第九話 狂気
ふと、目を瞑ったリュカ。その瞼に映されるのは、自分がリュカになる前、竜崎綾乃がまだ小学生だった頃、親友だった琴葉と遊んでいた時のことだ。
「琴葉ちゃん!」
「あやちゃん!!」
やんちゃだった二人はある工事現場に忍び込んだ。その日は休日で、現場には人っ子一人いなかったので、立ち入ることは容易だった。
小一時間鬼ごっこをしていたときの事、琴葉が工事のために掘り返していた穴の中に落ちてしまったのだ。それに続いて、綾乃もまた穴の中に入っていく。
「琴葉ちゃん、大丈夫?」
「うん、痛ッ!」
琴葉は立ち上がろうとしたが、できずに足を抑えてうずくまってしまった。どうやら足を捻挫してしまったらしい。すぐに助けを呼ぼうとしたが、二人は穴の中である。
立ち上がって手を伸ばしたらぎりぎり手が届くようであるが、子供である二人の力で自身の体を持ち上げることなどできない。そのうえ、閑散とした工事現場で叫んでも人が寄ってくる気配等なかった。
もしも、綾乃が穴に入らず大人を呼んでくるとか、縄をおろすとかすればよかったのだろうが、まだ低学年だった綾乃にはそんな考えは思いつかなかった。結局、二人にできることはただ、誰かがくるまで待つことだけだった。
「ごめんね、私がドジだったから……」
「ううん、私のほうこそ……ここに来ようっていったのは私だから……」
「あやちゃんは何も悪くないよ」
元々この場所で三人で遊ぼうといったのは綾乃だった。この場所は広いし、休日で誰もいないから遊ぶにはうってつけの場所だ。そう思ったから。それを慰める琴葉だったが、結局は穴の中の空気が悪くなるだけであった。
穴に落ちて何分、何時間たっただろう。子供時代の何もしない時間というのはたった数分であっても無限に感じられるほどだ。その間ずっと二人は黙ったまま、一言も会話することもなかった。その時、琴葉の腹から鳴き声のような音が聴こえた。
「あ、そういえばお昼ごはんまだだった……」
「そういえば私も……あっ」
その時、綾乃の腹も鳴った。
「フフッ……」
「アッ……アハハハハ」
二人はなんだかおかしくなって、お互いに笑い合う。今まで何も話さなかったのが、ただそれだけのことで話題ができたのだから、女の子って素晴らしい。
そういえば遊びに出たのは昼前だったか、腹が減るのは当たり前である。今頃家では、自分の事を引き取ってくれた義理の母がお菓子を作っているぐらいだろうか。
「まっ、くよくよしてもしょうがないよね」
「うん、きっと誰か来てくれる……きっと」
休日でももしかしたら、出勤している人がいるかもしれない、もしかしたらお昼を過ぎても帰らない自分たちを探しに親が来てくれるかもしれない。そうじゃなくても、一夜過ごせば仕事のために出勤してくる作業員の人たちがいるはず。助からないなんてことはない。
それに自分達がここにいるという事はあの子も―――。
「あれ?」
「どうしたのあやちゃん?」
「いや、なんか指にぬるっとしたものが…」
綾乃は自分の手にぬるっとしたものが動いていることに気が付いた。綾乃が手を持ち上げてみてみる。そこには、ほとんどの子供が苦手であろうものが人差し指の上に乗っていた。
「うわっ! み、ミミズ!?」
ミミズを確認して一瞬、手を大きく振って30cmぐらいの大きさがあるソイツを追い払った。あのぬるっとして細長いミミズが自分の手の上にいるのだから気持ちが悪いはずだ。大人ならばともかく、子供であのぬるっとしたものが好きなもの好きなどいるのだろか。
「大丈夫だよ、ほらミミズは噛まないよ」
わりかし身近にいた。琴葉は手のひらにミミズを乗せてツンツンと指で突く。
「どうして平気なの? ……私には信じられないんだけれど……」
「え、なんで?」
琴葉は、その言葉が意外だったようだ。彼女はミミズを見て、微笑みの表情を浮かべながら言う。
「ミミズだって私たちと同じ生き物じゃん」
「同じ?」
「うん」
琴葉はミミズから目を離し、空を見上げる。
「この世界には何千何万っていう種類の動物がいる。人間も動物の中の一種類だよ」
「えっ……そ、そうだね」
若干哲学的なことを言い出した琴葉に綾乃は少し引くが、気を持ち直して琴葉の言葉に耳を傾ける。
「それなのに私たち人間は自分たちが特別だと思い込んで、仲間である生き物たちの住処を奪って、自然を支配しようとして、そして自然を拒んでいる」
「えっと……どういうことかな?」
「まぁ、現に今も私自身自然と共にいるってことを拒んでいるんだけれどね」
「あの……おおぉぃ……」
琴葉自分の世界に入り始める。
「そう、自然と一緒にいたい。でも、それを社会が許さない。私たち人間という動物は自分勝手で身勝手で――――――」
そして、綾乃はあまりにも難しい話につい眠ってしまった。後から聞いたが、どうやら自分が眠ってしまっていることに気が付かないで、琴葉はなんと2時間も話を続けたそうだ。
まぁ、彼女がよくわからないような難しい話をするのはよくある事だったし、その度に自分は寝落ちしていたのでいつものことといえばいつとのことだ。
そして彼女が起きたとき、空を見上げると小さな影が自分の目の前に縄を垂らしていた。
「あの後、家に帰ってこってり絞られたっけな…」
そんな夏の日から十数年、二人とも死んでしまい、綾乃は奇跡的にリュカとしてこの世界に生まれ落とされたわけだが、いつまでたっても前世の記憶は自分の心の中に住み入っている。
忘れたほうがいいのだろうか、それとも忘れないほうがいいのだろうか。まだ、答えを見いだせずにいた。
気が付けば、彼女は自ら掘った土の中にいた。その時のことを思い出して、やっぱり懐かしい気持ちになったことが原因か、それとも何も考えていなかったのか定かではない。過去の事を思い返している間の十分足らずの記憶が飛んでしまっているのだ。
いけない、やはりここ最近熟睡できていなかったことが原因なのか。ここは一度仮眠をしてみるのも手かもしれない。
ちゃんと寝るというのならまだしも、仮眠程度なら―――。
その時である。地面が揺れた。それは、あまりにも突然の自然災害であった。
「え、なにこれ……地震!?」
その横揺れは、どんどんと大きくなり、せまい穴の中にいるリュカには逃げ場などなく、ただその揺れが収まるのを待つだけであった。それからしばらくして、頭上からパラパラと土が落ちてくる。
「なに? え、ちょっ、まさか!?」
その正体は穴の横に積み上げていた土の山だった。やがて土の量は揺れの時間と比例して多くなる。
「やばっ! 早く出ないと……うわぁ!!?」
事すべてが遅かりし。土石流がごとくやわらかい土はリュカを埋めていき、身動きが取れなくなってしまう。その内、揺れが収まったころ、そこにあったのは草むらに一か所だけ円形に掘り返された跡。そしてその横に緑色の鎧があるだけであった。その下にいる人物の無念さを表しているかのようにただただ静かにたたずむソレは、きらびやかな光と共に今も鎮座している。
―完―
「ハァハァハァ、い、一瞬お、お花畑が見えた……フゥー……」
としたら面白いのだが、リュカからすれば俗に言われる『そうは問屋が卸さない』という物である。土に埋もれてもしぶとく生きていたリュカは生きる屍のように首と手を土から這い出す。そして、周りの空気をすべて吸う勢いと吹き飛ばさんがごとき勢いの共演で、深呼吸を繰り返しながら呼吸を整えていく。
「あぁ、生きてるってすばらしいな……」
一度死んでいるからこそ実感するというべきかなんというか。一応九死に一生を得た感じである。そして土から身体をすべて出し、自身を回りながら見ていく。
「あぁあ服が泥だらけ……まっ、洗濯すればいいんだけれど」
因みに彼女の服は、何年か前にリュウガを退治しに来た人間の服をパッチワーク状に縫い合わせた布を使用している、そのためわりかしボロボロである。ズボン、否スカートもまた同じく。ともかく泥だらけの服を着ているというのは気持ち悪い。
「はぁ、脱ぐしかないか」
そう言ってリュカは服とスカートを脱ぎ鎧の隣にたたんで置く。この世界で羞恥心を殺したリュカにとっては、森の中で全裸になることにはあまり抵抗がなくなっていた。そして、生まれたままの姿になったリュカは元・穴の上に大の字になって寝転ぶ。掘り返した土は、ひんやりとして、服を着ているときと比べて気持ち良さすら感じた。
「はぁ……どうしたらいいんだろう」
どうしたら彼女に勝てるのか、よくよく考えると、蒼髪の彼女もまた自分と同じ人間である。なのになぜ夜の森で素早く動くことができるのだろう。
自分と蒼髪少女、いったい何が違うのか。確か、あの子は産まれてすぐにこの森に捨てられたはず。だったら人生の大半を森の中で過ごしている。しかし、それを言うのだったら、自分もまた同じだ。
この世界に生まれて、前世の記憶が戻ったあたりからもずっと自然と一緒に暮らしてきた。蝙蝠やモグラと洞窟の中で同居もしていたし、人間が住まう場所に近づいたことすらなかった。いったいどのような違いがあるのだろう。
「ん?」
その時、手のひらにぬるっとした感触が伝わる。
「あっ、ミミズだ……」
小学生の頃、あんなに嫌っていたミミズである。今となっては、その感触にも慣れて、普通に触ることもできる。というか、異世界にもミミズがいるのか。
「ねぇミミズさんどうしてだと思う?」
無論、答えてくれるわけもない。そして思い出されるのはあの日のこと。あの日、親友が綾乃に語った哲学。
「……琴葉」
『この世界には何千何万っていう種類の動物がいる。人間も動物の中の一種類だよ』
「人間も動物……」
『それなのに私たち人間は自分たちが特別だと思い込んで、仲間である生き物たちの住処を奪って、自然を支配しようとして、そして自然を拒んでいる』
「拒んでる……何をもって拒んでるって言うの琴葉……」
『まぁ、現に今も私自身自然と共にいるってことを拒んでいるんだけれどね』
「琴葉自身が拒んでいる……あの時、琴葉も拒んでいたの?」
『そうだよ』
その内、琴葉の声は自分の声へと変わる。それは彼女の心との自問自答であった。
『考えても見て。人間は生まれてくるとき服を着ている?』
「ううん……着て―――。
※本人曰く≪ここから先はクロレキシだからお父さんが帰ってきたところまで飛ばして≫とのことでありましたのですが、クロレキシというものがなんなのかさっぱり分からないので大まかに何があったかだけを記述します。
その後、妄想の言葉に従うままに、裸のまま森中を走り回った
奇声をあげ、ここには書けないような事をした
ある湖に落ちた
少ししたら冷静になって自らの行為を恥じた
結局、真夜中での戦い方について≪ヒント≫だけを会得することが出来た
次からはもっとまじめな修行方法を考えようと思った
この奇行に関しては寝不足が祟っていたことによるストレスのせいだということにした
そして、彼女は思った
私、半日何をやっていたんだろう、と
……ほんと何やってるのリュカさん。
『言わないで……』
そんな言葉が聞こえて来そうです。




