第十五話
命は、何人たりとも平等である。綺麗事であったとしても真実でなければならない。
命は、決して取引に使用してはならない。たとえ、それで誰かの命を救うことができたとしても、悪魔に身を任せてはならない。
なぜならば、命に代わるものなど、どこを探しても存在しないのだから。
しかし、その命を取引に使用しようとする者たちがいる。それが、邪悪なる存在、である。
「ハアアアッ!」
「ッ!」
レラは、振り上げられたその斧を本の頁で作った紙の盾で防いだ。その瞬間何か嫌な予感が走る。
斧が膨張したような、そんな感覚。今にも弾け飛びそうなほどの魔力を内包した狂気なる凶器。
逃げろ、死ぬぞ。自分の中の本能が叫んだその刹那、レラその斧の刃先から飛び退いた。果たして、その選択が正解であったとわかったのはすぐのことである。
「なっ!」
衝撃波だ。斧から、とてつもない魔力を包容した波が、レラの作り出した盾の防御魔法を破壊し、そのまま地面を這うように真っ直ぐと進んでいくではないか。
彼女の防御魔法はヴァーティーたちには劣るものの、それでも多少の魔法を防ぐことは容易かったはず。
しかし、彼の衝撃波はそんな彼女の自慢の盾を粉微塵と表現するのも呆れるほどにあっさりと粉砕した。それは、レラを戦慄させるのに十分すぎるほどだ。
だが、その状態でも、防御魔法を作り出した破れた本の一頁が力なくヒラヒラと、地面に落ちようとする間際、動きだす者がいた。
「グルアァァァァァ!!」
ガラ空きとなった男の背中にケセラ・セラの鋭い爪が迫る。ほとんど死角であると言っても良いこの状況。もしかしたらその一撃で全てが終わるかもしれないと考えての攻撃。
しかしそんな彼女の思惑、願いはすぐに破壊されることになった。
「ッ!」
「ヘッ!」
ケセラ・セラの攻撃は簡単に斧で防がれてしまう。接近する際の魔力で気がつかれたのか。いや、例えそうだとしても、あの巨大な斧だ。それをあんな軽々と。とは思ったが冷静に考えてみるとリュカもまた巨大な天狩刀を魔力による補助を用いることによって軽々と降っていることを思い出し、その斧を踏み台とし、背後へと飛び退いたケセラ・セラ。
「ケセラ・セラ! 同時に行くわよ!」
「わかった!」
そんなケセラ・セラに息も尽かさずレラが叫んだ。そう、例え相手が斧を軽々と使い、それで防御をしていたとしても、一本しか持っていないため別々の攻撃は防ぐことができないはず。ケセラ・セラは以前の訓練の際にこう言った場合の連携について確認していたため、その通りに動くことにした。
「ガァッ!」
「ほらよ!」
再びケセラ・セラが飛びかかる。だが、それは簡単に防がれてしまった。それ自体は想定内。本命は、その後のレラの攻撃だ。
「ハァァァァ!!!」
レラは、本の頁数十枚を重ね合わせ、魔力によって引っ付けて鋭くすることによって剣を作り出すことができる。紙で作られたそれではあるのだが、その鋭さは並の剣の数倍。何枚もの頁を重ね合わせることによってその強度が高まるのだ。
一枚一枚の強度は低くとも、これだけの量の紙を重ね合わせれば例えどれだけ強靭な筋肉を持とうとも断つことができる。当然、その男の硬い皮膚であったとしても。
「ッ!」
だが、その攻撃が男に届くことはなかった。
そして二人は困惑した。
「フッ……」
レラの攻撃は、斧によって止められたのだ。しかし変だ。彼の斧は今もまだケセラ・セラを抑え込んでいる。レラの攻撃を抑えたのは、“二本目”の斧だ。だが、それがどこから現れたのがまるで見当がつかない。森の方から魔力によって引き寄せたのか。いや、そんな気配まるでなかった。まるで、転送されてきたかのように一瞬にしてその手の中にいつの間にか斧があった。
もしかしたら、これは。
「クッ!」
「レラ!」
考えている余裕なんてなかった。ダンナの斧から放たれた魔力の衝撃波。レラは先程のように魔力の盾で防ごうとした。しかし、咄嗟のこともあって完全に身を守り切る事ができず、衝撃波の威力を弱めることで精いっぱいで、本の盾を破って通過した攻撃がレラの肩を襲った。
「大丈夫、かすり傷、これは、かすり傷、よ……」
吹き飛ぶ瞬間、彼女は自分自身に暗示をするかのように呟いた。
彼女は盾が壊される直前に回避し、攻撃が腕全体に直撃することだけはま逃れていたのだ。しかし、それも間一髪。あともう少し反応が遅れていたら今頃腕はその辺に転がって、後々獣の餌にでもされていたであろう。
とにかく、レラは本の頁を一枚破ると、それを傷口に貼り付ける。これにより、本にこもっている魔力が徐々に彼女の傷を癒していくのだ。だが、それでも応急処置にすぎないし、元に戻るという保証はない。もしかすると、怪我は治るもののその肩に生涯残る傷が残ってしまうかもしれない、なんてことも。
だが、戦場に身を置く彼女。自分の体が生涯無傷で済むはずがないと覚悟をしていたためその傷をも名誉の負傷。自分が自分であるための証とする所存だ。そんなことよりも、今は目の前の男である。
斧から手を離したケセラ・セラもまたレラと合流する。
「今の、なに? 斧が増えたように見えた?」
ケセラ・セラにはそう見えた。いきなり、斧が増えた様に、その場に瞬間移動したかの様に見えたのだ。
「きっと、増えたんじゃない……」
「え?」
「元から、あの斧は一本だけじゃない。何本もの斧を私のこの剣のように重ね合わせていたのよ」
「そんな……」
レラの考察によると、おそらく自分達がみている斧は何本もの斧を魔法によって重ね合わせたことによって殺傷能力を底上げしているのだ。先程自分の攻撃を防いだ斧は、その何本もの斧の中から一本の主となる斧より分割させて生まれた斧。
当然その攻撃力は半分以下に落ち込んでいるはずなのだが、しかし魔力によってその力を補ってほとんど同じ攻撃力を維持しているのだろう。
「ご名答……」
「ッ!」
そんな彼女の言葉を聞いていたダンナは、ニンヤリという言葉が似合うほどに憎らしい笑みを見せながらさらに魔力を増量させる。一体何をするつもりなのだろうか。
「俺に殺される前にこの斧の正体に気がついたのはお前たちが初めてだ……お礼に見せてやろう!」
「ッ!」
その瞬間、自分はその目を疑い、目を擦る。しかし、同じことだ。自分の目に映る映像は。
彼の魔力が増幅した瞬間、彼の周囲に何枚、何十枚もの斧の刃が浮かび始めたのだ。これは目の錯覚や幻覚なんかじゃない。実際に自分達の前に斧の刃が飛んでいるのだ。
「斧の刃が、わかれた……」
「重ね合わせを解除したのね……」
「その通り、これこそ俺の最強の武器! 【無限斧】!」
その時のことを、レラはよく覚えている。
あの時、確かに自分は戦慄していた。例えその斧の刃の枚数が何百枚あったとしても関係なかった。けど驚くべきことは、その魔力の使い方。
斧を飛ばす、いや斧だけじゃなく物を浮かし自由に操作するというのは見ているよりもとても高度な魔法であるのだ。
だから、自分がタリンやサレナに新しい魔法に関しての入れ知恵をした時には、絶対に刃をつないでいる魔力の糸を切ってはいけないとか、リュカから教えてもらった、自分で操作しなくても自動で曲がってくれるブーメランという物を使ってみることを提案していた。
しかし、まさかたかが山賊が自分が難しいと判断していたソレをここまで自由に使うなんて、あの時はとても驚いたと。
だが、今の彼女に驚いている暇は一切なかった。
「お前たちにこれが避けられるかな!?」
「ッ!!?」
「まずい!」
合計二百三十六枚の刃が二人の少女を襲う。前から、背後から、横から。とめどなく向かってくる無数の斧を、ケセラ・セラは持ち前の運動能力で次々に回避していく。
対して、彼女ほどの身体能力を持ち合わせていないレラは、本の頁を一枚一枚飛ばして、あるいはその本の頁で作った剣で叩いて落とすしかない。
レラは焦っていた。本の残りの頁は後僅か。彼女の魔法は、基本的に本という媒介がなけれは使用できないという欠点を持つ。
このままではいずれ本の頁が無くなり、体を切り刻まれる。ならば、同じ危険であるのならここは、多少の危険を度返ししてでも、敵を倒さなければ。
「レラ!」
「クッ!! もって、私の本!」
レラは、剣に使用している頁以外の全てを自分の身に纏わせる。だが、やはり頁の使いすぎによって身体を完全に囲い込むことはできなかった。かまいはしない。敵を、山賊を倒すことができるのであれば。
この時、彼女は死をも覚悟していた。
「ハァァァァ!!!」
レラはダンナに向けて突貫した。身体中が切り刻まれる感覚。あちこちから出血し、とてつもない激痛に立ち止まりそうだ。蹲って、それ以上動けなくなるかもしれない。
しかし、心臓などの生命維持に関わる大事な臓器を集中的に守っていたのが功を奏したのか、まだ死んでいなかったのは幸運。このまま一気に敵を叩っ斬る。
後もう少し。
もう少し。
もう少し。
持って私の身体。
せめて、敵を斬るまで。殺すまで、もって。そう願いながら彼女は血だらけの体をおしてその剣が届く距離まで近づく。
もう少し。
もう少し。
もう少し!
いま。
「ハァァァァァァァ!!!!」
レラは、自分の今出してる全開のチカラをふりしぼり剣を振り上げた。男の周囲に斧は飛んでいない。今、この瞬間こそが好機だった。
これで、この戦いは終わる。
筈だった。
間合いは良かった。
飛び上がった瞬間も、一ミリのずれもなく正確に男の体を斬ることができるはずの距離感であった。
その攻撃は、完璧といっても差し支えのない程の物だった。
もしも、彼女が冷静であったのならば。
もう少し足下に気を遣っていれば。
そこにある不自然な切れ込みがあることに気がついたのならば。
「ッ!」
その悲劇は起こらなかったのかもしれない。
刹那、彼女の身体は地面から現れた無数の刃によって八つ裂きにされたのだ。
レラの本の頁はその攻撃を防ぐことができず、彼女は今までに感じたことのないほどの激痛に、立っていられなくなってしまい、遂に地面に倒れ伏してしまった。
「レラ!!」
斧の刃全てが男の手元に戻り、男の目の前で倒れたレラを後ろに引きずって距離を取ったケセラ・セラ。そして、レラのその体を見たケセラ・セラは言葉が出なかった。
自らの血に塗れたレラは、もう、地獄への門を叩く寸前にあった。




