第三十話
騒乱の次の日の朝早く。フランソワーズ新女王の戴冠式も、いよいよ終盤を迎えていた。
時間は、日が昇ってすぐ、本来であれば早朝から働く者以外だったら寝ていてもおかしくはない、というより起きている方がおかしいような時間帯。
そんなはた迷惑な時間に戴冠式を執り行っているのは、ミウコという国の伝統に従っての物。すなわち、前の女王の逝去より二十四時間以内に新しい王の戴冠式を執り行う、という伝統に基づいたものだった。
前の女王、グレーテシアが暗殺されたのはちょうど前日の朝日が昇ってすぐの事だった。だから、新女王戴冠式もまた同じく、この時間に行われることになったのだ。
と、言うのは建前。伝統なんてもの、フランソワーズの知った事じゃないのである。本当はもっと別の理由があるのだ。しかし、それは後に分かること。
≪それでは、これより、このミウコの国、新女王となった、フランソワーズ女王陛下の演説を始める≫
今は、フランソワーズ新女王の演説に耳を傾けることにしよう。果たして、どのような言葉を発するのか、見ものである。
彼女の言葉は、心苦しいことではあるが前日にラグラスが反乱を起こした際に使用していた魔法によって城の前に集まった全国民、ひいては国の外にいる人間たちにも聞こえるようになっていた。
因みに、その魔法をかけ、また彼女を引率してきたのは、ミウコの新たなる兵士長にして、新しく近衛兵長に任命された、元ヴァルキリー騎士団団長のセイナによるものである。
セイナに手を取られて、[バルコニー]へと上がったフランソワーズ。こちらもまた、数週間前にグレーテシアが戦の勝利を国民に伝えた場所と同じ、あの時はグレーテシアのはるか後ろで彼女の後姿を見ているしかなかったフランソワーズが、今は、彼女がいた場所に立っている。
不思議な気持ちを抱えて、フランソワーズは、口を開いた。
≪本日、私フランソワーズ・キーラ・バラスケス・サクラ・デ・ミウコ即位にあたり、いま、私がこの場所に立っていることを、快く思っていない国民もいることでしょう。私はかつて、このミウコを捨て、他国の王と婚姻をした。そんな人間が、新しい王として即位する。そんなこと、あっていいはずがないと、そう、思っている者が何人もいるはずです。もし、そう思いであるのならば、思って結構。心変わりする必要などありません。あなた方には、あなた方の心がある。だからこそ、好きも嫌いも、同意も否定も存在する。そして、それが暴力となることを、我々は今回の騒動を通して、学びました。人は、自分の欲望、自分の信じる者のためならば例え主君であったとしても裏切り、殺してしまう。例え何年も尽くした人間を相手とすることになっても、悪魔に魂を売ってしまう。それが、人間です。私は、それを決して否定することはありません。人には、自分のなす正義がある。だからこそ、その正義のためにどこまでも残酷となってしまう。残念なことですが、事実です。先の戦で多くの国民を、仲間を、家族を、我々は失いました。そしてこの度の事件によって、我々は国を必死に支え続けてきた前の女王、グレーテシアを亡くしました。グレーテシアは私にとっては最愛の家族でした。何者にも変え難い、大事な、大切な、そして……唯一……残った肉親……でした。この悲しみは、決して癒えることは無いでしょう。ですが、乗り越えることはできるはずです。残酷な現実に、立ち向かう勇気を、我々は持っているのです。だからこそ、人は強くなれるのです。前の戦において前線で戦ってくれたヴァルキリー騎士団の面々、そしてその戦いの結果を見て同盟関係を結ぶ交渉をする国々。私は、多くの人に助けられながら、共に、この国を再建したいと思います。グレーテシア前女王はもういません。ですが、その志は、彼女の作り上げたミウコという国は、まだ存在しています。その国で暮らし、互いに切磋琢磨しあった職人が、商人が、そして国民がいます。私は、それを引き継ぎ、グレーテシアか目指そうとしたよりよき未来を形作る。そのために、皆さんのお力をお借りしたいと思っています。まだまだ若輩者の女王ですが、日々学び、日々精進を重ね、天に召された妹に笑われないような、立派な女王としてこの国の長として戦い続けることを、ここに誓います。ミウコの国民の皆さん。どうか、そのお力を、この私に、そしてこのミウコにお貸しください。以上をもって、新女王の即位演説を、終わらせていただきます。ミウコに栄光を、そして、グレーテシアが迷うことなく天に召されることを、祈って……≫
無音。一瞬の沈黙が国中を支配した。
果たして、この演説が良い物であったのかどうか、それは、フランソワーズ自身も、引いては国民自身も判断することができないのだ。確かに、以前のグレーテシアが前の王の逝去に伴って行われた女王就任演説と比較できる人間はたくさんいることだろう。
しかし、人間の記憶という物はあいまいで、その時彼女がどのような言葉を発したのかを覚えている人間はそうはいない。そして、彼女のこの演説も、いまにも忘れてしまいそうな人間が多数存在する。それも事実。
人間は忘れる生き物だ。印象的な出来事以外は、忘れてしまう。忘れることによって前に進む生き物だ。
でも、彼女は忘れない。決して。乗り越える。その言葉が多くの国民の胸を打ったのは事実。
だからなのだろう。
パチ……パチ……。
どこからともなく、手と手を打ち合わせる音が聞こえて来た。
誰が最初だったのかは分からないが、しかしその最初の音が引き金となった。
パチ、パチ、パチ、パチ。
パチ、パチ、パチ、パチ。
パチ、パチ、パチ、パチ。
音はさらに大きく、広がり、そして国民全体に波のように伝わっていく。
それは嵐の夜の様だった。あの日、自分がこの国を去ったときのような、嵐の夜の、枯れた木のざわめきの様。
折れたくない、まだ、そこに生えていたい。そう願いを込めてしっかりと根を生やしていた木々たちの必死の叫びにも似たなにか。絶望の悲鳴。
けど、今回は違う。
これは、そう。歓喜の悲鳴だ。
誰かが叫んだ。肯定の言葉じゃない。否定の言葉でもない。言葉になっていない、叫び声。
伝染し、次々に盛り上がりを見せていく国民たちのその姿。それこそが、国民全員の総意。いや、総意というわけじゃない。先に彼女が言った通りに、この中にはフランソワーズの事をまだ女王として認めていない国民もいる。
でも、それでも、今は祝うべきだ。
この、混乱に満ちた国を救うべくして現れた、新たなる女王へと。
「フランソワーズ女王バンザーイ!!」
「新女王バンザーイ!!」
「ミウコに栄光あれぇ!!」
歓喜の声は、人それぞれ。それを聞きながら、フランソワーズは天を見上げていた。
この空の向こうにいる、父や母に、思いをはせて。
(お父様、お母さま。見ていてください。私が、この国を、絶対に守って見せます……そして、グレーテシア……)
よい旅を。
「良い演説だったのかな?」
「フン、及第点、と言ったところだな」
「はは、お父さんは厳しいなぁ、やっぱり」
と言ったのは、例の動く山の入場口にあたる崖の上に腰掛けているリュカ。そして、リュカのすぐ近くにいるリュウガである。
そう、戴冠式がこんな朝早くに行われた理由。それは、伝統を重んじるという事以上に、彼女たちの≪旅立ち≫を国民に気が付かれないためでもあったのだ。
いくら何でも、このようにでかい山が≪動き始めれば≫、目立ちすぎるし、そもそもリュカたちヴァルキリーの面々が国を出るためには、国民の目から彼女たちの存在を隠す必要があった。だからこそ、こんな朝早くに伝統という古臭い物を生贄として、戴冠式を実行に移したのである。
リュウガは、なかなかに厳しい評価を下していたが、リュカにとっては彼女の自分の立ち位置を考えたうえでのとても良い演説だったように思えた。
「頑張ってください、フランソワーズ女王陛下」
旅立ったら、二度と会うことができなくなるかもしれない。昨日までは気軽に、そして和やかに話すことができていた、自分と同等の立場にあった女性。
それが今では、一国の王を務める立場となるなんて、なんという[シンデレラストーリー]か。
かくいう自分は、数人の取り巻きを連れて寂しく安住の場所を捨てるなんて、全く持って真逆の人生を送ることになる。
でも、乗り越える。自分だって、のし上がって見せる。彼女のように、大きな国の女王になれるくらいまで。
そう、期待と不安を込めて、リュカはスッ、と立ち上がり。
「それで?」
振り返って言った。
「どうしているの? レラ?」
「……」




