第二十一話
まだ、夢を見ているかの様だと、一人の老婆が言った。
他国に疎開させた妻や子供たちに早く知らせなければと急かす兵士の男がいた。
まさかこんなことがあるのかと、トオガの国からきた間者が、誰も知らぬ間に抹殺された。
誰も彼もが国中でその時を待っていた。皆が豪華な料理を、酒を目の前にしていわゆるおあずけをくらっている状態で、待っていた。彼女が出てくる。その時を。
まさか、本当に勝つなんて思っても見なかったとクランマはエリスに語っていた。戦の終わりを告げられた直後、家の中からとびだした自分を最初に待っていたのは、あのフランソワーズだった。
この戦で本当に死ぬつもりだったけど、帰ってきてしまったと申し訳なくいったフランソワーズに、自分はただ、お疲れ様でしたとしか声をかけることしかできなかった。
彼女は自分が死ぬことがマハリの国で死んだ多くの人間たちの魂を諌めることになるのだと信じていたのだろう。でも、それは違っていた。そんなこと、本能で分かりきっていたことだった。
父やマハリの人間たちが命を落としてでも守りたかった人の一人、彼女は自分と同じだったのだ。
分かっているふりをしていただけなのかもしれない。もしかしたら、分かってしまうと彼女を憎むことができなくなってしまうからなのかもしれない。
でも、もういい。彼女が、無事に戻ってきてくれたのだから。命も、身体もこの国に帰ってきてくれたのだから。クランマは、ただそれだけが嬉しかった。
フランソワーズからは城の中の晩餐会への参加を促されたが、一般市民でありこの戦で功績を立てたわけでもない自分が行くのは違うといって固辞させてもらった。のだが、そこで一緒に戦の行く末を見守っていた少女エリスの登場である。
彼女もまた、この戦においてはただの一般人として戦を見守るしかなかった人間であるが、フランソワーズの誘いで晩餐会へと招待された。他にも、何人かの子供とその親も。このミウコを、引いてはこの世界の未来をこれから生きることとなる子供たちのための晩餐会だと、だから自分にもきてもらいたいと、彼女たちは言ってくれた。
だから彼女はここにいる。地上よりも豪華絢爛な装飾品、そして兵士たちや騎士団の面々が参加する晩餐会へと。
しかし、ご馳走やお酒といったものは地上に置かれているものとはそう大差ないらしい。この国の女王がそう指示を出したのだ。例え身分が違っても、人間であることは変わらない自分達、ご馳走に差をつける理由なんてどこにあるのかと。
そんな言葉をのこした女王は、その手に一杯の酒を持って徐に窓の外に出て、そこから国民たちに顔を出した。
その瞬間湧き上がる歓声。女王の侍女であろう女性が魔法で拡声器の様なものを作り出して彼女の声を大きくする。
「戦は、終わった……」
瞬間、シーンという音が聞こえるくらいに静まる国民たち。その一言一言を聞き漏らさないようにと耳を立てている。
「トオガの国王は死に、残った残存兵もほぼ全てがトオガへと帰還した」
誰も想像できなかっただろう。この大番狂わせを。他国から見てもミウコは圧倒的に不利だった。国力、兵力の差から言ってもトオガに蹂躙されることは誰の目から見ても明らかだった。
しかし、結果は何もかもが違っていた。おそらく、この戦を間近で見ていた他国の間者、通りすがった商人たちの話を聞くことになる他国の兵士や国民は誰もが卒倒するくらいに驚くであろう。このミウコの大金星を。
国王が死に、兵もその大多数が死亡し、なんとか生き残った兵たちも傷だらけの身体でようよう自国へと帰還する。おそらく、トオガが国としての面目を立てておくのも時間の問題であろう。
これはもう、誰がどう見ても明らかにーーー。
「我々は、勝利したのだ」
その瞬間、城のすぐ近くから上空に上った無数の花火。ソレを見た国民たちはまたもや熱狂のうずのなかに入った。
誰もが戦勝の花火に浮かれていた。だが違う。これは、戦勝の花火ではないのだ。女王のすぐ近くにいた者たちにはすぐわかる。その顔が、勝利に喜ぶ人間の顔ではないということが。鎮痛な面持ちで花火が鳴り終わるのを待つと言った。
「この花火は、この戦で死亡した9854の英霊へと捧げる花火だ」
今度はスン、という音が通り過ぎたかのように静かになる国。
そう、この戦、確かに勝利はしたもののその分の犠牲は多かった。ミウコの兵士9792人が死亡し、生き残った兵士たちもまた傷を負った。ヴァルキリー騎士団もそうだ。ミミを含めて60人の人間、そしてロウが二匹この世から去った。先程彼女が9854『人』と言わなかったのは、その二匹のことも数の中に入れてくれたのだろう。
女王は、まるで決意を新たにしたかのように顔をあげると言う。
「我々は、その全員の名前を覚えておくことはできない。しかし、この国はその死した者たちの屍の上に立っている。それだけは決して忘れずに、この先の未来を生きていこう」
それは、まるでリュカがゴーザとの戦いの中で考えた懸念に対する答えのように感じた。
そう、確かに自分達は死した人間たち、その全員の名前を覚えておくことなんてできない。どんな性格で、どんな言葉で笑ってくれたかなんて思い出すことすらもできなくなる時が来るだろう。はたまた、そもそも知らないだろう。
でも、それでもその死んだ人たちが戦ってくれたおかげで今の自分達、そして今のこのミウコという国がある。その感謝を忘れないで生きていく。ソレこそが、彼女たちがこの世界にいたという証になるのだと、彼女は信じているのだろう。
「今日は宴だ。今まで不安と恐怖を与えてすまなかった。存分に歌い、騒げ。それが、死した者たちへの手向けにもなるはずだ」
その言葉と同時に、国民たちは乾杯のために持っていたグラスを一度テーブルの上に置き拍手をした。まるで、その音が遠い空に散っていった魂への安らぎになってくれると信じているかのように。そして、信じて魂を見送る。
命は、決して無駄にならない、と。
「そして! 生きて帰ってきたくれた英雄たちにも、私は感謝を捧げたい!」
そういうと、女王は振り返ってその場にいる人間たちを見た。
自分の側近や国の大臣たち。そしてこの戦で戦ってくれた兵士やマハリからきた騎士団の面々。そしてーーー。
「……」
「フッ……乾杯」
『乾杯!!』
その言葉を合図にして宴は始まった。その瞬間国中から聞こえるグラス同士がぶつかる音。そして色とりどりに弾ける花火の数々。それは、それまで苦しい生活を余儀なくされていた国民たちが真に解放の時を得た瞬間であった。
「うわぁ、凄いご馳走……」
リュカは、目の前にある馬鹿でかいテーブルの上に幾重にも飾られている料理をみて思わずよだれを垂らしてしまった。
果たして、この世界に産まれ直してから初めてみるご馳走は、どれもこれも目移りしてどれから食べればいいのかわからなくなるほどだ。
肉、魚、野菜、卵料理の数々はあの温泉で茹でられた物もいくつかあるのだろう。他にも見たことがないような形の食べ物も並んでいて、一体どれから手をつけたものか迷ってしまう。
余談だが、どうやら自分達が戦いを繰り広げたあの地底湖の温泉は、このミウコの国に流れているお湯とはまた別の枝別れした先にあった温泉であったようだ。そのことをローラから教えてもらったリュカは安心した。あの温泉には、ゴーザの血、他あの後入浴した自分達の汚れ、あと例の黄色い液体なんかも含まれてしまっているから、それが国中に行き渡るのではないかと思っていたからだ。
とにかく、まずはどれから食べようか。
「ねぇ、ケセラ・セラは……」
リュカはケセラ・セラにどれから食べるのかを聞こうとした。が。
「ん?」
「あ、いや、いいよ」
すでにケセラ・セラは口の中一杯に物を溜め込んでいるようで話すことができないようだ。とりあえず、目の前にある温泉卵から食べてみるか。
コンコン、と何度かテーブルに卵をぶつけると、卵の外側の殻に断層のような亀裂ができた。よかった、このあたりは前世のソレと全く変わっていないようだ。
そして、殻を全て取り除いたリュカは驚いた。卵の中から金色に輝く白身が現れたからだ。なるほど、あの温泉で茹でるとこんな綺麗な温泉卵ができるのかと感心しながら、リュカは何もつけないで頭から温泉卵に齧り付いた。
瞬間、鳥一匹分の肉汁が口の中で弾けたのではないかと思うほどに濃厚な黄身。その黄身を包み込む歯応えのある白身。口の中が幸せな気分になるのに十分すぎる味だ。この世界にこんな美味しい食べ物があったなんて、それを今まで知らずに五年間を生きていたなんて、自分はなんて不幸なのだろう。おもわず涙が出てきてしまうほどだ。
ここにもしマヨネーズがあったらさらに美味しくなるハズなのに、それだけは残念だが、しかし今はこの卵に出会うことができた喜びを噛み締めよう。そう考えながら、彼女は次々と温泉卵を胃のなかに入れていく。
と、その時だ。
「リュカさん、どうですか一杯?」
と、赤く透き通った液体をグラスの中に入れたクラクが声をかけてきた。この酸っぱい匂い、もしかしてこれは。
「クラク、それお酒? 生憎だけど私未成年だし……」
今の自分は前世も含めるというのならば、確かに成人年齢をこえている。しかし、実年齢で言うのならば今はまだ十七歳で、お酒を飲んではいけない年齢であるはずだ。というより、確かクラクもまだ十七歳でお酒なんて飲んじゃダメなはずなのだが。
「未成年?」
「あ、ううん。そっか、こっちにはそう言うのないんだ……」
そうだった。この世界は自分達の法律なんて一切気にすることのない世界であった。そういえば、前世のドイツという国でも、ビールやワインといったお酒は十六歳になったら飲むことができるという法律もあった。それも考えると、例え自分達の年齢だったとしてもお酒くらい飲んでも不思議じゃないのだ。
お酒、ワインか。これからの人付き合いの中で、何度もそういう場面に出くわすこともあるだろう。前世でも飲むことなく死んでしまったワイン。今ここで飲むのに慣れておくのもいいのかもしれない。
でも、リュカは首を振りながら言った。
「でもやっぱりいい。お酒はもう少し大人になってから飲む」
「そうですか、美味しいのに……」
お酒を飲むのは、本当にその味が分かる年齢になってからにしよう。そうした方が、もっとお酒も美味しくなるだろうから。リュカの硬い意志をきいたクラクは、一人お酒を飲みながらつまみになる食べ物をさがすのであった。
飲みすぎて酔っぱらわないように注意を促して、こんどは少し奥にあった肉を食べようと手を伸ばした。
「リュカさん」
「あ……」
と、そこに現れたのは自分達の分隊の仲間たち、そしてミコである。リュカは、よかった間に合ったんだという安心した気持ち、そして自分達だけがこうして楽しんでいることへの罪悪感に胸が痛くなる。
実は、彼女たちは今のいままである女の子の手術に立ち会っていたのだ。大手術だ。半日中に終わるかは分からないほどの。リュカは、そんな少女のことが心配で晩餐会には出席せずにずっとミウコ国内の病院で手術が終わるまで待つつもりだった。
でも、今回の戦で大きな働きをしたリュカやケセラ・セラが晩餐会に出ないのはマズイと、みんなが後押ししてくれた。けど、やっぱり気にはなっていた。ずっとずっと、彼女がどうなるのかが。
因みに、クラクに関してはそもそもミコが手術を受けることも伝えなかった。きっと、知ってしまえばこの晩餐会を存分に楽しんでもらえなくなるから。仲間外れ感はあるが、しかし彼女のためを思ってのことだ。
リュカは、分隊の仲間たちの後ろから、レラに車椅子を押してもらって現れた少女を見て、さらに鎮痛な面持ちになる。
そんな表情、彼女にしてはならないと分かっている。でも、それでもそうなってしまうのだ。彼女の下半身を見れば。
「ミコ、足……」
「縫って……貰いました。女王様は、私にあった義足を作ってくれるそうです……」
ミコの足はもう元にはもどらない。ゴーザが消し去ってしまったから。その足が元々ついていたであろう切断面は、医師による賢明な処置によって縫合されて出血などは見られない。けど、まだ手術直後の生々しい傷跡は、見ているだけで彼女の悲しさを表していた。
「でも……もう、戦場にはたてないそうよ……」
「そう……」
例えどれだけ性能のいい義足を作ったとしても、満足に戦うことのできない人間は戦場に連れていくなんてできない。
分かっていたことだ。あの時、彼女の足がなくなったのを見た時から、分かりきっていたことだった。でも、いざ現実を目の当たりにするとやっぱりやりきれない気持ちというものが溢れ出す。
「いいんです。臆病な私なんかがいつまでも戦に出てたら、他の人にも迷惑ですし」
きっと強がっているだけなのだろう。だって、その震える手がつげているのだ。これから変わっていく自分の生活への恐怖に。
友達が、仲間が命懸けて戦うというのに、自分一人が安全な場所から彼女たちの姿を見ていることしかできない。そんな恐怖に。
でも、やっぱり彼女は強い女の子だった。目にためた涙を拭いたミコは、近づいてくる女性がいることに気がつくと、精一杯の笑顔で彼女に言った。
「ソレに……王妃様を、守れましたから」
「ミコさん……」
自分が命を、そして未来を犠牲にしてでも守った女性のことを。
フランソワーズは、彼女の姿を見ると一目散に彼女の元に行き、息もつかせぬ勢いでひざまづくと、まだ抜糸も済んでおらず、おどろおどろしい外見の彼女の足に触れながら涙を流した。
「私のために、こんな大怪我を負って……守ってくれて……」
彼女は、自分よりも長い時間を生きるはずだった。自分よりも大勢の人を守る騎士として活躍するはずだった。自分なんかのために未来を失うような人じゃなかった。それなのに、自分一人を守るために未来を犠牲にしてまで守ってくれた。
フランソワーズは後に語っている。この時、私の中に一つの決心がついたのだと。
「ミコさん、私……貴方に救ってもらった命の分まで……最後まで、生きぬきます。最後まで、死と争います」
どうすれば自分の罪を償うことができるのか、命をかければ誰かを救えるのか、そう考えていた頃の彼女はもういない。
いるのは、ただただ誰かからの命を、正しい形で受け取った一人の女性だけだった。
女性は、両手を床に付くと、その二つの手の間に向けて額を勢いよく下ろして言った。
「ありがとう、ございました……」
それは、周りの人間誰もが美しいと形容するほどの《土下座》だった。本来、屈辱的な意味合いでもたらされるはずのソレ、だからこそそれが誠心誠意であると思われているソレ。でも、今彼女がしている土下座は、そういった形式的なものではない。真なる意味で深い感情を持った物。そこにこもっている感謝の思いは、屈辱的なソレなんてはるかに超えるほどの真摯な思いがこめられていたのである。
そして、誰もが彼女の誠意に目を奪われる中、ひっそりともう一人、彼女に向けて礼をしている女性がいたのを、エリスは見逃さなかった。姉を救ってくれた恩人に対して、彼女は深々と頭を下げていた。それもまた、彼女なりの誠心誠意の礼であったのだ。
「王妃様……」
一方ミコはとまどっているようだ。当然だ、目の前で自分達の主君たる女性に土下座まで敢行されてしまったのだから、一体どう返せばいいのか分からないのだろう。
そんな彼女に助け舟を出すかのようにエリスがいう。
「ミコさん、義足ができたら、私の店に来ませんか?」
「え?」
「ミコさんの色彩感覚は素敵ですから……だから」
と、これからの働き場所に関しての誘いをうけたミコ。とはいえ、エリスの店といってもまだ彼女自身もこの国でお店を出す場所も決めておらず、引いては、出せるかすらも分かった物じゃない。だから、この彼女の言葉やいわゆる絵にかいたもち的な会話にしかならない。
でも、それでも彼女に居場所を作ってあげなければならない。こんなに頑張って、誰かのことを救ってくれた人にはご褒美をあげなければならない。それが、エリスができる精一杯の感謝の気持ちだった。
因みにこの会話を広げている中で、フランソワーズはリュカに促されてすでに立ち上がっていた。
突然の申し出にまたしても困惑するミコは、声を絞り出すかのようにいう。
「わ、私まだ心の整理がついてなくて……どうすればいいか……」
「……」
「でも、もし落ち着いてきたら、その時には……エリスさんの店に行ってもいいですか?」
「はい! 勿論です! いつまでも、いつまでも待ってますから!!」
これが、後にできるエリスのお店、その従業員第一号が生まれた瞬間であった。
確かに騎士としてのミコはこの時に死んでしまった。だが、エリスの店の色担当としてのミコは、今この時に誕生したのである。いや、生まれ変わった、と言った方がいいのかもしれない。




