第十七話
ムバラクと戦い始めた。しかし、リュカはすぐに妙なことに気が付いた。
「ッ! ツアァ!」
鞭が曲がってくるくらいならまだいい。魔法の使い方次第では、繋がっている物であるのならば生き物のように操ることができることは知っていたから。
だから、彼女は一度避けたとしても油断することなく鞭の先を見て、回避を続けていた。普通に鞭を操る敵であるとするのならば、ただこれだけの対処法を用いればそれだけで終わり。後は隙を見て懐に飛び込むだけでよかった。
はずだった。
だが、誤算が生じる。
「どうして、さっきから!」
リュカが避ける方、逃げる方に鞭が、まるで獲物に追随する蛇かのように向かってきているのだ。魔力で動かせるとは言っても、自分が動いたのを見て操作するのであれば最低でも一秒足らずの時間を要するはず。それは、前世の世界もこの世界の人間も同じ事。
それなのに、鞭は動いたすぐそばから自分のことを追ってくる。まるで、自分が逃げる方向が分かっているかのように。
鞭の先を叩き落とすことは何度も考えた。だが、鞭に込められている魔力量を見る限り、今自分が持っている短刀程度では、ソレを叩き落とす前に刃が欠けるか折れる。
その短刀は元々リュウガの肉体を使って作られた世界に二本しかない特注品。天狩刀と同じで、二度と同じものを作成することはできない貴重な武器である。ソレを、こんな無様な戦いで消費するなんて、考えられなかった。
結果、彼女は縦横無尽に自分のことを追ってくる鞭の攻撃を甘んじて受け入れるしかなかった。
「ッ!」
また一撃。今度は左脇腹に重い攻撃を受けてしまった。直前に魔力を防御の方に回していなかったら、今頃肋骨がバラバラに砕けてしまっていたはず。それを考えたら、まだマシといっていい。が、痛いということは変わりない。
今度は、一度左に避けるかのような仕草を見せたはずだったのに。左に目線を持っていき、足の向きも、筋肉の使い方もあからさまに左に避ける物としたはず。それなのに、右に避けたすぐそばから鞭が襲ってきた。これはもう、勘とか運とか、そんな物じゃない。
見破られている。自分の動きの全てが。特定されている。自分の行動の癖が。自分にはそういった癖のようなものはないと思っていた。もしもあったとしたら、長期戦になった時の弱点として作用してしまうためだ。だから、父やセイナにもちゃんと確認していた。結果、実践において自分に明白な筋肉の動きなどの癖はなかったはず。
大事な戦いの直前には深呼吸をするとか、自分が有利になったらやや口角が上がるとか、そういったものはあったらしいが、しかしソレ以外での癖はなかったはずだ。
まさか、見抜いたというのか。父やセイナが見逃した自分の癖。致命的な弱点を。こんな山賊風情が。だとしたら、なんという観察眼であるのかと、思わず相手を称賛してしまったリュカ。しかし、相手のことを褒め称えている場合じゃない。
今問題にすべきは一体自分のどこに癖があるのか。そして、どうやってその癖を隠すのかだ。
けど、自分が信頼している父やセイナですらわからなかったような癖だ。こんな戦闘の真っ只中にいて、ソレが分かるものか。
「ハァァァァ!!!」
考えている余裕はない。リュカは、ムバラクに向けて一直線。ただ突き進むのみ。
その時、ムバラクの口角が上がったのを見た。
途端に背後から迫ってくる鞭の気配。魔力がその先にこもっているために背中越しでも、松明の光を背に受けているかのように分かる。
後もう少し引きつける。もう少し。もう少し。もう少し。
今だ。
「はぁっ!」
リュカは、鞭が背中に当たる直前にその場でバク宙をした。正確には、前に進む力もあったからやや斜め上に飛んだと言ったほうが正しいのだろうが、結果としては何にも変わらない。真上に跳ぼうが、斜め上に跳ぼうが、鞭を相手に当てるためにはどうでもよかった。
リュカが考えた作戦はこうである。
まず、自分がムバラクの方へと全速力で駆ける。その直前に鞭を自分のすぐ近くにまで飛ばしてきたムバラクはきっと、背後から自分の背中を襲うために鞭に魔力を込めて操作するはずだ。
ムバラクは、自分が背中越しに向かってくる鞭には気がつかないだろうと考えるはず。その隙を突く。
鞭が自分の背中を捉える直前。大きくバク宙をする。そうすれば、自分がいなくなった後の地上を空過した鞭が、ムバラクの身体を捕らえ、大打撃を与えるはずだ。
もしも、彼がそれを察知して、鞭を止めたとしても、足に力いっぱいの魔力を込めて地面に着地した時にその先端を踏めばいい。
自分の体が軽くとも、魔力を楔のように使用して鞭を踏みつけることによって一応の動きは止まる。もしももっと魔力を込められでもしたらすぐに弾き飛ばされてしまうだろうが、その前に、短刀をムバラクの顔めがけて投げれば形勢逆転。ムバラクは頭を串刺しにされて即死する。
例え残った左手で受け止めようとしても第二の矢、もう一本の短刀を投げれば良い。それで全てが終わる。山賊の頭である敵を倒してしまえば、残った残党はなすすべもなく撤退していくしかない。絶対に上手くいく作戦である。
筈だったのに。何故。
「ガハッ!!」
何故、背中にこんなに激痛が走る。
その瞬間、リュカは肺から口を通って抜けていく空気を知った。多分、全ての空気が抜けたのだろうと思えるほどに体の中から酸素という酸素が放出され、内臓が飛び出るかと思うほどだ。
見なくても分かる。あの鞭が、背を襲ったのだと。あまりにも鋭く曲がり、彼女が準備する間も無く激突した。身体が山折りにポッキリと折れてしまったかのような曲がり方から見ても分かるかもしれないが、魔力での防御も間に合わずにその背中にもろにムチを受けてしまったのだ。
よって、まるで重い鉄球がぶちあたったかのような衝撃が彼女を襲った。
鞭は、役目を終えたかのようにゆっくりと彼女の身体から離れると、支えを失った彼女の身体は力なく地面に激突した。人間の身長ほど、というさほど高い場所から落とされたわけじゃない。しかし、激痛によって受け身を取ることもままならなかった彼女は全身を殴打して、さらに激痛が体中を走る。
「ッ、痛……!」
リュカはすぐさま立ちあがろうとした。だが、足に力が入らない。
まさか、リュカは嫌な予感がした。確か、背中には全身の神経の出発点とも言える脊髄というものがあったはず。そこに、外部から何らかの力を加えられて損傷してしまうと、そこから下にある神経に脳からの指令が行き渡らなくなって各部に麻痺が残る。場所が悪ければ全身麻痺、つまり身体が動かなくなってしまうのだとか。
考えたくはなかったが、先程の攻撃でその脊髄が損傷したのか。ありえないことじゃない。あの攻撃、自分は魔力による防御をしなかったからその鞭に宿った魔力がそのまま自分の背中を抉った。鉄球のような重い攻撃が無防備な身体に当たってしまったらどうなるかなんて、想像するのも容易い。
間違いなく、折れてしまっている。壊れてしまっている。脊髄が。
これは、まずい。怪我自体は、おそらく【龍才開花】を使用すれば治るはずだ。しかし、問題は今現在その【龍才開花】を使用してしまっているということ。
【龍才開花】は、一日に一度しか使用することができない個別魔法。つまり、この戦闘中に一度魔法を解いて【龍才開花】を使って治す、なんてできないのだ。
簡単に、わかりやすくこの状況を説明しよう。要は、ここから先、自分は、二本の短剣と、上半身の力だけで、ムバラクと戦わなければならない。ということだ。
「なんて、絶望的な……」
無理に決まっているだろう。明らかに自分の今の力よりもムバラクの方が強いのは目に見えている。それなのに、弱い方が敵にハンデを送るなんて馬鹿のするようなことじゃないか。
多分、彼女の心だけじゃなく、身体も同じことを考えてしまったのだろう。【龍才開花】は、魔力が底をつくか、もしくは彼女自身が闘う意志を捨ててしまったらその力を失う。この場合は後者。彼女の心が闘う意志を失ってしまった。だから、その力は失われ、元のリュカへと姿を変えてしまった。
こうなってしまうと、もう勝負は目に見えている。下半身が動かない自分一人で、【龍才開花】も無しで果たしてどんな勝ちすじが見えるというのか。
勝てっこない。相手が巨大な獣であったとしても、一国の王だったとしても、闘う意志を捨てることのなかった少女は、おそらくその人生で初めて勝つことを諦めてしまったのだ。もう、勝負は決していた。
「へっへっへっ、一日一回しか使えない魔法なんて、不便なもんだなぁ……」
「くっ……!」
ムバラクは、リュカの髪を掴み、その顔を持ち上げるようにその汚らわしい顔を無理やり見せながらそういった。
その時気がついた。
きっと彼も油断していたのだろう。最後の最後にぼろを出してくれた。もしかして、男が自分の避ける方向を予知できていたのは、そう言った理由があったから。そう考えれば、全ての辻褄がついてしまう。
惜しいな。もう少し早く気がついていればなんとかなったのかもしれないのに。あの戦いの中で自分の勘違いに気がついていれば、こんな結末になんてならなかったのに。
本当に、残念だ。
「まぁ、俺たちの雇い主の魔法があれば、そんな怪我簡単に治るだろうが……その前に、楽しませてもらおうか?」
この時、リュカの脳裏にこれから自分に降りかかる最悪の未来予想図が生まれた。
だが、仕方ないのだ。それが、敗北した女性の末路。旅を始める時から覚悟していたことだ。敵が男で、もしも負けて生捕りにされてしまったらどうなることか、父からずっと教えられてきたことだ。
最初は、当然嫌だった。でも、その覚悟をしなければ戦なんてしてられない思い直してから、その時が絶対に来ないようにとより一層強くなることをもとめた。
でも、結局はこの時が来てしまった。
けど、しょうがない。それが、敗者に待つ結末。勝者にだけ許された蛮行。その結末を、受け入れなければならない。
だが、決して屈しない。自分は。例え身体を許すことはあっても、心だけは屈しない。例え、これからどれほどの屈辱が、快楽が待っていたとしても、自分は、決して負けたりなんてしない。もう、敗北している人間が言うことじゃないのかもしれない。だが、もう、これ以上負けたくはないのだ。敵にも、自分にも。
「へへ、その強がりがどこまで続くか、楽しみだぜ」
そういって男は私の鎧に手を“かけようとした”。




