第十話
真夜中。それは、昼間によく眠っていた夜行性の獣が最も活動的にな時間帯。
その時間には、その身を顰めていた獣たちが次から次へと目を覚まして、山中を巡って餌となる獲物を追い求めるのだ。
だから、その山で夜を越すためにはとても高い木の上に寝床を作るか、そもそもその山に寝床を作らない方が良い。リュカたちの場合は、トネルが防御魔法によって天幕を作ってくれたおかげでそんなことをすることもなく安眠することができていた。
トネルの防御魔法は、隠密効果というものを持っており、その結界の中にいる限り外からは中を見ることができないし、また外から入るには相当の魔力を用いなければならない。まさに、鉄壁の牙城。だが、そんな鉄壁を持ちいらなければならない程に、山は危険な生物で満ち溢れている。
今も山のどこかで行われている食物連鎖。強いものが弱いものを食べ、弱いものはなすすべもなく強いものの明日の糧となっていく。そこに先程まで生きていたという命の音なんて関係はない。全ての生物は捕食するものと、捕食されるものに分けられているのだ。
そんな食物連鎖の横行する山の中に今、あらたに食物連鎖の中の一つになりにきた集団があった。果たして、彼らは捕食者であるのか、ソレともーーー。
「おい、慎重に動けよ?」
「へい!」
「馬鹿野郎! 大声を出すな……」
人間たちの親玉らしき人間が、うしろにいる何十人もの仲間たちに指示を出しながら、山の中へと進んでいた。その指示を受けた舎弟らしき人間が、大声で返事をするのを咎める。今、自分達の存在はだれにも知られてはならない。それなのに、そんな大声を出されてしまっては、隠密で動いている意味がなくなってしまうのだ。
だが、それでも彼は返事をやめない。
「へい! アニ……」
その時、彼の首筋にあたるひんやりとした感覚。ナイフだ。親玉が腰に刺していたナイフを、目にも止まらぬ速さで舎弟の人間の首筋に当てがったのだ。
「いいか、三度目は言わん。大声を、出すな」
「へ、へい……」
あともう少しソレを引けば簡単にその男の動脈を斬ることが可能である。しかし、ソレはしなかった。仲間だからか。違う。血の匂いに引き寄せられて山の中にいる獣が襲ってくることを恐れたからだ。
裏を返せば、もしもその山に獣の一つもいなかったら、彼はなんの躊躇もなくその男の首を掻っ切っていたということ。仲間だとか、部下なんて関係ない。ただ論理的な思考の元生かされている部下たちを尻目に、親玉は、狂気に満ちた表情でナイフを舐めると言う。
「へへへ、女が最低でも二匹……楽しみだぜ……」
そこに、まともな人間なんているはずもなかった。
一方、頂上にいるリュカたちはそんな男たちの接近に全く気が付かずに呑気に床についていた。わけではなかった。
「敵の気配?」
「うん、二人はそう言ってる」
服と鎧を装着したリュカは、すぐさま天幕の中にいた分隊の仲間たちを叩き起こした。ケセラ・セラやキン、ヴァーティーについては最初はいなかったのだが、しかしいつの間にか戻ってきていて仲間たちを起こすのを手伝ってくれた。
どうやら、彼女もまたエイミーと同じように感じたそうだ。この山に入ってくる敵の気配を。
『私とキンは、修行の積み重ねで、大体この山くらいの面積なら動くものの気配、それにソレが悪意を持っているかどうかはわかるの』
「私たちが目に魔力を集めて敵の気配を探るのに似た技術ってことね」
と、レラは解釈したがその実、彼女たちの持っている力は自分達のうえを行く能力であることは想像するのに難しくはない。
確かに、障害物が何もない場所であったらこの山くらいの大きさの距離なら分かるといえば分かってしまう。だが、この森はあまりにも障害物である木が多く、並びに生きとし生けるものが住み着いているがためにそんな遠くの気配まではっきりとはわからない。
きっと自分たちももう少し修行を重ねるのできるようになるのだろうが。
『うん。皆が来た時にも感じたけど、その時にはこんな嫌な気配はしなかった……でも……』
「今度は違う……」
『……』
リュカたちがこの山に訪れた時には純粋な調査が目的であり、自然を荒そうとは微塵も思っていなかった。だから彼女たちはリュカ一行の気配を良い物であると考えたのだ。しかし、今の気配は違う。全然良いものじゃない。悪意がそこらじゅうから自分たちのことを見ている。そんな気分になってくるほどに背筋がゾワゾワとなった。
別に、山の番人のようなものを気取っているわけじゃないが、しかしこの山はエイミーたちにとって家のような物。そこに不法侵入してくるような輩を許しておくわけにはいかない。
「敵は何人いるのかわかるの?」
『大体七十から八十……その全部が悪意を持ってるってことは分かる……』
「私たちはキンやエイミーを入れると十人……」
『……』
絶望的とはいえない。しかし、とてもじゃないが簡単に討伐できる人数ともいえない。なぜなら、戦いは敵の数じゃなく、敵の能力が重要だからだ。
例えどれだけの人数がいたとしてもその熟練度があまりにも低ければ所謂烏合の衆というものとなって対処することだって簡単にできる。だが、その烏合の衆の中に一人でもリュカのように特殊な力を持った人間がいれば、たちまちその敵は精鋭部隊となることができる。
そんな精鋭がこの夜の闇に紛れて襲ってこようとしているのだ。しかし、目的はなんだ?
『敵の狙いって……なんなのかな?』
「分からない。そもそも、どうして今の今になっていきなりそんな大勢で来たのかも……」
どうして、こうして自分達がこの山に調査に来たという偶発的な出来事の中でこんな事件が起こってしまうのか、一瞬だけ疑問に思ったクラクだが、冷静に考えると当たり前のような気がしてきた。
なぜなら、今ここにはリュカやケセラ・セラ、そしてエイミーと運命力を操作するヴァルキリーが三人も並んでしまっているのだ。そんな三人の最初の出会いで、何かが起こらないわけが無かった。つまり、油断していた自分達が悪い。
彼女達と付き合っている限り、自分たちにも危険は迫ってくる。それを知っていたと言うのに今更襲撃に怯えるなんて。
「でも、もしもソレの正体が山賊だとかだったりしたら……」
「そして、わざわざあんな崖を登って来たって言うのなら……」
「なんらかの目的がある……」
確かに、いくら運命力に導かれたと言っても来たからには何らかの理由があるはずだ。そして、敵が野蛮な山賊であるのならば、その目的のためには手段を選ばない。つまり、もしも鉢合わせにでもなろう物なら戦闘になる可能性は大なのだ。
今度は、油断しない。リュカ分隊の面々はそれぞれの武器を取り出しすぐに戦闘を行うことができる準備を取った。
一方で、戦う準備どころか、戦う顔になっていない人間が一名。
『……』
『さっきから様子が変だけど、どうしたの?』
エイミーである。リュカが、そんな彼女のことを心配して聞いた。すると、エイミーはほんのりとした笑みを無理をするかのように顔に貼り付けてから言う。
『私、人間と戦うのはキンやリュカ以外に経験がなくて……もしも、相手を殺したらどうしようかなって……』
なるほど、だがソレは仕方がない。彼女は厄子、ヴァルキリー。その名称も何も知らなかったとはいえ、彼女は自分のその異端の髪のせいで親からも捨てられたということは自覚している。それが、忌み嫌われる原因であるということも。だから、彼女は山から降りて他人に会いに行こうとは全く思わなかった。
そのため、彼女が赤ちゃんの時を除いて人と会ったのは、かつて彼女のことを育ててくれた女性、キン。そしてリュカ分隊を除いていなかった。そんな彼女が、殺し合いにまで発展する戦い位、躊躇するのは当然といえば当然だろう。
でも、その躊躇が命取りとなるのだ。
『……そっか、人を殺した経験ないんだ』
『え?』
『私たち皆んな、あるよ。人を殺した経験……それも、何十人も』
「っ!」
リュカも、ケセラ・セラも、そしてクラクたちも皆多くの人間の命を奪ってきた。先の戦でも数十人単位の人の命を奪ってきた彼女たち。だから、もう慣れたとは言わないが、しかし人の命を奪うという覚悟はできている。
だが、エイミーたちは違う。彼女たちは一度たりとも人殺しを経験したことがなく、その手は純白のまま。血みどろに汚れてもう二度とぬぐうことができないリュカたちと違って、その手は何者にも汚されていない初雪の山と同じなのだ。
『軽蔑する? 私たちのこと……』
『そ、そんなこと……』
結局はそういうことなのだ。彼女たちは、人を殺した経験がない。だから、人を殺すという意味を知らない。例えすべを持っていたとしてもそれを行おうとは思わない。
そんな純白の心を持った人間からしてみれば、自分達のことを恐るのは当然のことなのだ。リュカは自嘲するように言った。
『正直だね。いいの、それが普通だから』
エイミーの肩の上に手を置いたリュカ。エイミーは、その手の暖かさを生涯忘れたことはないという。
これが、人殺しの手。でも、自分達の手となんら変わらない普通の手だ。だが、彼女はその手で何十人もの命を奪ってきた。そのことが頭の中にあるからなのだろう。その手が、悪魔の手のように見えたのは。
『賊の相手は私たちがする。だから、あなたはキンを守ってて』
『え、でも……』
追い縋ろうとするエイミー。この山は自分達の家、ならば戦うのであれば自分達が率先して戦わなければならない。それなのに、彼女たちに任せるなんてことできるわけがない。
そう言おうとした彼女は、しかしその後の清々しいほどの笑顔と言葉の前に黙り込んで、何も言えなくなってしまった。
『人を殺す覚悟もない人が来ても、邪魔なだけだから』
「ッ!」
これが、人を殺すことを何も躊躇しなくなった人間が作ることができる表情なのか。エイミーは、その笑顔が恐ろしくなった。
昼間戦った時の彼女と雰囲気がまるで違う。あの時は、ただ互いの実力を図るために戦ったから、リュカもエイミーのことを殺さないように少しばかり手が剣をした。だから、表出させた魔力もソレほどでも無かった。
でも、臨戦体制に、人を殺す覚悟を完了させたリュカはまるで別人。鬼神とも思わしき尖った魔力がエイミーの心を、蝕んだ。その瞬間だった。エイミーの足元を黄色い液体が伝ったのは。
『ゴメンね』
ソレを見たリュカは、謝罪をした。主に二つの意味で。彼女の下腿部を一瞥したリュカはすぐさま仲間たちの方を見ると言った。
「この山は、私たちが絶対に守ろう!」
「ハイ!」
こうして、戦うのはリュカ分隊の六人。そして、ヴァーティーとトネルの二人合計八人となった。いや、違う。
「トネル。まだ魔法は使える?」
「すみません。今日はもう……」
無理もない。今日一日中ずっと防御魔法を使ってもらっていたのだから、魔力も体力もそこをついてしまったのだ。
やはり、便利な能力であったとしても程々の使用が一番であるというのはどの魔法でも同じことのようである。
「そう。ヴァーティーは?」
「御免なさい、私もまだ……」
「私たちでも1週間かかったもの。仕方ないよ」
そして、リストバンドの力を解放させる鍵をみつけられていないヴァーティーもまた魔法の面では戦力外。一応彼女の剣技には目を見張るものがあるが、魔力の補助のないままで戦えばどうなってしまうのかなど、めにみえてしまっている。つまり、ヴァーティーとトネルは戦うことができないのだ。
「なら、やっぱり私たちだけで戦わないといけないわね……」
こうして、リュカ分隊六人の力で七十人以上もいる賊と戦わなければならなくなってしまった。こうなってしまったのならば、ミウコの国に救援を呼ぶべきであると考えるのだが、しかし彼女たちにはその選択肢はない。
「伝書鳥もないから救援も呼べない……結構不利な状況ね」
昼間、この山のこと、そしてエイミーたちのことをミウコの国にしらせるために放った伝書鳥。今回の調査ではたった一羽しか持ってこなかったことが仇となってしまった。あれが無ければミウコに自分達の危機を伝えることはできない。
魔法によって救難信号を送ってみてはどうかと考えてみた。だが、今ここで魔法を空たかくに上げてしまうと自分達の居場所を賊に明かすのも同じ。選択肢としては危険だ。
となると、やはりここはこの六人で戦うしかない。幸いにも、今日は龍才開花もまだ使えるし、リストバンドの中の魔力も十分に溜まっている。相手が卑怯な手を使わなければ、勝つのは自分達。のはずだ。
『お師匠様?』
『私は、足手まとい……か』
その一方で、エイミーは足でまといとリュカに言われたことで非常に傷ついていた。もちろん、彼女の言いたいことも分かる。人を殺す覚悟の一つもできていないような自分達が戦っても迷惑になるということも、彼女たちがその覚悟を持っているということも。
だが、本当にソレで良いのか。これは、いわば自分達のための戦いでもある。それなのに、そんな自分達が戦わなく、本当にいいのか。
エイミーの自問自答は、彼女たちが作戦を決めて、それぞれの持ち場に着いたその後にも続いていた。




