第二十話
「はあぁぁぁぁぁぁ、俺も“遊び”に行きたかったなぁ……」
隊舎の前にいた兵士の一人は、先ほど他の兵士たちと一緒に出て行った見目麗しい女性陣のことを思い出しながらそう呟いた。
あの女性陣と≪遊べ≫たら、どれだけ幸せなことだろうか、等と思い浮かべるその様は、浅ましくもあり、そして愚者のソレそのものだった。
「仕方がねぇだろ、くじ引きだったんだからよぉ」
と、彼の隣にいた兵士もまた、やや不服そうに言った。
本来、隊舎の前を監視していたはずの兵士たち。しかし、そのほとんどは前回話した通りに騎士団の何人かを連れて≪遊び≫に行ってしまった。あの時、あのくじを外していなかったら。そんな、邪な考えばかりをする兵士たち。
「けどよぉ、結局市民人質に取ってんだから、こいつらが出てくることなんてないんじゃないのか?」
「まぁ、確かにそうだがな」
はっきり言ってしまえば、この兵士たち、やる気を感じさせない。考えてみれば、隊舎の玄関の前で円形に座り込んで話し込んでいる時点で、監視役としての役割を半分放棄しているも同じこと。
知略家が見れば、それは中にいる騎士団員を油断させるための作戦なのかと思ってしまう。しかし、単純な人間からしてみれば、隊舎を監視している人間を一網打尽にできる。そう考えれてしまう。
それにしても、だ。どうして、この兵士たちはこんなにやる気がないのだろうか。
それは、前述した通り女性陣との≪遊び≫のくじに外れてしまったから。それは半分。
今回は、それ以前の問題だった。つまるところ、彼ら、確かに謀反には参加した。しかし、根っからの悪意を持って参加したわけじゃない。ただ、周りの人間が謀反を起こすぞと躍起になっていたからそれに便乗しただけだったのだ。
その結果、どんな結末が待っているのかも、近衛兵長ラグラスがどんな思惑を持っているかなんて知らぬ存ぜぬ、ただただノリと勢いだけで参加しただけの若者たち。
集団心理という物は恐ろしい。他人がそれに対して行動したのに同調して。自分もまた動かなくてはならないと思って行動に移してしまう。
それは、時に身を守るために必要な人間の本能なのかもしれない。
しかし、それは大体が人間を殺すのに不可欠な人間の本能でもあるのだ。
例えば、火災報知器という物が日本にはある。アレが、学校で鳴り響いたとして、一体何人の学生が本気になることか。こんなもの誤報だ、いつもの事だと思って、ただただ授業を受け続ける。そんな豪胆な生徒ばかりだろうか。
いや、実際には違う。周りの人間が全く動かない。それじゃ、自分も動かないでおこうという勝手な心理が働いて、そうなってしまうのだ。
そして、もしもその火災報知器が誤報ではなかった時、その生徒たちは火に囲まれ逃げ場を失ってしまうだろう。周りの人間に合わせたがために。
集団心理という物は毒にも薬にもなる、危険な薬物。今回のこの兵士たちにとっては、結果的に毒となった。
これから、彼らはその毒の効果を一気に身に浴びることとなる。自分たちがした愚かしいこと、その因果を、その身に刻み込むこと、ソレが彼らに対しての罪だったのだろう。
けど、この中に一人、幸運だった人間がいる。
それは―――。
「え?」
{ッ!}
一番最初に、エイミーの攻撃を受けた兵士。
隊舎に背を向けて座っていた兵士の目の前に、突然空中から現れた桃色の髪の少女は、地面に三点着地で降り立つと、その拳に魔力を込めて思いっきりの一撃をその兵士に喰らわせた。
恐らく、拳に込めた魔力があまりにも大きすぎたのであろう。その一撃を受けた兵士は一瞬のうちに肉片とかし、その肉片もまた吹き飛ばして隊舎の窓に泥水をぶちまけたような音を立ててへばりついた。
「な、え……」
あまりにも刹那的な出来事に、周りの兵士たちは誰もが唖然となり、何も言葉を出すことはできない。そうこうしている間にも、もう一人の少女、キンが兵士の一人を背後から襲った。
「グハァッ!!」
「うお!? なんだ!!?」
キンは、文字通り男の心臓を鷲掴みにした。男の胸部から現れた物。それは、小さな細い腕と、繊細にして細かい動きも楽にできる美麗な指。そして、火山の火口のように脈打っている小さな心臓だった。
『……』
キンは、表情一つ変えることなくその心臓をつぶした。
必然、心臓を無くした人間が生きることなんてできるわけがない。
「が……あ……」
男は、断末魔の悲鳴を上げることもできず前のめりに倒れこんだ。キンはその男の背中から手を引き抜くと、虫の息な男の姿を見ながら呟く。
『山に住んでる獣の方が強かったかな?』
と。
なんだ、こいつらは。兵士たちはようやく困惑する時間を作ることができた。一気に、二人もの仲間を殺した少女たち。
その内一人は、厄子であるという証明の髪を持った少女だ。なぜ、どうして、ここにいるのだ。厄子は、全員捕まったんじゃなかったのか。
「な、なんだお前たち!!?」
男たちは、声が上ずりながらも腰に下げてある剣を抜いた。
遅い。あまりにも遅すぎる。
仲間二人を殺されて、目の前に謎の人間たちが現れたというのに、臨戦態勢をとるのがあまりにも遅すぎる。これがもし騎士団の人間たちであったのなら、そもそも自分が空から近づいてくるのも察知して動いていたことだろう。
油断は人を殺すとはこのことかと、エイミーは感じていた。
この程度の兵士なら、自分一人でたやすく殺すことができる。けど、そうはしなかった。なぜなら、この戦は、自分一人の戦ではないからだ。
エイミーとキンは、迫りくる魔力を前にしてしゃがみこんだ。
「な、ぎゃぁ!」
「なんだぁ!!?」
「ぐあぁぁ!!」
そして、それからほんの数秒、いや一秒後、彼ら兵士たちの首をめがけて薄っぺらい紙の、しかし極限まで鋭くした紙が数枚。何枚にも分かれた剣の刃が数十枚。魔力で作られた≪へ≫の字型の武器が一つ。
瞬く間に兵士たちに襲い掛かったのである。キンが殺した兵士は、レラたちから見れば≪反対側≫に降り立っていた。つまり兵士たちは皆レラ達の存在を知ることもできなかったのだ。
結果、突如として背後から訪れたその攻撃を避けることができる者なんてただの一人もおらず、すんなりと隊舎の玄関前を陣取ることに成功したのであった。
そのあっけなさぶりは、彼女たちに少なからず物足りなさというもを感じさせるものだった。
「一人くらい残して痛めつけてもよかったかしらねぇ……」
なんて、タリンが危なげな台詞を言うくらいに。
ともかく、である。レラは兵士の一人の懐に入っていた鍵を取り出すと、それを使って隊舎の玄関を開けた。
そして、中にいた騎士団数十人を解放することに成功したのであった。いや、それだけではない。
隊舎の中には、今回の謀反に参加しなかったミウコの兵が数百人単位で残されていたのである。
やはり、ミウコの兵士全員が愚かではなかった。それを知れただけでも、なんだかよかった気がする。
玄関に集まってきた彼女達。しかし歓喜の声をあげる者は当然いない。もしそれを察知されれば、国内にある難民達の身が危なくなるからだ。
なので、レラ達は静かに、情報交換を行う事になる。ふと、その時彼女は疑問に思った。
「それにしても不思議ね、あれだけの兵士なら、皆ならすぐに倒しちゃいそうなのに」
確かに、いくら人質を取られているからと言ってたったあれだけの弱い兵士が監視役だったのだ。彼女たちの力ならば、仲間を呼ばれる前に一網打尽にできる気がするのだが。
そのレラの言葉に苦笑いを浮かべた騎士団員の一人が言う。
「内側から扉を開けると警報が鳴る魔法をかけられててね。動くに動けなかったのよ」
「なるほど」
なんと単純な閉じ込め方をした物だろう。しかし、人質を取られている中で隠密行動を阻害されるような魔法をかけられるのは、単純すぎる故の動きづらさという物を与えられる。
結果的に、兵士の数が少なかったとはいえ、その魔法のせいで彼女たちは外に出るのを封じられた。なので、結論からいえば効果的だったのだろう。
しかし、こうして外側から扉を開けて入ったことによってその魔法も解除された様子。ここからは、自由に動くことができるという事だ。
「レラ、私たちは人質にされているマハリの人たちを助けに行くわ」
「お願いします。私たちは、城の中に」
ということで、中にいた騎士団員たち、並びにミウコの良識ある兵士たちに人質を監視している謀反兵を頼み、レラたちは城の中に潜入することになった。
また、その際にエリスはここから先はさすがに危険すぎるということで数名の騎士団員と共に、万が一謀反兵が隊舎に戻ってきたとき、あるいは交代要員として現れた時に口封じをするために残ることとなった。
今回エリスが作戦に参加したのは、エイミーやキンとの言語{コミュニケーション}が上手にできないが故の処置だった。しかし、リュウガと合流すれば、二人の言葉を翻訳することができるのでもうエリスがレラ達と一緒に行動する理由は無くなる。
だから、非戦闘員であるエリスには、ここに残ってもらう事となった。それから―――。
「貴方たち二人もね」
と、レラが顔を向けたのは、物陰に隠れて戦況を見守っていたデクシー、そしてクランマの二人だった。
エイミーが飛び出す直前に保護された彼女たち。しかし、その目には今でも残っているそうだ。目の前で飛び散ったあの兵士の身体の映像が。思い出すだけで身震いしてしまうほどのあの、恐ろしい光景が。
だが、そんな中でもデクシーは言う。
「でも、私……お姉ちゃんが心配で……」
あくまで、デクシーがここまでやってきた理由はただ一つ。城の中にいるであろう女性、アマネスが心配だったからだ。彼女の無事を確認できないままでここにいろだなんて、それじゃ何のためにここまでやってきたのか分からなくなる。
と、デクシーは思ったのだが、エイミーは彼女の頭を優しく撫でると言う―無論、エリスの翻訳付きで―。
{大丈夫。貴方のお姉さんも、皆、私たちが助けるから、だから、安心して}
と。
デクシーは、どういうわけかその言葉を聞いただけでも安心できるような気がした。
あの恐ろしい光景を作り出した張本人だから。
厄子というとんでもない力を持っているからか。
違う、彼女が笑顔だから。
その顔が、自分に力を、勇気と希望を与えてくれるのだ。
だから、彼女は託すことにした。
自分の義理の姉、アマネスの命を。
事件の結末は、もうすぐそこにまで向かってきていた。
なお、蛇足だがその後デクシーとクランマは、隊舎の中にいる女性兵士から濡れた服の代わりを借りた、という事だけは伝えておこう。




