3. 演劇 題名〈悪女 セティス・マグフォード〉②
この国では体裁上、男子が二人以上妻を持つことは許されない。表向き、複数妻を娶ることできるのはのは、王位についた者だけだと法で定められている。
現時点で王子であるジョセフの妻になれるのは、一人だけだ。
第二王妃候補にされるとは、つまりジョセフが王位につくまでは妃候補の一人として宮殿に留め置かれ、王になってからは二番目の王妃――つまり、側妃としてメリルの後ろに立たされるということだ。
留め置かれる、といえば宮殿で側室候補として優雅な暮らしができるものと聞こえはいいが、実際は“王の側妃候補として清い身であらねばならない”として、半ば軟禁状態の生活を強いられる。実体は、正妻である王妃が子どもを授からなかったときの、代わりの手段だ。
メリルに対する感情はさておき、第一王子の婚約者として衆目のもと育てられてきた少女にとって、側妃にされることが屈辱であることは、だれの想像にも難くなかった。
セティスの実家は百年以上の歴史を持つ貿易商から成り上がった大貴族――マグフォード家である。他国との取引はほぼ、何らかの形でマグフォード家を通す。王室としてはなんとかセティスを身内にとりこんでおきたいのだろう。ゆえに、第二王妃である。
よくよく考えればこうなることは明らかだったのだが、このときのセティスは自分が思っている以上に動揺しており、気が付かなかった。幼いころからジョセフと庭を駆けまわり、共に育てられた彼女には、彼が妻を複数迎え入れるなど考えられなかったのだ。
セティスはマグフォード家の当主である父と、その六番目の妻の間に生まれた二番目の子である。男の兄弟はおらず、上に姉が一人いる。
マグフォード家の次女である彼女が第一王子の婚約者に選ばれ宮殿にあがったのは、誰もが一度は振りむいてしまう華やかな容姿と血筋からであり、大貴族の血をひいてはいるものの宮殿内での身分はさほど高くはない。それは、実家でも同じだった。
妾の子でありながら、第一王子の婚約者にされたことと、母親の身分の低さもあってか、姉をはじめとした周囲の嫉妬による嫌がらせはすさまじくセティスにとって実家――マグフォード家は居心地のいい場所ではなかった。
――第二王妃
つい三月前までは、将来正妃になることを約束された第一王子の婚約者だった。
セティスは歯を食いしばる。
実家はこの決定をあっさり受け入れたのだろう。
マグフォード家にとっては屈辱的なことであるが、セティスはどうせ妾が産んだ子、といったところか。
所詮は、権力のための駒か。
セティスは無意識に謁見の間――王の御前であるにも関わらず、筋張るほど強く拳を握りしめていた。
脳裏に浮かんだのは思い浮かんだのは、もう、この世にいない母親の顔だった。マグフォード家の当主の妻でありながら、六番目。その扱いセティスは目の当たりにしてきた。もちろん、王室のそれとマグフォード家のそれはちがうだろうが、セティスは正妻以外の座に就くことに対して、一種の恐怖に近いものを抱いていた。
――わたしは、駒じゃないわ
このとき、セティスは決めた。
隣にいたメリルが心配そうに、ちらりとセティスの顔を覗き込んだが、当の本人にとってはどうでもいいことだった。
側妃にされないためにはどうするか。
第一王子の婚約者の座を、メリルから奪い返す気は毛頭ない。
そして、当然セティスが第二王妃になることにあっさり同意した実家もあてにならない。もし、第二王妃となることを回避できたとしてもマグフォード家に戻れば、また駒として別のところに嫁がされるだけだろう。
――都合のいい駒になんかなってやるもんですか
第一王子の妻にも、第二王妃にもならない。マグフォード家に帰る気もない。
だから、セティスは思いついた。その方法は、いたって簡単で、自分自身でも笑みがこぼれてしまうほど稚拙なものだった。
メリルは平民である。念のため調べたが、彼女の血筋に貴族はなく、生粋の平民だった。後ろ盾は第一王子――ジョセフただ一人。
ならば、やることは一つだ。
事は、メリルが宮殿で催される茶会に遅刻したところから始まった。茶会があること自体をメリルは知らなかったと主張したが、招待状は十日前にジョセフの名前で送られている。メリルの言い訳は国の第一王子の不手際を公の場で指摘することにもなるだが、平民として育った彼女はそこまで気がまわらない。当然、茶会に招かれるのは貴族ばかりで、メリルを見る眼は一気に冷えた。くわえて、急いで会場まで走ってきたのか首筋には汗によって後れ毛がはりつき、ドレスは皺だらけで、彼女は見事醜態を晒すことになった。
手を回したのはもちろんセティスだ。セティスは次代の王妃となるために、幼いころから宮殿で暮らし、教育を受けていた。侍女の中にはその苦労を知り、同情する者も多い。
悪事は一度やれば癖になる。それからはもう、やりたい放題やった。
主催した茶会ではご令嬢たちを味方につけて、マナーがなっていないとメリルを囲んでひたすら罵声を浴びせた、なんて生ぬるい。
慣れないヒールを履かせて散歩に連れ出し、靴擦れで踵と親指の付け根を血まみれにしてやった。
最近侍女に習い始めたのだと言って渡してきた刺繍のハンカチを、目の前で「こんなものいくらでも持っているわ」ビリビリに裂いて、窓から投げ捨てた。
何度か手紙ももらったが全部破り捨てて、送り返してやった。
それでも仲良くなりたいのか近づいてくる素振りを何度も見せたので、飲みかけの紅茶を思いきりぶちまけてやった。その後、メリルは手首に軽いやけどを負ったと聞いたが、セティスは眉の一つもうごかさなかった。彼女にとってはどうでもいいことだった。
と、まあセティスが覚えているのはこれくらいである。
実家ではさんざん嫌がらせを受けていたので、どれだけやってもネタは尽きなかった。
ほかにもいろいろやった。味方の侍女たちも、精一杯手をつくしてくれた。
ゆえに、セティスの所業はジョセフの耳に届くまで、そう時間はかからなかった。
◇◇◇
「――婚約者の座を奪われたんですもの。何も思わないほうがおかしいですわ」
セティスはすこしばかり顎をひいて、唇を尖らせ上目づかいにジョセフをみる。
口もとは歪んだまま。ゆえに、その表情は小ばかにするような躰となる。
「だとしても限度があるはずだろう」
ジョセフの声色は、唸る獣のそれだ。
あぁ、悲しきかな。完全に、メリルの味方である。
「送った手紙を破り捨てて返したそうだな」
「字が汚くて読めなかったんですもの。ペンに慣れていないのなら、代筆屋を使うべきでしょう。直筆など侮辱されているとしかおもえませんでしたわ」
セティスから発せられた声はくぐもり、鼻にかかっている。
――かわいそうなのは、このわたくし
「……池に、突き落としたそうだな」
ジョセフは隣に立つ、平民の少女メリルの、ドレスの裾を示した。
淡い色のドレスに、不気味な緑色のしぶきが散っている。
こちらにまで生臭い匂いがしてきそうだ。
セティスはわずかに眉間に皺を寄せる。
「肩があたっただけですわ。そちらの方がまだ、御靴に慣れていらっしゃらないのでしょう」
――かわいそうに、とセティスはうるんだ瞳をメリルに向ける。
メリルの顔は、着ているドレスよりも青白く、そして強張っている。しかし、セティスに向ける瞳はどこか同情的だ。その視線こそがセティスの癪にさわるのだと、メリルは以前、御付きの侍女に叱られたことがある。「第一王子の婚約者たるもの堂々としていなければなりません」と、侍女から何度も言い聞かせられた。でも、この場でどんな顔をすればいいのか、彼女にはまだわからない。