第四話
じめっとした、とても生ぬるい空気。
今が、昼なのか夜なのかも判別できないくらいに外界から隔離された、三方を石で積み上げられた部屋の中。
女性、フランソワーズは微笑みを絶やさずに言った。
「マハリもそうだったけど……」
「……」
「どうしてこういう牢屋は、地下に作るのかしらね」
彼女の姉、グレーテシアはその言葉に何の反応もすることなく、まるで目から魔法でも放つかの眼差しで、ただただ鉄格子の向こうにいる男の兵士を見ていた。多分、隙を見て兵士を殺し、その牢屋の鍵を奪おうとでも考えているのだろうか。
だが、おそらく今の彼女の状態では、まともに動くことも困難であろう。昼間の模擬戦の疲労や[ダメージ]もそうであるが、その最たる理由は、自分の手足にも付けられている枷。マハリの国でも罪人が魔法を使用しないために使っていた魔法石で作られた枷だ。
これにより、今の自分たちは只の人間以下ーこの世界ではほぼ全ての人間が魔法を使用できるからーの存在に成り果ててしまっている。だから、何もなすことができない。できるとしたら、こうして世間話をして緊張をほぐすくらいだろう。
「もう少し日の当たるところに作ってもいい気がするのだけれど……」
と、フランソワーズはグレーテシアが話を聞いていないということも承知の上でさらに話を加える。全くもって無駄話もいいところだ。というか、今はそんな話をしている場合じゃないというのはフランソワーズも分かりきっていること。
今、自分たちがいるのは前述した通りこのミウコの国の城。その地下に作られた牢屋の中だ。国を治めているはずのグレーテシアと、その姉であるフランソワーズが本来いてはならない場所、と言っても過言ではないだろう。
だが、事情が事情だ、そんなこと言っても無駄であろう。
全くもって、前代未聞の大事件であるという認識に間違いはない。まさか、本来ミウコの王を守るはずの近衛軍からの反乱にあうなんて。
しかも、彼らからの要求もまた奇想天外と言っても良いものだ。
「それにしても、まさかグレーテシアの失脚とリュカさん達の引き渡しなんてね。あの子もこんなに早く一国の女王と同列に扱われるなんて、思ってもなかったでしょうね」
と、茶化したように言うフランソワーズ。正確に言えば、彼らからの要求は、厄子と、トオガからの離反者六人。つまり、リュカのみを標的としたものではないため、その評価はすこし間違っているような気もするのだが。しかし、彼女からしてみれば、リュカが自分の妹の王女と同列に扱われたのが、少し嬉しかったのかもしれない。
彼女は、いや彼女たちはマハリの王、つまり自分の夫から託された大切な子供たち。そんな子たちが、自分の妹と同列に扱われたという事、それはいろんな意味で幸せな事であるし、幸せな人であったと言える。
「随分と、余裕そうですね。お姉さま」
流石に、ここまで笑顔を絶やすことなく喋り続ける姉にイラついたか、はたまた呆れ果てたのか、グレーテシアが肺に溜められていた暖かい空気を吐き出しながら言った。
「えぇ、だって、何も心配していないもの。こっちには、ヴァルキリー騎士団がついているのよ。きっと、すぐに助け出してくれるわ」
「その楽観的な性格が、すこし羨ましいと思う時がありますよ……」
と、再び呆れ果てたようにグレーテシアが言った。どうして彼女がそんなことを言うのか、ソレは、今のこの状況を見れば明らかだ。
「では、何故その騎士団の人間は助けに来なかったのですか?」
フランソワーズは、彼女のその怨嗟にも似た言葉にも、笑顔を絶やすことはなかった。
だが、確かに妙だ。というのも、ヴァルキリー騎士団の多くは、件の厄子、リュカ達と一緒に動く山の調査に向かった。
しかし全てというわけではない。少なくとも、国の防衛に支障が出ない範囲で人員をミウコに残して調査に出たはずなのだ。
だからこの国、というよりもこの城の中には確かに、騎士団の人間が百何人といたはず。なのに、この突如として起こった反乱に対して、助けにくるものは誰一人としていなかった。
これは、どう考えてもおかしい。
「もしかすると、騎士団の人間も奴らの仲間になったのかも……」
などと不安を吐露したグレーテシアに対し、フランソワーズの口元から笑みが消えた。
「アハハハハハッ! それは、ないわ」
代わりに、満面の笑みが彼女の顔を包み込んだ。まるで、どこかの街の商人がヘンテコな詐欺にあった話を聞いた、井戸端会議の主婦であるかのように。
その突然の笑い声に、隣にいたグレーテシアも、牢屋の外で見張りをしている兵士も、口を薄らと開けて唖然とするしかなかった。
「彼女達騎士団はこんな野蛮なことには参戦しない。彼女達にだって、誇りがあるのよ」
「だが……元々騎士団の大多数は国からのけものにされた人間達の集まりのはず」
「だからこそ……です」
今度こそ、真剣な顔つきになったフランソワーズ。その目は、誠にだれかを信じている眼差しに他ならない物。真に、上に立つ者としての矜持のようなものを感じさせる強い視線だった。
「仲間に見捨てられた者、仲間に入れてもらえなかった者。それが、大多数を締める。だからこそ、他の騎士団の仲間達を裏切るような真似はしない。私はそう、信じています。辛さを知っているからこそ、その辛さを他人には強いることはしない。それが、人間だと、私は信じていますわ」
「辛さを、他人に強いることはしない……」
やはり、思った通りだった。グレーテシアは、心の中で密かに存在していた不安の霧が晴れていくような気がした。
姉の人生は、フランソワーズが失踪したこの十数年間は、無駄ではなかったのだ。
その世界を経験して、自分が見たこともないような景色や、人々の感情に触れて、大きく成長していたのだ。
だからこそ、心の底から溢れる信頼感。もしも、自分にもその信頼があれば、誰かを信じる気持ちがあれば、こんな反乱なんて起こらなかったのだろうか。
彼女について来てくれたマハリの国民達に与えた求心力があれば、苦難を強いることはなかったのだろうか。グレーテシアは、間違いなく迷いの中にいた。
「強いですね。お姉様は」
「じゃなければ、一国の王の妃になんてなれません。それに……」
「それに?」
彼女は、その後の言葉を紡ぐべきか一瞬だけ迷ったのち、一度だけ唇を噛み締めたのちに言った。
「そうでなければ、子供達を捨てるなんて、非情な選択はできなかったから」
「……」
フランソワーズのいう子供達、それは自らの子供も含めた多くの厄子のことなのだろう。
確かに、最終的な決定権を持っていたのは王だった。だが、自分もまたその非情な選択に同調して、多くの子ども達の命を奪った。その中には、自分の子供もいたと、そうついこの間までは思っていた。
「大丈夫。今頃山にいるセイナ団長やリュカちゃんたちが、策を練っているわ」
だから、それまでの辛抱よ。そう、フランソワーズは繋げた。
まるで、それ以上の言葉を繋げるのを拒むかのように。
辛い事は、思い出さないほうがいい。そうでなければ、すぐに人は病んでしまう。彼女は、それを知っていた。
その時だった。鉄の鎧を着た人間が、おそらく、階段のある方向から降りてくる音が聞こえてきた。どうやら、反乱を起こした兵士の一人らしい。
「おい、大変だ!」
と、兵士は牢の前で見張りをしていた兵士に叫びながら近づいた。
「どうやら、何かあったみたいね」
「あぁ……」
まさか、本当に騎士団が動き出したというのか、自分たちの救出に。
「なんだ、何があった!?」
「引き渡されたんだよ!」
「は?」
「ん?」
引き渡された、って誰が。誰に。グレーテシアは、頭上に大きな[ハテナマーク]を浮かべた。
「引き渡されたって、誰が?」
「決まってるだろ! 厄子と、トオガの裏切り者だよ!」
「な、なんだって!?」
「……」
「どうやら、動き出したみたいね、あの子たち」
フランソワーズが、イタズラっぽくそう、グレーテシアにだけ聞こえるように呟いた。なんだか、この状況を楽しんでいるようだ。
やっぱり、外の世界は危険である。あんなに誰にでも優しかったお姉様が、こんなにも図太くなられるなんて。きっと子供の頃の自分が聞いたらそう感じるだろうモヤモヤとした気持ちが、そして、うらやましいような気持ちが。グレーテシアの中に生まれるのであった。




