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2.演劇 題名〈悪女 セティス・マグフォード〉①

 「んふふッゥ……」

 吐き捨てるような笑みがこぼれた。

 一拍おいて、それが自分の口から出た音だと自覚する。

 はっ、と我に返った視界に飛び込んだのは磨き抜かれた大理石の床の上に広がる、濁った水たまり。それは天井のシャンデリアの、仄明るい無数の光と、そして私の影をうつしている。


  はた、とセティスは視線を上げた。視界に飛び込んだのは侮蔑、興味、嘲笑の顔。淑女らは扇でひらりと口元を覆っているが、歪んだ目元は隠しきれていない。いや、見せつけているのだ。ナイフのような鋭利な視線をセティスに投げつける。

 その表情は総じて歪んで、醜い。

 だが当のセティスは、せっかくの厚化粧でもその表情かおじゃ台無しね、などと思いながら、周囲を見渡した。


 ――でもきっと、今のわたしも同じ顔をしているわね

 見知った顔を何人か見つけたが、ある者は視線が合う前にそらし、ある者は扇の中に顔を沈め、ある者はさらに視線を尖らせた。

 つい先ほどまで、他愛のない話で笑い合っていた友人たちである

 ――あの子たち、あんな顔をするのね

 彼女たちのことは嫌いではなかった。


 上辺だけの、互いに取り繕った会話もあったが、時に楽しくおしゃべりをしたこともあった。

 だが、そう思っていたのは自分だけなのだろう。

 所詮は家同士の付き合いだったのだ。

 気に入らないものを無理矢理きれいだと誉めて、嬉しくもないのに喜んで。


 ――だけどもう、そんな必要もない

 セティスは顔に浮かんだのは満面の笑みだ。


  シャンデリアの無数の蝋燭が灯る宮殿の広間。

  肩を出した深紅のドレスに、純白の肌。蝋燭特有の暖色の薄明かりが照らし出すのは、白鳥が両翼を広げたような鎖骨のライン。すらりとした首には大玉の黒真珠のネックレスが垂れ下がり、それが彼女をより一層細く見せる。真冬にひとしれず咲く花のような儚さを思わせる小さな唇には、ドレスに合わせ同じ色の紅がかれ、対にくっきりとした目元の(まぶた)には、石光粉せっこうこ――化粧道具の一種。光る石を砕いた粉であり、瞼の上にそっと塗るのが婦女子の間で流行っている――が、水面のように彼女の瞬きにあわせてきらりと波打っている。

 思わず誰もが足を止め、目を奪われてしまう美貌である。美しいかと千人に問えば、全員が迷いなく是と答えるだろう。


 だが、今の彼女は、歪んでいた。

 深紅色のドレスは蝋燭の仄暗い光によって垂れた血のように赤黒く照らし出され、それは口紅の色も同様で、幸か不幸か――彼女の白い肌が、その(あか)をさらに深くみせた。

 ゆえに、彼女の口元のつりあがった歪んだ笑みは遠くからでもよくみえた。


 セティスを中心に遠巻きに輪をつくり囲むのは、今宵のパーティの出席者たちである。紳士はいうまでもなく――淑女たちが色とりどりのドレスを纏い、集う様は、眼前に広がる極彩色――いつかの詩人が書いた天界の楽園のようである。それもまあ、先に書いた通り、淑女たちの表情かおを見なければ、であるが。

 「――当然のことですわ」

 セティスの声は凛と、広間に落ちた。


 「開き直るのか」

 間髪を入れずに言い返したのは、広間の最奥――数段あがった上座に立つ、男である。

 彼の名前はジョセフ。この国の第一王子であり、次代国王。そして、セティスの婚約者である。いや、元婚約者と言うべきか。

 「ご存知かと思いますが、わたくしはあなたのつまとなるために、幼い頃より厳しく育てられてきましたの」

 あえて、この言葉セリフをセティスは選ぶ。元婚約者の腕にしがみつく、淡い藍色のドレスを着た少女にもわかるように。

  第一王子の妻――そして王子が王座に就いたあかつきには王妃として、並び立つ者となるべく、セティスは育てられてきた。教養はもちろんのこと、立ち居振る舞いや、言葉づかいにいたるまでのすべては、次代の王妃となる人間として、ふさわしい気品を得るためにしてきたことである。

 家柄はもちろん、容姿も文句なし。相応の教養も得ている。幼い頃より、第一王子とわらいあいながら庭を駆けまわる様を、周囲の人間は幾度となく目にしてきた。

 来年――セティスが十八歳を迎えた折に、盛大な婚儀を行うこともすでに決まっていた。

 ゆえに誰もが、彼女が第一王子の妻となり、次代の王妃の座に就くことを当然のように思っていた。貴族の娘たちも、すでに王子の御心はセティスに在るものと皆、正妻の座は諦めていた。


 だが状況はくるりと、いとも簡単に一変した。


   ◇◇◇


  地方に視察に出かけた第一王子ジョセフの一団が、賊に襲われたとの急報が宮殿に届いたのは今からちょうど、半年ほど前の話である。

 急報では、暴れた馬を御しきれず崖から落ち、ジョセフの安否は不明だった。

 セティスはひどく動転した。水さえも飲み込めず、ただひたすら自室でジョセフの無事を祈り続けた。神への祈りのことばを唱え続けることで、最悪の事態を考えてしまう自分の気を紛らわすため――セティスからすれば自分自身のためであったが、その様子が宮殿にまで知れ渡り、王子の父――国王が胸を打たれたことはいうまでもない。

 


 無事がわかったのは急報が届いてから七日後ことだった。

 ジョセフは奇跡的に一命をとりとめ、山奥に住む善意ある民によって助けられ、山小屋に匿われていたという。

 ここまではよかった。

 視察先で療養し、宮殿にジョセフが帰ってくるまでひと月もの期間を要した。

 セティスはジョセフに会える日を指折りかぞえ、心待ちにしていた。

 だが、しかし。

 宮殿で出迎えたセティスが目にしたのは見知らぬ少女と二人――一頭の白馬にまたがるジョセフの姿だった。

 そして、開口一番。


 『わたしはこの、メリルを妻にする』と謁見の間で父親――国王に向かい宣言した。もちろん、その場にはセティスもいた。

  周囲は反対したが、ジョセフは折れなかった。むしろ、見知らぬ少女――メリルを妻にするために奔走した。

 聞くところによると、怪我をして倒れていたジョセフを助けた“善意ある民”とは、メリルのことだったようである。ジョセフはメリルのその献身ぶりに惚れたらしい。


 だが、メリルは平民である。

 王子の妻とするには、いろいろ足りないとジョセフ本人も含め、誰もがわかっていた。しかしジョセフの、平民から妻を娶れば民衆の支持も得られる、政に民の言葉を取り入れたいという王政の姿勢も示せる、などの必死の説得により周囲の貴族、そしてついに王の承諾を得た。

 このかん、ジョセフが賊に襲われた一報が届いた日から数えて僅か、三月みつき

 ジョセフ本人の意向にセティスは、自身でも不思議なくらい逆らう気が起きなかった。幼いころから一緒に過ごし、将来は結婚するものと思っていた相手であるが、所詮、それは政略でしかなかったのだと、ただ他人事のようにおもった。

セティスは呆然と、自分の婚約者はだれになるだろうか、などと歳も近く、相応の身分の男子の顔を、頭の中で思い浮かべたりしていた。


  ゆえに、謁見の間で国王の決定を聞いた時、酷く動揺した。

  ――メリルを王子の妻とし、セティスを第二王妃候補(・・・・・・)とする。

 第二王妃(・・)、の言葉にセティスは耳を疑った。


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