第五話
森がざわついている。こんなにも騒がしいのはこの世界に生まれて初めてだ。
きっと、何か只者じゃないような者がこの山に辿り着いたのだ。
何か嫌な予感がする。だと言うのに、少女の心は躍っているかのように軽やかだった。その理由は明らか。
この世界に生まれたと自分が『認識』してから十数年。その間、人間らしい人間に会った回数はとてつもなく少ない。というより、いつの間にかいたキンと、そして《あの人》以外にはいなかった。
色々あってキンと一緒に暮らし始めてて、最初はもちろん戸惑いもした。凶暴な獣に追われてまた死ぬかもしれないと思ったことが何度もあった。
でも、その度に生き残ることができた。逃げ足が速いから、違う。生きたいと言う意志が誰よりも強かったから。そして、守るべき存在がすぐ身近にいたから。だから、自分たちはここまで生き残ることができたのだ。そう自負している。
もう、獣を殺すのにも躊躇いはない。最初は生き物を殺すことが嫌で嫌でたまらなくて、殺すたびに涙を流していた。
でも、今は違う。もう、生き物を殺すことを躊躇しない。殺さなければ、自分が生き残ることができないから。だから、彼女は強くなることができた。
でも、例え強い彼女であったとしても心細かったのかもしれない。
キンという守るべき存在はいる。でも、ソレ以外に頼る仲間や、一緒に笑い合える友達はいなかった。
誰かに居てほしい。自分と一緒に、キンと一緒に笑ってもらいたい。ずっとずっと、それだけが彼女の頭の中を占めていた。
彼女は、とても裕福な孤独な少女であったのだ。
そんな時に起こったこの事件。自分は、すぐさまキンを偵察に向かわせた。すると、登ってきたのはみんな女の子で、それも自分と同い年ぐらいであると言うではないか。
これは神からの思し召か。これまで孤独な生活を送ってきた自分に対する贈り物か。そう考えた少女はしかし、怖かった。
この世界の人間に合うと言うこと。自分の見知らぬ土地で出会う人間が怖かった。それに、その言語。果たして、自分は人間と喋ることができるのだろうか。それがとても心配で、とても怖くて、そしてとても寂しかった。
そんな寂しい感情の持ち主である自分に、優しく声をかけてくれたのがキンだ。キンは言ってくれた。先に自分が彼女たちと話してみると。
もしも、自分の言葉が通じるのならば、お師匠様ーつまり自分のことだがーも話すことができるだろうということらしい。
果たして、登山者たちの前に出て行ったキンは、見事に危うく命を落としかけた。
彼女の顔のすぐ横を通り過ぎた短刀。あと一歩間違えれば彼女は死んでいた。臆病者の自分のせいで。
だから彼女は勇気を振り絞った。前の時のように、笑顔で、前の時のように、大声で、そして彼女たちのような、元気さを見せながら。彼女は降り立ったのである。
「あの髪……」
「リュカさんや、ケセラ・セラさんと同じ、ヴァルキリー……」
少女、エイミーという名前だったか。彼女の姿を見たリュカ分隊は全員がその異様な色の髪の毛を見て驚いていた。
桃色の髪。黒や茶や金ではないとても自然には生まれないような髪の色をした少女。
間違いない。彼女は、リュカやケセラ・セラと同じ厄子だ。そう判断するのに時間なんてかかるはずがなかった。
『あなた、ヴァルキリー?』
『戦乙女? なにそれ、初耳だなぁ。私は私、エイミーだよ』
『そう……』
リュカは、そう獣語で会話をしながらもいつでも刀を抜けるように構えていた。
わかるのだ。対峙した瞬間に。彼女の体内から湧き上がる闘志。燃えたぎるようにゆらめいていて、見ていると滝のように汗が止まらなくなる。
『この子……』
一方のエイミーも感じていた。目の前の少女の熱気。自分と同い年くらいの年齢のはずなのに、まるで六十歳くらいの達人のような、刀を包み込むから足先まで、一ミリも動かない佇まい。
『この人……』
奇しくも、二人は同じことを考えていた。
『『強い!』』
相手は、自分と同等、いやそれ以上の力を持つ人間だ。交渉の余地は確かにあった。でも、それ以上に二人とも体が疼くのだ。
この人と、戦いたいという欲求が生まれてしまったのだ。
そうときまれば話は早い。
「……」
「ッ!」
「下がれ、ってこと?」
リュカ、エイミー共々同じ行動をとる。仲間に対して、後ろに下がるような手振りを見せたのだ。リュカ分隊の面々、そしてエイミーの背後の少女は、そろって数歩後ろに下がっていった。
この戦い、油断や手加減なんてしてしまえばどちらかが死んでしまう。本気で挑まなければならない。リュカは、ゆっくりと鞘から刀を抜くと言った。
『エイミーって言ったわね。貴方、戦闘の心得は?』
『なかったら、猛獣ひしめくこの山で生き残れない」
『確かに……』
みると、エイミーもまた構えているようだ。いや、構えているのだろうか。彼女の平時の姿というものを知らないから分からないのだが、しかし力なく下ろされた手を見る限り戦う意志はないように感じられる。
それがより一層の不気味さを出していた。なぜなら、今自分は刀に手をかけているのだ。その状態で、平常心を保つことができる人間が一体いくらいるというのだろう。もしかしたら斬られるかもしれないというのに、それでも筋肉を一切動かさないその図太さ。もしも、それを意識的にやっているとするのならば、彼女はかなりの達人の可能性もある。
『手合わせしてもらいたいんだけど……』
『本当? 嬉しい、私もだよ……』
瞬間、爆発するかのように体内から湧き上がった気。しかし、それはエイミーではなくリュカの方。
例のリストバンドの力を解き放ったのだ。彼女は、その力を使うための鍵を手に入れた直後から、リストバンドからの質の高い魔力の出し入れを自らの意志で調節することができるようになっている。
つまり、魔力ゼロの状態から一気に爆発的な魔力を放出することができるのだ。今回の場合も、リュカが彼女と戦う覚悟を決めた側から、黒色のリストバンドは無色透明となり、彼女の体の中に魔力を送り返していた。これで完全に彼女と戦う準備は出来上がったのだ。
『名前は?』
少女は聞く。あなたは何者なのかと。
『私は、リュカ。ヴァルキリー騎士団所属リュカ分隊隊長兼、龍神族族長リュカ』
リュカは答える。己は己であると。
『龍……か。面白い』
準備は整った。固唾を飲むリュカ分隊の面々と一人の女の子の前で、二人の少女の睨み合いが続く。一体どちらが先に動くのか。それを、まるで森も注目しているかのように先程までのざわつきが止まった。
時が止まったかのように感じる。風が止み、獣たちの声も一切聞こえない。もちろん、動かなければ戦いは始まらないということはわかっている。だが、そのきっかけが掴めない。
よく、先に動いたほうが負けるというが、この緊迫した状況を楽しむためなのではないかとも錯覚してしまうほどに胸が高鳴っている。
早く動け、どちらかが動け。でなければ、勝負が始まらない。二人とも分かりきっていた。だが、どうにも足がでない。なんなら、永遠にこの時間が続いてもらいたいと願う程に、時間が経てば経つほど増していく緊張感。
いっそのこと、分かりやすい合図でも出そう。そうすれば、戦いは始まるのだから。そうなれば後はこっちのものだ。
果たして、その言葉を口走ったのは。
『『いざ、尋常に勝負!』』
二人、同時であった。
駆け出した二人。ついに戦の火蓋が切られたのだ。一対一の小さな小さな戦の火蓋が、である。




