
「通貨の両替の方はどうしますか?」
「えぇ、そうね……」
と、言いながらレラが手渡した物。それを見た男性はまるで信じられない物を視てしまったかのような勢いで目を見開いて言った。
「これは驚きました。この紙幣はミウコの……あなた方、ミウコの国から……」
「えぇ、と言っても例の戦の前にですけど」
「なるほど、そうでしたか。それは幸いで……今ミウコのお金はお高くなってますからね。あなた方は本当に運がいい。戦の前の三倍の値段になりますよ」
「え、そんなにですか!?」
やはり、この国にも伝わっていると見える。ミウコがトオガと戦争し、勝利したことが。
だから、そのミウコからやってきた証とも言える紙幣には、とんでもない付加価値が付いているのだろう。というか、である。
「レラ、いつの間にミウコのお金を持ってきてたの?」
「立ち寄った国々で両替してもらう。旅の基本中の基本じゃない」
と、レラは呆れた様子で言った。まぁ、確かに言われてみればそうかもしれない。
自分は今までこの世界でお金と言う物を使ったことはなかった。マハリの国の時は、ケセラ・セラの仲間のロウが探してきた宝石を用いてエリスと交渉をしていたし、ミウコでは前世で言うところの社食みたいなところで食事を済ませていたり服はエリスに作ってもらったりと、衣食住にお金を使う事がなかったから。
だから、ミウコで使用されていたとされるお金を見るのも、今回が初めてである。と言っても、その絵柄は前世の日本とあまり変わらないような気がする。変わっているのは、描かれている人物の顔くらいだろう。
そして、それはニカムリバの紙幣も同じで、その顔だけが全く違う札束が、レラの差し出した三倍帰ってきた。どうやら、門番の男性の言っていた三倍の価値があると言うのは本当の事なのだろう。
「これですべての準備が整いました。ようこそ、旅の方たち。ニカムリバの国へ」
「ありがとうございます」
リュカが礼を言った瞬間だった。ニカムリバへの門―大体、人四人が通れるくらいの広さとリュカの身長の二倍くらいある高さ―が開き、ニカムリバのその全容が見えたのである。
と言っても、門以外はほとんど無防備と言っても過言ではない国であるため遠目からでも、そして門の横からもその国の様子が見て取れていたわけだが、しかし門が開いた瞬間だった。
「ッ!」
突然自分たちを襲って来た暴風。ソレは、国の中に立ち込めていた匂い。国全体が、薄い結界の膜で覆われているために、門が開かれるまでは決して嗅ぐことができなかった匂いの爆風がリュカたちを襲ったのである。
リュカは、思わず立ち眩みを興しそうになった。何故か、その匂いが嫌だったからか。違う。その匂いが、あまりにも≪おいしそう≫だったから。
これまでも、リュカは色々な料理を食べて来た。自分で狩った獣を生で食べたり、ミウコの国のご馳走を食べたりと上下の乱高下が激しすぎるが、しかし彼女自身この世界、そして前世の世界で多くの食にありついてきた。
食のすべてを知り尽くしていたような気がした。
でも、それは彼女の浅はかな考えだった。
彼女は、食の全てなんて知らない。いや、食のすべてと言う物を知れる人間なんて数少ない。
なぜなら、人間はその一生において食べられる物が限られているのだから。彼女の前世の世界というくくりで見ても、各国にはいろいろな食文化があり、その国特有の料理があり、そしてその国独特の味と言う物がある。
それは日本と言う国もそうだった。和という物を象徴とし、寿司や天ぷらそれからすき焼き辺りは日本という国特有の食文化と言えよう。
だからこそ、彼女はニカムリバの町の空気を吸った瞬間に思ったのだ。
この国には、この世界の食と言う食が一点に集まっているのだと。
立ち込める芳醇な香り。
昇っていく肉が焼けた時の煙。
シャキシャキと切られて行く野菜の耳を通過する潤う音。
それに、ところどころから感じる紅茶のいい匂いは、前世の世界を回顧させるのに十分すぎるほどだった。
そうだ。これが食。これが、食の国ニカムリバ。
リュカは、心地のいい気分でその国の中に入って言った。
けど、まさかこの時は思いもよらなかっただろう。
この国の食文化、いやこの世界の食文化は、自分たちの前世の世界からあまりにもかけ離れている物だったという事。
その衝撃故に、彼女は立ち眩みを興していたのだと知らないままに、その国の中に入っていく。
そう、あまりにも衝撃的な光景を目の当たりにした。だからこそ、私はその国で彼女が経験した事を≪創作≫するのだ。
彼女の気持ちを、理解したいがために。




