第八話
昨晩、リュカとセイナが模擬戦をした訓練場。まだ早朝であるということもあって兵士の姿が一人もないはずのその部屋に、二人の、鎧に身を包んだ女性の姿があった。
「凛々しくなったものね、グレーテシア」
「お姉さまの方こそ……お美しくなったものです」
「ありがとう」
女王グレーテシアと、その姉であり前回の戦の勝利の立役者であるフランソワーズ。
双方とも、それぞれの戦闘服である鎧姿をマジマジとこうしてみるのは初めてのことだ。戦の時、グレーテシアはそもそもその姿を見せることはなかったし、フランソワーズは前線にて魔法を使用していたのだから見れるわけがなかったのだが。
しかし双方ともによく似たイタクの鎧を着こんでいる。原型は同じで、そこにそれぞれの趣味が混ざりこんだ感じであるのか。だが、その趣味もほとんど同じだった様子なのは姉妹らしいと言えば姉妹らしい。
二人は、嘗め回すようにそれぞれの身体を見渡した後、少しだけ距離を取ってから向かい合う。
「手加減はしないわ、グレーテシア」
「望むところです。お姉さま」
彼女たち二人がこうして戦いの場に出るような恰好を、ただ単に見せ合うためにこの場所に立っているわけがない。
グレーテシアはあの戦が終わった後からとてもうずうずとしていたのだ。自分も戦いたい、誰かと剣を交えたいと。
元来戦うことが好きだったグレーテシア。しかし女王として国の政務に追われる中でそう易々と戦場に出ることができなくて、鬱憤がたまっていた。その中であの戦。その圧倒的に絶望の戦いから、彼女は当初から自らも戦場に出て戦うということを覚悟していた。と言うよりも、戦場に飛び出して行きたかった。が、ヴァルキリー騎士団の到着から始まる奇跡の連続で、幸か不幸か、彼女自身が戦場に出る間もなく戦は終わりを告げた。
しかし、その結果募っていく戦闘欲求。戦いたい衝動に駆られながら毎日を過ごしていた。そんなとき彼女は気が付いた。そうだ、戦争じゃなくても模擬戦という形で誰かと戦えばいいのではないかと。
しかし、女王たる彼女と戦えるような図太い人間がミウコの兵士の中にいるわけがなく、ならば騎士団の人間ととも思ったがまだちゃんとミウコに帰属すると決まっていない者と戦ってもしものことがあると今後に影響を与えかねないからと断られてしまった。
それからモンモンとした毎日を過ごしていたわけだが、今日ここにおいてついに彼女と戦ってくれる存在が表れた。
それが姉、フランソワーズである。彼女とであれば力も拮抗しているし立場的にも問題はない。そしてそれ以上に戦ってみたかった。十数年前、何度も何度も戦って、そのたびに自分の未熟さをその身に叩き込んできた姉と戦う。その喜びを感じたい。自分がどれだけ強くなったのかを彼女に知ってもらいたかった。
「……」
「……」
二人は得物である剣を構えた。本来の彼女たちの武器は槍であるのだが、それを使うと最悪訓練場が崩壊する恐れがあって危険なため、せいぜい半壊程度の損傷ですむ物に変えたのだ。何かがおかしいような気もするが気にしてはいけない。
まるで、水面に浮かんでいるかのようにふわふわとした気持ち。似た性質同士の魔力がぶつかりあったときの感覚だ。間違いない。今目の前にいる相手は、あのころよりも強くなっている。そして、自分自身もまたあの頃より強くなっている、はず。
一瞬にして、二人の周囲に静寂が舞い降りる。拮抗した魔力同士のぶつかり合いが、意図しない形で二人の周りに守りの陣を張ってしまったのだ。もう、今の彼女たちに外部の人間が触れることすらもできない。止められるのはどちらか一人が魔力の放出を止めるまで、どちらかが降参してしまうまで。
もちろん、前者だ。二人ともそう考えている。
自分たち、姉妹だからこそわかる。姉は、妹は、絶対に降参なんてしない。負けず嫌いだから。きっと、気絶するまで、死ぬその直前まで武器を手放すことはないだろう。
とにもかくにも、まずは刃を交えてみなければわからないことだ。
そう、同時に考えたのかどうか定かではない。しかし何の合図もなしに二人が走り寄ってのは間違いなかった。
「フッ!」
「ハァッ!」
ぶつかり合った刃と刃。瞬間、流れている電気同士がぶつかったまばゆいばかりの光が二人を襲う。やはり二人とも電気の魔法を使用する者どうし、模擬戦であれ模擬剣であれ、その刀身には雷の魔法を纏っていたのだ。
だが、二人ともにたじろぐことも逃げることもしなかった。その光自体には何の攻撃力もないとわかりきっているのだから。むしろ、ここでひるんで目を閉じしまったが最後、次なる一撃、いや連撃が飛んできてもおかしくない。相手の技量を鑑みるに、そのたった一撃目で敗北する事は必至であると考えるが自然。
「……」
「……」
互いに一歩も引かない鍔迫り合い。力を抜いたほうが負ける。しかし、だからと言って力を入れすぎるとその瞬間に力を抜かれてこっちが倒れこむ可能性がある。
さて、どうするか。
そう考えながら十数分。千日手の様相を呈してきたこの戦い、二手目を指したのはフランソワーズの方だった。
「フッ!」
両手で持っていた剣。その一方である右手を離したフランソワーズは、その掌に魔力で包み込んだ電撃をつかむ。そして、それを勢いよく地面に放り投げた。
「ッ!」
グレーテシアは、それを見て、瞬時に魔力を足に流し込み、背後へと飛びのいた。瞬間、広がったのは雷の戦場。
バチバチという雷撃音がいたるところから立ち込め、一瞬にして天空から降り注ぐ雷、とは逆に地面から天井に吸い込まれている雷。
まったく、模擬戦という場でとんでもない魔法を繰り出してくるお姉さまだこと。そう、グレーテシアは内心ワクワクする心を抑え込みながら動き続ける。
瞬間、瞬間、瞬間、グレーテシアがいた場所から立ち上る雷。雷。雷。
まるで彼女がいた場所から雷の子供が巣立ったかのようにちょうど同じ場所から次々と雷が襲い掛かってくるのだ。それはあたかも、雷雲の上で戦っているような不可思議な体験を、彼女に当てることになった。
「【地雷】ですか、私を殺すつもりですか? お姉さま」
「それくらいしないと、あなたは倒せないでしょ?」
と、まがまがしいくらいの笑みを浮かべるフランソワーズ。かなりひどいことを言っているような気もするが、しかしグレーテシア的にはごもっともと思っているのでどっちもどっちである。
さて、【地雷】というこの魔法。一体どんな効果があるかというと、まず最初にフランソワーズが地面にはなった電撃の球体はいいわば種のようなもの。それが巻かれたことによって、戦場が雷雲の上のような状態へと変化した。
もっと詳しく言えば、この魔法は自分の周囲百メートル圏内、立ち止まっている敵に、瞬時に超高電圧の電撃を浴びせる凶悪な魔法、という事である。
今は、グレーテシアもその場にとどまっていることなく魔法が発動するその前に走り去っているからさほど電撃は浴びていない。だが、もしもこれで立ち止まったりなんてしたらその瞬間、自分に、それまで発動させた地雷の電撃まで追尾してあたるような仕掛けとなっている。
何とも狭い場所での戦いに特化した魔法であると言えるか。
とにもかくにも、このまま逃げ続けていてもらちが明かない。この魔法の対処方法に関しては一つだけ考えがあった。幼いころに同じ攻撃で生死の境をさまよった経験が役に立った形だ。あの時の姉も、自分のことを殺すつもりで攻撃していたが、本当に死んでしまったらどうするつもりだったのかと今更ながらに思う。
いや、もしそれで死んでいたとしてもそれが自分の天命だっただけの事。天命じゃなかったからこそこうして自分はここに立って、そして再び姉と戦うことができるのだ。
今は、今。今は、ただただ―――。
「勝たせてもらいます、お姉さま! ハァッ!」
「ッ!」
円を描く動きでフランソワーズの周りを周回していたグレーテシアは突如として方向を変えてフランソワーズの方へと突撃する。
確かに、このまま逃げ回っていてもらちが明かないのはよくわかる。しかし、だからと言って少々強引すぎやしないだろうか。そう考えるフランソワーズだが、しかし防がなければ自分自身がやられるのもまた事実。
フランソワーズは、迫ってきたグレーテシアに向け、左下から上に剣を振るった。が。
「なっ……」
その攻撃が当たることはなかった。グレーテシアは、まるで自身の腋の下を通過するかのように体すれすれで横に避けると、そのまま背後に回り両腕を拘束して、フランソワーズの身体を羽交い絞めにしたのだ。
「どういうつもりかしら、グレーテシア」
「もしこの状態のまま私に向かって電撃が来たら、どうなりますか、お姉さま」
「なるほど……」
つまるところ、彼女は同士討ちを狙おうというのだ。電撃が敵、つまりグレーテシアめがけて襲ってくるのであれば、その電撃を他人にも流せばいい。つまり、この場合はフランソワーズだ。
当然、そんなことをしても電撃の威力が弱まるわけではない。ただ、ほぼ同時に、同意力の電撃が二人に流れ込むだけ。そうなれば、あとは根競べ。どちらが先に降参するのか、はたまた気絶するかの我慢比べだ。我慢強さということであれば、自分は姉には負けていないという自負がある。少なくとも、≪この程度≫の電撃で、気絶するわけがない。
幼いころからの模擬戦で、何度も何度も姉から電撃の魔法を喰らっていたのだ。今更電撃の一つや二つ喰らったところで何を変わるものがあるだろうか。高をくくっていたと言われればそれまでである。しかし、彼女にはそんな高を括れるほどに大きな自信があったのだ。
だが。
「残念よ、貴方が―――」
「え?」
【電気人間】
「あつッ!」
まるで、高熱を発している鉄を抱いたかのような、そんな感覚がした。
瞬間的にグレーテシアを襲ったのは、彼女の身体から発せられた電撃魔法。フランソワーズは、グレーテシアに捕まえられる直前に、体中に魔力を張り巡らせていた。そして今、その上に電撃を発生させたのだ。すると、フランソワーズの身体はあたかも雷そのものであるかのような電気をその身に宿し、結果それによって感電したグレーテシアの手が緩み、フランソワーズは拘束から脱出することができた。
これで逃げ切ったことになるのか、いや違う。まだグレーテシアに向かっている電撃がある。少し離れただけだと、流れ弾として飛んできた電撃のいくつかにあたってしまうことだろう。ならば、グレーテシアの身体を遠くに飛ばすだけだ。
「はぁ……」
フランソワーズは、一度深呼吸をすると右足に魔力を集め、さらに一瞬にしてその魔力を電撃に変えた。
「私に勝とうなんて、十年早いわ! グレーテシアッ!」
【雷鳴・稲妻蹴り】
そして、振り返りざまに蹴ったのである。グレーテシアの腹部を。そこにいるフランソワーズとは全く違った口調。まるで、どこにでもいるような姉妹の姉のような言葉遣い。いや、実際にどこにでもいるような姉妹であるのだが、しかしそれまで高貴な身分の話し方を貫いてきた彼女が、ある意味で元のさやにようやく戻ることができた瞬間だったのかもしれない。
ともかく、攻撃を受けたグレーテシアは、一瞬にして五メートルくらいの距離を飛ばされた。そして―――。
「ッ! しま!」
そこに【地雷】によって生み出された雷撃が襲った。防ぐ手立てなんて、すぐには考え付かなかった。
「グアァァァァァァ!!!!」
雷撃の嵐。身を裂くかのような痛みに意識が遠のこうとする中、グレーテシアは笑っていた。
あぁ、また、勝てなかったか。と。
「ッ、やりま……やってくれましたね、グレーテシア……」
十数分後、気絶したグレーテシアの前に立ったフランソワーズは、自分の右太ももに刺さっている短刀をゆっくりと抜いた。深くは刺さっていなかったため、ズキズキという痛みはない。どちらかというと、ビリビリとした痛みだ。
どうして、自分の足に短刀が刺さっているのか。考えられる場面と言ったら、おそらくあの時。自分が彼女の身体を蹴って距離を取ろうとしたあの瞬間だ。あの時、自分には見えていなかったがどこかの瞬間で自分に向けて短刀を投げつけていたのだろう。それも、電撃魔法を付与した厄介な短刀を。
傷自体は、回復魔法に長けた人間がいればすぐに治すことができる。しかし、電撃魔法によるしびれはもう縛らくフランソワーズを縛り付けることだろう。彼女がその剣を抜くのに十数分かかったというのも、電撃の副次効果でその動きが鈍くなっていたせいでもあるのだ。
最後の最後まで勝つための方法を考え、実践する。やはり自分が思っていた通りにグレーテシアはちゃんと成長できていた。しかし、すでに亡国の姫となっている自分に一国の女王が負けるなんて、情けないと思う厳しいところがあった。
特に彼女が試した自分を道連れにするという戦い方。実際に戦場に出ている人間からしてみれば、あんな方法で敵を倒せるわけないと分かるのに。
だって、あの魔法は自分が生成した電撃なのだから。自分に、当たる直前になってその魔法を消し去ってしまえばそれだけで対処は可能なのだのだから。
やっぱり、実践に赴かなくなったことによって、彼女の中での戦闘の勘と言うものが鈍ってしまったのだろう。残念だ。あんな、リュカのような素質を持っていたというのに。もったいないことを。
とにかく、今日一日はどちらも満足に動くことができないだろう。誰か人を呼んで、彼女を寝室に運んでもらわなければ。でも、誰に。
「あら?」
その時、フランソワーズは見た。闘技場の扉の隙間から覗く目が合ったということを。自分たちの戦いをこっそり見ていた兵士の誰かだろうか。
「あの、すみません」
フランソワーズは優しく声をかける。しかし、目はその薄い一枚だけの扉を開けるということもしなかった。
目は、自分が見つかったということにようやく気が付き、扉を開けることすらもせずにどこかに逃げて行ってしまったのだ。兵士であれ何であれ、自国の女王が気絶しているのを間近で見て何もすることなく去っていくなんて、無礼極まりない。
「恥ずかしがり屋なのかしら……」
なんて、全く別方面で素っ頓狂な推理をしている女性もいることだが、とにかくそれから間もなくやってきた騎士団員に助けられた二人。グレーテシアはそのまま自室へ、フランソワーズは傷の手当てをするために一度救護室へと向かうのであった。
それにしても気にかかる。一体、あの目玉は何だったのかと。




