君の隣に咲くアザレア
気軽に呼んでね
キミと出会って、もう十三年が過ぎた。
中学校の頃にキミと友達になった。初めは、一言、二言、互いのグループで休み時間や授業、遊びに行った時に話すくらい。
いつしか二人で帰る時間が増えて、友達以上恋人未満な関係に居心地良さを覚えていた。
友人らに付き合ってるだろと揶揄われても、お互いに気恥ずかしさで違うと言い続けていた。
そんな曖昧な関係が二年続いても、あの時のキミは何も言わなかった。
今思えば、お互い意識して告白されないかなと待っていたんだろう。
ヘタレな僕でごめんね。
中学三年生の秋。
キミが隣にいるのが当たり前のようになった頃。キミと志望校が違うことを知った。
僕は地元の高校に受験し、キミは県外の私立に受験した。
いつか離れ離れになってしまう。それに気づいて、僕は分かった。
僕はキミと一緒にいたいんだと。
卒業の日、キミと初めて恋人として手を繋いで桜舞う道を歩いた。
告白した時、遅いよ、と言ってくれた笑顔は今でも忘れない。そして、初めてキミの手を繋いだ時の温もりと心臓の高鳴りは今でも覚えてるよ。
高校に進学して、二人、遠距離恋愛にもどかしさを感じたこともあったね。
初めて喧嘩して、その時にできた仲直りの印はスイーツを買ってくること。キミと僕、好きな食べ物が甘い物だった。ケーキを食べる時に幸せそうな顔をするキミは、いつ見ても飽きなかった。
そして、大学生になる前。キミと僕はお互いの家族に挨拶に行ったね。キミのお父さんは凄く優しい人だけれど、初対面の時は般若のような顔つきで思わず泣きそうになりました。このことは、キミにも内緒にしてた。
キミと僕の妹は趣味があってすぐに打ち解けて仲良くなったね。僕の父さんも、キミのことをベタ褒めしてたよ。
こうやってお互いの家族に紹介したのは、二人で一緒に暮らす為だったよね。お互いの家族全員が、僕とキミが一緒に住むことを賛成してくれた。
初めて二人で住む家を探した時、なかなかいい家を見つけられなくて何件も回ったよね。お互いに譲れないものがあって、それを話し合って決めていく。あの時、僕は心なしか嬉しかった。ずっと遠い距離にいた時間が、ずっと身近なものになった気がして。
大学生になって、二人の時間が増えた。その分だけ幸せな時間があって、その分、たくさん喧嘩もした。喧嘩をした後の仲直りも、時々キミは太りたくないから我慢すると言ったこともあったね。
夏の暑さも、冬の寒さも、秋の風も、春の温かさも、キミと重ねる季節も年も、忙しなく、けれど楽しく過ぎていったよ。
食べたご飯も、旅行した景色――その全部の思い出に、写真になってキミがいた。
大学も卒業間近になって、キミと僕はそれぞれ就職先が決まっていた。春からは二人、社会人になる。
そうなったら今と比べて一緒に居る時間が減っちゃうね、僕がそう言うと、キミはこう言ったよね。
大丈夫よ。私たちは三年間も離れても恋人出来てたんだし、それに、これからも一緒に居る為にこうして住んでるんだから、と。
キミのその言葉が、僕は心の底から嬉しかった。
だから、僕は覚悟を決めて、キミにプロポーズした。
ドラマみたいなワンシーンは無理だったけれど、それでも僕なりの一番の勇気と覚悟を持って、白銀の指輪をキミに捧げた。
あの時、僕の心臓は張り裂けそうなくらい音を出してたんだよ。声も上擦ってしまって、恰好が付いたかは分からない。
でも、キミが目に涙を湛えて返事をしてくれた時、僕はそんなことどうでもいいと思ってしまった。
そして、キミと僕が社会人になって、一年、二年が過ぎた。
お互いに忙しなく、やはり一緒にいられる時間は減ってしまった。だけどその分だけ、一緒にいる時間や、何気ない瞬間が嬉しく感じられた。
例えば、残業で家にくたくたで帰った時、玄関に灯りが付いてるだけでキミが待ってくれているんだと嬉しくなった。
休日が重なれば、二人で台所に立って料理をしてみたり、ドライブに出かけたりする。
こんな幸せな時間が、ずっと続くと、あの時まで僕はそう思っていた。
怒った顔も、拗ねた顔も、鼻歌をうたうキミも――表情を豊かなキミが好きだった。
そんなキミの顔が、笑顔のままになってしまって。
あの時、キミを守れなくてごめん。
傍に居てあげられなくてごめん。
でも、今はこうして、キミの隣にいる。
短い命。次の季節が来る頃には、もう僕は枯れていない。
せめてその時が来るまでは、僕はキミに隣にいよう。
快晴の下。キミの名前が刻まれた、その隣に咲く花として。
二人とも実は死んでいて、恋人が先に死んでます。男の方はそのすぐ後に死んで、墓ではなく野ばらに咲く花として恋人と一緒にいるって感じのストーリーぃぃ