第二十八話
いい風が吹く。今日は死ぬにはいい日だと、そう待女であるアマネスは呟いていた。
彼女の眼下には、一日で発生して、沈静化した反乱によって傷つけられた建物や、嘆き悲しむ国民の姿が見て取れる。
当たり前だろう。なぜならば、彼、彼女たちは失ってしまったのだ。大切な、この国にとって大事な、大事な、人間を。
自分の、せいで。
彼女は、この城の高い場所からみる国が好きだった。多くは霧に紛れて見えないことも多いが、しかし色とりどりの屋根瓦の街が、それに、風に乗って香ってくる硫黄や鉄材の匂い、そして道行く人々の姿。ソレらを見ることが、自分は、ただただ幸福だった。
自分は、この国が好きだった。だから、この国を高い場所から見ることができる待女という職に就いて、今日この日まで汗水を垂らして頑張ってきた。
時々ドジをして、待女長に怒られることも度々あったけど、それでも、この国の重鎮が多く住んでいる城の上階に行くときには胸が高鳴った。この国を見渡せる場所に行けると、この国を空から見ることができるのだと。
彼女は、この国が好きだった。それは、ラグラスと同じくらいに。いや、違う。ラグラスのそれとは違う。ラグラスの場合は、≪己の記憶の中にある≫国が好きだった。だから、この国のありようを変えようとする厄子という存在を、トオガからの離反者の存在を、許すことができなかった。
この国のために謀反を起こした。違う、彼は自分自身のために謀反を起こしたのだ。自分の思い出の中にある国を守るために。そして、自分の信じる≪神≫のためにと。
対して、アマネスは違う。アマネスは純粋に、≪今の≫国が好きだった。どれだけ他国の人間を受け入れようとも、どれだけ他国の軍隊が群れを成して押し寄せてきても、それでも、今のこの国が、このミウコが、そして、女王のことが好きだった。もちろん、性的な意味ではなく、人間として、である。
でも、自分はその女王に引導を渡す手助けをしてしまった。もう、自分は生きていてもしょうがない。
城の頂上。自分が、ただの一度も入ったことのない部屋の窓に腰掛けたアマネスは、今まさに飛び降りようとしていた。その時だった。
「待って! お姉ちゃん!」
「え……」
背後から、声が聞こえて来た。振り返ると、そこには自分の見知った顔の女の子、それから、見知らぬ女の子の二人がいた。
「デクシー、どうしてここに……」
本来なら孤児院で生活をしてるはずの自分の、後輩にあたる少女に困惑の表情を見せたアマネスに、デクシーは息も絶え絶えに言った。
「お姉ちゃんが、心配、だったから……」
と。きっと、長い螺旋階段を走って昇ってきたのだろう。その顔には大量に汗が浮かんでいて、どれだけの運動量であったことかを推し量ることができる。
さらに続けて彼女は言う。
「お姉ちゃん、その窓枠から……降りて来て……」
「……」
悲し気な声で言ったデクシーに、しかしアマネスは儚げな表情で顔を横にふると言った。
「それは、できないわ……」
「……アマネス、さん? 一体、何をするつもりなの?」
今度そう聞いたのは、デクシーの隣にいたクランマだ。
彼女たち二人は、昨晩隊舎にかくまわれた後、ラグラスによる反乱が沈静化したのを見計らって解放された。そして、本当だったなら、そのまま孤児院や、今クランマが仮住まいさせてもらっている家に向かうはずだった。
と、誰もが思っていた。しかし、違っていた。なぜなら、デクシーがこの城に来た目的は、アマネスを、自分の孤児院の卒業生であり、仲の良かった先輩と言ってもいい彼女を探すためだったから。
だから、彼女は迷うことなく城の中に入っていき、クランマもまた、ここまでついてきたのだからとほとんど成り行きでデクシーの後を追った。
城の中は、反乱の影響によっていろいろな場所が崩壊していた。本来あるはずの廊下が崩れていたり、瓦礫が降ってきたりとかなり危ない状況下にあったが、それでも二人はその小さな体を生かして城の中を進んでいった。
だが、アマネスを見つけられなかった。それもそうだろう。城は広いのだし、そこに勤めている人間も数多いのだから、その中から一人の女性を探すなんて幼い少女たちには俄然無理話だったのだ。
そんなとき、二人はある女性に出会った。そして、見つけることができたのである。
今にも飛び降りようとしているアマネスを。
そうだ、クランマにも分かっていた。アマネスが今まさに自殺しようとしているという事を。それでも何をしようとしているかと聞いたのは、それで改めて分かってもらいたかったのであろう。自分が、一体なんて愚かな行いをしようとしているのかを。
だが、それも無意味だったようだが。
「私は、ラグラス近衛兵長の反乱に加担した。その罪は、重いものになるわ……」
「だから、死のうって言うの?」
「……」
一瞬目をつぶって、考えるようなしぐさを見せたアマネス。そして目を開き、やはり微笑んで言った。
「信じられる? グレーテシア女王陛下と、フランソワーズ姫……いえ、もうフランソワーズ女王ですね。二人に手枷をはめたのは、私なのよ?」
「え……」
それは、初耳だ。一体どういう経緯があってその二人に手枷を付けることになったのかは分からないが、少なくとも兵士ではなく待女であるはずの彼女が付ける役目を担ったという事から、あまりろくな事情ではないことは確かであるが。
「そう、この反乱は私から始まった。私が二人に手枷を付けて牢屋に入れて、厄子やトオガの子供たちを怖い目に合わせて……そして、グレーテシア様を、殺した……それが、私の、罪……」
「でも! グレーテシア女王を殺したのは、近衛兵長だって、そう言ってたよ」
さっきの人は。その言葉が付けくわえられることはなかった。
アマネスは、唇を噛みしめると言った。
「けど、あの時私が! グレーテシア様を拘束なんてしなかったら、ラグラス近衛兵長を裏切っていれば、死ぬのはきっと、私だけで済んだ……私は、自分の命欲しさに近衛兵長に加担した……ゆるされざる罪人……」
「あなた……」
「きっと、私には重い処分が下ることになる。一番優しいもので終身刑、重くて……死刑」
「そんな……」
このアマネスの考え、実はあながち間違えではなかった。
今もなお行われている緊急の大臣たちによる会議。その議題の一つに、反乱に加担した者たちへの罰則についての議論があったのだ。
反乱の首謀者たるラグラスは、すでに死亡し、また加担した兵士の大多数がヴァルキリー騎士団によって殺害されていた。しかし、それでも何人かの反乱者はケガの大小はあれど生存しており、その生存者に対しての罰則をどうするのかを今後決めることになっていた。
だがしかし、おおよその見当はつくであろう。私利私欲のために国に反乱を起こした人間たちの末路なんて、アマネスが言った通り永久に国の管理下に置かれ、死ぬまで牢獄に入れられるか、それかさっさと首を刎ねられてその命を絶たれるか。
どちらにしても、最悪な罰である事には間違いない。ならば、その前に自分は死を選ぶ。何故か。
「死刑は、きっと薄暗い場所で行われる。そんな場所で殺されるより、私は、私が好きな国を見ながら死にたい……」
「お姉ちゃん……」
バカみたいな考えだと、自分でも思う。でも、反乱が終わったと聞いたときから、いや、その前から考えていた。自分の死に場所にどこがふさわしいのか。どこが、自分の人生の終わりにふさわしいのかと、ずっと、ずっと。
そして、たどり着いたのだ。この、国の全景が見渡せる小部屋に。あまりにも高いところにありすぎて使いづらいからと言って、物置にしかされていなかったこの部屋に。
ここでなら、ここからなら自分は気持ちよく死ぬことができる。アマネスは、何か確信にも近い物を持っていた。
それは、人間にとって一番持ってはいけない確信。自分が、自ら死ぬ場所を選ぶなどという生き物にとって絶対に行ってはならない禁忌。
けど、もう自分にはこれしか方法は残されていないのだ。
こうして、死ぬしか、自分の罪を罰する方法を、見つけられなかったのだ。
それが、彼女の弱さだったのかもしれない。
「なら、貴方に今から罰を与えるわ」
「え?」
そんな声が、二人が入ってきて半開きになっていた木製の扉の奥から聞こえてきた瞬間だった。とてつもない勢いで部屋の中に引き戻されたアマネスは、重い魔力、恐らく重さか何かを操る魔法によってその身体を床に押し付けられた。
「お姉ちゃん!」
「何を……!」
「ごめんなさいね、こうでもしないと、すぐ自殺されそうだったから」
「貴方は……」
アマネスは、目の前に立っている女性に驚愕していた。
そこに立っていたのは、グレーテシア元女王の秘書を務めており、なおかつ自分の上司である≪待女長≫を兼任していたローラだったからだ。
「ローラ待女長。どうしてここに……」
「この子たちがどうしてあなたを見つけることができたのか……何故だと思う?」
「そう、でしたか……」
そういえばそうだ。先ほども言ったが、今自分がいる場所は本来なら人があまり入ってこないような部屋。そこに、どうして二人がたどり着くことができたのか。答えは、明白だったのだ。
待女長であり秘書であるローラは、城の中で働く人間たちを監視監督管理する立場にある。そのため、城で働く者たちがどこにいるのかを、随時追跡魔法を用いることによって把握することができるのだ。
つまり、デクシー達がローラと出会ったのが偶然ではあった物の、彼女たちがアマネスの下に来られたのは偶然ではなかったという事だ。
少しだけ予想外の事が起こって唖然としていたアマネスだったが、しかし、一つの考えが頭の中に浮かんだ瞬間に、やはり微笑んでいった。
「待女長。ここで処刑してください。この、ミウコの全景が見渡せるこの部屋で……貴方に殺してもらえるなら、本望です。早く、首を跳ねてください」
その言葉に、デクシーはひどく驚いた様子で、泣きそうな顔をして彼女に近づこうとする。
しかし、彼女の周りはローラの重力魔法によって近づこうにも近づけなくなってしまっていたため、彼女はその範囲外から叫んだ。
「お姉ちゃん! 嫌だ、私、お姉ちゃんに死んでもらいたくない!」
「デクシー。私がいなくなっても、強く生きて……私のように、圧力に屈するような人間にはならないで……」
「……」
「貴方、名前は?」
と、アマネスが名前を聞いたのは、その隣にいる見知らぬ、しかしデクシーと一緒に来てくれた女の子だった。
「クランマ……マハリから来た人間の一人……」
「そう……クランマ、お願い。デクシーと、仲良くしてあげてね」
「……」
「こんなこと、初対面の子に頼むのもアレだけど……」
それは、彼女から周りにいる人間たちに対しての遺言に相違なかった。
そう、自分はこれで終わりなのだ。待女長であるローラに見つかったからには、それ相応の罰が与えられる。その権限を、彼女は持っている。だから、きっとここで彼女に処刑されるのだろう。ソレだけが彼女の頭の中にあった。
しかし、現実は違っていた。当然である。なぜなら、彼女は知っていたからだ。
「アマネス。貴方が自らすすんでラグラスに加担したわけではないことは、反乱した兵士の生存者からの聞き取りで把握しています」
「え……」
「協力しなければ、貴方の命だけじゃない。孤児院の子供たちの命をも危険にさらす。そう、脅されていたと……」
「お姉ちゃん、それじゃ……」
「デクシーや、他の子供たちのために……?」
「……」
そう、確かに自分は脅されていた。もしも協力しなければ、孤児院にいる子供たちがどうなることかと。
自分一人が殺されるのならまだいい。でも、孤児院の、何の罪もない子供たちが死ぬなんて、そんなの、許されるわけないじゃないか。
だから自分は、彼らに協力するしかなかった。それが事の真実だ。
でも。
「そんなの、言い訳にしかなりません。私が行ったことは、決して許されない……許されちゃならないことなんです!!」
アマネスの瞳からは大粒の涙がこぼれ始めた。そんなことしても、自分の罪は洗い流されないというのに。
「ですが、全て結果論です。アナタはただ、目の前で自分が助けられる命を救った。ただ、それだけ」
「けど、その代わりにグレーテシア女王を殺してしまいました……取り返しのつかない過ちを、私は……」
「……はぁ」
と、ローラは深いため息をつくと魔法を解除し、アマネスを解放して言った。
「なら、貴方に私が罪を宣告します」
「え?」
「国外追放。明日の日の出までに荷物をまとめてこの国から出て行きなさい。それが、貴方への罪、そして……あなたへの赦しです」
「……」
「以上です。では、これで」
それだけ言うと、ローラは興味を無くしたように部屋から出て行ってしまった。
国外追放、か。なるほど自分には最も残酷な罰だ。大好きな国を二度と目にすることができなくなるなんて、そして見ず知らずの世界で生きていくことになるなんて、生きている中で最も重い罰。自分にとっては終身刑よりも辛い罰だ。
そう、辛い、罰を、受けてしまった。
アマネスはその後、慰めるデクシーの声にも一切の反応を見せることなく泣き続けた。大粒の涙を流し続けた。
もう二度と見ることのできない国を視ようともせず、ただただ止めることのない涙を流すだけだった。
けど、彼女はまだ知らない。ローラが言った言葉の意味。ローラが付け加えた言葉の意味を、まだ、知ることはなかったのだ。




