第十三話
人生なんてもの、捨ててやりたい。楽しかったはずの私の記憶は、一変し、最悪の記憶へと移り変わった。そう、あの苦痛に耐え続ける日々の記憶だ。
あれは、転校を繰り返して何回目の小学校だったのだろうか。もう、記憶するのも、考えるのもあきらめた。それくらい各地を転々としていた私の日常。
どの学校でも、私は言われた。
「化け物」
「気味が悪い」
と。
普通に接しようとしても、友達を作りたいと願っても、私には友達なんてもの、一人もできなかった。みんな私から離れて行く。そして、遠くの方で陰口を言うならまだしも、私の目の前で、いわれのない悪意の言葉を吐かれ続けるのだ。
辛くないと言ったら、絶対に嘘になってしまう。だって、私の心は傷ついたから。
いや、心だけじゃない。身体だってそうだ。
トイレに入っていたら、上から水をかけられた。
遠くの方からパチンコで狙われたことだってあった。
水筒の中に体育館の端っこに落ちてあったビーズやほこりなどのごみを入れられて、それを誤って飲んで吐き気を催したこともあった。
どうして、どうしてみんなこんなひどいことをするの。どうして、こんなことをして平気なの。そう、何ど思ったことかわからない。
でも、もしかしたら怖かったのかもしれない。自分とは違う存在、自分たちにはないものを持っているという事が。
焼けただれ、変色し、触ったときの感触も違う、そんな顔を持った人間が、みんな小学生ながらにして怖かったのだと思う。
放っておくと、いじめはどんどんと[エスカレート]していく。それを、私は分かっていた。だから、何度も何度も、早いうちから義母の空に何回も、何回も、何回もいじめのことを報告していた。
でも、義母がどれだけ学校に相談を持ち掛けても、私自身が、先生に相談しても、誰も相手にはしてくれない。いじめの加害者の子供たちにだって未来があるから。そんな、きれいごとを並べられて。
くそったれだ。そんなもの。いじめの加害者に未来があるというのなら、いじめられた被害者はどうなのだ。私の未来は、みんな興味がないというのか、どうでもいいというのか。
私も、義母も、そんな小学校に失望し、何度も引っ越して、転校を繰り返して、それを何度も、何度も繰り返して。そのために、一時期義母は道場を閉めて、いろんな職を転々として。私は、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
どうして、私がこんな目に合うのか。どうして、私たちがこんなひどい目にばかり合うのか、悪いのはいじめてくる子供たちなのに、悪いのは先生たちなのに、学校なのに、どうして周囲の人間は止めようとしてくれない。どうして、この世界はこんなにも理不尽なのだ。いったい何度、この世界のことを恨んだことか、覚えてない。
そう、覚えていたくなかったのだ。
そんなときである。私に、転機が舞い降りたのは。
あれは、小学二年生の時だ。季節はうだるような暑さの夏、私はとある小学校に転校した。外に出たらたちまち体中が日焼けしてしまうほどに強い日差しは、今でも覚えている。
そうだ、考えてみればイジメのほとんどは小学一年生の頃から行われていた。同級生上級生、そして、先生に限らずいろんな人たちから虐待のようなイジメを受け続けて来たのだ。まったくもって、どうしてそんな性格の人間ばかりの世の中になってしまったのか、頭を抱えてしまう。
その日の体育の時間、水泳の授業があった後、学校の更衣室で着替えようとした私にちょっとした事件が起こった。
「着替え……ない……」
授業前に、服や着替えの下着を入れていたはずのかごが、紛失していたのだ。確かに、そのロッカーの中に入れていたはずなのに、場所を間違えたのだろうか。
いや、記憶力には自信があった自分が、間違えるはずなんてない。なら、考えられることは一つ。誰かに、持っていかれたのだ。おそらく、今日の授業を見学してた、あの随分と態度も体格もでかかった女の子だ。お山の大将を気取るかのようなその物言いは、転校してわずか一週間の彼女の耳にもはっきりと残っていた。
「はぁ……」
ため息が出た綾乃は、これからどうするか考える。まず、このまま着替えずに水着を着続けるのは、風邪をひく可能性があるから頭から除外する。だが、そうなると着替えもない自分は、このままなすすべもなく水着を脱いで、素っ裸で学校までの道を歩いて行かなければならなくなる。あるいは、このままこの更衣室に閉じこもっておくか。
いや、ダメだ。そんなことしてしまえば、やつらの思う壺。いじめっ子に屈することなんて、絶対にあってはならない。やはり、ここは少し恥ずかしいものの裸で学校に向かうべきだろうか。
ここで、転生後の彼女の心の片鱗が垣間見えた辺りまで考えが及んだ時だった。
「綾乃ちゃん、これ」
「え?」
声をかけてきた少女が一人いた。少女は、真新しい体操服を綾乃に差し出しながら、笑顔で言った。
「保健室に行って借りてきたの。パンツはなかったから、私のを貸すね!」
まぶしかった。焼かれるくらいに、太陽よりもまぶしかった。そして、それと同時に何か危険な匂いを幼心に感じ取った綾乃。ともかく、ありがたいのは確かなのだが、疑問点が山積みである。
今目の前にいる少女、確かに自分のクラスの一員だった気がするのだが、しかし今まで一度も話したことがなかったはず。それなのに、どうしてわざわざこの暑い中自分のために走ってくれたのか。
言い忘れていたが、彼女が学校の授業のために訪れたプールは学校内にある物ではない。学校から、約百メートルくらい離れた場所にあるいわゆる市民プールの一角に存在しているモノなのだ。だから、授業が終わった時間から逆算するに、彼女はわざわざ一度学校に戻ってから、もう一度このプールまで走ってきたという考えに至るのだ。
そして、それは明らかにプールの水とは違う、彼女の顔から滴り落ちていく滝のような汗と、ほてったような真っ赤な顔が物語っているともいえる。
「なんで、私たち一度も話したこともないのに……」
至極、当然のような疑問を述べた綾乃に対し、目の前の少女は体操服を押し付けるように綾乃に手渡しながら言った。
「だって、クラスメイトだもん! 当然でしょ?」
「……」
クラスメイト、そうだ。確かに自分たちはクラスメイトだ。でも、自分にこんな仕打ちをしたのもまた、クラスメイト。その証拠も確証もない、綾乃の妄想に過ぎない。でも、きっとそうであろうと確信できる犯人。それが、彼女のいうクラスメイトなのだ。彼女は、それをわかっているのだろうか。
「あ、それと綾乃ちゃんにこんなひどいことをした子たちは、今夏澄ちゃんが叱っているところだからね!」
わかっていたし、なんなら報復行為までしてくれた。自分は、何もそこまで求めていない。というか、夏澄って誰だ。次から次へと疑問をもたらしてくれるクラスメイトだ。
あぁ、いや。そうだ、思い出した。確かその子もクラスメイトのうちの一人だったか。転校してきたとき、先生からクラスメイトの名前を覚えたいからと渡してもらった名簿の中にあった、何故か心に残った名前の一つ。
ともかく、パンツに関しては丁重にお断りした綾乃は、水着を脱ぎ、体操服の服とズボンに袖と裾を通す。どうやら、少しだけブカブカではある物の、それでもすぐに下がっていくことはなさそうな、いわゆる自分の体格と[ニアピン]と言える体操服だったようだ。
少々糊付けされていたのか硬く感じはする者の、当然ながら感触は自分が持っている体操服と何ら変わらない。とにもかくにも、これで安全に学校まで帰る準備はできたようだ。
それにしても奇妙だ。どうして彼女はこんなにも自分に優しくしてくれるのか。学校への帰り道の途中、林道を通る中で綾乃は聞いてみた。
「どうして、こんなに優しくしてくれるの?」
「え?」
「私、こんな化け物みたいな顔して、みんなと違うのに、どうして……」
いけない。ついとってつけたように自分の特徴までしゃべってしまった。これでは、まるで自分を特別扱いしてくださいと懇願しているようじゃないか。こんなことを言ってしまってはいけないと、分かっていはずなのに、どうしてこうも自分はおろかなのか。
自問自答をする綾乃に対し、彼女は言った。
「いやいや、顔がどうとか、そういうの以前に、いじめはダメじゃん」
「え?」
「いや、え? じゃなくて……いじめなんて、する方もされる方も、嫌な気持ちになるじゃん。私、そういうの耐えられないというか……そう、そういう人を見るのが嫌なの……私、みんなには笑顔でいてもらいたいの」
そうか、この子は自分を普通のクラスメイトとして見てくれていたのか。彼女は、自分のこの顔が気味が悪いとか、変だとか、そんな世の人間の過半数が思いそうなことも考えない。ただ、誰かが嫌な気持ちに、つまり、悲しんでいたり、怒っていたりするのが嫌なのだ。
どんな人にも笑顔でいてもらいたい。そんな、ひとえに矛盾だらけともいえるような願いを持っているからこそ、こんな自分でも笑顔で声をかけてくれたのだ。なんと健気な。
けど、だからこそ思う。ならば、あのパンツのくだりは何だったのだろうかと。
あの話がなかったら、とてもいい子であるとだけ思う事ができる。しかし、その一件のせいで、どうにもこうにも少女から危険な匂いがしてならないのだ。
何度も何度も反復横跳びをするかのごとくに思考がそのことに気を取られてしまってならない。そのことについても聞いてみた方がいいのだろうか。
いや、やめておこう。なんだか、聞くのが怖い気がする。聞くのなら、別のことにしよう。
「あの……私、竜崎綾乃……あなたは?」
そう、名前だ。ここまで、少女少女とばかり言っていたこの少女の名前。それを知らなければ一歩先には進めないのだ。
それにしてもおかしなものである。先ほど彼女が名前を出した香澄、という少女の事はすぐにパッと頭の中に出てきたのに、彼女の名前は全然浮かばないなんて。これじゃ、彼女もかわいそうと言う物。そんな、綾乃の言葉に対して少女。
「え? あ、そっか。自己紹介もしていなかったっけ」
そういうと、少女は綾乃よりも先に、一歩足を踏み出し、綾乃の顔をマジマジと見ながら、はち切れんばかりの笑顔で言った。
「私、琴葉……≪妖霊琴葉≫。よろしくね!」
これが、文字通り生涯の親友の一人となった女の子。琴葉との出会いだった。




