第二十五話
最初に私たちが見たのは、灯だった。
命の炎の灯じゃない。命を失わせるために光り輝く、熱烈な灯。
私たちが見たその悪意を持った灯は、その国のために己の心を自制してまで尽くしてきた人を食い破る。無慈悲なる炎とかし、私たちの恩人たる女性の心臓を貫いているように見えた。
いや、貫いていた。
「ぐ、グレーテシアさん……」
「ぐ、あぁ……ぁ」
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
刹那、炎の剣に貫かれている女性の身体中に炎が走った。その姿に、リュカたちのすぐ後ろにいた待女が叫び声を上げた。
予想外だ。グレーテシアはそう思いながらも、胸から手足先にまで伸びていく炎の熱さをその身に浴びる。
まるで溶岩の中に落とされたかのよう。身体中の血液という血液が沸騰し、内臓を、そして脳をも焦がす。呼吸をしようにも炎が口の中に入ってきて、逆にそれで肺が燃えていく。そんな感じがする。
痛いなんて感情、持つ暇なんてなかった。早く、早く、早く死にたい。ただ、それだけを考えてしまった。早く楽になりたい。早く、早く、早く、燃え尽きるのなら燃え尽きたい。そう考えるだけのただの傀儡となり果ててしまった。
そんな自分に自嘲気味に笑みをこぼしたグレーテシア。目が沸騰し、視界がぼやけたところでようやくその意識を失った。いや、失うことができたと言った方がいいのかもしれない。
これ以上の苦痛を、味わう前に。
でも、これでよかったのかもしれない。
そう、よかった、んだ。
これで、自分、は。
―――に。
「グレーテシアさん!」
{やめて!!}
エイミーは、彼女を、グレーテシアを救うためにすぐに飛び込んだ。ラグラスはそれを見ると、困惑した表情を浮かべながら炎の剣ごとエイミーにグレーテシアを投げ渡す。
{熱ッ!!}
{エイミー!}
{師匠!!}
「誰か! 誰か水の魔法を!!」
炎の剣はラグラスの身体から離れるとすぐに消え去った。だが、グレーテシアに燃え移った炎が消えることはなく、エイミーに投げつけられたその身体は、憎たらしいほどに香ばしい匂いを漂わせながら燃え続けていた。
だが、エイミーはそれでも、その身体を離すことはなかった。魔力によって自分の身体を覆うことによって、その炎が自分に燃え移るのを防ぎながらも、彼女の身体を決して手放すことはない。
だが、そうはいっても熱いものは熱い。それに、そもそもグレーテシアはエイミーよりも体格が大きかったこともあって、投げつけられた勢いも相まって倒れそうになってしまう。
だが、それでも彼女は耐え抜いた。レラたちリュカ分隊の面々が水の魔法を使用するその時まで、鼻を抜ける匂いにも、徐々に侵食する炎の熱にも、耐え抜いた。ソレが、人間だったから。自分が持っている人は、炭でもなんでもない。人間だから。
そこにあるのは、命だから。だから、彼女は大切にしたかったのだろう。
「あ、あぁ……」
大量の水の魔法がエイミーとグレーテシアに降り注いで数秒、そこには、炭を持つエイミーがいるだけだった。
あまりの姿に、さしものリュカも言葉を失うしかなかった。
あんな、綺麗な、金色の髪を持った、見目麗しき女性が、さっきまでは元気に話をしていた女性が、少しだけ目を離した隙に炎の剣に貫かれて、炭化してしまった。
これまで、カナリアをはじめとして仲間の死というのは何度も経験してきた。でも、その死はその中でもあまりにも無残で、残酷な物だった。人間を、こんな姿にしてしまう魔法、それを使う自分たちという愚かな人間。
リュカは、思わず前世の[トラウマ]を引き起こしそうになって吐き気を催す。ダメだ、耐えろ。耐えるんだ。こんなところで怖気づいていたら、この後も戦う事なんて、できはしない。こんな≪死体≫を見るのにも、慣れなければ。
死体? いや、違う。
{まだだよ!}
{え?}
エイミーがそう日本語で叫ぶと、炭とかしたグレーテシアを床に置き、言魂を紡ぐ。
【イタイノイタイノトンデイケ イタイノイタイノトンデイケ】
それは、【完全回復】の言魂だった。確かに、その力がいかほどの物なのか、それは自分たち、とくにレラがよく知っている。死にかけだった己を、走馬灯まで見ていた自分を救ってくれたとんでもない魔法なのだから。
その力を使うことができるエイミー自身、その原理はあまりよくわからないで使っている。だが、分かることはその力であればどんな傷でも治すことができる、という事。
現に、炭と化し、小さく縮こまっていたグレーテシアの身体も、光に包まれると、その姿が元の綺麗な姿に戻っていく。まるで、逆回しされる[テープ]のように、再生されていくその身体。
けど―――。
{ッ! どうして……}
エイミーはワナワナと震えながらその手を、グレーテシアから離した。
確かに、魔法は成功したはずだ。光に包まれたグレーテシアの身体は完全に元通りになって、息を吹き返す。はずだった。なのに。
{ねぇ! 動いてよ、ねぇ!!}
グレーテシアは、一切の反応を見せなかった。肩をゆすっても、叩いても、うんともすんとも言わないグレーテシア。
まさか、そんなはずはない。そんなはず、いや、あり得るかもしれない。だって、あんな炎に包まれていたのだから。考えられないなんて、それこそ、考えられない。
けど、認めたくなかった。
エイミーは、グレーテシアの胸に耳を押し付けて、その心音を聞こうとした。だが。
{ッ……心臓が、動いていない……}
「心臓が、動いていない……」
「ッ……」
リュカは、エイミーの言葉を周囲に伝えるように呟いた。その言葉を聞いた周りの、日本語を理解できていなかった大半の人間たちは、それぞれに違う反応をする。主に、騎士団に所属している人間たちは無反応か、あるいは目を背けるか。
城に勤める待女たちは、口を覆うか、涙が溢れる顔を覆うか。あるいは、恐怖に絶叫し、膝をつくか。
そして―――。
「ふふふ……ハハハハハハハ!!!」
ソレをなした男は、ただただ笑うだけだった。まるで、狂ってしまったかのように、いや、元々狂っていたのかもしれない。出なければ、こんな所業、できないのだから。
{何がおかしい……何が、おかしいの!!}
「何がおかしいの! ラグラス!!」
リュカが、エイミーの心の底からの叫びをラグラスに届けるために、いや、自分自身の心の中の叫びも届けるがごとくに叫んだ。
人が死んだのに、こんな形で、一国の、自分の国の女王が死んだのに、どうしてそんなに笑えるのか、リュカにはよくわからなかった。
「グレーテシアさんは、死んだのに……この国の女王を殺して、何がおかしいの!!」
「女王は死んだ! そうだ、俺が殺したんだ! もうこの国を治める女王はいない! そうだ、ならば私がこの国を治めればいいのだ! 私が! この国を守った英雄が!! アハハハハハハ!!!」
なんだ、この男は。こんな男が、この国の近衛兵長をやっていたというのか。こんな、狂った人間に、グレーテシアは殺されてしまったというのか。こんな、こんな奴に。怒りがこみあげて来たリュカは叫んだ。
「冗談じゃない。貴方が最初に殺したがっていたのは、私たち厄子だったでしょ! 元々女王を殺すつもりなんて、さらさらなかったはずでしょ!? なのに、どうして!?」
「殺すつもりだったさ! 最初から!」
「なっ……」
その言葉に、リュカは言葉が出なかった。しかし、ラグラスは続ける。
「そうさ、この国に、世界に災いを引き寄せる厄子など滅べばいい! そして、その厄子を受け入れた騎士団も、女王も! 国のために、世界のために! 神はおっしゃったのだ!! 厄子など世界に不必要な存在なのだと!!」
「ッ!」
我慢の限界だった、唇を噛みしめたリュカ。その口元からは血がほんのりとにじみ出て、すぅーと下に落ちて行く。
「次はお前たちの番だ、厄子ども」
「おだまりなさい」
ゾクッ!? リュカは、背後から魔力に似た何かを感じた。これは、魔力、じゃない。人間そのものが持っている覇気、と言う物か。そんなものを出しうることのできる人物なんて、この中では数限られている。
だから、きっと。リュカは、後ろを見た。その瞬間だった。
「な、なにを」
「その口を閉じろと言っている! 反逆者ラグラス!!」
「ッ!」
女性は、まるで怒りを込めるかのように言った。いや、違う。これはただの命令だ。
そう、その人間より上位に立つことができるほどの力を持った人間だけが出せる、たった一つの、人間を操る言葉。それが、命令。
「フランソワーズさん……」
彼女は、グレーテシアの顔をひと撫ですると、誰よりも前にでてラグラスに言う。
「リュカさんは、ケセラ・セラさんは、エイミーさんは……災いなんじゃかない。今この国に災いを引き起こしているのは貴方です。ラグラス」
「何!?」
「貴方が叛逆を起こしたせいで、大勢のこの国の大事な兵士の命が失われました。そして何より、この国にとってかけがえのない女王の命まで……」
妹、と呼称しなかったのは、きっと彼女の心の強さなのだろう。リュカはそう思いながらその輝く後ろ姿を見ていた。
「だが! それも全て厄子がいたからだ! 厄子がこの国にさえ来なければ!!」
「厄子を道具にしているあなたが、何を言いますか!」
「なに!?」
「叛逆の理由に厄子という存在を利用している。そんなあなたが一番罪深い存在であると、何故気が付かないのですか!!」
「なッ……」
確かにそうだ。考えてみれば、先ほどからずっと厄子が厄子がと、言い訳ばかりを繰り返して来ていたラグラス。厄子という存在を理由にすればすべてが許される免罪符であると、そう思っているかのようにラグラスは叫び続けている。女王を殺すという最も罪深い行為を、厄子という存在で隠れ蓑にしているかのように。
そんなこと、許されるわけない。
「ラグラス近衛兵長。貴方が何年この国のために尽くしてきたのか、私には分かりません。ですが……貴方の行いが多くの悲しみを生んだのです。それが、分からないのですか!」
「それは」
「分かるはずありません! 分かったのなら、人の死にそんな笑えるはずありませんもの……」
「なっ……」
「……」
「人の死は笑えるものではありません。二度と会うことができない、二度とその温かい身体を抱きしめることもできない。もう二度と、笑って、話すことのできない。戻ってくることのないかけがえのない時間……貴方が奪ったのは、そんな大切で尊い物。そんな行いをしたあなたを、断じて、許すわけにはいきません!」
と言ったフランソワーズは最後にこう付け加えた。
「私はフランソワーズ。フランソワーズ・キーラ・バラスケス・サクラ・デ・ミウコ。前女王グレーテシア・サクラ・デ・ミウコ逝去により空いた女王の席を持った新たなミウコの女王です!」
「なッ!」
と。
彼女は、高らかに宣言したのだ。自分が、この国の女王となると。グレーテシアの代わりに、このミウコを守護する者となると。ことこの瞬間こそ、戦乱の中に生まれ、そして巻き込まれることとなったミウコ女王、フランソワーズ女王陛下の誕生の瞬間であった。
「ふざけるな! 他の国の王の伴侶となった者が!」
「その国は無くなりました。王も死にました。今の私は、元の私。ミウコで生まれ、ミウコで育った私……しかし、世界を周って、多くの知識を取り入れた、新たな私なのです!」
「ふざけたことを!!」
ラグラスは、その言葉に相当頭にきた様子で、再びその手に【炎剣】の上位互換に当たる【炎影剣】を宿した。
だが、フランソワーズは、いや女王は決してその手から目を離さずに命令する。
「リュカ! エイミー!」
「はい」
{え、呼ばれたの?}
{うん、そうだよ。この世界での了承の言葉、貴方も言って。後の言葉は、私が通訳する}
「ふぁい!」
と、不慣れなこの世界の言葉で返事をしたエイミーに、フッ、と笑った。しかし嘲るようなものではなく愛おしいような笑みを浮かべた女王は言う。
「ミウコ女王フランソワーズが命じます。この男、ラグラスを即刻、処刑なさい!」
「……はぁ」
リュカは、エイミーにその言葉を伝えた後に、ため息をつきながら髪を掻いた。呆れているように、いや実際呆れているのだが。
何故そのような反応を示したのか。それは、その手が示しているであろう。
「フランソワーズさん、ううん。女王陛下。私今、魔力使えないんですけど?」
そう、エイミーはともかく、彼女リュカは魔法石の力によって魔力を完全に奪われている状態。というよりそもそも手枷足枷のせいでその動きも封じられている状態なのだ。そんな自分に戦う様に命令するなんて。
「フフ……私は、一目見た時から気付いていましたよ。その、手枷の≪下≫にある物」
「さすが、新女王……お目が高い……」
やはり気が付いていたか。リュカは、なにか確信にも似た笑みを浮かべていた。
何故、彼女がソレに気が付いていたのかは分からない。だが、確かに今の自分でも十分、いや十二分以上に戦える力がある。
そう、この手枷を解放さえできれば。
{エイミー!}
{え、なに?}
だから、彼女の力が必要なのだ。リュカは両腕を天高く持ち上げると言った。
{思いっきりの魔力でこの手枷を叩いて!}
と。
{分かった!}
エイミーもまた、よくわからなかったが、しかしリュカの指示に従うことにし、右手に途方もない限りの魔力を込め、リュカが天に掲げた手枷を殴りつけた。
その、瞬間だった。
巨大な爆発が起こったのは。




