第二十四話
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ラグラスは、崩壊した廊下の中を一人、醜態をさらしながら走っていた。
正直無我夢中だった。目の前で突如として起こった反攻。
仲間の兵たちが皆殺され、気が付けば敵に囲まれているという状況下。歴戦の戦士ある彼であったとしてもその状況に混乱しないわけがなかった。
『このようなところで……終わってなる物かァァァァ!!!!』
だから、彼はあの魔法を使った。ありったけの魔力を込め、自爆するのも覚悟の上で、あの土系統魔法を。
本来その系統名の通り、土の上で使わなければならない魔法だった。あの魔法は、自分を中心として地面にひび割れを起こし、最悪周囲の地面を陥没させる魔法。
それを、自分は城の中で使用した。その結果、どうなることか。
土よりも脆い床は一瞬で崩れ落ち、その下の階もまた落ちて来た床の重さによって壊れ、何階も何階も下に落ちてしまった。
結果、自分は落下した際の衝撃で左手に痛手を負ってしまった。だが、おかげで逃げる時間を稼ぐことができた。床が崩れたことによって、瓦礫と土埃がいい目くらましになったのだ。
そのおかげで、自分は混乱する騎士団に気が付かれることなくその場から脱出することができたのである。
本来、城と言う物は魔法石で作られているためにこのような方法使用したとしても無意味なはずだった。だが、こと今回はまだ工事中だった部屋を使用していたために、一度床を魔法石から普通の石に変えてあったという事が彼にとって幸いだったと言っていいのだろう。
今、ラグラスは城の出口に向かって走っていた。
もしもの場合に備えて用意していた彼の根城、そこで他の謀反兵の仲間と合流し、作戦を立て直そう。そう考えていたのだろう。
彼ほどの人間が、騎士団が厄子や女王救出に動いた時点で、仲間たちがどうなったのか、そんなものも考えられないような狭い視野を持った人間ではなかったはず。
しかし、突然の奇襲と、突然の窮地に立たされたことによって、彼は完全に自分を見失った。
まだ彼は信じていた。まだ、仲間が何人も生き残っているのだと。
そのほとんどがすでに息絶えているか、もしくは捕縛されていることなんて、全く考えもしなかった。
「クッ……出口だ」
そんなことも考えもせず、ラグラスは一人城の出入り口へとたどり着いた。
その時だった。
「待て! ラグラス!」
彼のことを呼び止める者がいた。
その声、聞き覚えがあるなんてものじゃない。ラグラスにとって、ほぼ毎日のように耳にして、その指示を幾度となく形にしてきた。そして、自分が本来であれば守るべき人間だったはずの人物の声。
「ぐ、グレーテシア陛下……」
いまだに手足を枷でつながれたままのグレーテシアが、そして頭から血を流している彼女が、そこにはいたのだった。
魔法で衝撃を抑えることができたラグラスとは違い、魔力を完全に途絶されていることによって魔法を使うことができなかった。その差が顕著に表れていると言ってもいいのだろうか、ともかく、グレーテシアは目に入りそうになっていた血を拭うと言う。
「投降しろ、ラグラス」
「なんと……」
「お前ほどの人間だ、騎士団が動き出せたことが、一体どんな意味を持っているのか、分からないはずもない」
「……」
そう言われて、ようやくラグラスは考え、そして思い浮かんだ。自分たち謀反兵の敗北。人質の解放。
そして、己の死を。
「謀反を起こしたとはいえ、お前は長年この国のために尽くしてきたのは知っている。だからこそ、最期は名誉ある死を与えたい……」
「……」
なんと慈悲深いことか。グレーテシアは、己に無様な討ち死にや路頭に迷ったうえでの死等の、醜い死ではない。名誉ある処刑を与えてくれるという。
そんなもの、ごめんだ。
「残念ながら、私にとって名誉ある死とは、処刑にあらず!」
「では、なんだ……」
「国のために生き、国を守るために死ぬ。それこそが、私にとって最も栄誉ある死だ!」
そう言って、ラグラスはケガを負っていない右手に炎の剣を出現させた。
あの魔法は、【炎剣】。いや、違う。本来【炎剣】というのは、実体のある剣の刀身に炎を纏わせる魔法の事。しかし、彼は何もないところから炎の剣を生み出した。あの魔法は確か。
「【炎影剣】……自らの手を犠牲にして炎の剣を出現させる魔法……」
なるほど、ラグラスの覚悟という物が伝わってくるという物だ。
その魔法、見た目は確かに【炎剣】と似たところがあるのかもしれないが、違うところが二か所ほどある。
一つが、【炎影剣】は【炎剣】の二倍の殺傷能力を持っているという事。【炎剣】は実態のある剣に炎を纏わせただけである。見た目的には派手に見えるかもしれないが、実情は普通の剣とは変わらない。炎を飛ばす、等の副次効果はあるかもしれないが。
だが、【炎影剣】は、刀身から柄に至るまで純粋なる炎で形作られている。純粋であるという事程危険な物はない。その炎は触れた物皆焼き尽くす危険な武器になるのだ。
さらに、実体がないがゆえに鍔迫り合いになるもしくは相手に剣で防がれた時にも、それをすり抜けて相手に攻撃を与えられるという長所を兼ね備えている。
つまり、防御不能の魔法であると言える。現在、グレーテシアはそもそも武器もなにも持っていないためその長所自体は働かないが、掠っただけでも致命傷を与えられる身体であるという事に変わりはない。
そして、その魔法には【炎剣】と違うところがもう一つある。それが、グレーテシアが言った自らの手を犠牲にする、という事。
そもそも、何故剣に炎を纏わせる魔法という物ができたのか。何故、【炎影剣】という攻撃力が高い魔法があると言うの、【炎剣】という魔法が新たに作られたのか。
元々、炎を実体化させ剣の形にするという魔法が生まれた時、誰もがその有用性に感心した。だが、その魔法には大きな欠点があった。
それが、刀身から柄に至るまで炎で作られているというその魔法の最大の特徴にして最悪の欠点。
その魔法を使うと、使用者の掌まで炎で焼き尽くされ、もし長時間使用すると腕そのものが使い物にならなくなるという事態が幾度となく発生したのだ。
そのため、安全性を考慮に入れた【炎剣】が作られた。そう、彼女はかつての文献の記録を記憶から呼び起こす。
「これが、私の覚悟です。殿下……」
その魔法をしようしているラグラスの額には、脂汗が溢れだしていた。先述した欠点によって、使用しているのも辛いのだろう。
グレーテシアは憐れむ様に言った。
「そんなに、国が大事か……」
「当たり前のことを、言わないでいただきたい!」
と、叫びながらラグラスはグレーテシアに飛び掛かった。
「ッ!」
武器も持たない、手足の自由はふさがれている。その状況でグレーテシアにできることは、攻撃を避けることだけだった。
「国が大事なら、何故私を殺そうとする!」
狭い廊下―といっても人が五人程横並びで通れそうな廊下だが―の中で横っ飛びで避けたグレーテシアは、ラグラスに向けそう叫んだ。
「大事だからこそです! 陛下!」
「何!?」
意味が分からなかった。国が大事だからこそ、その国の女王を殺す。その方程式に彼が至った、その理由が、グレーテシアには理解できなかった。
「厄子は国に災いをもたらす。かつて厄子をかくまっていた国は飢餓や病に侵され、多くの国民が路頭に迷い、最後には戦争によって滅んだと聞きます。そんな厄子を、国民として迎え入れた……私は、このミウコがそんな姿になるのが、許せなかった!」
「だが、それは単なる言い伝えに過ぎない! 現に、ミウコを救ってくれたのは彼女たち厄子だ!」
「厄子がこの国に来るその直前に、強国だったトオガが、小国であるともいえるミウコに宣戦布告をした。それに因果関係がないと、そう言い切るのですか!!」
「ッ!」
確かに不思議だった。そもそも戦の発端は、自分がトオガの国王からの求婚を断ったことによる復讐、という事になっている。
自画自賛になるが、いかに自分が男を魅了する美貌を持っていたとしても、それで大国の王をも見向きさせることができるだろうか。
そして、ソレを断ったと言うだけで戦争を仕掛けてくるだろうか。確かに報復行為の一つしてはありかもしれない。
だが、大国トオガであれば、他にもミウコと他国との貿易の制限を設けるなりなんなりといった報復行為がいくつも思い浮かんだはず。何故、最後の手段にも等しいはずの戦、なんてものを選んだりしたのか。
ラグラスはそれを、厄子の、リュカやケセラ・セラのせいだと、そう言いたいのだ。
「私は、ミウコを愛している! だからこそ、その国を守るためならば、主君でもなんでも、敵に回す。それが、私の覚悟!!」
「……」
「それが、私の、この世界を作り出した神への御恩! 売国奴を排除する! ソレに何のためらいがあろうか!!」
そう、か。ラグラスの覚悟は相当なものだ。おそらく、おとなしく捕縛、なんてことはされないだろう。最後まで戦って、戦って、戦って、そして戦いの中で死ぬ。
国を守るためという大義名分を盾にして、暴力を振るい続ける。
ならば。
「ハァァァァァァ!!!」
「……」
これも、また運命だったのかもしれない。
ラグラスが、【炎影剣】の先を自分に向けたその瞬間。彼女の中にある考えが浮かんだ。
それは―――。
「グレーテシアさん!!」
瓦礫を押しのけ、ようやく階下にまでやってくることができたリュカ一行。
中には、城の中で働いていた人間たちが、城の崩落を恐れて一緒に逃げてきている様子も見える。
そんな彼女たちが見た物。それは。
「リュ、カ……」
炎の剣に、心臓を貫かれている。グレーテシアの姿であった。




