第五話
戦が始まって一時間足らずが経った頃。そのころになってくると、よほどこの世の物とは思えないような光景がトオガの軍隊を包み込んでいた。
「ハァッ! はぁぁぁ!!」
「ヤァ! てりゃぁぁ!!」
「フッ!」
積まれていく死体の数々。そのどれもが真っ黒の鎧に身を包んだ者。つまり、自分たちの仲間たちだ。最強の軍隊としての誇りも、矜持も、もはやどこにもない。あるのはただ、蹂躙されるのを防ぐことだけを考えた軍隊がそこにはあった。
最初に敵が自分たちの地面魔法を避けて現れた時には確かに驚いたものだ。だが、そう来なくては歯ごたえがないと思えるくらいに自分たちは強さに自身を持っていた。いや、慢心していた。だからこそ、この結果が待っていたのかもしれない。
いま、また一人の兵士の首が吹き飛んだ。洗練された剣技、手入れの行き届いたその刃によって、バターを小包丁で切った時のように滑らかな断面図を残して頭と胴体が離れた身体は、重たい鎧に負けてうつぶせになって倒れ伏した。
その姿を見た一人の兵士が、恐慌状態に陥った。何故だ。自分たちは最強の軍隊。この軍隊にいれば、自分が死ぬことは無い。そう思っていたのに、どうしてこうなった。
嫌だ、死ぬのだけは嫌だ。男は敵に背中を見せて逃げ出した。黒々とした仲間の兵士たちの間を縫って逃げようとする男。ダメダ、こんなところにいちゃだめだ。もっと、もっと遠くに逃げなければならない。
逃げて、国にいる妻や息子と共に逃げ出そう。こんな危険な場所にいちゃだめだ。早く、もっと安全な国へと逃げ出さなければならない。
そこで農業をやろう。血なまぐさい戦なんて物に一切かかわらずに生きていこう。命のやり取りのない優しい世界を生きよう。そう決心した男。
所詮、命のやり取りをするという覚悟をしていなかった。そう言われてしまっても過言ではない男。だが、それが人間として普通であると言ってもいいのかもしれない。
本当におかしかったのは、命を失うかもしれないと分かっていてもそれでもなお前に出続けている彼女達だったのか。
【炎剣】
【炎舞】
【炎風】
「ぐあぁぁぁあ!!」
戦場で舞い上がる炎の数々。男は、その内の一つに焼かれてその生涯をあっさりと終えた。妻子がどうなったのかは、今の我々には分からないことである。
地を焼き天を焼き人を焼き。あたりにはとても香ばしいにおいが漂っていた。本来なら、その匂いを嗅ぐと涎が出て仕方がない。しかし、そんな物を出している余裕も、度胸もない。今は、生き残ることに必死になっている兵士たちはしかし、女性ばかりの軍に次々と討ち取られていった。
「な、何だこの強さ……ミウコの兵に、これほどの強さがあるなど……」
そうだ。確かに強すぎるのだ。まさか、一小国にこれほどの力があるなんて思いもよらなかった。
相手は女性ばかりだ。しかしその一人一人が自分の国の精鋭の集まりである馬廻りと同じような、いやそれ以上の強さを持っているように感じる。
何故、ただの小国であるはずのミウコにそれほどまでの精鋭たちがいるというのか。何故こんな化け物たちがミウコなんて国に収まっているのか、はなはだ疑問だった。
「いや、あそこにいる女、見覚えがあるぞ!!」
「何?」
と、言ったのはトオガの国でも重鎮として数々の戦場を駆け抜けた老兵だ。その彼が見たのは、一番最初に岩山を超えて自分たちの目の前に現れた女性。セイナである。
彼には、その女性の姿に見覚えがあった。もう何年になるのか覚えていないが、しかしかなり前にあったトオガととある国との戦争のときに手を出してきた組織の人間だ。そう、その組織とは。
「あれは、確かギルム・リリィアンの人間だ」
「なッ!?」
「ギルム・リリィアンといったら、ギルム・フィアンマを潰した最強の軍隊じゃないか!?」
「クッ、まさかギルム・リリィアンの傭兵を雇っていたとは……」
ギルム・リリィアン。そう、カナリアとセリンの二人が所属していた組織。実は、団長のセイナもまたそこに所属していたことがあったのだ。といってもかなり昔の事であり、数年たってからギルム・リリィアンから離れて生き別れとなってしまった弟を保護してくれていたマハリへと旅立っていったのだが。
その弟も、つい一か月ほど前に電飾に押しつぶされて死んでしまったわけであるが。
話を戻そう。ギルム・リリィアンは自分たちで動くこと以外にも様々な国に仲間を送り込むという傭兵の仕事を請け負っていたのだ。そして、その中の一つでトオガの国と戦争になった国に数名の団員を送ったことがある。その中に、セイナがいたのだ。
その戦争自体は、被害が大きくなってきたことによって途中で国同士が和睦したことによって終戦したのだが、やはりというかなんというか、ギルム・リリィアンの人間に死者が出ることがなく無傷で根城に帰っていった。そのためにトオガの国の人間たちにもその強さが印象に残っていたのだろう。
余談だが、カナリアたちを含めたギルム・リリィアンの面々もまた、傭兵ということでマハリの国に雇われた。という事になっているが、実質セイナの昔の縁で代表のソーシエも認めた形での移籍という事になっているそうだ。
「ギルム・リリィアン……あの忌々しい女どもが……」
そして、ギルム・リリィアンの戦への参戦の報は、すぐに最後方で戦の様子を見守っていたトオガの国の王の耳へと届けられた。
「ハッ、しかしそれはごく一部。他は別の国からかき集めた烏合の衆かと」
「例の獣を出せ!」
「ハッ? ですが……」
「味方の損害を気にしている場合か! 我々の国が、傭兵共風情に舐められてたまるものか!!」
「……分かりました」
激昂した様子で連絡係である兵士にそう言った王。
王にとって、ギルム・リリィアンは非情に因縁のある組織であった。後の調査で判明したことであるが、実はトオガの国の王は、かつて彼女たちが潰した組織、ギルム・フィアンマの支援者の一人としてそこでの闇競売に度々参戦していたことがあったそうだ。
つまり、ギルム・リリィアンは自分の楽しみを奪ったにっくき仇のような物だ。かなり身勝手な話である。そして、とても利己的な人間である。結果下したこの命令が、戦の流れをさらに混沌としたものに変えてしまうのであった。やはり、人間自分の感情を操作できなければ終わりである。特に、上に立つ者は。
「いくぞぉ! せいの!!」
「ぬおぉぉぉ!!」
「おおぉぉ!!」
今、戦場にとても巨大な箱が搬入された。
男何十人かが四方にそれぞれ接続されている鎖を持ち、とても重そうに運んでいる木箱。その姿は、当然であるが戦場で戦っている両国の軍の目にも見えていた。一体、あれは何なのか、そう口々に、しかし戦をする手を動かしながらもつぶやく少女たち。その裏で、木箱を見ていたトオガの国の兵士たちの顔色が見る見るうちに青い物へと変わっていく様子が見て取れた。
「あれは……」
「まずい! あれはまずい!!?」
マズイ、一体何がまずいというのか。トオガの兵士が戦々恐々としている中で、その木箱の扉がついに開かれてしまった。
そして、中から現れたのは。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!」
巨大な、怪物。全身を真っ黒な毛で覆われ、巨木のように太い腕っぷし。鮮血のようにおどろ恐ろしい目。さらに口から見える牙の一本一本がまるで鋭い槍の先端のようにとがっていて、その隙間から出た雄叫びで何人もの人間の足が止まってしまうほどの恐怖感を演出していた。
あの怪物。見覚えがある。リュカは遠い記憶を思い返していた。確か、前世の動物園でよく目にした人間に近い種類の動物だ。けど、今自分が見ているソレは、それが未熟児の赤ちゃんに見えるくらいに巨大。恐らく、人間十人から十五人分くらいはあろうかという大きさをしている。
身体全体を動かして呼吸をする恐ろしい獣は、外に出た瞬間はまだおとなしかった。しかし、まるでそれを過去とした古ぼけた機械人形かのように動き出す。
両腕を合わせ。
頭の上に挙げ。
そして―――。
「ぎゃぁぁぁ!!」
「きゃああああ!!」
振り下ろした。
ただ、それだけで生まれた衝撃波が起こした地震は、先ほどの地面魔法の時にも立つことが出来ていた騎士団の面々の足をも奪った。そして、獣の目の前にいた兵士たちは真っすぐに波上に進む衝撃波に飲み込まれる。何十人、何百人が巻き込まれたのか、その中には騎士団の仲間も何人か含まれていた。
そう、何人か含まれていたのだ。これが、この戦が始まって初めての騎士団の仲間の犠牲者だった。
いや、それも確かに衝撃的だが、しかしそれ以上にリュカが唖然としたのは衝撃波に巻き込まれた人間の総数に対して騎士団の死人が―こういうのはとても不本意であるが―少なかったという事だ。
そう、死んだのは騎士団の人間たちだけじゃない。
「嘘、味方もまとめて!?」
獣の前にいたトオガの国の兵士たちもまた巻き込まれた。いや、どちらかといえばトオガの国の兵士の方が被害は大きかったと思う。
衝撃波は、トオガの兵士たちが密集しているところに放たれたのだ。いくら人数比の関係で味方を巻き込む可能性があったとしても、あそこまであからさまに味方を巻き込んでいる様子を見るのは心が痛い。
「なんて凶暴な……」
「あれはリラーゴ! 接触禁止生物ってわけじゃないけど……手名付けるのが難しい危険で凶暴な獣の一体よ!」
つまり、あの獣はかつてギルム・リリィアンの面々が駆逐したテンタールスには及ばないものの、自分達が今まで見て、そして倒してきた獣よりは格上的な存在である。と、言うことか。
これは、厄介だ。何が一番厄介であるかといえば、どうやら味方の存在なんて鑑みるという思考を持っていなさそうなところ。
もしも同士討ちを嫌うような獣であったのならばそれを利用し策を練って、なんらかの対処をすることができた。しかし獣、リラーゴはそんなことも考えずにただ目の前にいる者を惨殺していくだけの存在。
これもまた、力押しが強いトオガならではの無法者であると言えよう。それにしても、である。
「味方の被害も考えないで仲間を……部下を何だと思ってるの!?」
リュカの心には怒りが芽生えていた。いち末端の兵士であったとしても仲間は仲間。その仲間がいるのに、そんな獰猛な獣を放つなんて、トオガの国の王は、一体何を考えているのか、と。
「所詮、私たちは消耗品よ」
「え?」
背後からきこえてきた言葉。振り返ったリュカの目の前にあったのは、こちらに向けてとてつもない速さで向かってくる壁であった。
「ッ!」
いや、壁じゃない。これは、巨大な盾だ。人の身体一つ分はあろうかと思うほどに巨大な盾。もしも、この速さで、こんな巨大な盾にぶつかられたら、たちまち自分の身体は吹き飛んでしまうだろう。
防ぐか。いや、それじゃ不十分。ならばどうする。迷っている場合じゃない。こうなったら。
「ハァァァァ!!!」
【突剣】
リュカは、剣先に魔力を込めてその盾を、あわよくばつき貫かんという勢いで突き刺した。
だが、その盾は硬く、威力を相殺させるだけで精いっぱいだ。いや、そもそも同じ力同士をぶつけ合わせることによってその間にあるはずの力を殺すことばそもそもの目的、ここは盾を止めた事だけでも良しとしよう。
リュカは、ある程度の時間その盾とぶつかり合うと、後ろへと飛び去って距離を取った。盾を持った人物もまた彼女と同じように、後ろへと飛びのく。すると、盾はまるで伸縮自在のゴムのように縮んでいく。大きさを自由に変えられる素材で作られているのか、それともそれがその人物の魔法であるのか。
定かではないが、しかしおかげでその盾を持つ人物の姿が見えた。
「貴方は……」
ソレは、咄嗟にリュカの口から出た言葉。別に、目の前にいる女性の名前や素性を聞いたわけじゃなかった。しかし、恐らく律儀であったのだろう。女性は、『盾』に『縦』にしまい込まれていた剣を引き抜くと言った。
「私はヴァーティー……貴方たちが探している防御魔法の使い手……よ」
「ッ!」
この出会いが、果たして何をもたらすのか。この時の少女たちは、まだ何もわかってはいなかった。




