第九話
ここに、再び一人の少女。デクシーの証言を乗せることを、お許し願いたい。
謀反が起こった後、デクシーを含めたミウコの国民は、ほぼ全員が外出禁止令を出されてしまい、それぞれの家に帰った。デクシーもまた、近衛兵長ラグラスの演説を聞いた後は困惑するしかなかったが、その後現れたミウコの兵たちに脅されるような形でその意識を目覚めさせ、自分が住んでいる孤児院兼教会へと帰った。
それから数時間。すっかり日が落ち、突然の謀反に恐れ、おののいている子供たちを寝かしつけるのに成功したデクシーは、一人布団の中で思いだしていた。
「アマネス姉さん、大丈夫かな……」
この教会から先日巣立っていった二つ年上の、自分にとって姉と呼称してもよいくらいに仲の良かった女性だ。
例え、自分たちがこの孤児院に拾われて、育てられてきたとしても、いつかはこの場所から離れる時がやってくる。
基本的にこのミウコの国の就職年齢という物は、他の国と比べてもかなり低くて、十三歳にもなれば大抵の職業に就くことが許されている。最も、適正やら性別、それに資格の関係で就くことのできない職業があるのは事実なのだが、しかしそれでも大方八割くらいの職に就くことが許されているのだ。
アマネスは、その就職年齢から一つ遅れてある仕事を見つけ、ついこの間この孤児院から離れて行ったばかりだった。
天真爛漫で、いつも笑顔を絶やすことのなかった、そしてとても仲の良かった義姉が就職したことに、本心では少し寂しい思いをしたデクシーだったが、しかし彼女の幼いころからの夢だったという職業に就けたことに、表面上だけでも喜ぶことができた自分は、きっと強い女の子なのだろうと、自画自賛をしてみる。
そんな義姉のアマネスが心の底から就きたいと願った職と言う物が何を隠そう、このミウコの中心である城の待女だった。何故、それが夢になったのか、デクシーは一度聞いてみたことがある。すると帰ってきた答えは単純明快だった。
『自分は、高いところが好きだから』
確かに、この国で一番高い場所と言ったら、城であると断言できる。というか、それ以上に高い建物なんて法律で許されていない。
それを考えると、彼女が城で働きたかったというのにも納得がいく。そして、それはきっと、小さな世界だけにとどまりたかった自分と、大きな世界を見たかった姉との違いなのだろう。
けど、それを聞いたときにもう一つだけ疑問がわいた。
どうして、高いところが好きなのか、と。
自分は彼女に聞いてみた。すると、アマネスはいつも通りの優しい笑みを浮かべて言うのだ。
『高いところにいると、お父さんやお母さんが見守っていてくれると、そう思えるからよ』
と。実は、親の顔も知ることなく育ったデクシーとは違い、物心つくその時まで親と過ごしていたというアマネス。一体どんな理由で孤児院に来たのかは、彼女に失礼になると思って聞くことができなかった。でも、きっと切ない別れ方であったのはその時の笑みの向こう側に見えた悲しそうな目を見ればはっきりと分かった。
死んだ人間の魂は、天に昇ると、おとぎ話では聞いている。だからこそ、彼女はその天に、父や母に近づきたかったのかもしれない。それが、単なる妄想であったとしても、そこにいるだけで両親に近づくことができたと、そう感じることができたのかもしれない。
だから自分は祝福した。彼女を、アマネスを、笑顔で送り出した。この孤児院から巣立っていった、一人の先輩として。立派に巣立った彼女を。
だからこそ、デクシーは心配なのだ。城の中にいるはずの姉、アマネスのことが。
今、彼女はどうしているだろう。謀反兵たちに、ひどい目にあわされていないだろうか。いや、彼女の容姿だ。きっとひどい目に合わされているとするのならばとうの昔にされているだろう。なんて、ちょっと卑猥なことも考えられるようになったお年頃。
「やっぱり、行くしかない……」
握りこぶしを作り、孤児院の窓の外にある城を見据えたデクシーは、覚悟を決めたように呟いた。
彼女の無事を確認する方法。それはもちろん、実際に城に出向いて彼女の姿を見るしか方法はない。
自分がどれだけ危険なことを考えているのか、勿論分かっている。第一、彼女の無事を確認したいだけならば、あと一晩待てばいいだけなのだ。
先ほど、近衛兵長から国民に向けて通達された。自身が要求していた≪厄子≫と≪トオガからの離反者≫が投降し、さらに先日の戦争の際にこの国を守るために必死で戦った騎士団長をも捕らえ、明朝に厄子たちの処刑を行うのだと。
それが終わりさえすれば、女王も姫も解放され、そして城の封鎖も解かれるはずだ。それを待ちさえすれば、危険な真似をしなくても彼女に、アマネスに会いに行くことができる。
分かっている。分かっているのだ。でも、どうして彼女は欲求が抑えきれなかった。
それは、きっと自分が、彼女のことが―――。
「……」
なんて、危険な考えをしていたら正直らちが明かないし、そんな不埒な考えで彼女に会いに行きたいわけじゃない。
なんだか、胸騒ぎのようなものを感じるのだ。
このまま、ここにいてはだめだという、そんな胸騒ぎ。今すぐ、行動を起こさなければ絶対に後悔するという大きなざわめき。
彼女は、どこか心の底で感じ取っていたのかもしれない。彼女が今、自らの意思で危険な状態に陥っているのだと。
「それじゃ、行ってきます……」
デクシーは、小声ですぐそばで眠っていた孤児院の家族たちにそう伝えると、ひっそりと裏口から≪いつものように≫抜け出した。
そう、デクシーは毎晩のように孤児院を抜け出して夜の街に出ていたのだ。
彼女も、ミウコの国が好きだった。だから、その夜の姿もまた好き。ひっそりとして、ほとんど音の聞こえてこない静かな夜の景色。
潮の粒のように細やかに、そして煌めきながら星が浮かんでいて、それが全部落ちてきそうで怖くて、でもそれももちろん美しくて。
国中を吹き抜ける風は、一月に一度孤児院で出てくる高級な[スープ]と同じくらいいい匂いがして。
それらの事から、自分は、人という存在がいかに自然にとって不要な物であるのかを、知ってしまったようで最初は少し悲しかった。
でも、その悲しさも含めての人間なのだ。その虚しさがあるからこそ、人間は人間として生きることができる。ありのままを生きることができる。
そして、そんな国を愛することができる。だからこそ、デクシーは不思議でならないのだ。
どうして、そんな国を守るはずの兵士がこんな真似をしたのか。さっぱりと、分からない。まったくだ。
国を愛していなければ、国を本当に守りたいと願わなければなることができないはずの兵士。
ソレに就けて兵士たちだって嬉しかったはずだ。アマネスと同じように。自分の命も顧みずに他国からの侵略に対して歩を進み続ける。それを誇りにしていたはずだ。
それなのに、どうして女王を姫を人質にする真似をしたのか。どうして。なんで、何故。デクシーは理解できなかった。
しかし、それも当然だろう。なぜなら、今回の事件の首謀者であるラグラスの闇を知るには、あまりにも彼女は幼すぎた。あまりにも彼女は国という物を過信しすぎていた、信頼しすぎていた。
愛国心。彼女も持っているソレが今回の事件の引き金になっていたなど、一体だれが予想できたものか。
月明かりに浮かぶ城を見つめて、物思いに更けている彼女の背後に立った≪彼女≫は、その、どこか悲し気な顔をキリッと変えると、言った。
「ねぇ」
「ッ!?」
デクシーは、声を上げることもできなかったという。




