第三話
とりあえず、最初の懸念事項であった獣の襲撃なんてものはなく簡単に入山することができたリュカ分隊。
しかし、入ってみるとますます不思議だ。つい先ほどまで、山に入るまではとても暑かったはずなのに、この山の中はまるで別物かのようにとても涼やかな風が吹く。
それに、この匂い。ニ週間もそう言ったものから離れていたからなのか、ただ草を踏みつけた時に出る匂いがとても芳しいものに感じてしまう。ケセラ・セラも懐かしんでいる。見ていると、ペットの動物を散歩させているような気分になってなんだか危険な感じがするほど野生に戻っている。
マハリに来るくらいには、二足歩行で歩くことが主体となっていた彼女だが、戦闘時や街中以外を歩く時にはこうして四足歩行をしている。やっぱり、こっちのほうが歩きやすいのだろうか。とにかく、彼女がよろこんでいるようでなによりである。
そしてこの山の様子。間違いなくこの山がどこか別の場所からやってきたということの証拠だ。
この辺の山々は、元々の土壌が溶岩、あるいは温泉によって温められていたことによって種が飛んできてもうまく発育することができず、枯れ果てていた。だからこそ、あれほどまでに乾いた土地に仕上がってしまったのだ。
だが、この山はそんな土地がまるで遠くの世界の出来事であるかのようにきっちりと育ち上がっている。
草は弾力を感じるほどに力強く、花はまるで歌を歌っているかのようにゆらゆらと揺らめいて、木々は日光を遮るばかりに生い茂っている。さきほどまで荒野を歩いていたなんて、嘘みたいだ。
これは、本当に別の場所からこの山が運ばれてきたという説が有力になってきた。
「それより、こんなに大きな山だったらどこからどう探索するべきやら……」
「うん……」
そう、これだけの大きさの山。どこをどう探せばいいのやら。なにか目印のようなもの、探索する気が起きるような場所があれば話は別なのだが、しかし生憎何処を見ても木ばかりで、目印になりそうな場所はない。
ここまで自然豊かな森が出来上がっているのだ。当然中には凶悪な獣の一体や二体がいてもおかしくはない。そんな獣が急に現れても、刀を抜こうとして木に引っかかり、その間に襲われてしまう、なんてことあり得るのかもしれない。
さて、何処をどう探索するべきか。と、悩みながら歩いていた。その時だった。
「ッ! 危ない!」
「え? キャァ!」
【結】
ケセラ・セラが、何かを感じ取ったらしい。先頭を歩いていたクラクの首根っこを掴んで後ろに引き倒すと、すぐさまトネルが先頭に立ち防御魔法を展開した。
その途端、前から煌めきと共にやってくる細長い物が二、三本。それらはしかし、トネルの結界を破ることなく地面に力なく落ちてしまった。
どうやら、それで打ち止めだった様子だが、次の攻撃がくるとは限らない。リュカたちはしゃがんだまま周囲を警戒する。
「や、矢!?」
「まさか、罠?」
「そのようね……」
と、ヴァーティーは足元に落ちている細い糸に触れた。
恐らく、足元に糸を隠してそこを何も知らずに通った獲物を仕留めるための罠。もしもケセラ・セラが気がつくのが遅かったら、トネルが防御魔法を展開するのが遅かったら、この二つのどちらかが欠けていたのならば、今頃クラクの命はないだろう。
しかし、一体誰が罠なんて物を仕掛けたのか。サレナは、飛んできた矢を手に持ってみてみた。すると、あることに気がつく。
「全然錆び付いてない……この山、もしかしたら誰かが住んでいるのかも」
「え?」
そう、矢尻が錆び付いていないのだ。むしろ、まるで研いですぐかのようにキラキラとしていた。だから、暗い森の奥からやってくるそれに気がつくことができたのだ。
矢尻の素材から言って、時間が経てば錆び付いてしまう物であることは明らか。であるのならば、大昔に入った罠士が忘れていった置き土産、という頭の隅にあった可能性は潰れる。
誰かがいる。少なくとも、この山には、獣を取るために罠を張った人間が。この場所で暮らす人間が、いる。
もし何も知らずに自分達が罠にかかっていたら、その人たちに美味しく食べられていたのだろうか、などと馬鹿なことを考えていると、ケセラ・セラが気がついた。
「ッ! お姉ちゃん、誰かがいる」
「え?」
やはり、この面子の中で一番自然と密接に暮らしていたケセラ・セラの反応速度は一番早い。自分達が気配すらも察知できないというのに、そぐにソレの存在に気がつくなんて。
リュカたちは、瞬時に魔力を目に集めて周囲を見渡した。すると、確かにそこには何者かの姿。自分達から遠ざかろうとしている人間らしき姿があった。随分と小さくなってしまったが、あの体格。もしかしてあの人間は、そしてこの罠は。
「本当……動く気配をかんじる」
「誰かいるの? トネル」
「はい、お姉様。この大きさは……子供、だと……」
「子供?」
と、現在魔法を使えないヴァーティーが妹であるトネルに聞いた。確かに、あの大きさは察するに子供であろう。本当に、まるっきりケセラ・セラの時と瓜二つだ。あの時も確か、ロウの罠に自分がかかったことからあの惨劇が始まって、ケセラ・セラと出会ったのだと、つい一ヶ月ほど前のことであるのにとても懐かしく感じる。
そういえば、あの罠は後に聞くとケセラ・セラが作った物であったらしい。まさか、獣たちと一緒に暮らしていたときからその手先の器用さを見せていたなんて、とリュカは驚いていたが、後々に見せられたさまざまな彼女の才能の前だとソレすらも霞んでしまうのは、彼女のすごいところだ。
「なるほど、ケセラ・セラみたいな子がいるってことか……」
と、リュカがケセラ・セラの頭を撫でながら言った。だが、だとしたら慎重に行動しなければならない。
こんな大きな山で、子供がたった一人で生きることなんてできるはずがない。恐らく、大人も一緒にいる可能性がある。いや、もしかするとケセラ・セラにとってのロウと同じような存在がいるのかもしれない。もし後者であるのならば、このまま逃げていった子供を追うのも危険である。
今、龍才開花を使用するべきか。いや、今後一体どんな危険が待っているのかわかった物じゃない。あれは、最後の最後、本当に最後の手段だ。残しておくべきだろう。
やっと見つけたこの山の手がかりなのだ。多少無茶をしてでも探し当てなければ。
「闇雲に行動しないで、どこに罠が仕掛けられているか分からないから」
「はい!」
「分かったわ」
獣がいて、恐らくあの子供が作ったであろう罠があって、この山は危険でいっぱいだ。慎重に行動しなければいつ命を落とすことになるのかわかった物ではない。リュカは、兜の緒を締め直すかのようにそれまでの遠足気分を捨て去り、腹を括ると、鞘から天狩刀を取り出す。
「気配はどっちに向かった?」
「多分、山の頂上」
確かに、みると人の気配らしきものがそこで止まっている。だが、ソレ以外の人の姿は見えないようだ。
「よし、ならそこに向かおう。もしかしたら、そこに他にも人がいるかも」
「了解!」
こうして、リュカ分隊の面々は、とりあえず山頂を目指して登山をすることとなったのである。もう少し水分とか食料とか持ってきた方がよかったのかもしれないと今更ながらに後悔するほどのとてもきつい登山が。




