第二十二話
晩餐会が始まってから二時間程度が経過した。だが、それでもなお人々の歓喜の輪は開放されることはない。
次々と運ばれてくるご馳走、涙を流しながら自分に感謝をのべてくる老兵たちを労いながら、時たま悪酔いした兵士を気絶させたりと色々なことが起きてまったく飽きはしない。
しかし、たくさんのご馳走を食べてきたがやっぱりいちばんおいしいのは温泉卵だ。自分がこんなにも偏食家であるとは思っても見なかったのだが、自分の目の前のテーブルに築き上げられた卵の殻の山が、一体どれだけ自分が卵を割り続けたのかを如実に表していた。
いったいあと何個食べれるのか、自分でも気になるところだがその前に、彼女に会いにきた女の子たちがいた。
「リュカ……」
「ヴァーティー。それに、その後ろの子たちは……」
「私の仲間……ゴーザを共に打ち倒した功績や、リュウガの口添えでこの国への永住権を貰った」
「そう、良かった……」
ヴァーティーと、その仲間である五人の女の子。ヴァーティー以外の面々に会うのはこれが初めてだ。
彼女がいうには、自分達は生まれた境遇から姉妹を名乗っているらしく、一番上がヴァーティー、以下ハオン、トルス、プレイダ、ルシー、アルシアと続くらしい。
今回元々敵側の陣営についていたため、本来であれば捕虜として捕縛された後にトオガに送り返されるか、もしくは処刑されることもあった彼女たち。しかし、最後の最後にトオガを裏切り、ゴーザを倒す助力となってくれたこと、そして父がグレーテシアを含めたこの国の重役たちに口添えをしたことによって、無罪放免となったのだとか。
そして、永住権という形で彼女たちへの居場所も与えてくれた。もう、彼女たちが無理やり戦場に引っ張り出されることはない。彼女たちは、この国で自由に生きることができるのだ。これほど嬉しいことはないだろう。
「うわぁ、凄い料理……」
「こんなの、生まれて初めて……」
見ると、ヴァーティーの後ろで年齢が下の二人、ルシーとアルシアが目の前にたちならぶご馳走に目を煌めかせていた。無理もない。ヴァーティーが語ってくれたところによると、ちゃんとした食事というのをうまれてから食べさせてもらっていなかったのだから。彼女たちにとっては、目に映るもん全てが新鮮で、それでいてとても輝いて見えるのであろう。
「フフッ……今日は遠慮せずたくさん食べてくださいね」
「はーい!!」
と、たまたま通りかかったローラが微笑みながら言うと、二人は一目散に机の隅に置かれている料理皿の方に向かっていった。
そんな二人の女の子を呆れた様子で見る四人の少女たち。けど、その気持ちはちゃんと理解していたなぜなら、じぶんたちは同じ穴の狢であるのだから。もしも自分達も彼女たちとおなじ年齢であったのならば迷いなく飛び出しているはずなのだから。だから、四人は呆れながらも、その姿をどこか慈しむかのように見ていた。
「あの子達の笑顔が見れた、それだけでもこの国についた意味はあったかしら?」
「うん、きっとそうだよ……」
決して見ることはできないと思っていた仲間たちの笑顔。決して解放されることはないと思っていた全てに縛り付けられた自由。
でも、もう自分達は何にも恐れることはない。何も押さえつけることはない。だって自分達は救い出されたのだから。自分達の力で、明日への一歩を踏み出したのだから。
もう誰かのために戦わなくていい。守りたくないもののために力を使わなくていい。自分達は、選択する権利を与えられたのだから。
私たちは、未来を生きていいのだから。
「私たちも、食べましょ」
「うん」
そして、ヴァーティー以外の三人もまた料理皿の方に向かっていった。
本当は、ヴァーティー自身も彼女たちと一緒に料理を取りに行きたかったはず。しかし、彼女は後に言う。自分は、彼女たちが嬉しそうにしている姿を見れた、ただそれだけで満足だったと。それが自分にとっての何よりのご馳走であったのだと。
もう、彼女の心は希望という二文字で一杯に満たされていたのだった。
「元気な仲間たちだね」
「えぇ、全く惚れ惚れするほどに、ね」
「あ、そうだ。ヴァーティー」
「なに?」
「貴方に聞きたいことがあるんだけど……」
「?」
と、ここでリュカはちょうどいいからと彼女に聞こうとした。
彼女が見た城の何倍もの大きさがある建物が立ち並ぶ道とか、大空を飛ぶ乗り物の話とか、まるで自分の前世の光景の用なものを見た風に言うのだもの。もしかしたら、彼女もまた転生者なのではないかそういう疑惑がついてもおかしくはないだろう。
「貴方ってもしかして……」
転生者なの。そう、聞こうとしたリュカの口からその言葉が出ることはなかった。
「お姉様早く! ご馳走が無くなっちゃうよ!」
遠くから聞こえてくる彼女の仲間の声に遮られたから。ヴァーティーは、晩餐会というじぶにょりも目上の人間が多い場で大声を出す妹に恥ずかしくなりながらも言う。
「ちょっと待ってて! それで、なに?」
何が聞きたかったの。
今度はヴァーティーからの疑問である。その設問に対するリュカの答えは、一度下を向いた後に、ただ首を振るだけだった。
「……ううん、何でもない。忘れて」
「? そう?」
「うん。だって……」
リュカは、そう言いながら少し遠くに見えるヴァーティーの仲間たちを見た。どうやら、ケセラ・セラやエリス、分隊の仲間たちとも遭遇したらしくとても親しげに笑い合っているようにも見れた。
その姿を見てしまったら、もう質問をするつもりにはなれない。
「今は今。前は前……だもんね」
「?」
例え彼女が転生者で、前世の記憶を持っていても。前世の記憶が一方的に流入しているだけであってもかまわない。だって、今の彼女はヴァーティーで、ヴァーティーの妹が彼女たちであるのだから。その事実は彼女が転生者であったとしても変わらない事実。
この世界で生まれた絆というものの大切さは、ケセラ・セラたちのおかげで身に染みて分かっているつもりだ。その絆にケチをつけることなんて、できるわけがない。今は喜ぼう。こうして出会えた奇跡を。今は楽しもう。こうして生きているということを。
今は慈しもう。決して戻ってくることのない一分一秒の時間を。リュカは、ヴァーティーの手を取ると一緒に走り出した。今の、仲間たちの元へと。
「リュカ……」
「あ、女王陛下。ローラさん」
晩餐会も大詰め、列席者も最初に比べて半分程度になり、用意されたご馳走にも限りがで始めた頃、満を辞してと言わんばかりに女王陛下グレーテシアがその秘書であるローラを引き連れてリュカの前に現れた。
「今回の戰……勝利できたのは君のおかげだ。礼を言う」
それを聞いたリュカは疑問に思った。確かに一日目、ミウコの兵士を恐怖に陥れたリラーゴを倒して一時撤退に追い込んだのは自分だ。でも、最終的にゴーザを倒すことができたのはケセラ・セラやヴァーティー、そして彼女がいてくれたから。そう考えて、ようやく女王が何に感謝をしているのかが推測できたリュカは、フッ、と笑ってから言った。
「……私一人の力じゃありませんよ」
「え?」
「女王様もおっしゃっていたじゃないでか。生きて帰ってきた人たち、死んでいったものたち。その両方のおかげで今の安寧があるんです。だから私一人の力だ何て、滅相もない」
そう、自分達は死者の上に立っている。自分と共に戦ってくれた大勢の仲間たちがいたからこそ、今のこの勝利があるのだ。だから、自分一人が偉いなんて微塵も思ってもいない。それに、本当はそんなことを伝えにきたわけじゃないはずだ。
ただ、感謝を伝えたいのは国を救ったことでも、戦で一番の手柄を出したからでもない。貴方はーーー。
「それに! 今回の一番の立役者は……」
そういうと、リュカはまばらになった群衆の中にいた一人の女性を引っ張ってきた。そう、その女性こそ彼女の姉。
「フランソワーズさんです」
この戦で一番敵の数を減らしたのは誰がどう見ても彼女。彼女がいなかったら、そもそもゴーザが本当の姿を晒すこともなかった。彼女がいなかったら二日目の物量戦でミウコは跡形もなくなっていた可能性だってある。この戦を勝利に導いたのは結局は彼女であるのだ。
そして、そんな彼女がゴーザを道ずれにしようとした時、真っ先に落ちる先も分からないような洞穴に飛び込んんでフランソワーズを救出したのが自分。きっと、彼女はそのことに礼を言いたかったのだ。それは、今の彼女の表情を見れば明らかだった。
「そうだったな……」
とても眩しい笑顔。姉が生きて帰ってきてくれた、そのことを喜ぶ一人の女の子としてのグレーテシアの姿がそこにはあった。この時、女王としてのグレーテシア、市井の人間としてのフランソワーズ、この二人を隔てる壁は本当の意味で崩壊した。いたのは、ただ純粋な姉妹としての二人。決して戻ることはないと思っていた10年以上も前の姉妹に戻ることができたのだ。
もう、こうなって仕舞えば何も怖いものはない。
「そんなこと、ありませんわ」
「謙遜しないでください。姉上……」
あることを決心したグレーテシアは、姉、フランソワーズを抱き寄せた。
そしてーーー。
「これは、ほんの褒美です」
「ッ!」
顔の表面の皮の中でも最も薄い部分同士が重なった。そう、それは接吻、つまりキスであった。
あの日、ふたっりきりで話をしたいとグレーテシアが申し出たその日に人の目を盗んで行った行為、それが多くの人の目に留まった瞬間であった。まぁ、実際はその先までやったそうなのだが。しかし、それだけでも周囲の人間たちに衝撃をはしらせるのに十分であった。
「ッ!!!」
「えぇ!?」
「キャァァァァァァ!!」
とびかう感嘆の声、会場を埋め尽くす黄色い声。あまりにも突然の事で、呆然となったのはリュカだけではない。フランソワーズ当人もそうである。
「お、お戯を、グレーテシア……みんなが、見ているわ」
「いいじゃないか、見せつけてやろう」
「……えぇ」
その言葉に、ようやくフランソワーズの決心したのだろう。今度は彼女の方からもキスのお返しをする。それも、先程とは違い情熱的なキスだ。長い長い、永久にも感じる長い時間のキス。口の動きから言って、おそらく舌まで入れ込んでいるのだろう。それはもう、とてもじゃないがお遊びでやるようなものではない。
ここに、二人は女王、亡国の王妃という関係性から、姉妹に戻ることができたばかりか何段も階段を飛び越えた禁断の関係にのぼりつめたのであった。
もう彼女たちを止めるものは誰もいない。
「ま、まさかの姉妹百合……」
リュカは、そんな二人の事をただただ赤い顔をしてみているしかなかった。お酒を飲んでいるわけでもないのにこんな顔になるなんて、自分もまだまだ初心だったようだ。
というより、さっきから聞こえてくるこの黄色い声、おそらく騎士団の女性たちの声なのだろうが、まさかそっち系の趣味をお持ちの人間が何十人もいるのだろうか。
いや、女性ばかりの騎士団なのだ、そういう関係になる人間が何十人いても不思議ではないだろう。見ると、二人に感化されたのか至る所で女性同士がキスをしている姿も見える。
「でも、二人とも楽しそうですね……」
「う、うんそうだね……」
と、少々酒の回っているクラクが声をかけてきた。まずい、この状況で酒の回った人間が近くにきたということは、経験上唇を無理やり奪いにくる可能性が高い。いや経験といっても前世の漫画などで仕入れた知識なのだが、ともかく己の唇をチクチクと触りながら何度もこちらを向いているクラクに嫌な予感をおぼえたリュカは、ゆっくりとその場から立ち去ろうとした。
が。
「……ねぇ、お姉ちゃん」
「え?」
「ん」
「……」
思わぬ伏兵、ケセラ・セラである。
彼女は自分に声をかけると返事をかえす時間も与えずに頭を持ちその唇を奪った。いや、ソレどころか、彼女は咄嗟のことで思考が停止したリュカの口内に自分の舌を混入させる。
瞬間、口の中に広がっていく甘い味と肉汁のような味。それまでに二人が食べていた料理の味が口の中で交差し、混ざり合い、また別の豊な味を作り出していた。
舌同士が絡み合い、彼女のザラザラとした舌の上が自分の舌と擦れるたびに胸がはち切れそうになる。彼女から送り込まれた唾液を飲み込むたびに高級媚薬を押し込まれたかのように脳がフワフワとした気持ちになる。
リュカは、ケセラ・セラになされるがままにそのみを委ねていたことにようやく気がつくと、一気に顔を彼女から離した。
「け、ケセラ・セラさん?」
自分の口の中から流れ出る、もうどちらのよだれなのか分かった物じゃない液体を拭いた彼女は、気が動転していたのかケセラ・セラのことをさん付けで呼んでしまった。
「なんだろう……ちょっと胸がドキドキする?」
ちょっと、ちょっとと言ったかこの元野生児は。自分がこんなにも胸が張り裂けそうになっているというのに随分と呑気なものだ。というか、よく感想を述べる度胸があるものだと、ある意味で何も知らないような彼女がとても羨ましくなるリュカ。
そんな二人に近づいてきたフランソワーズとグレーテシアに対して、ケセラ・セラは言う。
「おばちゃんたちもそうだったの?」
「……」
呼び方はともかくとして、随分と失礼なことを聞く野生児である。こう言った社交の場で聞くような質問じゃないだろうに。
思わぬ質問に二人もまた驚き、顔を一度見合わせている。そして、クスッと笑ったグレーテシアは言った。
「あぁ、そうだ。ケセラ・セラ」
と。
「そうなんだ! だったら、とっても嬉しいことなんだね!」
純粋だ。純粋無垢な子供の言葉だ。先程までの行為が嘘であるかのように子供らしい言葉だ。そして、それを聞いたフランソワーズもまた嬉しそうに微笑みながら言うのである。
「えぇ、そうよ……」
と、ただ一言だけ。果たして、その言葉に乗せた思いは一体如何程のものであったのだろう。少なくとも、今この時のリュカは考えることもできなかった。そんな余裕欠片もなかった。
「りゅ、リュカさん、大丈夫ですか?」
キスされた。キスされた。キスされた。妹のような存在であるケセラ・セラにキスされた。エリスの言葉なんて耳に入ってこないリュカは、ただそれだけを考えていた。
舌を口の中に入れられるという高度な技までされた。気持ちよかったなぁ、じゃなくていったいそんなものどこで覚えたのか。もしかすると、天然か。ただそうした方が相手が気持ち良くなれるだろうなと考えて自分で編み出したのか。
なんという末恐ろしい女の子であろうか。育て方を間違えると男を拐かす魔性の女になりかねない。
いや、というより自分が最後にキスされたのはいつだ。思い出せ思い出せ思い出せ。
思い、出せない。なぜなら、自分はキスされた記憶がないから。
前世の家族にも友達にも、キスされた覚えはない。というより、彼氏なんてものができたことただの一度もなかった。だから。自分は、自分は、自分は。
「わ、わ……」
「わ?」
「私のファーストキスゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!」
「リュカさん! どこにいくんですか! リュカさぁぁん!!」
初めてだった。慌てふためいたリュカは、大声で誰も分からないような言葉を叫びながら晩餐会の会場から走り去ったのだった。
こうして、彼女の初めのキスは、同性の、それも年下の、おまけに自分が妹のように可愛がっている女の子から濃厚なやつをもらうという、生涯忘れられないようなものとなってしまったのだった。
そんな周りが困惑するような出来事を最後に晩餐会はお開きとなり、皆それぞれの帰るべき場所へと帰っていったのであった。なお、リュカは次の日の朝まで宿舎に帰ってくることはなかったという。
しかし国の存亡をかけた戦いの結末がこんな下世話な話で終わってもいいのだろうか。
いや、よくない。と、いう事で。
「この卵、これだけ食べてるのはあのこと≪私≫だけ……どうやらリュウガの言う通りのようね……」
などと不穏な言葉を残す女性がいたということだけは記しておこう。




