第三話
山の調査を終えたリュカ。結局のところその日もあまり成果と言ってもいい物はなく、ケセラ・セラや分隊の仲間たちと一緒に国へと帰ってきていた。
時刻は既に真夜中に入っていたため、いつもは行きかう街の人たちもほとんど見ることがなかったのは、幸いだったのかもしれない。と、思ってしまった自分に少しだけ腹が立つのと一緒に、心の中にいるこの国の人間への不信感にため息が出てしまう。
ダメだ。こんなことじゃ。最初から分かり切っていたことじゃないか。自分が、誰もから忌み嫌われる存在であるという事を。だから、そんな忌憚な目で見られることも、知っていたじゃないか。今更こんなことで落ち込んでいてどうするのだ。
リュカは、心の中にある絶望と対話するかのように首を振ると、隊舎の前で一人ボッチになった。あとは、自分の部屋に帰って眠るだけ。なのだが、どうにも今日は疲れが溜まっているはずなのに眠くない。
神経がたかぶってしまっているのだろか。思えば、あの山賊との戦い以降日課にしていた分隊での模擬戦も無く、山で身体を動かすことはあっても存分に剣を振るうこともなかったことが、理由なのかもしれない。
久しぶりに、剣を振るってみるか。そう考えたリュカは、扉にかけようとしていた手を引っ込めると、24時間使用できる軍の訓練場へと足を向けた。
この国の訓練場は、城全体が魔法の効果を和らげる素材で作られている。その中でも、特にその効果が色濃く表れている。故に、その場所で多少魔法を使用したとしてもその魔力で隊舎で寝ている人間たちを起こすことはまずない―あとおねしょさせることとか―。今日は、久しぶりに【龍才開花】も使ってみるかといきこんだ様子のリュカ。
この時間だから、きっと自分一人で貸し切り状態のはずだ。そう思っていた彼女。だが、それは彼女の勘違いであったようだ。
「あれ?」
「あら……」
訓練場に足を踏み入れたリュカは、灯りもつけずに薄暗い中にいた一人の女性を見つけた。どうやら、先客であるようだ。
随分と剣を振っていたのだろう。よくは見えないがやや息が上がっているようだ。こんな夜中にまでそれほどまでの運動をするのだから、よっぽど身体を動かすのが好きな人間の様だ。と、すると。
【灯】
女性は、火の系統の魔法の一つである灯を使用する。すると、女性の指先から放たれた小さな火の粉は、真っすぐとすぐ近くにあった灯台へと到達し、まだ新品だったまっさらな蝋燭に火をつけた。
この訓練場の灯台は、一つの蝋燭を点けるとその部屋中の同じ蝋燭にも火を点ける仕組みになっているため、瞬時に部屋中の明かりがつき、薄暗闇の中にいた女性、そしてリュカの姿をはっきりと映した。
やっぱりか。リュカは、女性の姿を見た時にそう思った。鍛錬によって呼吸をするのと同じような感覚で目に魔力を集めることができるようになっていた彼女は、常時ソレを利用して周囲の状況、主に人間の魔力を探っていた。
だから、例え常人じゃ気が付くこともできないようなその人の正体にも、暗闇の中でも気が付いていたのだ。リュカの目の前に立つ女性は、地面に置いていた布で身体の汗を拭いながら言う。
「こんな時間に、運動? 物好きね」
「セイナ団長こそ……」
女性、改めセイナは、リュカの言葉にフッ、と笑うと再び地面に布を落として言う。
「ここ最近身体動かしてないから……たまにはってね」
「なるほど」
考えてみれば、彼女はここ最近自分たち騎士団の身の振り方を決めるために副団長やこの国の大臣たちとの会談、つまり話し合いをほとんど一日中やっていたのだ。ずっと座っていたのならば、運動不足を気にするのも分からないでもない。
恐らく、ソレを解消するための一環だったのだろう。セイナはふとこんなことを提案してきた。
「ねぇ、久しぶりに模擬戦でもやってみない?」
「え? いいんですか?」
「勿論」
これは願ってもないことだ。事実、彼女の言うように自分とセイナが模擬戦をするのは久しぶりのこと。下手をすればちゃんとした模擬戦という形であるのならば初めてとなるはずだ。
前に模擬戦をしたのは、まだマハリにいた時の事。例の服を着て地獄のシゴキを受けていた時の事だから。
彼女に、今の自分の力を見せる好機なのかもしれない。幸い自分もただ山を四万歩くらい登り降りしたくらいだからまだ体力に余裕はある。この提案に乗らない理由はない。
リュカは、腰に差していた天狩刀を壁に立てかけると、模擬剣の一本を拝借してセイナの前に立った。
なんだか緊張する。と、同時に少しだけ安心した。よかった、彼女の前に立っても自分の身体は何も変わらない。そんな極々当たり前で、でも彼女の前だと全然当たり前にならない喜び。
それを感じ取ったのだろう。セイナは笑い話をする道化師のような笑みを浮かべて言った。
「へぇ、もう私の前に立っても漏らさないんだ」
「む、昔の私とは違うんです!」
「別に恥ずかしがらなくていいわよ」
「恥ずかしがっているわけじゃないです! 私はもう、弱くない……って、ここは恥ずかしがった方が正しいのか……」
リュカは、若干自分の認識がずれているという事に頭を抱え込んだ。毎度毎度のことながら、自分の羞恥心は行ったり来たりを繰り返していて、果たして自分が真人間なのか痴女であるのか、自分自身でも分からなくなってくる。
とにかく、今分かることと言えば彼女を前にして自分がもう漏らさなくなっているという事だ。大丈夫。確かに最初に彼女と対峙した時にはそれはもうすがすがしいほどに、放出と言う言葉が似あうくらいに彼女の魔力によって黄色の液体を漏らしていた。
だが、あの日から自分は成長したのだ。例え強大な魔力に当てられたとしてもちょっとやそっとじゃ漏らさなく、もとい持ちこたえることができるようになった。自分以上の魔力の持ち主と四六時中一緒にいるから徐々に体が慣れたのだろうと思う。
セイナが言うには、自分と戦う相手は男女問わずとして一回目の戦いの時には必ず漏らしているらしく、副団長のカインとリィナの二人も、その頻度は確実に減っているが今でも時折模擬戦をするときには漏らしていることがあるらしい。
それを考えると、もう漏らさなくなっているリュカは十分強くなっていると言えるのだとか。
むしろ当然と言ってもいいだろう。自分は強くなければならないから。強くなければ誰も守れない。誰も救えない。そして、欲望を叶えることができない。だから、自分は強くなければ。この世界の誰よりも、強くなければならないのだ。
「行くわよ、リュカ」
「はい!」
勝負はどちらかが負けを認めるか、大怪我を負う、または気絶するまで続ける。魔力の使用は無制限に許可され、急所を狙わないのであれば飛び道具の使用も許可されるという、限りなく実践に近い形式での模擬戦だ。
果たして、自分の力がどこまでセイナに通用するのか。もちろん負けるつもりなんてさらさらない。いい試合だったという事で満足しようとも思わない。自分は、彼女に勝つ。ただそれだけを心に決めて戦うのだ。例え、それが不可能であったとしても。
「……」
「……」
合図は、特にはなかった。二人ともが黙ってただただ立っているだけで。一言も発せず。
騎士団の模擬戦ではいつもの事だ。実際の戦場でも、戦闘の開始の合図なんて物そうそうなく、一体誰が始めたのかも分からないないほどにあっさりと、そしていつの間にか戦闘をすることになる。だから、この騎士団の模擬戦においてはそう言った戦闘開始の合図は無いに等しいのだ。
あるとすれば、それは。
「ッ!」
どちらかが動いた。その時だけ。
今回最初に動いたのはリュカだった。理由は簡単。自分が動かなければ絶対にセイナも動かないという確信があったから。
もしそうなった場合持久戦。というよりもどちらかの集中力が切れた瞬間、つまりどちらかの隙が産まれた瞬間が戦闘開始の合図となるわけだが、どう考えても自分の方が先に集中力が切れるのは明々白々。ならば、その前に先手を打って動いてしまわなければならなかったのだ。
リュカは、まず横に駆け出した。まっすぐ彼女の前に向かって行ってもすぐに撃退されることは容易に想像が出来たからだ。先手を取るしかなかった彼女の唯一の抵抗であるようにも思える。
「遅い!」
「クッ!」
だが、セイナもすぐに動いてきた。リュカの向かった方向に、まるで瞬間移動でもしたかのように瞬時に現れてその走路を封じたのだ。しかしこれも想定済み。
「いいえ、速すぎですよ!」
「なんですって? ッ!」
セイナは、その速度を緩めることのないリュカの前に立った。だが、リュカに近づくことができない。いや違う。自分に近づいてくるリュカに押されていかのよう。まるで、なにか空気の壁のような物が彼女の事を守っているかのようだ。
その空気の壁によって一瞬だけ止まったセイナ。その隙は逃さない。
「はぁッ!」
【突風】
リュカは、さらに魔法を『重ねた』。風の魔法の一つ。突風だ。
前からの空気の圧、そして突如として吹いたその風に、セイナの身体は大きく後ろに大きくぐらついた。さすがのセイナも、ここまで体勢を崩されれば復帰するのも難しいはず。リュカは、模造剣を持つ手に力を込めた。
この一撃。この最初の一撃で模擬戦を終わらせるつもりだ。というか、そうじゃなければ勝つことなんて到底不可能。相手が隙を見せることがそう何度もあると思うな。これは、リュウガの言葉だ。倒せる時に倒せ。そうじゃなければ、自分が殺されると思えと。例え、これが模擬戦であったとしても変わらない。
魔力もこの二度の使用で底を付いた。確実に、これで、セイナを仕留める。そんな強い気持ちで放った一撃だった。
「これでぇぇぇ!!!!」
だが。
「え?」
その攻撃はセイナには届かなかった。
「惜しかったわね」
「な、なんで……身体が……」
動かない。身体が、空中で時間を停止させられてしまったかのようにその動きを止められてしまった。それに、なんだ。この身体中を這いまわるピリピリとした感触は。
そうか、これは。彼女がその正体に気が付いたのもしかし、後の祭りであった。
「はい、終わり!」
「う゛ッ!」
動くことのできなかったリュカは、その脳天に体勢を整えたセイナの重い一撃を喰らってしまった。
瞬間、彼女は失意と共にその意識を失ったのだった。




