第七話 厄子
「そんな、あの狼が……私が殺した狼の中にあの子の、両親代わりが……」
胸が締め付けられたと同等の苦しみに襲われた。父に伝えられた衝撃は、脳に送られるはずの血液の一切がせき止められたかのように、一瞬のうちに身体を冷たくした。
まさか、あの狼の中に彼女の親代わりがいたなんて、知りもしなかった。いや、だからと言って自分が彼女にしてしまった罪から逃れることはできない。
自分は、彼女に≪あの男≫と同じことを、親を奪うという最低で、最悪で、そして残酷なことをしてしまったのだ。なんという事だ。
父が持ってきた情報はこの森に住む獣たちから伝えられた情報らしい。なぜリュウガは獣の言葉が分かるのか。素朴な疑問が沸いたが、今はそんなこと気にしている場合じゃない。
リュウガは、さらに獣たちからもらった情報を伝える。
「あの狼、ロウという種族らしいがその族長があの娘の両親だった。だから、彼女は自動的に族長となるそうだ」
「そうなの?」
「森の獣の話によれば、ロウの一族の族長はとあるロウの家族が世襲する物であり、両親が死んだ今、残ったロウの者たちを束ねることになるのは、あの娘……であるそうだ」
「そんな……」
つまり、まだあどけない少女。自分よりもまだ幼い少女が、種族の違う獣たちを率いる事になる。リュカはますます罪悪感に狩られることになった。なんという厳しい運命を背負わせてしまったのだろうかと。
族長という立場であるのならば、自分もまた事実上死亡したリュウガの跡を継いで龍神族の長になったという事で同じだ。しかし、自分は彼女と違って仲間もおらず、責任感も伴うこともなく自由気ままに旅を満喫している。
対して、彼女はこれから種族の壁を越えて、まだ幼いながらに凶暴な獣たちを従えなければならない。当然それに反発するロウもいる。統率を取ることが出来なくて苦労することもあるだろう。巨大な獣を相手にして、誰にも頼ることが出来ず、誰かに助けを求めることもできず、自分の無力に苛まれる時もある。そんな、辛い役目を押し付けてしまったのだ。改めて、自分のしでかした罪を認識してしまった。
「ほかの狼……というか他のロウが代わりをすることもできないの?」
「そのようだ」
どうやら、昨晩の火災によって大人たちは全滅。今残っている彼女一人と二十七体のロウは全員まだ童であり、それまでの習わしに加えて年功序列の関係から見ても彼女しか務まらないのだとか。
だが、例えそうだったとしても獣の寿命とヒトの寿命にはとても大きな差がある。ヒトの年齢では他のロウ達よりも上であったとしても、もし寿命を同じにして再度計算してみたら実はあの少女の方が下だった、なんてこともあるのかもしれない。
ふと、ここでまたも素朴な疑問が起こった。今度は、彼女に関することであったのですぐさまリュウガに聞く。
「そもそも、なんであの子ロウの一族と一緒にいるの?」
そう、どうして彼女が捨てられたのかだ。
自分の世界を基準に考えると、どこかに障害を持ったから虐待する、なんて親が時々見受けら、時に捨てられるという事も考えられる。しかし、昨夜の様子から見てどこかに障害を持っているようには思えない。
なら、金銭の問題。その子を育てることが出来るほどの給料がなかった、あるいは望まぬ妊娠によって産まれた子。残酷なようだが、そう考えれば自然なのかもしれないが。
「……あの髪色を見ればわかることだな」
「え?」
「捨てられたのだ。親にな」
髪色を理由に捨てられた。それは彼女が一切予想もしていなかったこと。一体、それはどういうことだ。
いや、そうか。分かった。何故こんな簡単なこと思いつかなかったのだろう。
お金とか、望まぬ妊娠とか、ましてや障害なんてもってのほか。あるではないかもう一つ。簡単で、しかも子供を捨てようとするのにとても十分な動機の一つが。
そう、その動機とは―――。
「《厄子》、だからだな」
「浮……え? ヤクコ?」
リュカ、玉砕。最終的に出た結論は瞬く間にいていされ、まったく聞いたことのない言葉にかき消されてしまった。
自分はてっきり、浮気の末にできた子供だからという物を考えてしまっていた。しかしなんてことはない。この異世界の事情という物だ。そんな物、別世界出身の自分が分かるはずも無かろう。
「この世界の髪色は基本的に黒か栗、そして金だ。だが、時折それ以外の髪をもって生まれる人間がいる。お前のようにな」
「あ……」
言われてみれば、自分の髪も翠。何故か異世界物の小説なんかだと髪色がとても奇抜な物になったりしているから、それが普通のモノであると勘違いしていた。だが、彼の言う言葉の解釈が間違っていないのならば、奇抜な髪色という物もこの世界では異端であるの一言で済むのだろう。
「そのような者は古くから災いを招くと恐れられており、もし産まれようものなら良くて捨てられ、悪ければ殺される」
「ひどい……」
なんだか、前の世界でも大昔に聞いたような話だ。ようは、魔女狩りとかそう言った類なのだろうか。やっぱり世界が違っても人間の愚かしさという物は変わらないらしい。まさかそんななくてもいいような共通点があるなんて、いい迷惑だ。
「あの娘は運の良い方だ。捨てられ、親代わりとなる物たちに拾われたのだからな」
「私、そんなかわいそうな子から親を、それに仲間もたくさん奪って……族長なんて重荷を背負わせちゃったんだ……」
不幸すぎる。だが、もしかしたら自分のした行いもまたその不幸の中の一つ。下手をすると、厄子としてロウの一族に災いをもたらしたのもまたあの子。
何を馬鹿な事を言う。彼女を不幸にしたのは自分だ。自分だ。自分だ。厄子という迷信にすがって罪から逃げてどうする。
これは、自分がもたらした災厄なのだ。ならば、自分がケリを付けなければならない。けど、どうやって。
気が付けば、彼女は天狩刀を鞘から抜いてしまっていた。その行動が、何を指し示しているのか。リュカには重々承知だった。
「なにをするつもりだ?」
「もしも、あの子がこの先……辛い人生を送るのなら、いっそのこと……ここで……」
あの子の命を、その方が幸せなら。
「ダメ! まだ、あの子と話もしていない! あの子の気持ちも聞いていないのに……」
リュカは、自分自身の手を抑え込んだ。まるで、その手が自分の物ではないかのように、自分自身の中の何かを抑え込んでいるかのように。
彼女の心の中では今世の自分、前世の自分が戦いを繰り広げている。どちらが彼女にとって幸せなのか。どっちが、この異世界という物では正解なのか。そして、何をするべきか。
考える。自分が何をするべきなのか。自分が彼女に出来ることはなんなのか。
残念なことにこの時、彼女には何も思いつかなかった。
理由は簡単。知っているから、復讐者が、親を殺された者が、殺人者に、親を殺した者に対する感情を。
分かりあうことなんて出来るわけがない。どんな償いをしたとしても決して許されるわけがない。だって、自分が許せないから。
私が、≪あの男≫の事を許せないから。
「……私、あの子と戦う」
だからこんな暴力的な考えしか思い浮かばないのだ。
「……それで、どうするつもりだ?」
「もしも、それであの子が辛い気持ちを持ってるのなら……私が命を絶つ。でも、もしあの子が重荷を背負ってでも生きたいって願うんなら……私と……私の……」
「……」
思いつきだ。言葉が先行しただけで、後はそれにつながるような言葉をつらつらと並べただけだ。
自分にあの子供の命を奪う権利なんてない。そう、知っている。知っているからこそ、自分は戦うのだ。彼女と。
命の意味を知るために。この世界での命の価値を知るために。自分自身の命の価値を測るために。
そして、もしも彼女がそれでも生きたいと願うのなら、自分がそばにいる。自分が、彼女の親代わりとして面倒を見る。
いや、違う。自分はただ仲間を欲してたのだろう。今後共に歩んでいける仲間を。多分、そんな気がする。
「甘いと思う?」
「若いうちは甘い考えで動いて痛い目を見るのも大切なことだ。成功しても、失敗してもいい。やってみろ」
「ありがとう」
きっとリュウガも自分が考えなしに言ってるということがわかっているのだ。分かったうえでなお、自分の成長に繋がるのならと賛成してくれる。
きっと彼はこの戦いで自分の娘が死ぬということは考えてないのだ。自分なら、あの女の子に勝つことができるとそう信じて送ってくれようとしている。
なら、その信頼に応えなければならない。
「では、戦の日時はワシが伝える。貴様はそれまで夜でも戦える策を考えていろ」
「わかった」
リュカは立ち、刀を仕舞う。彼の言う通り、早く夜中の暗い中でも戦う方法を考えなければ。
「ん?」
と、そこまできて少し妙なことに気がついた。
「え、ちょっとまってよ。なんで夜に戦わないと……」
そう、なぜわざわざこちらが不利な状況での戦いをしなければならないのか。戦を申し込むのは自分の方なのだから、せめて戦闘条件に関してはこちらに有利な方をとるべきではないだろうか。
しかし、彼の考えは違っていた。
「うつけめ。昨夜の惨敗を忘れたのか。もしも今後同じようなことがあったときのいい予行練習にもなる」
「え、で、でもそんな急に……」
「とにかく、戦は今日の夜。それは変えん」
「えぇ……」
と、強引な事を言ってリュウガは飛び去ってしまった。
飴と鞭とはよく言った物だが、彼の場合頻繁にくる鞭の方がとても強くて厳しい物であるような気がするのは気のせいではないだろう。
とかく、こうしてはおれまい。夜中まで体感で後十二時間とちょっと。それまでに戦い方を見つけなければ。
リュカは駆ける。その瞬間、昨夜に降った雨の滴のついた葉っぱが揺れ、水滴が地面に落ち、吸い込まれていった。
その水滴は、少女のために泣かなかった彼女のために代わりに森が流した涙。だったのかもしれない。




