第十二話
戦二日目。
トオガの国の人間たちは再び戦場へと戻っていた。
昨日は後ろで待機をしていた数万人の兵を引き連れているその姿は、まるで闇が歩いているように見えていたはずであろう。
もしも、その姿が隠れていなかったらの話ではあるが。
「皆の者! 昨日は予想外の抵抗を受けた!」
その時、兵士たちのまとめ役を仰せつかった兵士が部下たちに演説をし始める。こんな視界不良の状況でやるようなものでは決してない。あまりにも考えなしのことをやるものである。
「結果、我々はリラーゴを失うという損害を被った! これは、あるべきではない失態である! 国王はひどくご立腹だ!」
確かにリラーゴをうしなったのは手痛いことだ。だが、彼は忘れているのではないか。リラーゴの他にも多くの仲間たちを失ったということを。多くの仲間がそのリラーゴによって殺されたということを。
そして、国王がリラーゴが死んだという事実に《だけ》怒っていたということを。
「がしかし!! 本隊が到着した今日こそ、小国ミウコを滅ぼす好機である!」
男は、そういうとミウコがあるはずの方向に剣を向けると言った。
「視界は不良なれど、構うことは無い! 我々の全力を持って滅ぼすのみ! 女子供とて容赦はするな! 塵一つ残すことなく、駆逐してやれぇ!!」
『おぉぉぉぉぉぉ!!!』
その言葉で湧きあがった歓声、怒号。
しかしどれだけ鼓舞し、士気が上がったところで彼らは大切なことを忘れている。
それは昨日の戦いで防御専門部隊の隊長を務めていた人間が死んだということ。さらに、残った防御専門部隊の『五人』もまた死亡していたという事実。
結果、彼らを守る人間なんて誰もいない。もしもここで昨日のような魔法で作った矢が飛んでこようものなら、防御手段のない自分達はたちまち大きな打撃を受ける。そんなこともわかっていないのだろう。
それが、強すぎるということの欠点なのか。強さに驕り、戦において油断してはならない。判断を誤ってはならないという大原則を忘れた者の末路とでもいうのだろうか。
だが、今の彼らに戦の原則を説いたとしても何の反応もないはずだ。なぜならば、それが常勝軍団トオガの兵士になった者の罪、のような物だからだ。
なので、その後に起こる惨劇は、もしかしたら何人かは予想もしていたのかもしれない。
「いざ! しゅつ……」
「ッ!!??」
刹那、地獄絵図が幕を開ける。
それは、トオガの隊長が演説を始める直前にまで時間が遡る。
深い深い《霧》の吹く戦場に、一人の女性が現れた。
フランソワーズだ。鎧を纏ったフランソワーズは、どこか安心したような顔をしている。
ソレもそのはず。つい一時間ほど前に砦の屋上から戦場を見渡した時、思っていたよりも霧が薄かったのだ。
やはり、人工的に霧を作ろうとそうなってしまうのか。しかし、出ないよりはまだマシだとそう考えることにした。
だが、その後騎士団の総勢百人ほどの団員が【水】と【火】の系統を混ぜ合わせることによって出来る【霧】の魔法を継続的に使用することによって徐々に霧を濃くしていったのだ。
それが出来るなら最初からそうすればよかったのでは、と本末転倒の意見が出てくると思うのだが、環境を整えるというのはどちらにしても必要なことだったのだ。
そもそも、霧にはさまざまな発生原理がある。
暖かい海や川から蒸発する水蒸気が冷たい空気に触れることによって冷やされて発生する蒸発霧。
暖かい空気が冷たい地面や水によって冷やされることによって発生する移流霧。
夜になって地上の気温が下がる放射冷却によって空気が冷やされて発生する放射霧等色々と。
今回は、蒸発霧の原理を利用させてもらった。いや、どちらかといえば放射霧なのか。
おそらく、このミウコの国周辺に霧が発生することが多いのは、この当たりが山に囲まれて完全にとまではいかないが盆地に近いところとなっていたということ。さらに、地下には溶岩が通っていたから元々地面が熱かったからだったのだろう。
リュカはそもそも霧の発生原理をあまり深く理解していなかった。とりあえず地面が暖かくなったら冷たい空気と触れて霧になるというぐらいしかわかっておらず、水系統の魔法を使用して地面を冷ます案はほとんどセイナ発案。
霧を利用するというところまでは考えることができたのはよかったものの、ソレ以降は完全に運に任せっきりの大雑把な作戦だ。だからこそ、成功率が低い作戦だと誰もが思っていた。しかし、成功させることができた。
リュカは一人、これもまた運を引き寄せる運命力による物なのだろうかと一人納得していたそうな。
「……お父様、お母さま……アナタ……見ていてください……」
ここから先は、一部フランソワーズへの取材結果も交えることになる。そのため、史実と一部異なる可能性もあることを了承いただきたい。
馬鹿なことを考えているリュカに対して緊張した面持ちで戦場に立ったフランソワーズは、胸元に手を置き、今は亡き家族たちの顔を思い浮かべていた。
騎士団の仲間たちが繋いでくれた勝利への道。準備は整った。あとは、自分が生涯で二度と見せることがないほどの力、魔法を彼らに見せることができればいい。ただ、それだけだ。
フランソワーズは後ろを向いた。もちろん、霧が深いために彼女たちの姿は見ることができない。しかし、彼女は確かに魔力で彼女たちの姿を見つけていた。
そしてーーー。
「我が娘よ……見ているのです。これが、貴方たちの母の……最高の魔法です!」
戦士として、そして【母】として。彼女は前を向いた。
「っ!」
「どうしたの? ケセラ・セラ?」
「……」
気のせいだったか。今、フランソワーズが自分のことを見ていたような。それに、耳のいい彼女は確かに聞こえていた。
フランソワーズが、自分に向けていった言葉を。
【轟け 慄け 粉砕せよ】
【天空よりし落ちし物 今その理を投げ捨て我が眼前へと赴かん】
【すべてを薙ぎ払う業の物 今その力を我のためだけに用いよ】
【来たれ! 天変地異たる破壊の使者!】
【一瞬の閃光に罪を乗せ 我が敵の命を奪え!】
【自然の摂理にあだ名す者どもを 自然の名のもとに帰し給え!】
【我、命を奪う者也!】
とても長い言魂。
それは、その魔法がいかに巨大で、いかに凶悪な魔法であるのかを遺憾無く示していた。
この世界には、さまざまな系統の魔法があり、またさまざまな種類の魔法がある。
まず、【火】や【水】、【地面】といった基本魔法。
これらは、あまり魔法の得意じゃないつまりリュカのような人間のことだが、彼女のような人間でも使うことができるほどに簡単な魔法群だ。
しかし【霧】や【氷】といいった、基本魔法を組み合わせたような魔法、通称応用魔法に関しては扱いが難しくソレ相応の修行と魔力量が必要となってくる。
またこの他にもリュカが使う【龍才開花】のような個別魔法。
そして、使用できる人間とその条件もあまりわかっていないような【特殊魔法】と呼ばれる物もある。地域によっては【特異魔法】などと呼ばれることもあるのだとか。
今回、彼女が使用するのは応用魔法の種類に入る魔法。
その中でも特段威力が高く、操作するのが難しい超強力な魔法。
【轟雷撃壊・雷霆招来雷々波】
【雷】の魔法だ。
「ッ! くッ……」
フランソワーズの手から放たれた巨大な雷は、一直線にトオガの国の兵士たちに向かっていく。昨日見たリラーゴの魔法の数倍はある太さだ。だが、それだけだと一直線に兵士たちを倒すことができないはずである。何回かに分けて攻撃するつもりなのか。いや、これだけ大きな魔法、一日に何発も撃つことはできないはずだ。ならば、どうするのか。
答えは、簡単である。
曲げるのだ。魔法を。
だが、ただ放つだけでも精一杯である彼女にそんなことはできないはず。だからこその、霧の魔法なのだ。
霧の魔法とは、要は魔力を水蒸気に変えて空気中に放つ魔法なのである。だから、水蒸気として浮いているように見えてもその水の中には魔力がこもっているのだ。
彼女は、その水蒸気にこもっている魔力を辿ることによって魔法を曲げるつもりなのだ。
しかし、それはあまりも無茶がすぎる。なぜならば、魔力によって放散された魔力自体は、操作することが不可能になり、空気中を他の水蒸気と一緒に浮遊するだけになってしまうのだ。
そのため、攻撃の全てが敵に当たるとは限らない。下手をすれば大きく曲がりに曲がって使用者本人であるフランソワーズの方へと飛んでくる可能性だって存在するのだ。
まさしく、一か八かかの危険も孕んだ大博打。しかし、無謀でもなんでもそれをしなければ勝てないのだから仕方がないのだ。
「こ、これは……」
「た、逃げ……」
「ぎゃッ……」
トオガの兵士たちは見た。遠くから自分達の方に迫ってくる雷を。彼らは聞いた。遠くから聞こえる雷鳴を。
まずい、早く逃げなければならない。ミウコからの攻撃なのかそうでないのかなんて重要じゃない情報を精査している時間なんてない。今は、ただ逃げなければ。
しかし、雷の速さはおおよそで秒速十万キロ。そんな速度で迫ってくる物を避けることなんてできるはずもない。
トオガの国の兵士たちは次々と感電死していく。中には、なぜ自分が死んだのかもわからないままにこの世をさる者もいた。
身体を焼かれ、内臓を焼かれ、そして魂を焼かれ。次々と発火していく身体たち。だが、それでも止まることはない。雷はそれらの体をもまた媒介にして広がっていく。人間の命を全て奪うために。
遠くから聞こえる悲鳴。恐るべき速さで消えていく敵の魔力。その様子を見た騎士団の人間たちは恐怖に慄いていた。
「凄い……」
「敵の魔力が、急激な速さで消えていきます……」
「作戦は成功ね……」
「後は、どれだけの時間あの魔法を使えるか……」
「彼女は全力だと数分だって、言っていたけど……」
「数分……」
数分しか、攻撃することができない。なんて軽々しいことを考えられるわけない。裏を返せばこの地獄絵図が数分間も続くということなのだから。
リュカもまた戦慄した。たかだか一人の人間がこれだけの魔法を使用して、多くの人間を殺すことができる。その事実に。そして、自分もまたともすれば使用できるという事実に。
そして、何百、何千、何万という命がたったの数分で消すことができるという事実に。
「大量破壊兵器……ううん、大量殺戮魔法……こんなこともできちゃうんだ……魔法って……」
「怖くなった?」
怖いか、怖くないかと聞かれたらもちろん怖いというしかない。しかし、そもそも分かりきっていたことだ。自分の使用する力は軽々しく使ってはならない危険な物であるということを。
いつでもどこでも、どこかしらから魔法による攻撃が来るかわからない。街の中を歩いているときにも目の前から飛んでくる。あるいは、人混みがあることも考えないで魔法を放つ人間もいるはず。
そう、この世界の人間は誰もが簡単に人を殺めることができる。暴力的な犯罪者になることができるのだ。そんな可能性を秘めているのだ。だから、いつどこで魔法を使用されて殺されるかわからない。そんな恐怖を抱いてこの世界の人間たちは生きている。
改めて、異世界の人間たちの強さを知ったリュカは、一度深呼吸をすると言った。
「はい。だからこそ、むやみやたらに使ったらダメだと……そう思いました……」
あまりにもありきたりな答えだったのかもしれない。しかし、セリンはまるでそれでいいと言っているかのようにリュカの頭に手を置いた。
そんなこんなしている間にも、地獄は収まらない。いや、ソレどころか先ほどよりもさらに威力が上がっていっている。
「まだまだ……ハァァァァァァァァ!!!!!!」
「さらに魔力量が!」
「本当に凄いわね……あまりの魔力量で敵の魔力が感知できない……」
「あれが、あの人の本当の強さ……」
あれが、この世界の王の地位に近い人間の力。正確に言えば彼女は王妃ではあるが。しかし自分が天下統一を果たすためにはあれだけの魔法を使用し、そして魔力量のある人間を倒さなければならないのだ。
できるのだろうか。自分に。いや、するのだ。そのために、自分は旅に出たのだから。
「私、あの人を超えたいです……あの人以上の強さを、持ちたいです」
「厳しい道よ。特に、魔力量が少ないあなたには」
「それでも……私、もっともっと強くなりたい……あの場所にいれるほどまで……」
あの頂に登れるその日まで。いつになるのかわからないが、しかし彼女は、フランソワーズは自分にとっての大きな目標となっていた。
それからもう間も無くだった。雷は、収まった。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
ほとんど全ての魔力を出し切ったフランソワーズは、膝をついてその場にうずくまった。まさしく、全身全霊を傾けた結果である。
「王妃様!」
「フランソワーズさん!」
「皆! 行くわよ!」
「はい!」
その様子を見たヴァルキリー騎士団の面々は、フランソワーズを救助するためにそれぞれに動いた。もちろん敵への警戒は最大限にして。
あれだけの攻撃だったのだ。生き残っている人間がそうたくさんいるわけないと思いたい。しかし、ときに電気を通さない特異体質の人間が生まれることがあると父から聞いていたリュカ、他騎士団の面々は周囲を見渡しながら近づいていく。
だが、あまりにも巨大な魔法を放ったことによってあたり一面に魔力が散らばり、敵の魔力を感知することが出来ない。これでもし伏兵が奇襲でも仕掛けてこよう物ならたちまちーーー。
「王妃様!」
その時。
「あッ……」
彼女は見た。
「危ない!!」
霧の奥深く。トオガの兵士たちがいたはずの場所から放たれた。
「え?」
一筋の、力を使い果たして無防備な彼女を襲う閃光を。




