第五話 蒼い閃光
月の影となった部分から一瞬にして月明かりに照らされた箇所へと投げ出された蒼い子供。
リュカは、まずその腕から放たれた一撃を手に持った巨大刀天狩刀で受け止めた。
刀の腹で受けた攻撃。当然母の打った刀であるため、壊れて突き抜けるということはない。しかし、そのすぐそばから出る火花や刃を伝わるジーンとした衝撃は、リュカの身体を数センチ下げるほどだった。
「ッ! この子、強い!!」
一撃を防いだだけでもわかる。この子供は強い。先ほどの狼たちと比べれば殺気や怒りを隠す技術はないものの、しかしそれ以外ではおそらく互角。ただの人間がどうしてそこまで獣に近づけるのかはなはだ疑問だが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「ガァぁ!!」
「ッ!?」
重さが消えた。と、同時に右方向から感じる殺気。おそらく、刀を砕くことはできないと考えたのだろう。蒼い子供は、刀を構えることによって生まれた死角をうまくつきリュカの右側から瞬時にその首根っこを狙ってきた。
これが天狩刀の弱点。この刀、そのあまりに規格外の大きさが故に前方向に死角が生まれてしまうのだ。今回の場合、相手に向けて刀の腹を完全に見せていたため、その分大きな死角が生まれてしまったのだ。
リュカは、その攻撃を籠手で何とか防ぐことに成功した。しかしこれは反射神経と本能に任せた偶然の産物も同じ。こんなことがそう何回も通用するとは思えない。
「はぁぁ!!」
「ッ!」
リュカは、子供に向けて横蹴りを繰り出した。だが、子供はリュカの籠手を足場として軽やかに飛んでよける。その際に空中で一回転したのは余裕の表れなのだろうか。いや、その格好からしておそらく人里で過ごしてきた人間じゃない。多分、この自然の中で育ってきた野生児。そんな人間が、無駄な動きを入れるだろうか。
おそらく、回転を入れたのはその後の攻撃に瞬時に移るための布石。この攻撃は、ここでは終わらない。
「うがぁ!」
「ッ!」
やはりだ。地面に付いた瞬間に回転でついた勢いをまとったまま子供は自分に向かってくる。リュカは、再び天狩刀で攻撃を防ごうとしたが、これが悪手だった。
衝撃が襲ってこない。つまり、子供は自分に向けて攻撃することはなかったということ。いや、違う。子供は確かに自分に攻撃をしようとしているのだ。
「くっ!!」
刀の下を通って、アッパーカットのように自分の顔に向かってくる鋭い爪。リュカは、蝦ぞりの形で上半身を後ろにそらすと。そのすぐ目の前を爪が通り過ぎた。
だがこれだけで終わることはないだろう。なぜなら、人間は手が二本あるから。きっと、すぐにもう一本の手を使って自分に致命傷を与えるために行動するはずだ。その前に手を打たなければ。
「てぇりゃぁぁぁ!!!」
「うっ!?」
リュカは、天狩刀を巨大なうちわをあおぐ時のように振るった。この刀、その大きさに見合わずにとても軽くできており、片手で降っても何ら問題はないのである。
この攻撃は、リュカはその子供に与えた初めてのダメージといえる。惜しかったところは、もしも刀を九十度回転させて振っていればその時点でその子供の体を真っ二つに切断し、この戦いが終わっていたであろうということ。だが、そんなこと考えている余裕なんてない。それに、少しでも打撃を与えることができただけでも儲けもの。そう、考えることにしたリュカは、相手が立ち上がるのを見ると天狩刀を普通の大きさに戻し、鞘へと差し込んだ。
「まずいな、このままだと……」
そして、格闘戦をとれるようにと構える。相手の速さ、そして大きさを考えて巨大な刀で戦うのは不利。であるのならば、自らの肉体で戦うに限る。
だが、できるだろうか。確かに格闘術に関してはリュウガに教えを受けた。しかし、リュウガ自身が巨大であり相手をすることができなかっため、組手による練習は一切ない。ぶっつけ本番の実践だ。
それに、悪い条件はさらに重なっている。
実は、二人がぶつかり合った瞬間、月が雲に隠れてしまったのだ。そのため、遠くの景色は全く見えないと言ってもいい。かろうじて相手の子供を見ることができているのは、自分の髪が魔法によって光り輝いているから。つまり。
「今は髪が光っているからよけれている。でも、もしも真っ暗だったのなら……」
負ける。
自分と子供にはそれほどの実力の差があった。だがなぜだ。なぜ、ここまでの実力差が生まれる。自分とて、確かに前世ではごく普通の女子高生で、何の戦闘スキルも持っていなかった。
しかし、この世界に生まれ変わってからは、リュウガの教えも受けて戦闘能力が格段に上がっているはずで、その実感もあった。事実、この森にきてからというもの多くの獣に命を狙われたが、リュウガから受け継いだ戦闘能力を駆使することによってここまで生き残ることができた。
なのになぜだ。なぜ、この少女には勝てる気がしない。なぜ、ここまで後手後手に回る。この少女と自分に、一体何の差があるというのだ。一体、何の。
自分が子供に劣っている理由。そんなことを考えている間に、さらにこの状況を悪化させる出来事が発生する。
「え……」
籠手が外れた。おそらく、先ほど攻撃を受け止めた時に本体と腕を固定していた紐が切れたのだろう。だが、問題はそのことだけではない。
籠手が地面に落ちた瞬間に、顔に浮かんでいた魔力の鱗も、光り輝いていた髪もなりを潜め、魔法を使う前の彼女に戻ってしまった。
「そんな、魔法が……ッ!」
魔法が、解けた。一体なぜ。
この魔法が解ける要因は三つ。
一つは、自分が気絶してしまうか。
二つ目、魔法が解除するように自分が願う。
そして三つ目、魔力の鱗の全喪失。
一つ目は論外として、自は魔法を解除するよう願ってはいない。それに、自分が魔法によって変化した後は魔法を一切使用していないから、魔力の鱗を消費することは決してない。
つまり、この状況で龍才開花が解ける原因なんて何一つとして存在していない。いや、もしかして自分がリュウガに聞いていないだけで他にも魔法が解ける原因になることがあるのかもしれない。だが、そんなことを考えていられるほど彼女は余裕ではない。
そう、光源をなくし相手の姿を視認することが不可能になった今自分にできることは限られている。敵も自分と同じ人間。この暗闇で自分のことを見つけることはできないはずだ。
「うがあぁぁぁ!!!」
「くッ!」
おそらく、明りが消える寸前に自分がいた場所を狙ったのだろう。弓矢のように鋭く速い攻撃が襲ってきた。
しかし、この攻撃自体はしてくるだろうなと想像がついていた。それに、攻撃場所も先ほどからずっと同じ場所、喉元を狙っている。あとは、タイミングを合わせれば腕をつかむことは簡単だった。
「危な……いな!」
「ッ!?」
「はぁぁぁぁぁ!!!」
リュカは、一本背負いで彼女を地面にたたきつけた。それだけじゃない。
「はぁぁぁぁ!!!」
リュカは、肘うちでさらなる追撃を狙った。だが、暗闇によって相手の位置が正確にわからなかった。攻撃は、あらぬところを通り過ぎることになった。
結果、追撃は失敗。さらに、手の拘束を解いてしまったために相手には逃げられてしまった。
そして、リュカはこの時、想像にもしていなかったことに気がついた。
「ッ!?」
「え? 今のって……まさか、あの子……」
女の子、なのか。
ちなみに、何故彼女が女の子であることに気が付いたのか。また一体どの身体の部位を攻撃してしまったのかに関しては少女の尊厳のために内密にしておこう。
ともかく、まさか相手が女の子であるとは思ってもみなかったが、しかしそんなこと強さの原因、そして自分が劣っているという理由にはならない。
問題は、双方ともに姿が視認できていないということ。このままだとまともに戦うこともできなくなる。というかできない。
仕方ない、籠手に関してはまた明るくなってから取りに来ることにして、今はこの場から逃げるべきだ。そう決めたリュカは音もたてないようにその場からの逃走を図った。だが、そのようなことを簡単に許すほど少女は甘くはない。
動く、と決めた場所から数メートル程離れた時であっただろう。後ろから嫌な気配を感じた。
「殺気!」
自分を殺そうと決意した気配。殺気だ。
分かるのか、自分のいるところが。感じるのか、この暗闇でも自分の命の気配を。
そして、森の気配を。
だが、もしかするとただの偶然、勘で動いているという可能性もある。いや、そうじゃなければおかしい。しかし彼女が迫っているという事も事実。危険だが、無規則的な動きで攪乱を図るか。
本当なら、こんな暗闇でむやみやたらに動くなんてことしたくはなかったが、背に腹は代えられぬ。リュカは、さっそく行動に移す。
「ぐあッ!?」
そしてすぐに木にぶつかった。自分自身でもあまりにも早すぎると思う。が、しかしこれが自分の限界。というよりこれが自分の実力なのだ。
自分は、恐らく己よりも年下の女の子にも劣る程弱い人間。今の自分は狩る者、狩られる者の天秤にすら立っていない。明らかに自分は、ただ狩られるだけの人間に成り下がってしまっているのだ。
前も見えない状況で、どこから来るか分からない狩人の攻撃を受けるしかないただ一人の凡人それが、自分。
痛いほど思い知らされたリュカは、木にぶつかった後体制を整えることも忘れて後悔の中にいた。しかし、運の良いことにこれが彼女の命を助けることになる。
「ウガァァァ!!!」
「ッ!?」
背中から倒れ伏した直後、顔の前を通った風。そして雄叫び。どうやら自分が思っていたよりも彼女は自分のすぐそばにまで来ていたようだ。もし、自分が倒れていなかったら、今頃その首は、考えただけでもゾッとした。
その直後顔にパラパラと降り注いでくる細かい何か。この匂い、木のかけらだろうか。
「木片? もしかして!」
リュカはここで憶測を立てる。もしかして彼女、蒼い髪の少女は先ほどのように腕を伸ばして自分を突き刺そうとした。そして、倒れたことによって運よく攻撃が外れ、自分がぶつかった木に腕が突き刺さって抜けなくなってしまったのではないか。
希望的観測ともいえる。第一、これは彼女の腕が木よりも硬い、鋭かった場合にのみ生じる奇跡的な出来事だ。しかし、もしそうだった場合逃げるのならば、いや倒すのならば今がチャンスだ。
けど、違う。ここで彼女を倒すのは少しだけ違う気がする。
彼女の矜持がそうさせたのか、あるいはそこまで考えが至らなかったのかは今では定かではない。しかし、分かっていることはこの後彼女は数多くの木々にぶつかりながらも逃げたという事。
そして―――。
「うぅぅ……うあぁぁぁぁぁああああぁぁ!!!!」
一人の獣が悲しみの叫びをあげたという事だけだった。
夜はさらに更けていく。自然界から多くの命が消えた夜でも、いつもと変わることがなく、更けていく。




