第十八話
私は、自分勝手な人間になりたくなかった。自分の尊厳等という物のために、他人の命を犠牲にする。そんな人間にはなりたくなかった。自然界において、仲間たちに教えられたこととソレは全く逆のことだ。
誰が生き残り、誰が死ぬのか全く予想することのできない自然の世界において、他者を守り、また守られるという展開はごくまれに存在する。だがそれはほとんど偶然のような物。自発的に身体が動くことはほとんどない。
他人の命なんて自然界では目をくれてはならない。他人の命まで大切にできるほど、生き物は器用ではないのだ。それでも他人の命を大切にしようとするのならば、必ずその報いを受ける。今の自分がそれだ。
あのミウコでの戦が終わった後、自分はグレーテシアの私室に招かれることが多かった。そこには、彼女が集めた大量の本が飾ってあった。元々はその城の図書館にあった物であるらしく、その中にある自分が気に言った物を私室に運び込んでいるのだと聞いた。
中でも気に入っているのが、絵が描かれた本。リュカが言うには漫画という物らしい。グレーテシアは、その読みやすさ、そして内容の面白さに目を奪われて没頭していたらしい。
その漫画の一つにあったのだ。敗戦国の騎士が、敵国に連れて行かれた後どうなるのかを、鮮明に記した本が。その漫画の場合、主人公は敵国の、異世界から来た男だったから、あたかもそれが良いことであるかのように脚色されていた。
でも、グレーテシアはその描写に気に食わないところがあったらしい。敗れた国の人間がどうなるかなんて、想像しなくても分かる事。だから、その描写自体は構わない。だが、戦争があたかも男が美女を集めるための戦いのようになっていたことが気に食わなかった。
だから、グレーテシアはその漫画の、その主人公の事を殺したいほどに憎んだ。その程度の目的のためにわざわざ戦をして、多くの国民の人生を無茶苦茶にする。そして、それを周囲の人間が何の考えもなしに称賛する。その光景が嫌だったらしい。
なら、どうしてその本を私室に入れたのか、そう聞かれたグレーテシアは分からない。とだけ答えるだけだった。
自分も、その漫画を見てみたのだが、分かったことと言えば敗れた国の人間がどうなるのかの末路だけ。だから、分かったのだ。自分がこれから、その敗戦国の人間のような仕打ちを受けることになると。
嫌だ。いやだ。イヤだ。あんな姿になるのは、心を壊されるのは嫌だ。
でも、自分がここで男についていかなければ、仲間の命は助けられない。
見捨てられるわけないじゃないか。だって、彼女は私の、姉の、そしてリュカ分隊の皆の仲間であるのだから。
私だって、そう。リュカ分隊の人間にとっては大事な仲間。
分かっている。自分の人生が大事だってことは。でも、それでも、助けられる命を見捨てたりなんてしたら、したら、したら。
もう、いい。あれこれ言い訳をするのはやめよう。これ以上言葉を繋げても、この行為を肯定する言葉なんて浮かばないのだから。
自分の命が大事であるという根底からの考えを、覆す理由にはならないのだから。
だから、もういいのだ。
男に近づいたケセラ・セラは、その手に魔力石で作った枷をはめるように言った。その枷をはめた瞬間、自分にとって辛く苦しい毎日が始まる。
でも、これしかないのだ。選択肢は、これしか。本当は、もっともっとたくさんの選択肢があった。でも、そのどれもが非現実的な物。ご都合主義の権化。そして、レラの命を捨てざるを得ない物ばかり。
そんな物を選ぶくらいだったら、私は。
奴隷への道だって迷わず進んで見せる。
その手に、二度と外されることのない枷がハマろうとしていた。ゆっくりと、ゆっくりと、覚悟を決めたはずのケセラ・セラは、その光景を、見たくないと目を固くつぶった。
もしかしたら、それが功を奏したのかもしれない。
「ん? なんだ、この光は!?」
「え?」
奇跡の光、それは彼女の人生に光を与える、光明の一筋であったのかもしれない。彼女が目を開けようとした瞬間であった。
「ッ!」
「グッ! ッ!」
襲ってきたのは、巨大な爆風だ。木々を揺らし、折ってしまうのではないかというほどにしなっていくすべての木々の音。この魔力、間違いない、姉だ、リュカだ。それにこの爆風。まさか、あのリストバンドを外したのか。
そう。彼女の推測は当たっていた。彼女が男に屈しようとしたその直前、リュカがクラクの周囲にいた山賊の目をくらませるために使用したあのリストバンドの暴発を起こしていたのだ。
ケセラ・セラは意外とリュカたちに近い場所にいたのだろう。巨大な光が、そして爆風が彼女たちの所にまで届いていたのだ。
巨大な光に目をくらませた男、ダンナは何かが当たったことによって手から噴き出す血を抑え込みながら後退りする。その足元にはその激痛で手放した枷が落ちていた。
「あれって……」
目をつぶっていたことによって視界を守っていたケセラ・セラは、枷と、後退して傷の手当てをするために魔法を使用する男を確認すると、今度は何がダンナに当たったのかを確認するために、左に首をうごした。果たして、そこにあった物は。
「お姉ちゃんの刀……」
姉の刀、天狩刀である。爆発が起こる前に、リュカが地面に放り投げた天狩刀が、爆発の衝撃で彼女たちの所にまで飛んできていたのであった。
それをみたケセラ・セラは、枷をはめてもらうために挙げていた手を下す。そして感じ取った。天狩刀から放たれる、リュカの思いを。
「お姉ちゃん……私に、そんなことをするなって……そう言いたいの?」
そんなことあるわけがない。第一、姉は今の自分の状況を全く知らないでいたし、天狩刀が爆発によってここまで飛んできたのは単なる偶然だった。それなのに、その刀を見た瞬間に彼女の脳裏に浮かんだのは、自分に対して激怒する姉の姿だった。
そう、姉は望んでいないのだ。こんな結末を。誰かのために自分自身が犠牲になる。自己犠牲なる物はもう求めてはいないのだ。世界は、誰か一人が犠牲になることで救われる命なんて、望んでいないのだ。
本当は自分だって気が付いていたことなのに、命という物を天秤にかけられて、正常な判断を見失ってしまった。でも、姉が教えてくれた。いや、思い出させてくれた。他人の命を大事にするより、まずは自分の命を大切にする。それが、自然界で生き残る一番の術であるという事を。
それでも、心苦しいものはある。けど、自分は決心した。そのことを報告するため、彼女は戻った。レラの元へと。
「ゴメン、レラ……私……」
まだ苦しんでいるダンナを置いてレラの元に戻ったケセラ・セラ。は、膝をつき謝罪する。自分が己の人生を優先させた結果、彼女が命を落とすという未来を勝手に決めてしまったことを。
だが、レラは今できる精いっぱいの笑顔で、息も絶え絶えながらも言った。
「いい、の……他人のために、自分をおろそかにするのは……自分を、大切に、しない……人間、だけ、よ」
「レラ……」
レラは分かってくれている。いや、元々分かってくれていたのだ。でも、自分が勝手に彼女の意思を無視して、勝手に助けようとして、勝手に彼女に罪を作ろうとした。
自分は罪深い女だ。助けようとした少女に、また別の罪を擦り付けようとするなんて。
その時だ、レラが苦しみだしたのは。これだけの傷を負っているのだ。さぞかし痛むことだろう。その痛みは、きっと自分が経験したことがないほどに辛く、そして精神を蝕んでいく物なのだろう。
これ以上、彼女に苦しい思いをさせるくらいなら。彼女に、そんな結末を迫った自分にできることはなにか。
覚悟を決めたケセラ・セラは、爪に魔力を込めて変形させた。その姿をみたレラは、やはり微笑みながら言う。
「い、い……から……わたし、のこ、とは……ほうって……」
「レラ、でも……」
「いい、の……」
彼女は察していた。きっと、ケセラ・セラは自分がこれ以上苦しまないようにその命を断とうとしてくれていたのだろうと。でもいいのだ。
どうせ死に行く運命なのだ。それが、遅くなろうとも早くなろうとも結果は同じ事。死に行く人間を殺すよりも、まだピンピンしている人間を殺したほうが、彼女に取ってもいい経験になるし、なにより、彼女に仲間殺しの汚名を作りたくなんてなかった。だから、敵から目を逸らすな。そう彼女は言いたかった。けど、もうそこまでの力は残っていない。だから、彼女は一言だけ言った。
「それ、より……」
「ッ、痛かったぜ……」
「……」
だが、言い終わるが先か、後か分からないような時間で、ダンナは再び彼女たちにその姿を向けた。どうやら、腕に受けた傷はすでに己の回復魔法で治しているようだ。
それを見たケセラ・セラは、ダンナの事を見たまま、死に行くレラに目もくれずに立ち上がった。
「おう、やる気か?」
「うん……」
それをみたダンナは気が付いていた。少女が、先ほどまでとは全く違うという事が。
いや、正確に言うと戻ったと言うべきか。本使いの少女が深手を負うその前まで。
獲物をその目だけで射殺すのではないのかと思うほどの目線。心臓をすぐにえぐり取らんとする鋭い爪。そして、その身体からほとばしる殺気。
もしかしたら、少女が大怪我をするずっと前よりも強くなっているのかもしれない。
「へ、いい目をしてやがる……そんじゃ」
「グルアァァァァァ!!」
「おいおいいきなりかよ!」
無駄話なんてしている時間も、余裕も、そして口数も全て不必要。あるのは、命のやり取りをしようとしている者達のみ。そこに、言葉なんて不要な物。
ケセラ・セラは駆ける。ただ、目の前にいる獲物を殺すために。レラの思いと、心を乗せてもう一つの死体を作るために戦う。自由を思い出した女の子は、とてつもない力を発揮するのである。
レラの言葉に、報いるために。
≪生き延びて……≫
彼女の、呪いをその身に受けて。




