第十話
その瞬間、デクシーは声を上げることもできなかった。
いや、正確に言うと。声を上げる必要もなかったと言った方がいいだろう。
結局のところ、こういう状況に置いて悲鳴を上げる人間というのは、判断能力に欠ける人間である。そう、デクシーは考えている。
もしも、ここに自分に危害を加えようとしている人間がいるとしよう。ならば、どうしてその人間はわざわざ自分に声をかけて来たのか。そんなことをすれば逃げられる、最悪悲鳴を上げられて、周りから人を集めてしまうのに。
それに加えて、その声色。先ほど聞こえて来た幼い、女の子の声。それはまさしく、自分と同年代の少女の声であると断言してもいい。そんな人間に対して、悲鳴を上げることなどできようか。少なくとも、大人の、男性でなかっただけマシ、そう思う方が先ではないだろうか。
ついでに言えば、度胸のない人間が。こんな夜更けに出歩くなんて、あり得ない。先生に怒られる。いや、最悪の話暴漢に襲われてそして―――。そんなことも知っていながらも、覚悟のうえでの外出を何度もしている。そんな自分がこの程度の事で悲鳴を上げていてはだめなのだ。
そう考えながら、デクシーは冷静に後ろを振り返った。すると、そこにはやはりいた。
自分とほとんど同じ身長の、一人の女の子の姿が。
「こんな夜中に、どこに行くの?」
「それは、こっちの台詞……あなたは、どこに行くの?」
彼女たちは、まるでそう会話をするように操作されていたかのような、定型文的な表現で話し合った。
それから数分後、ゆっくりと話がしたいとの相手方からの申し出があって、デクシーたちは路地裏に身をひそめることにした。
そこは、街が普段通りだったとしても誰も立ち寄ることがないようなとても辺鄙なところで、さらに夜中という時間も相まって、人が来ることなんて考えられないような場所。そこでなら、ゆっくりと話すことができるだろう。そう考えたデクシーの方から言った。
「私はデクシー、この先にある孤児院で生活しているの」
「孤児院……私の名前は、クランマ。マハリから来た難民の一人って言えばいいかな?」
「マハリから……」
それを聞いた瞬間、デクシーの顔つきがとても暗いものとなった。
マハリから来た、つまり彼女の故郷は既に滅んでしまっている。そんな人間に出会うことが初めてで、どのように声をかければいいのか分からなかったからだ。
励ましの声をかければいいのか、ねぎらいの言葉をかければいいのか。でも、そのどれもが彼女にとっては地雷のようにも感じるし、そんな言葉を待っているとは限らない。
下手をすれば、その言葉で彼女を怒らせて、悲しみを増やす結果になるかもしれない。デクシーは、言葉を選んでいた。
「そんな顔しないで……確かに生まれ育った国から出るのは辛かったけど、今ではもうミウコになじみ始めているんだから」
「……」
と、クランマは強がるように言った。強がるように、というのはデクシーの思い込みの可能性もある。でも、彼女が笑顔を見せようとした時に一瞬だけ見せた悲しげな表情。それが、彼女に、クランマの悲しみを覚えさせたのだった。
そう、クランマはまだ納得していなかった。マハリを、父を捨てたフランソワーズの事を。だからこそ、こうして彼女はわざわざ≪危険を承知≫で外に出てきたのだ。
「……話を戻すけど、こんな夜更けに……それも、マハリの難民の子がどうして歩いているの?」
デクシーは、強制的に話を戻そうとした。もうこれ以上この話をしても、彼女が悲しくなるだけだから。
「私は、ただ、フランソワーズ姫が気になったから……」
「姫が……」
フランソワーズ。一か月前にマハリの国から帰ってきたお姫様の事だ。
十数年前に国からいなくなって以来、その消息がつかめていなかったらしく、その時にはすぐ目の前に戦争が迫っていたためそれどころではなかったが、ソレが終わってからは国中の話題の種になっていたはず。
そして、今回の事件において女王陛下と共に人質とされてしまった。
それが、フランソワーズ。
噂が確かならマハリの国で妃、つまり国王の奥さんをしていたと言うのだが。
「やっぱりマハリの国のお妃さまだったから?」
「そんなんじゃない……私は、あの人が憎い。ただ、それだけ」
「え?」
聞けば彼女。マハリの国が戦乱に巻き込まれて消滅する際に、父親を失ったらしい。父親は、自分を戦争に巻き込ませたくない、自分たちが逃げる時間を稼ぐ。ただ、それだけのために残って、死んでいった。
この辺り、物心がつく前に父親を失った自分には想像も絶する悲しさがあったのだろうと、その表情が物語っている。
そんな父を、悪く言えば殺したフランソワーズ姫の事が彼女は憎かった。憎くて憎くて、このミウコに来た直後に一度彼女に文句を言ったと聞いたときには、流石のデクシーも驚いた。
一応一国の姫、自国の妃に対してそんな文言を吐くことができるなんて、なんとも勇気があるというか、無謀であるというか、一歩間違えれば不敬罪で拘束されていてもおかしくないような真似をするなんて。
けど、フランソワ―ズはそんな彼女のことを咎めるようなことはしなかった。むしろ、自分が死んだときには唾を吐きかけてほしい、等と言った言葉をかけられたそうだ。
自分にはそれだけの責任がある。自分には、それだけのことをしたという償いをしなければならない義務がある。そう、彼女は信じていたそうだ。
「お姫様が、そんなことを……」
「今回の事件で、フランソワーズ姫がどうなるか分からない。でも、もしも死ぬようなことがあったら、その時は……」
唾を吐きかけてやる、か。
「まさか、そんなことのために抜け出してきたの?」
「……」
彼女はゆっくりと頷いた。
あきれて言葉も出てこなかった。とはいえかくいう自分だって少し似た理由で孤児院から抜け出してきたわけなのだから、どっこいどっこいといってもいいだろう。
「兵士に見張られていたから、抜け出してくるのは難しかったけど……でも、私には彼女の最後を見届ける義務があるから……」
「兵士に、見張られていた?」
「うん……」
ここでデクシーは知るのである。マハリからの難民が、今回の謀反によって蜂起した兵士たちによって監視させられていると。いわゆる、人質にされてしまっているのだと。クランマは、そんな警戒されている状況の中、自分が住んでいる家に抜け穴を作ったそうだ。
兵士が取り囲んでいた自分たちの住処の畳や床をはぎ取って、地面に穴を掘り脱出。いうのは簡単だが、見つかったらダダじゃすまないと分かっているのにその行動を取れる彼女もまた豪胆を通り越した向こう側の人間だと、自分と同じだとデクシーは思っていた。それと同時に、彼女の話の中にあった人質、という言葉を受けてどこか今回の謀反に対して納得した印象を持っていた。
ミウコの兵士と、マハリから来てくれたヴァルキリー騎士団の力の差は歴然としている。その魔法の熟練度、戦い方、そして戦法、どれをとってもミウコのソレを大きく上回っていたのは、騎士団が来てからミウコの兵士との模擬戦を何度も見学していたので、間違いない。
ミウコの兵士たちも分かっていたのだろう。だからこそ、彼女たちが守ってきたマハリの難民たちを人質に取ることによって自分たちの優位性を高めようとした。
「今更だけど、ウチの国の兵士って、なんでそんなに短絡的なんだろう……」
「それは、ヴァルキリー騎士団も大して変わらない気もするけど……」
デクシーの呆れるような言葉に対して、クランマは言葉を重ねるがごとくに言った。
確かに、ミウコの兵もヴァルキリー騎士団も短絡的、というか一度考えたら一直線に向かうという観点から見れば似ているのかもしれない。まぁ、ミウコの兵は文字通り破滅の道を一直線に向かっているような気もするのだが、それはそれで別問題である。
ともかく、今回の戦争の立役者である厄子やトオガからの離反者に怒りを覚えて自国の女王を人質に取るなんて、考えて見なくても愚かな行為。そんな事、子供のデクシーにすら分かっていた。
では、どうしてそんな愚かなことをするに至ったのか。デクシーは聡明すぎる子供であるがゆえに分からなかった。クランマは、普通の子供であるがゆえに分からなかった。
ただ一つ分かること。それは、この事件の首謀者であるラグラスがいかに無能であるか、という事だ。
「とにかく、城に向かおう。何か分かるかも」
「うん……」
こうして、ミウコで生まれ、育った女の子と。異国で生まれ、育った女の子。二人の女の子が邂逅を果たした。
果たして、この出会いがこの後、どのような物語を生むのか、それは誰にも分からないことであった。




