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6. 演劇 題名〈悪女 セティス・マグフォード〉⑤

 第一王子の婚約者セティス・マグフォードの提案はジョセフにとって、そして平民の少女メリルにとっても実に都合のいい提案だった。

 この国において婚姻とは貴賤を問わず、権力のために、家のためにするものである。

 権力の土台を確実なものにする。尊き血を受け継ぐ。より強い結びつきを得る。

 ただ、その目的のはざまに一組の男女が在るにすぎない。

 無論、このことを一番理解しているのは母親の胎に宿った時より、第一王子と呼ばれ育てられてきたジョセフである。

 ゆえに彼は、貴族でないメリルを婚約者にするためには周囲の説得だけでは不足だということをよくわかっていた。当たり障りなくいえば、一番邪魔なのは他でもない婚約者セティスである。

 セティスが第二王妃になると決まった時、貴族らが宮殿に送りつけた抗議文の数はけして少なくはなかった。


 表向きは国王の宣言で、ジョセフが国王の座に就いた暁に彼女が第二王妃となることは決定事項だったが、確定ではない。

 未だセティスを次代の王妃にとの貴族らの声も多い中で、宮殿内での平民の少女メリルの地位は危ういものに変わりはなかった。

 そんなとき、彼女は――セティスは自ら、宮殿を出て行く道を選んだ。

 その提案は、ジョセフ、そしてメリルとっても非常に都合がよかった。

 互いの利害も一致している。断る理由はない。


 ジョセフは平民の少女を溺愛する王子を、メリルはかわいそうな悲劇のお姫様(ヒロイン)を演じた。セティスは嬉々として、ヒロインを虐げる役に徹した。

 そして迎えたパーティの当日フィナーレ。メリルは作戦通り、セティスに突き飛ばされ第一王子に縋りついて派手にわんわん泣いてみせた。ジョセフは大勢の前で盛大に怒り狂い、セティスを平民の地位に落とした。これでセティスの悪女としての地位は確固たるものとなった。

  悪女と言えば、大概の人間はセティスの名をあげるだろう。


 セティスの望みは第二王妃にならないこと。

 そのために貴族の身分を棄てる道を選び、万が一、逃亡に失敗しても実家で駒として利用価値がなくなるよう、あらんかぎりの手を尽くしてメリルを苛め抜き、『次代の王妃セティス』の評判を出来る限り落とした。


 すべて三人の、それぞれの思惑通りに事は運び、望みどおりの結末で幕を引いたのだった。


   ◇◇◇


  塗りつぶされた夜だった。見上げても星の瞬きはなく、か細い月がひとつ、申し訳なさそうに脆弱な光を放っている。まるでボロボロの暗幕の切れ目をいれたような頼りない月だ。

 フードを目深にかぶった人影が灯も持たずに駆けてゆく。背格好からして人影は、女だろう。息があがっているのか、女性特有の線の細い肩が上下に揺れ、耳を澄ませば乱れた息遣いが耳元まで聞こえてきそうだ。


 季節は初夏だというのに、辺りには風のおとも、虫のすらもない。

 ただ、カサカサと人影が草を踏み分けて進む音のみ。湿った土のにおいが鼻腔をついた。

 人影はふと、足を止めた。


 目の間にそびえる建物を見上げ、口からうすく息を吐く。

 古い教会のようにもみえた。何十年も前に放置されたのだろう。草が生い茂り、レンガは歪み、いまにも崩れ落ちそうだ。賊でも入ったのか出入り口の扉は壊され、ぱっくりと開いた先には黒い底無しのうろが広がっている。

 ――おいで

 じっ、と何かに見つめられている気がした。手招きされているような。

 そんなわけがない、と人影は言い聞かせた。


 怖いと思う。けれど、じっと扉の先をみつめていると不思議と好奇心が湧き上がり、吸い込まれそうになる。相反する感情に板挟みになって動けない。

  至極当然、このまま歩みを進めれば、教会の中に立ち入ることになる。それをわかっていてもその向こうにどろりとした何かがいる気がして踏み込めない。

 「……」

 それでも行かなければならない。


 唇を引き結んで、ゆっくりと足を踏みいれた。

 虚の奥は不思議と温かった。

 けして息が上がっているからではない。廃墟同然と化した教会でも、独特の造りが心理にそう働きかけるのだと、人影は思う。

 入ってみると、教会の内部は外見とあまり変わらなかった。

 元は椅子だったのだろうと思われるへし折れた板の塊が床一面に転がり、窓枠は曲がり、差し込む薄い影を歪めている。唯一、凛とたたずむ最奥の女神像だけが、ここがかつて祈りの場だったことを無言でものがたっていた。

 像の足許で人影は歩みを止めた。

 女神像の背後にはひずんだ窓枠がある。在りし日には、色とりどりのガラスがはめ込まれていたのだろうが、今はか細い月があるだけ。月光は窓枠の影をぼんやりと教会の床に落としている。まるで女神像が籠に捕らわれている様にもみえなくもない。


 数拍の間の後、両腕を伸ばして人影はゆっくりと目深にかぶったフードを落とした。

 はらりと絹糸のような金色ブロンドの髪が弧を描いて宙にあそぶ。くっきりとした顔立ちに、雪を思わせる白い肌は闇の中で燐光を放っている様にすら見える。

 首筋に浮かんだ玉汗が外気に触れて人影は、身震いをする。その何気ない仕草でさえ、場に似合わずひどく官能的だった。

 図らずも、幾人もの視線を射止め、はたと振り返らせてしまう美貌。

 人影――セティスは女神像の前に片膝をついた。

 息も荒いまま、懐から木箱を取り出す。緻密な幾何学模様の掘られた、掌の大きさのほどの木箱だ。

 首にかけ着ているシャツの下に隠しておいた鍵を首筋からひっぱりだし、鍵穴に差し込んで蓋をあける。あらわれたのは、しっとりとした水面みなものような絹地の上に横たわる、人差し指ほどの大きさの小剣だった。


 それをつまみあげ、脇に木箱をおく。

 飾りのないいぶし銀の鞘が薄明りを照り返して鈍く光る。

 セティスは右手でつかを、左手で鞘を握り、一気に抜きはらった。


  瞬間、冷や水を浴びせられたようだった。あらわれたのは磨き抜かれた鏡のような刀身。その身にうつる自分と、目があった。

 切り裂くような冷たい風がセティスを包み込んだ。冬特有の雪の匂いがする。

 とっさに面伏せて、目を閉じた。あまりの風の勢いに、息が詰まる。小剣を手放すまいとこぶしに力をこめた。風は頬を撫で、長い髪をもてあそぶ。足元にまで忍び込み、スカートの裾をまくりあげた。羽織ったコートの裾が割れて、華奢な太ももが露わになる。

 吹き荒れる風は吹き付けるごとにセティスの体温を奪ってゆく。

 肌に冷たく感じた風はいつしか、切り裂くような痛みに変わっていた。だが、それすら遠くなる。体温を、感覚を奪われてゆく。

 「……っぅ」


 指先を動かすことすら――はたして、自分の手が動いているのかさえ、あまりの風圧に顔を上げることが出来ず、わからなかった。

 それでも歯を食いしばり、体を起こそうとする。

 不意に体がふわり浮いた――ような気がした。

 生温かい。

 わずかにひらくことのできた瞼の隙間から、セティスは、見た。

  しらしらと雪は絶えず、ふり積もる。眼前に広がるのは黒と白の、塗りつぶされた夜空と、雪が全てを覆い尽くした白い雪原。

 そこにぽつりと、赤いワンピースを着た女の子がインクを垂らしたように忽然と姿をあらわした。小さな女の子の肩には痛々しく、雪が降り積もっている。

 いつからそこにいるのだろう。


 『だめよ』

 セティスは女の子に向かって声をかける。

  ついさっきまで廃墟も同然の教会にいたはずだが、セティスの中には何の疑いもなかった。

 ――このままでは風邪をひいてしまう。

 小さい体には堪えるはずだ。

 『お父さんは? お母さんはどこ? はやく家にかえったほうがいいわ』

 駆け寄ろうとセティスは走る。

 けれどどれだけ雪原を走っても、女の子の姿は大きくならない。

 『そんなところにいたら風邪をひいてしまうわ!』

 なぜこんなにも心をかき乱されるのか、セティスには分からなかった。

 張り上げた声に気がついた女の子がこちらへ振り返る。


 きれいな黄色みがかかった瞳が潤んでいた。

 『そこにいてはだめよ』

 セティスの声がこだまする。

 同時に女の子の目からひとすじ涙がこぼれ落ちた。胸が痛い。あどけない背格好に見合わない、切なげな視線がセティスを射抜いた。

 そして、女の子の唇だけが、別の生き物のように動いた。

 ――さよなら セティス・マグフォード

  その声を、なぜかセティスは耳元でささやかれたような気がした。

 耳殻にふりかかった生温かい吐息の感触に、セティスは一度立ち止まる。

 焦燥がはしった。理由はわからない。

 ――だめよ

 叫ぼうとしたが、声にならなかった。否、口がすでに動かなかった。

 視界が、暗転する。

 ――おちる

 そうおもったのを最後に、セティスの意識は途絶えた。


次から章が変わります。次章「箱入り悪女と嘘吐き聖女」

よろしくお願いいたします。

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