第十三話
リュカのリストバンドの光。その暁とも見間違うほどの神聖な煌めきは、頂上に取り残されていたヴァーティーの目にもしっかりと映っていた。
『なに、あの光!』
『とてつもない魔力を感じる……』
尿で濡れた服を着替えてきたエイミー、キンの二人もまた、再び頂上に戻ってきてヴァーティー、トネルと合流していた。が、合流したところで、ケセラ・セラもリュカもいない現状意思疎通なんてできるわけがない。
しかしそれでも誰かがそばにいない寂しさに比べればまだマシだった。
彼女たちが戦いに出てから数時間程度が経った頃だったか。突如として巻き起こった閃光。真っ暗闇だった景色を突如として朝に変えた光は、まるで獣のように凶暴で、立ちくらみを起こしてしまいそうになるほどの衝撃を彼女たちに覚えさせた。
一体ソレがなんなのかと、考える間も無く、今度は彼女たちに爆風が襲いかかった。
木々を揺らし、しっかりと芽生えていた枝から落ちていく青々とした葉っぱを見ると、いったいそれがどれだけ強大な力を持っていたのか理解することができる。というより、実際にその身に浴びているのだから、論述するまでもない。
台風でも直撃したのかと言わんばかりの風に、じめじめとした暖かさ、それに肌を焦がす程の圧力。おそらく魔力による物であろう。
しかし、なんと清らかな魔力であろうかと、エイミーは感じていた。不純物に染まっていない綺麗な魔力。ここまで純粋な魔力の放出を見たのは、自分のことを育ててくれた女性以来初めてだ。
不純物のない魔力を作り出すには、並大抵の修行では身につかない。十年単位の鍛錬が必要だとあの人は言っていた。問題はコレが誰の魔力であるかだ。
リュカや、ケセラ・セラであるのならいい。しかし、これがもし賊の手によるものなら―――。
考えたくもない。
「あの光ってもしかして……」
「えぇ、少し前にクラクさんがドジを起こして魔力を放散しないままにリストバンドを外した結果起こった爆発と瓜二つ……」
しかし、幸運なことにソレはリュカが産み出した物。ヴァーティーとトネルの二人だけがそれを理解していたため、あまり顧慮することもなく冷静に話し込んでいた。
ソレは、戦が終わって二日が経った頃だったか。普通の兵士だったら戦の心身的な疲労を癒すために一週間程度の休息はするはずなのだが、ヴァルキリー騎士団は違っていた。
彼女たちはたった一日の休息日を設けただけですぐに訓練を再開させたのだ。
戦場で死したもの達の埋葬を半日で済ませて、訓練は夜遅くまで続き、普通の兵士だったら倒れてもおかしくはないくらいの内容の訓練は、もはや拷問と言っても差し支えのないものだった。
死んだ者たちの冥福を祈るくらいの時間はあってもイイのでは、そうヴァーティーは思っていたが、しかしいくら死んだ人間のことを思ったとしても彼女達が帰ってくることはない。
人は死ねばそれまでなのだ。だから、彼女達は前に進み続けるのだ。死に引っ張られて、こけ落ちてしまわない様に、と。
そんな扱いを受けている騎士団の精神状態、友を、仲間を無くしたばかりであるのにとてもきつい訓練を行う騎士団が心配になったヴァーティー。だがそこはヴァルキリー騎士団の面々である。この所業に誰一人として文句を言う人間はおらず、これまた誰一人として倒れることもなく一日の訓練をやり切ったのだ。
だが、その後が問題だった。ヘトヘトになりながらも何とか訓練を乗り切ったクラクは、兵舎に帰った直後、お風呂に入ろうとして服を脱いでいたらしい。その時、うっかりなんの対策もせずにリストバンドを外してしまったのだ。
何度も言っていることだがリストバンドの中には装着者の魔力がありったけ込められている。
ソレは装着しているときにはなんの害もない。だが、意識的に魔力を放出させなければ、リストバンドを手首から外した瞬間に、一気に質の高い魔力があふれだし、巨大な爆発を起こしてしまうのだ。
以前彼女達がまだマハリにいた頃、訓練が一通り終わるまで魔力を吸収する服を脱いではならないとセイナが頻繁に言っていたのはこのことも要因の一つであったのだ。
幸いにも、彼女が貸してもらっていた部屋のすぐ近くに人はおらず―トオガとのいくさで戦死した人間が借りていた―クラクがドジをしたときには彼女自身が負傷しただけで、大きな被害にならずには済んだ。
しかしもともと臆病な性格のクラク、そのドジに恐怖心を抱いてしまったのか、それから数日間は、エリスに新しく作ってもらったリストバンドを装着することなく、今日の朝にようやく心に踏ん切りをつけてつけることができるようになったほどだった。
まぁ、爆発物を目の前で見たようなものなのだから、それで恐怖心を抱かない人間の方がおかしい。
「このリストバンド、相当危険なものってことね……」
と、ヴァーティーは自分の手にはめているリストバンドを見ながらつぶやいた。
ソレが、自分の魔力の質を上げてくれるとても便利な物だと聞いてはいた。しかし、便利なものが須く安全であるとは限らない。どんな物であったとしても使うときに必ず注意するべきことがある。そのリストバンドに関してのソレが、着脱時のソレだったのだ。
改めて、自分が持つことになる物の責任と、そして恐ろしさが身に染みたヴァーティーであった。
『何やってるんだろうね、私たち……』
『……』
唐突に、エイミーがつぶやいた。
その爆発だけじゃない。今も山中そこらかしらで獣達の雄叫びが聞こえる。山がざわついている。たくさんの命が消える、そんな嫌な予感がする。そして思うのだ。どうして自分達は戦っていないのだろうかと。
『本当に戦わないといけないのは私たちなのに、お客様に戦わせて……』
本当は、戦うのは自分達だったはずなのに。彼女達が足手まといはいらないと言うから、それに何の反論もすることなく下がってしまった。
当然それがいけないことであるのはわかる。彼女達だけに、手を汚させてはならないと、心の奥で自分達の良心がざわざわしているのもわかる。
でも、わかっているのだ。人が、人の命を奪ってはならないと。それが、この世の中で最もおかしてはならない大罪であるのだと。
『私にも、人を殺す覚悟があれば……』
『お師匠様……』
そう、もちろんそんな人間が作った掟、壊してしまうことは簡単だ。そもそも、今の自分達はそんな掟に縛られない生活をしているのだから、人殺しをしたとしてもだれも咎めたりはしないはずだ。
リュカ達だって、もともと人殺しとして入山しているのだ。殺したとしても、笑顔で迎えてくれるだろう。
ようこそ、私たちと同じ人殺しの世界へと。
でも、嫌なのだ。なぜか。それは、自分が前世の記憶を持っていたから。人殺しはいけないことであるという記憶を持っていたから。人殺しにはなりたくなかった。親友を悲しませた人間のようにはなりたくなかったから。
だから、彼女はなりたくなかった。外道などに、堕ちたくなかった。
『お師匠様、私を殺したら、他の人も殺せる?』
『ッ……』
なんと恐ろしいことをサラッと言ってしまうのかと、エイミーは驚いた。
だが、奇遇とはこのことか、その質問はマハリの国にてカナリアがリュカにした質問とほとんど同じもの。彼女がかした最終試験ともいえる物とまるっきり同じものだった。
そんなことできるわけがない。しかし、キンの言い分もわかる気がする。確かに、怖いのは最初の一回だけ。その一回を乗り越えることができれば、後は全部勢いで乗り切ることができる。恋愛も、人殺しも。
いつかは慣れて、最初は嫌だった人殺しも、息を吐くように簡単にできるようになってしまうのかもしれない。しかし、それは人間としては失格だ。だって、命を大事にしない人間なんて、生きている価値がないから。
『私だって、そう。お師匠様殺してって言われてもきっとできない……』
それは、当然のことだった。キンにとって、エイミーは自分を今の今まで育ててくれた親も同然の人間。そんな人間を殺すことなんて、彼女にできるわけがない。そう、彼女にはできない。だが、他の人間だったらどうだ。
『でも、もし私じゃない誰かがお師匠様を殺そうとするのなら、きっと止まってくれない……お師匠様は、それでも、殺したくないから戦わないの?』
『……』
自己防衛のための戦い。つまり今、現実で起こっているソレである。もし、相手がなんの躊躇もなく自分のことを殺そうとしてきたら、自分はどうするべきなのか。
相手を殺すのか、それとも生かしたまま倒すのか、それとも潔く徒死するのか。この時の彼女には、答えは一つしか見当たらなかった。
『殺さないまでも、戦闘不能にして帰ってもらうくらいかな……』
生かす。不殺の精神を心に刻み、相手を戦闘不能に追い込むだけとする。ソレしかできないのだろう。
『でも、もしソレでもう一回戻ってきたら? 今度は、キンを人質にしたら?』
『それは……』
ありえることだ、復讐のため、手段なんて選ばず、相手の身動きを封じ、好き勝手に貪り尽くす。あり得ること。しかし、想像もしたくないことだ。だって、想像してしまったら、もう自分は不殺なんて口に出すことできないから。
『お師匠様、きっと後悔する。あの時殺しておけばって、後悔する。私も、後悔する……』
『キン……』
一度してしまった後悔は、後に自分達のことをとても強く苦しめることになるだろう。結果、その身体を重鈍な鎖で縛り、どんな善行をするにしても必ずつきまとってくる呪いとなってしまう。
後悔しない方法。それは、その場で最善の選択をすると言うこと。その結果新しい後悔が生まれるかもしれない。だが、それでも、人間は選ぶことのできる生命体だ。その自分の選択が正しかったと、胸を張っていくらでも虚勢を張ることのできる種族だ。
そんな種に悩みはつきもの。しかし、悩んでばかりじゃ前には進めない、本当に大切なことは、悩みをすぐに解消する答え、ソレを捻り出すことのできる柔軟な頭と度胸、そして、少しの諦め。
そこに、矜持なんていらないいらない。必要なのは、決断する力。
妥協する力。
そして、諦める勇気。
今、彼女はその勇気を試されていた。




