第四話
目を開けた時、自分の目の前にあるのは天井だった。薄ボンヤリとしたソレを見据えながら、自分は想定内であった敗北と、想定外であった勝利を掴むことが出来なかったことを悔やむしかなかった。
「起きた、リュカ?」
そんな私のすぐ隣に座っていたセイナ。私は彼女に聞いた。
「どれくらい寝ていましたか?」
「五分程よ」
「そうですか……」
五分も寝ていたなんて、戦場だと命取りだ。本当だったら数十秒、いや、一、二秒というのが妥当な数字のはずなのに。
それは、リュカの考えすぎというか、自分に厳しすぎなのではないかと思うかもしれない。しかし、実際に戦場に出た経験のあるリュカは分かっていた。戦場での油断。戦場で身動きを取れないという事は、どれほど命の危険を感じるのかを。
たった五分なのかもしれない。けど、その五分の間に、戦場では三百回以上殺されてもおかしくはないはず。もっと修行を積まなければならない。
「ねぇ、さっきの魔法」
「はい?」
さっきの魔法、それは突風の前に見せたあの空気の壁の事なのか。果たして、リュカの想像は当たっていた。
「あれって、もしかしてヴァーティーの魔法を使ったの?」
「見様見真似で……未完成でしたけどね……」
彼女の言う通り、自分は先ほどヴァーティーが何度も見せてくれた【結】を使用した。もちろん、自分には本物のソレを使用できる程の魔力量もなく、その込め方も未熟であるため、完全に粗悪品のようなものとなってしまった。
でも、それに加えて【突風】という自分でも使える魔法を組み合わせることによって何とか彼女の体勢を崩すことができるかもしれない。そんな希望的観測でこの組み合わせを試してみたのだが、結局は大失敗。彼女の方が一枚上手であった。
「さっき、私の身体が動かなくなったの……あれって、魔法で罠を仕掛けていたんですか?」
「えぇ。そうよ」
「やっぱり……」
そうであろう。多分、自分が【結】の魔法で彼女の身体を押し込んだ。あの一瞬の間に足から地面に魔力を流して罠を仕込んだのだ。結果、自分はその罠を踏んでしまって身動きが取れなくなってしまった。
今考えてみれば、確実に倒せるようにと接近戦を仕掛けるよりも、もっと手っ取り早く火や水の系統の魔法を使用して彼女へ攻撃ができていれば、勝っていたのは自分だったのかもしれない。いや、結局どれだけ考えても後の祭りであるし、それに彼女がその程度の工夫でやられるとは思えない。
きっと、避けられて、後は同じ結果になっていただけであろう。
それに、だ。自分の魔力量はあの【突風】の魔法を使用した時にはもう枯渇していた。その手段も使えない。
彼女ほどの実力者。負けるのは仕方ない。そう自分に言い聞かせながらため息をつくリュカ。
「やっぱり、セイナ団長は強いな……」
「違うわよ」
「え?」
そんな呟きを一閃したセイナ。
セイナは、リュカに模造剣の先を向けながら言った。
「ただ私が強かっただけじゃない……貴方が、弱すぎたのよ」
「……」
「貴方も分かっているでしょ?」
と、彼女は続けざまにそう言った。確かに、彼女の言葉に落ち込むという事がなかったのは、自分自身分かり切っていたからなのだろう。
自分はまだまだ弱い。少なくともセイナ団長どころか、この騎士団の中でもかなり弱くて、つい先日の戦でも生き残れたのは奇跡みたいなものだ。そう考えていたリュカは、自分自身をあざけわらうかのような笑みを浮かべて言う。
「分隊員六人中、重症が三名……」
「……」
しかも、その重症者の中には自分自身もいる。と、彼女は続けた。
それは、先日あった山賊との戦いにおいてでた負傷者の数、自分、クラク、そしてレラの事だ。レラに至ってはキンが治療してくれなかったらあと一歩で死んでいたほどの致命傷を負わせてしまった。その出来事は、彼女がそばにいない時の事であるため彼女に非はないように思える。だが、レラとケセラ・セラを一緒に行動させるように指示を出したのが自分である以上、責任を負わないという言葉には嘘偽りがあるのだ。
もしあの時エイミーがキンが、そしてヴァーティーたちがいなかったら自分たちの命がどうなっていたのか、そして、乙女の証たる物がどうなっていたのか、分かった物じゃないだろう。
「分かっているんです。私が弱すぎるって事……人を率いる力なんて持っていないって事……指示する力なんてないってこと……だから、仲間たちに怪我を負わせるし、自分自身も守れないし……本当、踏んだり蹴ったりですよ……この間の戦だってそうです……もしもあの時、ヴァーティーがいてくれなかったら……」
あの戦で、確かに彼女の活躍は目を見張るものがあった。途中で現れた凶獣リラーゴを倒したり、地底湖に転落しそうになっていたフランソワーズを助けたりと。けど、敵の大多数を倒したのはフランソワーズだし、そのフランソワーズを敵国の王の攻撃から身を犠牲にして助けたのはミコだし、それに、最終的に王を倒したのはヴァーティーとケセラ・セラ、二人の魔法だ。
節々を見れば確かに自分は活躍していた。でも、一番大きな活躍の機会を、自分は他の者たちに奪われていた。いや違う。それは語弊がある。正しくは、自分にはそんな大きな活躍をできるほどの力がなかった。そう言ってもいいだろう。
自分は、本当は弱い存在なのだ。ソレを、【龍才開花】なんて大それた魔法を使って補っているだけの人間。それを、彼女はこの国にたどり着いてからの数週間で身に染みるほどに分かった。
「……団長」
「何かしら?」
「例の話……騎士団がどうするのかって話は、まとまったんですか?」
「……どうなったと思う?」
「……」
その言葉に、リュカは、どこか遠いところを見ながら立ち上がると、尻に着いた土埃を払いながら考えた。
いや、考えなくても分かる。今の騎士団の状態、そしてセイナという人間が最も良い方法だと考える物がなんであるのかを鑑みれば、おのずと答えは出てくるだろう。
「やっぱり、永住するんですね」
「……えぇ」
やはり、か。
元々この騎士団の所属先であったマハリの最後の任務が、この国まで元マハリの国民を護衛することだった。それが終われば、完全に騎士団は自由の身。というよりもいらぬ存在となってしまう。
そして、このミウコの国の現女王であるグレーテシアからは騎士団全員を迎え入れる準備をしてあるとのことはずいぶんと前から聞かされていたことだ。
ミウコの国からしてみても、ヴァルキリー騎士団程の戦力を手放すのは惜しいはず。だから、彼女たちを引き入れようとするのは、目に見えていたこと。特に、今回の戦で多くの戦力を失ったからには、その戦力の補充は急務であったことであろう。
余談だが、ここ最近グレーテシアの求心力も落ち込んでいるという事を、彼女はこの時噂話程度に聞いていた。今回の戦での犠牲者の多さもそうであるが、敵国の人間であり自国の人間の殺害にも関与したヴァーティーをほとんどおとがめも無く永住権を与えたことに、兵士たちの中でも不信感を持っている者が多いという話だ。そう言った者達を抑えるためにも、それ以上の力を望んだのかもしれない。
結局、双方が得をするにはどうするかと考えたその時には、この永住という道しかなかったのだ。
それは分かる。でも、もしも本当にその道を選んだとするのならば、自分は。いや、自分たちは―――。
「いい、リュカ……貴方が弱いと言うのは間違いじゃない。世界には、私よりも強い人間がゴロゴロといる。もし今のまま国を飛び出して行ったら貴方は……」
この言葉を聞いた時か、いやあるいは模擬戦をしようと聞いた時からだったのかもしれない。
いずれにせよ、リュカは感じていた。きっと、セイナは自分に現実を見せるために模擬戦を仕掛けてきたのだと。
きっと、自分、つまりリュカは騎士団がミウコに編入されることになったのならば、配下のケセラ・セラやロウたちと一緒に出て行くのだろうと分かっていたのかもしれない。
だって、自分の夢は天下統一。そのためには、誰かの≪下≫についてはならないのだ。自分自身が頂点に立っていなければならない。もちろん、前世の世界で天下統一を果たした人間の中に、元々は誰かの配下にあった人間であった人物がいる事は彼女も知っている。でも、そうやって右倣えで行動するのは、自分の意思に反する物。
だから、彼女は選ぶ。自由の道を。騎士団という一つの団体で下に着くのはまだいいとして、国の人間として配下になるのは御免だ。一体どういった違いがあるのかと聞かれれば自分自身でもよくわからない。恐らく、心象の問題なのだろうと思う。
ともかく、一つの国に止まり続ける事だけは嫌だった。
「それでも、私はリュカ、龍神族のリュカですから。ヴァルキリーのリュカですから。だから……ごめんなさい」
「……そう」
セイナは残念そうな顔をリュカに向けた。
彼女としては、磨けば光る原石のような少女を、ゴツゴツとした岩場ばかりの渓谷に投げ込むのは嫌だったのだ。でも、それでも揺るがないリュカの意思に、セイナは敬意を表すのと同時に、哀れみを感じ取ってくれた。リュカは、ただそれだけでも嬉しかった。
「心配しないでください。連れて行くのはケセラ・セラとロウだけ……分隊の皆は、この国に残していきますから」
「え?」
セイナが、ここで意外そうな顔をした。彼女のそう言った顔を見るのはある意味では貴重なのであろう。彼女は、それが少しだけ楽しかったのか、さらに付け加えるべきことじゃないことまで付け加えた。
「私が、誰かを部下にするのはまだ早いって分かりました。だから、置いていくんです……みんなの命を守るためにも……」
それは、先ほど彼女が話に出した山賊との戦いの戦績にも関連することだ。自分はまだ誰かを守り切れるほどに強くはないし、誰かに指示を与えられるほどに賢くはない。それに、そもそも分隊員は確かに自分の部下ではある物の、大元をただせば騎士団の配下にある人間。ソレを勝手に連れ出すなんてこと、できるわけがない。
「なら、どうして、ケセラ・セラは?」
「……」
そう。他の分隊員は連れて行かないのは分かった。なら、逆にどうしてケセラ・セラだけは連れて行こうというのか。リュカは、満面の笑みを浮かべて言う。
「あの子、このことを話した時に言ってくれたんです。私は、リュカと一緒に死んでも構わないって……だから、連れて行くんです」
それは、山賊との戦いが終わった直後の事。もしも自分が騎士団から出て行くときには一緒についてくるかと聞いた時に、ケセラ・セラは何のためらいもなくそう言ってくれて、リュカはとても嬉しかったそうだ。
けど―――。
「その話、クラクやレラにもしたの?」
「……」
その、曇った表情が答えだった。
言っていない。彼女は、クラクにも、レラにも、タリンにも、サレナにも、ミコにも、そして当然エリスにも。
自分でも、不公平な話だと思っている。でも、言えなかった。だって、そんな地獄への道ずれみたいな話が出来るほど、自分は強くも弱くもなかったから。
もしかしたら、怖かったのかもしれない。もう、これ以上仲間を持つという事が、これ以上、仲間が傷ついていくという事が、そして、前世の親友たち以上の間柄になっていくという事が、怖かったのかもしれない。
「貴方、長生きできないわよ」
「承知のうえです……団長」
こうして、険悪な雰囲気のまま二人は別れ、自室へと戻っていった。真実の言葉一つをその場に置き去りにして。
いつしか、城は夕闇に包まれていた。
だが、その中で暗躍するいくつかの影に気が付ける者は少なかった。




