第一話
ミウコの国の門から出て数十分。ようやく、戦場へと足を踏み入れることができたリュカたちヴァルキリー騎士団の面々。女王が最終防衛線と決めていた砦のすぐ横に陣取ると、皆一様にして戦場を見渡した。
不思議だ。このまえ偵察に出た時にはとても広い場所だなと思っていたのに、今見るととても手狭に感じてしまう。
あの時とは違って、たくさんの仲間がいるからか。いや違う。きっと遠くに見えるアレが原因であろう。
「あれが、トオガの軍……」
「全身真っ黒なんて、趣味が悪い……」
地平線と見間違うような黒い線。横長に広がった真っ黒な軍隊は、なにか不気味な物を感じさせ、目の前にいるミウコの国の兵士たちの間からわずかにすら見えるその姿すらも、何か異様な圧迫感を彼女たちにもたらしていた。あれが、強者の姿、という物なのだろうか。
しかし変だ。最初に聞いた話では今回の戦のためにトオガは、十万から十五万の軍隊を用いて侵略に来るという話であったはず。それなのに、見た感じではそれほど多いようにも感じられない。何故なのだろう。
「たぶん、本隊は後ろ。後詰のために残しているんでしょう。まぁ、戦力差から見ても間違いじゃないわね」
「カイン副団長……」
リュカのすぐそばにいるカインが、そう推察した。なるほど、いくら大勢で来ようとも全員が全員戦えるわけじゃない。敵の数が自分達の隊より遥かに人数が少なければ特にだ。
だから、二つ、またはそれ以上に部隊を分けることによって戦いやすくするのも、戦法の一つとしては間違いではない。
考えてみれば、魔法を使用した戦では広範囲を標的とした魔法の使用も十分にあり得る物。力技でごり押しをするトオガではよりありそうなものだ。あまりにも人数が多かったら、味方の損害を考えて魔法を使用せねばならず、全力で戦う事もできないかもしれない。
仲間の中で同士討ちしてしまう可能性が高いのであれば、多少人数を減らすこともやむなし、と言ったところか。
だからと言って、勝ち目が出てきたわけじゃない。むしろ先述した理由で大規模な魔法を使用する戦術を多用する恐れがあるのならば、こちらの被害も甚大じゃないほどに出る可能性がある。
「みんな、コレだけは言っておくわ。この戦い、全員が生き残るなんてありえない」
「……」
「……」
セイナが少し小高い、演説台のような岩を見つけたらしく、ソレに登ると後ろを振り向いて騎士団の面々に向けて言い放った。
そんな、開戦もまだという時にあって士気を低下させるようなことを言っていいのかと思うのだが、しかしここで理想論を語るよりも事実を語ったほうが良いだろうというセイナの考えがあったらしい。
「だからこそ、生き残った人間はこれから死ぬことになる人間たちの思いを背負って生きていかなくちゃならない……望む、望まざるにかかわらず……ね」
「……」
「……」
「団長……」
死、というのは責任である。いつだれかの命を奪うかもしれない。誰かに奪われるかもしれない。そんな危険を承知で生きるのが人間だ。
だからこそ、その死という物に責任を持って臨まないといけない。死、という物が身近にある物であると考えて生きなければならない。そして、死を感じた物は、その死を放った人間の分まで生きることを強いられる。相手が、身近な人間であればあるほどだ。
死は生涯をかけて付きまとう厄介な物だ。その死に、誰かは押しつぶされて、立ち止まって、前に進めなくなってしまうかもしれない。そうなったとき、その人間がどうなる事か、分かったものではない。
死は人を停滞させる。それを乗り越えても、いつの日にかまたその死がのしかかって、停滞させ、乗り越えても死が押し寄せる。そんな繰り返し。
死があるからこそ人は人でいられる。もしも死が無くなってしまえば人は人でいられない。そんな覚悟を持って生き続けるのが、人間であるのならば、死から目をそらしてはならない。
死を背負って、背負って、背負い続けて。たくさんの死を目撃して、背負って、背負って、戦って、殺してまた死を背負い続け、そしていつか押しつぶされて死んでいく。その時を待たなければならないのだ。
その時だ。上空から無数の矢が飛んできた。
恐らく、トオガの国の兵士たちが先走って放った矢であるのだろう。ソレらは、まだ話を続けているセイナをまるで狙ったかのように集中して集まり、落ちてくる。
「団長! 後ろ!!」
このままではセイナが危ない。彼女に声をかけながらも、リュカは刀を抜こうとしていた。すべてを落とせるとは思えない。だが、せめてセイナに当たりそうな物だけでも吹き飛ばすことが出来れば。
「だから!」
「!」
しかし、セイナはそんな攻撃にも一切動じることは無い。まるでソレが来ることが分かっていたかのように笑みを浮かべると、振り向きざまに剣を抜き、魔法を無詠唱で放った。
【竜巻】
ただ矢を吹き飛ばす。それだけならば言魂を言う必要なんてない。風の系統の魔法の中でも高度に位置する魔法に巻き込まれた無数の矢は、全てが空高くに消えて、その姿は二度と見えなくなった。果たして、どこまで飛ばされたことか、流れ矢に当たって誰かが傷つかないことを祈ろう。
セイナは、まるで何事もなかったかのように話を続ける。
「私が、死んでいく人たちの思いを背負っていく。これから、ずっと、生涯をかけてその重荷を受け入れていく。その覚悟を持っている。だから、貴方たちは安心して生き残って」
それは、上に立つ物の責任。この騎士団の面々を受け入れた時から持っていた覚悟。
誰かが背負う必要はない。自分一人が抱え込む。だから、安心して戦ってほしい。自分が覚えていれば、死んでいった人間はいつまでも記憶の中に生きているから。だから、いざその時が来れば安心して死んでほしい。
その時まで、全力で生き切って欲しい。そんな願いのこもった言葉だった。
「……団長」
「なに?」
そんな団長に、リュカは鋭い眼光で言った。
「私だって、背負っていく覚悟を持っています」
自分だってできているのだ。死ぬ覚悟、そして背負う覚悟。あの日、最初の殺しをしたその時から、そして死を目の当たりにしたその時から。とうの昔から。
自分は、かつて死んでこの世界に生まれ変わった。その時点で、自分は元からこの世界で平和に暮らしていたはずの少女リュカの心を殺していた。だから、自分は生まれ直してからすでにリュカの命と一緒に生きてきた。
最初の殺しはゴラムだった。でも、自分はその時あまり大それたことは考えていなかった。
最初に殺しを意識したのはケセラ・セラの仲間であるロウ達だ。あの時程、殺すことという物を意識したことは無かった。
そして、最初の人殺しであるカナリア。背負い込んだ死はそれまでの何倍もあった。もう、後には引き返せない。あるのは、人殺しを続けて命と、そして罪を背負い込んで行くだけ。それが、我が人生。
自分はそれまで殺したすべての獣たち、そして二十五人の命と、自分のすぐ近くで死んだ者達、ウェスカー、ネクル、そしてリコ。すべての命を背負って生きてる。もう、ソレを重荷にする理由なんてなかった。
「私も、最後まで生きる。だから、皆も最後まで生き切って……私が、皆が生きた証になるから」
だから、自分が彼女たちが生きた証になる。その心に、彼女たちの生き様を刻み込んで。ソレが、彼女が戦いに赴く前の覚悟。
だったのだが。
「って、新人の貴方じゃまだ役不足じゃない?」
「え、そ、そうですかね?」
「そうそう、背負っていくのは、私たちみたいな中堅が一番」
「まだまだ人生経験も未熟でひよっこのあなたに背負ってもらうほど、私たちの人生は薄くないわよ」
と、周囲の団員に苦笑、そして茶化されてしまった。だが確かに、大層なことを言うにはあまりにも自分は若すぎたかもしれない。というより考えてみれば一番死に近い存在は、これが初陣となる自分であるという事をすっかりと失念してしまっていた。
他人の事よりもまずは自分の事を心配しなければならないはずなのに、自分の事を一番おろそかにしてはならないはずなのに、これは今を生きる人間にとっては決してやってはならない大失態だ。彼女は、ソレをまず理解していなかった。
「そういう事、だから……」
セイナは、リュカのすぐそばまでくるとその肩を叩いてから、その場にいる全員に向けて言った。
「生き残って、そして勝ちましょう!」
「はい!」
こうして、改めて結束が高まったヴァルキリー騎士団の面々。士気は、一番ミウコの国に思い入れがあるはずの兵士たちよりも高かった。
もちろん、士気が高いからと言って勝つというわけじゃない。しかし、絶望したまま戦うのはより一層かつ確率を下げてしまう天敵になりうる。ここでこうして士気を最大限にまで上げていて悪いことは無い。
「さて、演説中に攻撃してきた無礼者には……」
「仕返しをしなくちゃね」
「フフ……」
と、先ほどの攻撃をどこかで根に持っていたのであろう。セイナ、そして副団長の二人。並びに騎士団の面々の何人かが魔法を放つ体勢を取った。
そう、非礼には非礼で返す、それがお約束という物だ。そんなしきたりがあるかのように悪戯心満載の顔つきをした数人の女性は魔法を放った。
【水矢】
【炎矢】
これが、戦の始まりの合図だった。そんなようにも感じる一撃が放たれた瞬間、戦の火蓋が切られたのだ。
冷静に考えてみると、本来ミウコの国の兵がやるはずのようなことを、よそ者である自分たち騎士団がやってしまってよかったのだろかと後々疑問に思ったのだが、まぁ過ぎたことは仕方がないという事で考えないことにした。




