第八話
戦場の最前線。そこでは、決死の思いで到達した騎士団の面々とトオガの国の兵士達とが激戦を繰り広げていた。
これで何人を殺したことだろう。害虫を殺すかのように打ち捨てたトオガの兵士を前にして、セイナはもはや数えるのも嫌になっていた。
自分自身の剣で手を下した敵もいれば、魔法を使用して殺した人間。仕留めきれなくてもその後に味方が殺せば、自分が殺したということになるのだろうか。ともかく、百人目から以降は一才把握することができない。それに、そんな余裕も無くなってきていた。
戦闘自体は、これまでのところ力量に勝るセイナが率いる部隊が善戦していた。しかしそれはあくまでトオガの国の兵士の中でも弱い分類に入る部隊に対してのみ。戦の通例として、前線にいる兵士はその軍隊のなかでも弱い、というのがこの世界においての鉄則。
トオガの国もまたその鉄則に則っているとするのならば、本当にキツくなってくるのはここからだ。事実、先程までは楽に倒すことができていた兵士たちも、もうそろそろ手応えを感じ始めてくる頃合いになってきた。それに伴って、多数によって個人を攻めるという戦い方をしはじめる人間が多数。文字通り、勝負はここからなのだろう。
「いまだ! 取り囲め!!」
「応!!」
その時だ。セイナを含めた二十人足らずの騎士団員達を、トオガ部隊約百人が取り囲んだ。
「ッ! まずいッ!」
「包囲されてしまいましたね……」
図られた。セイナはことこの場面に来るまで自分達がそれぞれこの場所に誘導されていたことに気がついていなかった。
いつもの彼女達であったのならば、そのことにすぐに気がつくことができていただろう。しかし、こと今回は戦いの中盤ということで集中力が切れかけていたことが災いした。
「やっぱり、この人数差は武が悪かったわね……」
「もしここで、魔法でも撃たれたら……」
「一巻の終わりってやつ?」
敵兵士たちに囲まれ、もしここに最初に使われたような地面魔法を再び使われよう物なら、今度こそ逃げ場はない。いや、逃げようとしても追撃されるはずだ。
セリンの言うように、やはりこの人数差、戦力差は痛い。特に一番最初にミウコの兵のほとんどを失ったこと、さらにマハリからきた兵士を最後方に置いてきてしまったことによってほとんど自分達の騎士団で戦っているようなもの。たとえ雀の涙程度の力量しかもたない兵士であったとしても、いたほうがよかったのかもしれない。
なんてこと考えても後の祭りだ。今は、この状況を打破する方法を考えなければ。といっても、取れる手段なんてそう多くはないのだが。
「ここは、多少の犠牲も覚悟で、特攻するしか……」
それしかないのか。誰か、あるいは何人かが一方に攻撃を仕掛け、その誰か達に敵が意識を持っていかれる中で自分達が脱出する。この戦力差なのだから、その囮になった誰かの命は保証できない、捨て石にするしかできない最低な作戦だ。
けど、それしか多くの仲間を助けることができないのであるのならば、捨て石になるのは自分で十分だ。セイナは、その役目は自分が適任だと考え、それを仲間達に伝えようとした。その時だった。
「大丈夫!」
「え?」
その声とともに現れた一人の女の子。
蒼い髪をたなびかせ、空中を回転しながら包囲の中に推参したのは、ケセラ・セラであった。
「ガルル!!」
「ケセラ・セラ!」
ケセラ・セラは、降り立つと同時に敵兵士に向かった。一瞬だけ面を食らった兵士たちであったが、すぐに立ち直ったようで、ケセラ・セラに向けてそれぞれに魔法を撃ってきた。
しかし、ケセラ・セラは持ち前の身体能力を駆使してそれらの魔法を軽々と避けていく。炎も、水も、そして石の槍も全て、彼女の柔軟な体を捉えることはできずに魔力だけが消費されていく。
ちょこまかと動く女だ。これだけの攻撃を浴びせれば、直撃はまだしも掠ることくらいありそうなはずなのに、一撃たりとも与えられないではないか。本来なら不甲斐ない部下達を叱責しているところであるのだが、しかし魔法を当てられないのは自分も同じ。ここは狙いを変えてその後ろにいる女達を狙うべきなのか。
というより、その女達の向こう側にいる仲間は一体何をやっている。確かにあいつらは女どもがいるから目の前にいる≪蒼髪≫の子供、おそらく不幸を呼ぶ厄子である少女を狙うことができないのはわかるが。だからと言ってなぜ手を休めている。厄子が狙えないのであれば自分達の代わりに集まっている女どもを攻撃していればいいのに。そう思っていた。
だが、それは無理な話だった。
なぜならば、彼のいう仲間達はすでに。
「うッ!」
「ぎゃ!」
「団長! 開けた!!」
「よし、みんな行くわよ!!」
「はい!!」
全滅していたからだ。
彼女達が動き始めたのはケセラ・セラが包囲のなかに飛び込んだ瞬間である。敵がケセラ・セラに攻撃を開始したのを見て、その攻撃を加えている人間達からは見えない場所にいた騎士団の人間達が瞬時に敵に近づき、一人一人確実に始末していたのだ。
「な、しまった! 総員ッ」
気がついた兵士が攻撃目標を騎士団にするように指示を出そうとしたその時だ。兵士は自分に何が起こったのかわからないままにその命を消すことになった。
彼の背後に近づいていた存在。それは、ケセラ・セラとともにこの戦に参戦していたロウの一団だった。
「な、こいつ!?」
「な、なんでこの場所に獣が!?」
「まずい、包囲網が!!」
突然の奇襲により、瓦解寸前のところで何とか保つことができていた包囲網が一気にくずれさった。
「今よ!」
「ハァァァァ!!!」
恐慌状態に陥った敵ほど、倒しやすいものはない。そう言わんばかりの騎士団の人間達による猛攻。首を刎ね、心臓を焼き、または首の骨を折られながら徐々にその数を減らしていく兵士たち。
だが、男共もまだ蹂躙されるだけの存在ではない。ひとりの勇猛果敢な猛者がその巨体を揺らしながら土煙を引き裂いた。
「ッ! く……」
セイナは、その直前に目の前に現れた兵士を倒した直後の一瞬の隙をつかれてしまった。剣で攻撃を防いだことによって何とか致命傷だけはま逃れた物の、しかし右肩に大きな傷を作ってしまった。この傷では、戦闘の継続は不可能であろうか。いや、そんなこと考えるのも目の前にいる男の攻撃から生き残ることが出来たらの話か。
「見たところ貴様が指揮官か……ならば!」
「団長!!」
貴様だけは道連れにしてやる。男はセイナもろとも魔法による自爆をしようとしていた。
例えどれだけ強くても指揮官たる人間がいなくなれば、保険として指揮系統を任せられた人員がいたとしても、混乱はま逃れないだろう。そうなれば、人数で勝るトオガの有利はさらに拡大する。
そんなことさせるものかと、セイナはその前に男の息の根を断つために立ち上がろうとする。だが、やはり利き腕をやられた痛みは尋常ではなく、肩から流れ出る血を左手で抑え込みながら、膝をつき続けるしかないセイナ。
このままでは団長が危ない。そう周囲にいた団員は皆が考え、彼女を助けるために行動に移そうとする。だが、自爆の魔法はその代償に全くと言って似合っていないほどに呪文の数が短い。今から助けに行っても間に合うだろうか。
いや、例え間に合わなくても、彼女の命だけは身を挺してでも守らなければならない。この騎士団には、自分たちにはまだ彼女の力が必要なのだ。例えこの戦に勝てたとしても、彼女がいなければヴァルキリー騎士団を存続させることなんて不可能に近い。
セイナを助けたい。その考えは、彼女もまた当たり前のように持っていた。セイナに一番近くて、そしてこれが初めての人殺しとなる女の子もまた。
「ガァッ!?」
セイナは、自分の眼を疑った。
男が、言魂を紡ごうとしたその刹那、大男の胸から一本の腕が出現したのである。
とても細く、とても短い。それでよく人間の身体を貫いたものだと感心するのだが、恐らく鋭くとがったその爪によって、彼女は瞬時に男の背中から肉を抉ったのだろう。
手は、おおよそ元の色がどんなものであったのかを想像することが出来ないほどに赤く染まり、その手にはこれまた赤く脈打つ楕円形にも似た物、人間の命の源たる心臓が握られていた。
「お、のれ……」
「ッ!」
「うぅ……」
この時点で、男の運命は決まったような物だった。しかし、まるでその事実を確定させるかのように彼女は力を入れて手に持った心臓を握りつぶした。
グシュという嫌な音を立ててつぶれる心臓。だが、心臓の大きさに似合わないほどに少女の手が小さかったためか、心臓の下半分しか潰すことが出来なかった。残った心臓の上半分は、地面に落ち、一回、二回程脈を打って後その役目を終える。
そして、心臓の元の持ち主だった男もまた、地面に倒れると二度とその身体を起こすことは無かった。
ある意味でとても残忍な殺害方法。恐らく、並みの神経を持った人間ではそんなことはできない。彼女が、どれほど胆力のある人間であるのかを改めて思い知らされた形になったセイナは、自らの手に付着した血を舐める少女、ケセラ・セラに言う。
「ケセラ・セラちゃん、ありがとう。助かったわ」
「……」
「ケセラ・セラちゃん?」
ケセラ・セラは何も答えない。
この時、ケセラ・セラは初めての殺人で、リュカのように動揺していたわけじゃない。何故なら、彼女はすでに覚悟を決めていたから。リュカがカナリアを殺した時に、自分にもいつかその時が来るのだとずっと覚悟をしていたいから。
というより、殺人をする覚悟を持たない者がこの戦場にいるはずがない。だから、多少心が揺れる思いに駆られそうになったが、しかし彼女は人殺しという重荷に耐えうることが出来た。
問題なのはその殺し方だった。
誰もが知っての通り、彼女はずっと野生の中で暮らしてきた。その中で、獣を自分の爪や牙を用いて殺す機会が多くあった。けど、先ほどのように心臓を潰して殺すなんてことは初めてだ。むしろ、どうしてそんな回りくどいことをやらかしたのか、彼女にも疑問だった。
恐らく、彼女にとって恩人の一人であるセイナを殺そうとしたことで激昂したから、そんな過程を立てることしかできないが、無我夢中で行動した結果、傍から見たら猟奇的な殺し方をしてしまった。
そのせいで自分の手は、身体は赤く染められる。綺麗に光っていた蒼い髪も、鮮血に染められている。そしてその手は、心臓を潰した時の感触をずっと残していた。
少し熟した生暖かい木の実を潰した感触。けど、潰される直前まで必死にもがいていた。生きたい、死にたくないともがいて、もがいて、もがいて。あの時、確かに自分は恐ろしくなった。
今、自分の手の中には命があるのだと。決して安易に扱ってはならない大切な物が握られているのだと。でも、そんな事度返しになるくらいに、思うことが出来ないくらいに命を弄ぶ感覚が、とても心地よかった。
男の血を舐めたのも、最初にリュカがリコの血を舐めたのを真似したわけじゃない。ただ、味わいたかったのだ。自分が殺した人間の血という物の味を。
おいしかった。
でも、そんな自分が嫌いになった。
人殺しというのは、決して慣れてはいけない物。
決して、娯楽にしてはならない物。
そう心につなぎとめておかなければならない。
もしも、それを忘れてしまったら自分は、本当に獣となってしまう。人の心を完全に亡失した、残忍な獣へと。
セイナは、そんなケセラ・セラの肩を優しく叩く。そして、まるで彼女の気持ちを察しているかのように言った。
「自分のことが恐ろしくない人なんていないわ。自分を恐れる気持ちを忘れなければ、アナタは外道になんて落ちない。落させないから」
と。
この一件により、セイナは一時戦線を離脱。後の指揮を副団長のカリンに任せると後方へと下がっていった。
そして、ケセラ・セラは最終的に十二人の人間をこの戦の中で殺すことになる。
その時も、自分が恐ろしいという事を決して忘れることは無かった。




