第十一話
愛する国を見下ろしながら飲む酒は格別である。
それは、ラグラスにとっては先代の王に仕えていた時代から続けている習慣のようなものだった。
毎晩、自分は寝る前にこの国で作られた酒を飲んでから寝る。といっても、この国で作られた酒があまり上等なものではないという事も知っている。そもそも、この枯れた土地で酒なんて、本来なら作れるはずもない。
彼が飲んでいる酒、その素材自体は他国から送られてきたものを使用しているのだ。ただ、この国で魔法をかけることによって発酵させたりして、お酒としているだけ。故に、この国に来るまでにその素材自体の味は劣化しており、本来味わえるはずの芳醇な香りという物を感じることができずにいた。
いわゆる固定化の魔法という物を使って保存させるべき素材たち。そうすれば、少しは味の劣化を抑えることができるし、実際この国で売られている他の酒はそういった方法で運ばれてきた素材を使用して酒にしているので、他国と比べても遜色のない味わい深いと言える酒を造ることができる。
しかし、それでは無意味なのだ。
他国で魔法をかけられて旨味が固定化された素材。それは、とても新鮮な物を表す言葉のように聞こえる。
だが、その実態は侵略行為に等しいもの。他国で固定化されたという事は、その素材には他国の匂いが、他国の空気が劣化することなくまとわりついているという事の何よりもの証ではないか。
そんなもので酒を造ったとて、それが本当にこの国の酒であると言えるのだろうか。
いや、言えない。
この国で作物を、そして果実を作ることはできない。しかし、この国で、この土地で、この空と大地で作ることができる最高の酒、それは、たとえどれほどの上等な酒と比べても筆舌にしがたいほどの特別感があった。
だから、彼はその酒をあおる。国を愛するがゆえに。
「ん……」
と、その時だった。ラグラスの私室の扉を叩く音が聞こえて来た。兵士が、何かしらの報告をしに来たのだろうか。そう考えたラグラスは、入れ、と一言。
「失礼します」
すると、ラグラスは、一瞬眉をひそめた。外から入ってきたのは、兵士ではなかったからだ。だからと言って、今自分が敵対している人間というわけでもない。
「君か……確か、名前は……」
「……アマネス、です……」
そこにいたのは、若干十四歳、今年入城したばかりの待女であるアマネスであった。
そして、今回の自分たちの決起においてとても重要な役目を果たしてくれた少女でもある。
ラグラスは、酒の入った[グラス]を傾けながら言う。
「君には後に褒美を与えよう。陛下と、フランソワーズ姫を捕らえるのに協力してくれたのだからな……」
「ッ……」
その言葉を聞いたアマネスは、苦々しい顔をする。
そう、彼女こそが、グレーテシアとフランソワーズに魔法石で作られた手枷をはめた待女張本人であるのだ。つまり、今回の謀反の火付け役であると言っても過言ではない少女。
果たして、その少女が何をしに来たのか。
「あ、あの……ラグラス様」
「なんだね?」
「お願いします!」
刹那、アマネスは地面に頭を突きつけんがばかリの勢いで土下座をすると言った。
「厄子や、私のように大人のトオガの離反者は仕方がありません、でも! せめて、子供だけは、トオガの離反者の中にいる二人の子供は、助けてもらえないでしょうか!」
と。
そう、彼女は助命嘆願に来たのだ。せめて、子供であるトオガの離反者、ルシーとアルシアの二人は助けてもらえないかと。
「何故だ?」
「ふ、二人はまだ幼い子供です。国に災いを起こす厄子や……事情があったとは言え、トオガの国に協力をした離反者全員を助けてくれとまでは言いません。ですが……あの二人の子供だけは、なんとか……」
彼女は、優しかった。故の行動。
自分の、孤児院にいる子供たちと同じような年齢の子供たち。その命だけは助けてくれないかという、私欲にまみれた嘆願。
そのような物、通るわけがないし、そもそも厄子にもケセラ・セラという子供がいるのにそれを無視して他の子どもだけは助けるように願うのも、とてもじゃないが擁護することができない程に身勝手すぎる嘆願であると言えよう。
それだけじゃない。ラグラスは彼女の言葉におかしなものを感じ取って言った。
「何故知っている?」
「え?」
「トオガの離反者が、国王から呪いをかけられたことによって自軍を守らざるをえなかかったことを、なにゆえ知っているのだ?」
この情報は、ヴァルキリー騎士団や自分たちミウコの上層部でしか知らないような機密情報であったはず。それなのに、ついこの間入城してきたばかりの待女がその秘密を何故知っている。
アマネスは、そのラグラスの迫力に押され、漏らしそうになる自分の膀胱を締め付けながら言った。
「じょ、女王陛下に先ほど……面会に行った時に聞きました。彼女たちの事を……」
「貴様……」
「ッ!」
その言葉を聞いた瞬間、ラグラスは椅子から立ち上がると手に持った[グラス]を親の仇にぶつけるかのように、床に勢いよく投げ捨てると叫んだ。
瞬間、飛び散った[グラス]の破片が飛び散り、危うくアマネスにもあたりそうになる。幸か不幸か、土下座を継続していたために顔は真下を向いていたため彼女の顔に傷がつくことはなかったが。
「たかが新人の待女という立場にもかかわらず、女王陛下と謁見しただけじゃなく、話をしたというのか!」
「も、申し訳ありません!」
アマネスは、そのただならぬ雰囲気を前にして今度こそ、下半身からあふれ出る黄色い液体を止めることはできなかった。
暖かい、じんわりとした熱が身体を伝わり、床についている手にも少しだけその温かさが達してきた頃、アマネスは弁明するかのように言う。
「私は、ただ謝りたかったんです! こんなことをして、こんなことをするしか方法はなかったんだって、そう伝えたくて!」
と。
そう、今回の事件、アマネスは本心から火種を起こしたわけではなかった。彼女は脅されていたのだ。
もし、今回の謀反に協力をしなければ、自分の育った孤児院をつぶすと。
なんという職権乱用か、そしてなんという愚かしさか。国民の家を隠れ蓑とし誰かを脅すなんてこと、本来国民を守る立場にある兵士が、それも近衛兵長がしてはならないようなこと。
しかし、それほどまでに彼が追い詰められていたという証でもある。こうでもしなければ、厄子や強力な魔法使いたちを保有するヴァルキリー騎士団にはかなわないと知っていた。だが、だからと言ってそんなことを認めていいはずがない。
けれども、アマネスにはどうすることもできなかった。反対することも、意見をいう事も許されず、彼女はその指示に従うしかなかったのだ。
因みに、彼女がその任務に就いた理由は単純で、この城に来たばかりの新人ならば、それほど警戒されることはないだろうという根拠のない推論が原因だった。つまるところ、新人の待人であればだれでもよかった。彼女は、その誰でもよかったの人間の一人に選ばれてしまったとても不運な人間であったのだ。
結果、彼女は片棒を担がされてしまった。国を傾かせるような最悪な事件の片棒を、そして、反乱者という、決して消えることのない烙印を、押されてしまった。
だから、彼女はせめてグレーテシアとフランソワーズには謝罪したかった。こんなことをしてしまったこと、彼女たちを辛い目に合わせてしまったことを、ただただ謝りたかった。
そんな時に聞いたのが、トオガの国の離反者の真実。そして、その中にいる子供たちの存在。
全く持って予想だにしていなかったことに、アマネスは改めて自分が行ったことが本当に正しかったのかを心に問いただした。
でも、結局答えなんて出てこなかった。当然だろう。その答えに至るまでの方程式の中に、厄子という大切な存在を加えていなかったのだから。
式の途中の問題を一つ取り外してしまったら、答えが出てこなくなるのは当然だ。彼女は、それを知らなかった。
そして、忘れていた。
いや、忘れようとしていた。
厄子もまた、ただの人であるのだと。
それを深く考えることもしなかったが故に、彼女は答えを出すことができなかった。所詮、何も知らない普通の人間の認識なんて、その程度なのだ。
「……貴様の処分は追って通告する。下がれ」
「は、はい……」
先ほどまで褒美と言っていたのに、今度は処分。何とも、代わり映えの速い人間である事だ。
アマネスは、心の中でそうラグラスのことを蔑みながら、そして何もできずにただ罪だけを増やした自分を小馬鹿にしながらその部屋を後にした。
結局、その夜彼女は気が付くことがなかった。自分が、あまりにも理不尽な懇願をしていたという事に。
厄子の命も、離反者の命も、そして、孤児院の子供たちの命も自分の命も、全てが平等であるという事を、彼女は知ることなく夜は更けていくのであった。
ラグラスは、その少女の後姿を見ると、窓の外に一望できる国を見渡して言った。
「私の国に、余計な物はいらぬ」
と。
そして、彼は自らを天に差し出すかのように両手を広げると言った。
「イェンエンの神よ、私に力を、厄災を退ける力を与え給え……」




